信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

認知症予備軍

2009年11月29日 19時23分44秒 | Weblog
今日は朝から犬達が元気がない。
天気予報は雨模様だったがまだ昨日来の小春日和が続いている。
台所のストーブの前で朝ごはんを食べた犬が2匹、気絶している。
昨日の遠征の散歩がきつかったのか~、おい、大丈夫?



犬達が静かな隙に新聞をゆっくり読んだ。
休日の楽しみの一つは新聞を丁寧に読むことである。
ウイークデイは、これをしているとあっという間に時間が過ぎ、後がばたばたになる。

日曜版には医療関係の記事が載り、仕事の参考になるから尚更である。
今回は認知症について書かれている。

30年ほど前は痴呆老人といわれ、呆けるという言葉であったのが今は認知症。
人間は朝から晩まで、その場その場で判断を迫られる。そのために行動が出来るのである。
しかしその判断に障害が起きてもの忘れが加わると認知症となる。
10年前に母親が診察を受けた時に、はっきりと診断がされなかった。
今認知症の症状が並んでいるのを見ると、全く全部当てはまるではないか。

自分は今もこれからも一人暮らしが続く。
まだ予防医学の前線で働いており、毎日瞬間、瞬間で判断を迫られ、
その判断に狂いが生じると、ミスとなって跳ね返り、
院内組織の医療ミスの申告をせねばならない。
全く神経を使う仕事であるが、お陰で認知症からは遠い場にいるかもしれない。

後、2年後にはリタイアしたいと考えている。
その後が恐い。落差が大きいかもしれない。
なじみのある関係の人が傍にいることが大切と専門家は言うが・・・ううぅぅむつかしい。

なぁんていうことを考えながら疲れた犬を起こして引きずりながら散歩へ出た。
お天気次第で林の中の雰囲気は変わる。
木漏れ日に静かな木々の息を感じ、
これからやってくる寒い雪景色を想像すると、ブルッと来る。
八ヶ岳から流れ出でる小さな流れは水が清冽で、落ち葉とよくマッチする景色になっている。

  

先週の新聞で惹かれる本を注文して届いた。
ボールペンで可愛い絵が描けるのである。
子供たちが幼い頃は結構一緒に絵を書くことがあり、アニメの似顔絵や電車など良く書いたものだ。
今、PC時代となり、文字さえ書く時間を失うことになる。
だからあえて葉書きをマメに書くことにしているが・・・・。
返事は帰ってこないので勝手に一方的に書くことを続けている。

老いても脳と手を一緒に使う時間が必要で、楽しんでみたいのはこれからの現役を退いた後である。
絵を描くのは楽しいが、時間は数倍の早さで過ぎ去っていくような感じがする。

糖尿病予備軍、認知症予備軍、動脈硬化予備軍・・・・・なんでもこれからの老後は予備軍と背中合わせで生きて行かねばならないのか。

 
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森の香り

2009年11月28日 22時08分34秒 | Weblog
2週間ぶりに犬達と遠出の散歩をする。
ムスメが帰って来ていたので、家事や散歩は私のテリトリーから失った。
お陰で楽をしたが、何だかいつものペースが乱れて生活が変わった。

先週は実家での法事で6時間かけて銚子まで出かけた。
旅行ではないが、別な場所へ出かけると色々目に付き考えさせられる。

3連休は疲れて終わり、翌日からの仕事は4日間働けば良いからと気楽に思えた。
けれど・・・こんなはずがないと思いながらも、気合と根性で毎日働いた。


仕事から帰って来ると眠くて横になりたくなる。
炬燵のせいで堕落したと心の中で思い、これではいけない、明日はしっかりしなくてはと反省しながら鈍い頭で床に就く。
思えばこれだ。下手に気合で働きすぎた。

既に随分前から、齢なんだからと子供たちには言われ続け、わかってはいても
職場では周りと同じく働かなければならない。
しかも体調を壊したり、休暇を取っているスタッフが毎日いるのでその分の負担がやってくる。

