信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

親の想い

2009年11月19日 23時13分18秒 | Weblog
今朝7時前に、原村のバス停にムスメを送り、その足で勤務先に行った。

ムスメはこの先、ニュージーランドへの旅行があるが、今週の土曜日は私の実家の母の法事へ同行する。

1月に亡くなった母は早くも3回忌を迎える。
いまだに母を思うと、目の奥がつんと痛む。
18歳から母と離れ、故郷を離れて、そして横浜、東京に住み、今や信州生活をしているが自分の気持ちとしてはいまだに母を乗り越えられない、成長できない娘でいる。

ムスメは私の時の2倍近く親と一緒に生活をしているが、結果として何が違っているのだろうか?


ムスコが訪ねてきて、帰って行く時、ムスメが出かけていくとき、その都度、一定時間寂しさに浸って、不安な時間を送る。
これも致し方ないかと想う。
自分の母親もそうであったかどうか尋ねた事がないが、今更確かめても意味がない。

けれどどこの親もこのような感情を持つのではあるまいか。

午前中、仕事をしながら、その寂しい感情と同居し、徐々に以前の一人暮らしの自分に戻っていった。

家に帰り、夕食にとりかかる。
こういう気持ちのときは料理に没頭するに限る。
珍しく3年ぶりにカレーを作る。
そして同時にパン作りの準備を始めた。
今日はサツマイモパン。

出来上がりが23時30分となる。
嫌でも起きていなければならない。

子供を育て、やがてはそれぞれの生活を過ごしていくのであるが、老後は自由を手に入れるか孤独感を味わいながらそれでも伴侶がいたほうが良いか、人それぞれ違いはある。
いつかは1人になる。
孤独に対する耐性つくりは思った以上に難しい学習である。

こうして日記を書いているうちに、台所でパンが焼きあがったようである。
家の中は夜中なのに酵母のにおいが一杯に漂っている。