やはり齢なのだろう。ううううぅぅ。
燃料切れだ。

だから金曜日の夜はたまらなく嬉しい。
土曜日の朝が寝坊が出来るからだ。
少なくとも2,3時間は余分に寝れるからだ。

今朝は1ヶ月ぶりに役場の広場で、資源ごみの回収日に当り、昨夜ごみの分別をして
準備をしておいた。
都会よりここへ来てからの資源ごみの分別はとても細かく分別しなければならず、新聞やダンボールも含め、分別したごみ袋は幾つも出来上がる。
おき場所に困るが、ここは土地が広いから皆気にしないのだろう。
大半が軽トラックに積み込み、出しに来るから相当な量を出す。
収集場では担当者から注意を受けながら大汗をかき、ゴミ袋をぶら下げ走り回る。
トラックや乗用車が次々と到着し、駐車場は満杯で大騒ぎだ。

午前中のごみ出しで疲れた気持ちは何とかせねばならず、散歩で景色を眺めるに限る。
犬達を連れて2時間余林の中を散歩した。
昨夜7時間寝たため疲れが取れて体が軽くなった。
体があちこち痛かったのも消えていた。

林は木々の葉っぱがすっかり落ちて、陽ざしが明るく差し込んで夏の様子と違ってきた。
落葉松の葉が落ちて、いい香りが漂っている。



鬱蒼としていた林では気が付かないで通り過ぎていたが、苔玉があちらこちらに点在しているのをみつけた。
淡い日差しを受けて、苔の花が一斉に光っている。






足元は落葉松の葉でじゅうたんになっており、とても足に柔らかく踏み心地がよい。

 

疲れた体はこうして林の中の散歩で解消されてしまうのある。
なかなか望めない環境にいることを心の中で秘かに自慢して良いのではないかと思う。


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母の法事

2009年11月23日 23時19分17秒 | Weblog
1昨年の1月亡くなった母親の3回忌が千葉の実家で行なわれた。
まだ2年しか経たないが、法事は数えで行なうから1周忌が終わって間もないのに、もう?といった感じだ。

前倒しでこの3連休に行なわれ、21日の土曜日に中央道を高速バスで新宿まで乗り、東京八重洲口から銚子行きの高速バスの乗り継ぎで約6時間の旅になる。

荷物は持たないように最小限にとどめたが、お土産を買ったら、旅行鞄は投げ捨てたくなるほど重たくなった。
バスの乗り継ぎだからと高をくくっていたが、新宿で待ち合わせをしたムスメはカート付きかばんでスイスイ歩き、老いた母親は健気にも大きな鞄を持って全身の筋肉を総動員だ。

数日後にやってくる筋肉痛を恐れなければならない。
犬達を数日間動物病院へ預けるため車に乗せて向かったが、どうも行く先を感づいたらしく、あほみるきいが後部座席でうるさく吠えるわ、毎度旅行の度に登場するシーンである。

3連休の初日とあって、高速バスは満席で、全員を睡眠のまま運んでくれるので、バスの中はシーンとして最初から最後まで静かである。

11時に原村を出発したが、銚子についたのが夕方6時で、直ぐに夕食会となった。
漁港らしく、魚の料理オンパレードであるが、食べきれなく、皆歳をとったせいか
残った料理の方が多かった。
娘も入れて我々兄妹と姉の夫も入れて6人であるが、以前より段々食べる量が減って
きているのが良くわかる。
ただし、食べられなくなったがしゃべる量はすごい。
皆それぞれ話が弾みすぎあっちへ行きこっちへ行き、話はちっともまとまらず賑やかなことこの上ない。
1年ぶりの顔合わせだが、昨年よりてんでんばらばらにしゃべるから話はどんどんずれていく。


翌日、午前中にお寺さんでの法事が行なわれた。
昨日と打って変わって底冷えのする寒い日となった。
だだっ広い本堂でお経を聞き、昨年より、母を亡くした悲しみが薄れているのに気付いた。
法事が終わり、お清めをして一段落してから、又東京駅までバスで戻り、新宿から原村まで引き続きバスの乗り継ぎで帰ってきたが夜の10時半に到着した。
神奈川の姉は6時半に家に着いたというが、私が原村に着く頃にはもう寝ているという話である。

兄妹3人が揃ったがその伴侶も入れて、話があっちこっちへ行き、これは老化現象かもしれないと思う。
人の話をじっくり聞かず、兄妹の順列は全く変わらず、末っ子の私は60過ぎても、相変らず末っ子のままで、発言する場面はとても少ない。
皆それぞれ子供たちも独立しているが、話がまとまらないことや、共通に感じたのが子供たちは既に親を相談相手にせず、心配かけるから困った話は耳に入れない存在になってしまったのであることだ。

写真を撮ると世代交代は確実にやって来て、親の法事が終わったが自分達の命もままならない姿顔かたちになっている。

3連休でありがたい。
実家は遠く、往復すると2日間はつぶれ、3日目の今日は疲れを振り捨てて、終日飛び回り漬物漬けから庭の片付け物に追われ、暖かな冬の休日は終わって行った。

明日から体に残った重い荷物を持ったための筋肉痛が暫く何日か留まるのであろう。
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地元の画家

2009年11月20日 22時51分34秒 | Weblog
職場で今日の午後4時半に、原田泰治さんの絵の贈呈式があるので、集合するよう声がかかった。

えーあの有名な原田さんがここに見えるとはどういったことか・・・・。

健診センターには壁に地元の画家の原田泰司さんの描いた絵が数枚展示されている。
それがずうっと飾られたまま、色あせてきたため、受診者の方が寄贈されるようで
どういったいきさつか、作者が贈呈式に姿を見せることになったようである。

さかのぼれば昭和57年、子供がまだ6歳の頃、朝日新聞の日曜版に原田泰治さんの絵が掲載され始めた。
細かい描写で、絵の中の人物は表情がないのが特徴で、全国北海道から沖縄まで2年半に渡り、127箇所の地方をスケッチして回り描かれたが毎週、楽しみに眺め、スクラップしたものである。

風景は自分が育った幼い頃に共通で田舎の原風景と似通ったものばかりで懐かしさが一杯だった。
たちまち原田さんのフアンになった。
実家のある銚子の風景も登場し、夏休みに帰省し銚子電鉄の2両編成の電車が走る場所を探した遠い思い出もある。

定年の際日本のふる里という画集を買い求め時間が出来たらゆっくり眺めようと、移住する際に将来目標に入れてみた。
まさか自分でも原田さんの住んでいる土地に勤めることになるとは夢にも思わなかった。

諏訪湖のほとりには原田泰治美術館があり、数回訪れて絵を見て回った。
初めて原田さんの絵を知ってから27年経っていた。
この27年間の自分の人生は波乱万丈であり、けれどいまは穏やかな老後を迎えつつある。
良くぞここにたどり着いたという思いが強い。

職場に夕方、原田さんが車椅子で現れた。マスコミ関係もごっそり。
諏訪の市長も共に姿を見せ、院長が挨拶をし、原田さんが絵を30点も寄付をしてくださり、そのいきさつを話してくださる。

 

自分の書いた絵はグリーンの色を大事にしていると言う。
健診センターに飾られた絵はそのグリーンが色あせ、そのことを耳にして寄贈することにしたそうである。
30点の絵を春夏秋冬、季節ごとに取り替えて飾って欲しいと言われる。
写真で見た原田さんと実物は同じだがもっと若々しく、話し方も慣れて、諏訪の方言も交えてこの絵を描き始めたあたりの話に至る。

あまりにも身近に目の前に見ることが出来、思わぬ幸運に恵まれた。

 

健診センターに飾られた自分の絵を眺め、流石にグラフイックデザイナーらしく、周囲の展示する案内文などが気になったらしく、めちゃくちゃだと言う。
自分が書き直して上げると言い、秘書に寸法を測らしてあれこれ指図している。
レントゲンの案内や、果てはゴミ箱の表示まで、書き直すと言う。
中で働いていると慣れっこになって感じなくなるが、原田さんのような感性には、
直ぐに何もかも感じるらしい。

地元の画家の絵が飾られ、外は諏訪湖が大きく見える風景がみえロケーションとしては豪華な施設であるが、中身が大事だ。
自分達の仕事は来年の機能評価と、3年後の建物の新築を目指し高いところを目指していくのである。

 


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親の想い

2009年11月19日 23時13分18秒 | Weblog
今朝7時前に、原村のバス停にムスメを送り、その足で勤務先に行った。

ムスメはこの先、ニュージーランドへの旅行があるが、今週の土曜日は私の実家の母の法事へ同行する。

1月に亡くなった母は早くも3回忌を迎える。
いまだに母を思うと、目の奥がつんと痛む。
18歳から母と離れ、故郷を離れて、そして横浜、東京に住み、今や信州生活をしているが自分の気持ちとしてはいまだに母を乗り越えられない、成長できない娘でいる。

ムスメは私の時の2倍近く親と一緒に生活をしているが、結果として何が違っているのだろうか?


ムスコが訪ねてきて、帰って行く時、ムスメが出かけていくとき、その都度、一定時間寂しさに浸って、不安な時間を送る。
これも致し方ないかと想う。
自分の母親もそうであったかどうか尋ねた事がないが、今更確かめても意味がない。

けれどどこの親もこのような感情を持つのではあるまいか。

午前中、仕事をしながら、その寂しい感情と同居し、徐々に以前の一人暮らしの自分に戻っていった。

家に帰り、夕食にとりかかる。
こういう気持ちのときは料理に没頭するに限る。
珍しく3年ぶりにカレーを作る。
そして同時にパン作りの準備を始めた。
今日はサツマイモパン。

出来上がりが23時30分となる。
嫌でも起きていなければならない。

子供を育て、やがてはそれぞれの生活を過ごしていくのであるが、老後は自由を手に入れるか孤独感を味わいながらそれでも伴侶がいたほうが良いか、人それぞれ違いはある。
いつかは1人になる。
孤独に対する耐性つくりは思った以上に難しい学習である。

こうして日記を書いているうちに、台所でパンが焼きあがったようである。
家の中は夜中なのに酵母のにおいが一杯に漂っている。

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休日の中身

2009年11月15日 22時49分11秒 | Weblog
日曜日の朝、昨夜パンの焼きあがる時間をセットしたのでゆっくり新聞を読み終わる。

さつまいもパン



先週からホームベーカリーを買い求め、何度か食パンを焼いてみた。
同僚がお昼ご飯にサンドウイッチを持ってくるが、自分で焼いたと言う。

その言葉に惹かれ、メーカーもいくつかあり、買うかどうか半年ほど決めかねていた。
これまでは原村に引越して、3食ともご飯で、パンを食べる習慣がなくなった。
娘が同居していないので、そのためかもしれない。

原村にはパパゲーノいう天然酵母の手作りパン屋さんがある。
滅多にそのお店には出入りしなかったが、娘がこの秋に戻ってきてからパンを食べるようになった。
結構気に入ったパンがあると数日分買い求めるので、2回くらい分でお米5キロくらい買えてしまう値段になる。

たまたま通販生活の雑誌を読み、ホームベーカリーの広告が出ていた。
これまでの機械と違い、こね方がすごく焼き上がりが抜群で美味しいパンが出来上がると言う。

届いた機械はシンプル、小型、こねる音もうるさくなく、売りの文句どおりきめ細かいパンが出来上がる。
休日の朝、コーヒーの豆を挽き、家の中は酵母の匂いで一杯になり出来立てパンを食べると何となく幸せな気持ちが持てる。
食事をしている傍で、犬が新聞広告を熱心に見ている。
面白いことに、ずっと目を離さず、眺めている。
広告はガソリンの記事であるが、後姿が面白くて本当にわかっているのかいなと声を掛けたくなる。



天気が良いので、頂いた渋柿の皮をむき、軒先につるした。
1個1個が大きく、10個もつるすと重たくて、落っこちそうだ。

その勢いで、今度は漬物をつける。

 

この信州は野菜が豊富で寒い季節には保存食として数種類の漬物を漬ける。
野沢菜一つにしても家庭によって味が違う。
今年は野沢菜の育ちが遅く、まだ漬物を漬ける様子が見えない。

赤カブを漬けた。こちらでは飛騨高山の赤カブが有名で、野菜コーナーで今の季節には手に入るので、昆布と一緒に漬けてみた。

家の庭ではもみじが赤くなり散り始めている。




午後、娘と蓼科の鹿山の湯という温泉にでかけた。
東急リゾートの中にあり、天然アルカリ温泉で、これまで数度訪れている。
大きな内湯と、これまた広い露天風呂で温度はそれほど熱くないが、とても体が温まり、家に着いてもまだほてっている。
昨夜は一人で近くの金鶏の湯という温泉に立ち寄った。

二日続けて温泉に入り、恵まれた地に住む特権で、温泉好きならではの休日の楽しみである。



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失意から脱出

2009年11月14日 18時16分17秒 | Weblog
昨夜は相当な量の雨が降った。
天気予報は当たり、花金の夜はご苦労さんとビールを飲んでも何だか盛り上がらない。
炬燵でごろ寝をしていたら、友人の奥様から電話が入り、完全に目が覚めた。
この2ヶ月に渡り、先輩兼友人兼恩人兼兎に角私が信州へ移り住む先達をしてくださったご夫婦である。
家族と共に何度も宿泊し美味しい食事を頂き、広いお風呂に浸かり、夜更けまで話をし居心地のよさは比を見なかった。
今年の春、私が目の手術をしたときは、こうありたいという反省と目を開かせられたお見舞いの品を頂いた。

人生何があるかわからない。
恩人は10月急遽、近燐の病院から東京の大学病院へ転院していった。
2日ほど前2回目の手術が終わった。
主治医は神の手といわれる消化器外科の教授である。
しかしその先生でさえも、自分の手術暦でこの病気は17人しか経験がなく、しかも再手術になるのは、2人しか経験していないと言われるほど難しい困難なケースであったと言う。
後は神様にお願いするしかない。

長い都会生活を離れ、定年後の移住先に八ヶ岳の麓を選び、ゆっくりと自然を楽しみ、絵を描き、地元のため八ヶ岳の景観を守る活動をし、何で難しい病気のとりこになったのか・・・・。

毎日の仕事があるため、東京まで飛んでいけないジレンマに駆られながら、2回目の手術の成り行きを心中に抱えた。

完全とまでは行かないが、教授は安全なこの先の回復を狙い、一気にすっぱり根こそぎ取り去る方法を提唱する准教授と論争し、もやもやは残るが命取りになることは避けた。

時間が解決してくれる。
術後には寒さは禁物だから、この八ヶ岳へ戻ってこれるのは大分先かもしれない。
けれど何だかわからない病気を見つけるために2ヶ月かかって検査を進め、最も恐い胆管がんと診断され、開けてみたら肝臓の中にもがんがあり再手術となった。
無念、無念の言葉しか出ないが、神の手と最先端の医療のお陰で手術まで出来たので、今後は祈るしかない。

今月インフルエンザの予防接種に振り回され、通常業務以外に相当な量の仕事をこなし夕食の後は、炬燵で横にならないと疲れが取れなかった。
自分が怠け者になったと秘かに恐れた。
しかし恩人の病状と、業務量の拡大とでなるべくしてなったため、本来なら楽隠居しているはずが同級生に眉をひそめられ、走り続けている自分は年だからとはいえなくなった。

今朝まで続いた嵐が静まり、用事があってお昼頃に茅野まで車で出かけた。
雨に洗われて紅葉が濃く映えて最後の秋の景色となった。



 


標高差があり、1,150㍍の我が家付近はもう葉が散って木々は裸になった。




この2ヶ月、アメリカ旅行から帰って、一時元気がもりもりだったが、事故や恩人の病気や、忙しい仕事のためいつしかくたびれ果てた人間になっていた。
映画で渡辺謙の沈まぬ太陽を観て、恩地元という主人公の生き方に感動したが、反面自分の気持ちは沈んだ。

けれど、昨夜の手術の報告を受けて、やっと心が明るくなり、やる気が出てきたようである。


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秋の深まる里山風景

2009年11月09日 22時58分11秒 | Weblog
1泊でトンボ帰りしていく息子と犬達を連れて散歩をする。
ここ数日温かい陽ざしに紅葉は命を永らえ、まだまだ見頃を引き伸ばしている。

 

娘と息子はおしゃべりをしながらなかなか足が進まず、犬達もあっちこっちと臭いをかぎまわり、これも寄り道が多すぎる。

予定の時間はどんどん過ぎて行くが、普段忙しく慣れない職場で外国人に囲まれ勤務している息子にはたまらないゆったり流れる時間に思われる。

最後の収穫を待つキャベツ畑は、きれいな色のキャベツが並び、ブログの壁紙にしたいような姿である。
葉っぱには露がつき、みずみずしさが一杯。







木漏れ日の林のなかに点在する別荘は、住人の姿も見当たらず、静かなたたずまいで
既にもう冬支度に入っているのかもしれない。
先週、初雪が降り、寒くて震え上がった白い姿の八ヶ岳は、今日は麓まで落葉松の効用でオレンジ色の姿に輝いている。



落葉松の林は木の香りがする。
深呼吸しながら歩くが、最近はこの別荘の点在する景色の中を歩くと、やがて自分もこのような家を造るのだという気持ちが段々身近に感じられ、週末の散歩が楽しくなってきたのである。
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長円寺の燃えるかえで

2009年11月09日 22時04分41秒 | Weblog
好天が続いており、気温も高く、週末となった。
10月は雨も多く寒い日があり、初雪も降った。
今年の夏は雨が多かったため、紅葉はあまり期待されないと言われていたが、どうして、場所によっては歓声を上げるほどのきれいな紅葉を見ることが出来た。
茅野市の郊外に長円寺という楓の紅葉で有名なお寺がある。
調度、そのお寺の前を通りかかり、真っ赤な紅葉に引かれて、境内にぐるりと植えられている楓の木に驚いた。
この近隣に住んで3年目になるが、その季節に通らないので噂には聞いていたが、今回初めて見ることが出来た。

まるで京都のお寺に来たようだ。


時間が午後に差し掛かったので西日を受けて真っ赤な色が燃えるようである。
このお寺は100体観音が安置されてそれで有名でもある。

  

観音様が並んでいるが、楓の木に囲まれ、微笑んでいる姿は、探していくと自分の心を引き受けてくださる仏様が見つかるような気がする。



今日はシカゴのムスコが研修のため一時帰国してくるが、原村には1泊するので、時間が無いがこの紅葉を是非とも見せてあげたい。
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文化の日の里山風景

2009年11月03日 23時26分28秒 | Weblog


毎年、文化の日は好天に恵まれている。

八ヶ岳は昨夜、初雪で頂上は雪に覆われた。



麓は紅葉でのどかな景色であり、僅かな期間の限定風景となる。




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紅葉と初雪

2009年11月03日 10時49分11秒 | Weblog
昨日、夕刻から空が不気味な色に変わり、諏訪湖は茶褐色の湖に様変わり。
上を仰げば積乱雲のような、黒い雪雲がどんどん広がり、天気予報が当たったと思った。

通勤時間帯には雪が舞い始め、既にニュースでは長野北部は積雪で道路は混乱。
まだ冬タイヤに付け替えていないため、いきなりの雪では事故にも繋がってしまう。

日曜日には温かい小春日和で、諏訪インター付近の紅葉を見てから映画観に行った。

 
  

一夜明けてから沈まぬ太陽の映画を見ての様々な思いにとらわれて勤務に就いた。
恩地元という主人公は組合活動と自分の処遇には社長であっても食って掛るほどの
信念を持ち、激しくそれを真正面から出して相手とぶつかり合う。
その結果30年の不遇な海外勤務を背負うことになる。

しかし、墜落事故の遺族と向き合うときは、全く別な人間になり、
卑屈なほど頭を下げ、這い蹲り、頭を下げ続け、長い年月をかけて、遺族の心を掬い取って行く。
この違いが職場で仕事をしているときに、頭の中をよぎっていった。

なぜなら自分も相手に向き合う仕事をしている。
時として上から目線でものを言うことはないか。
専門家のありがちな行動である。

渡辺謙の演技もすごいが、脚本家と、演出家、監督、原作者、
この人たちの奥深く言いたい、伝えたいことがあるはずで、
ちっぽけな1人間として一つ教えられたような気がした。

折から紅葉は雪に覆われ、翌朝はすっかりもう解けてまた秋の景色に戻ったが
不意打ちの降雪は冬支度を急がねばならなくなった。

 

霜柱は5センチの高さで日陰で解けない。

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沈まぬ太陽

2009年11月01日 23時04分45秒 | Weblog



先週封切りになった、山崎豊子原作の話題の沈まぬ太陽の映画を観る。

先週の土曜日の朝日新聞のentertainmentの欄に渡辺謙の記事が載った。

若さがこれほど価値を持つようになったのはいつの頃からだろう。誰もがアンチエイジングに狂奔する時代。
男優も若さを競い、テレビや映画は年齢不詳の若者であふれ返る。
山崎豊子の小説を映像化するのが流行している。
しかし、大人であることに価値があった頃の大人を演じられる2枚目がいない。
今の男優が大人の重みや渋みを表現しようとしても、力んでいるようにしか見えない。
しかしこの人だけは違う。
何もしなくても大人の男の魅力がにおい立つ。
渡辺謙ほど山崎ドラマが似合う男はいない。

との文章を読んで岡谷の映画館へ出かけた。
映画と温泉とダブルで一日を過ごす計画だった。

映画が始まり、ジャンボ墜落機の事故現場とアフリカでの象を打ち倒すシーン、労組交渉の場面などでそれらが一つに頭の中で重なるまで回想と共に一気に進む。
墜落事故現場の遺族や棺が520人分並ぶ体育館の画面は泣かずにはいられない。
周囲は皆ハンカチで涙を拭き鼻水をすする音が聞こえ、次々と目の奥が熱くなり、涙がこみ上げてくる。

3時間30分の途中休憩時間も入り長い、一人の国民航空の社員の生き様を描いていった。
恩地元という主人公は30年間の不遇の海外勤務を経て、不当な扱いを受け続けても、会社を辞めようとはしなかった。

今の社会では、我慢も限界と感じれば、そこに留まらず他で生きる道を選ぶ。
恩地は何故か?
彼を押しとどめたのは表面的なプライドではない。
悩み苦しみをそぎ落とし、それでも骨の奥に残った矜持です。と渡辺謙は言う。

最悪の事故の遺族担当になり遺族に丁寧に向かい合い、やがて再度アフリカの大地に立つ。

折りしもJALの再建のニュースが毎日目にするが、30年前のその頃の企業と政府のあり方がこのようであったのか
、お金を積んで政府高官を手の中に入れて利益至上主義をまっしぐらに突き進むのと丹念に描く山崎豊子の小説は胸が痛み心が重かった。
登場人物それぞれからも生き方を学ばされた。

新聞記事の最後には、説得力を持つ2枚目の大人が他にいるだろうか。
日本のいたるところで彼のような大人が必要とされている。
若さ至上主義はもう要らない。と結んでいる。

自分達も同じ時代を生きてきた。
今職場でも生活の場でも若さが特権で、アンチエイシングの言葉があふれるが、どうしてどうして、ウイズエイジングと共に
苦労して生きて得た価値を出して行ける勇気を与えてくれた映画であった。

昨年の今頃は緒方拳に涙し、今年は渡辺謙。
感動をいつまでも持ち続けさせてくれる俳優は他にいなくなった。

3時間半の映画が終わり、ムスメとハハはため息をつきながら、その後の温泉行きは取りやめ、黙々と疲れ果てて家に向かったのである。


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