信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

1年が過ぎた・・・・

2008年11月01日 18時56分04秒 |  日記
信州へ移住してから勤め始めた今の勤務場所が昨日で1年目となった。
感慨深いものがある。
仕事に就いたのが幸運かどうか答えを見つける前に、兎に角初めの半年は自分の中での葛藤が強く、辞める?辞めない?の繰り返しで毎日が過ぎていった。
以前このことはこのブログにも書かせてもらった。
専門職であるが、慣れない土地で、全く経験の無い仕事に就き、意味もわからずマニュアルを覚える知力が着いていかず、自分を呪った。
けれど時間が解決してくれるもので、1年経った今、仕事も無理なく毎日異なる役割をこなすし、受診者から学んだ事柄も多いし、まあまあかなと思えるようになった。
60才を越えたら1年がとても短くなってきた。1年が半年くらいの時間に感じる。
たまたまこの1年の出来事があまりにも多すぎたため、そのように感じたのかもしれない。


昨夜、BSNHKで3時間もの長い番組を見てしまった。
途中あまりにも気持ちが良くうつらうつらもしたが、阿久悠の40年に渡る変化する時代と共にこの世に送り出した歌が流れた。
これほど沢山の歌が作られたのかと1曲1曲聞く度に感嘆する。
自分の20代から今まで全部ヒットした曲はまさに自分の人生を振り返るものばかりだった。
この曲のころの自分は・・・とすぐにその頃に戻れるからすごい。
長いと思う40年間であっても今となると思い出せるものは僅かで、圧縮されてしまっている。
ところが曲が流れると、ああそうそう、この頃はこんなことがあった、と深い海の底から浮かび上がってくるような思い出が湧き上がる。
何故かそれによって自分の人生を振り返ってみると、結構一生懸命やって来たではないかと思う部分もあった。
再就職しての1年間はきつかったが、これまでの長くやって来た過去と比べると、たったこれだけではないかと思うことにした。
阿久悠の特集番組はナレーターが緒方拳であり、(8月に製作した)
いずれも今は2人ともこの世を去り、残した功績は偉大なものだ。
今朝朝刊で連載の寅さんの記事を読んだが、亡くなってもう14年も経つのにまだ記事が出ると飛びついて読んでしまう。
沢山の人に影響を与え、心の中に住み着いている人だ。
番組の最後に河島永五の歌で締めくくったが時代遅れの男になりたいという詩に自分のこれからの生き方を示され、とてもズンと心に響いた。
目立たぬように、はしゃがぬ様に、地味な生き方であれと。

1年半、信州便りというブログを書き続けてきたが、最近、別なブログに記事を作り始めた。
スタイルも違うし、写真も違う。変化する自分を見つめながら新しいブログに書き残して行こうと思っている。
暫く信州便りはお休みいたします。
八ヶ岳は、この数日で雪が降り、横岳の頂上はうっすら白くなった。
朝晩の気温差も大きくなり、昨日の朝、犬の散歩で手袋が欲しいと思ったが気温は1度だった。冷たいはず・・・。

          DSCN7531.JPG





晩秋へ

2008年10月26日 00時24分54秒 |  日記
2日間、相当な量の雨が降った。
秋晴れの天気が1週間続き、やや乾きかけた土が程よく湿るだろうと思ったが、雨量が多すぎ折角満開になった菊が頭をたれあちらこちらを向いて倒れ掛かっている。
この雨で秋は一気に深くなった。山々は秋色に染まった。
気温も下がったので、葉っぱは勢い、色が濃くなった。

先週はそれにしても運が良かった。
上高地へ行くことを迷ったが、あまりにも天気が良く、これを逃してはいけないと神の啓示もあり、出かけてきたがどうだ!その後の1週間後はもう秋は深まり寒くなってしまったし、曇り空で一向に晴れ間が見えない。

朝、ゆっくり布団の中で1時間かけて新聞を読んだ。
その後朝食前に犬を連れ出し、洗濯が済んだ後、ゆっくりお茶の時間とした。

                  DSCN7474.JPG

息子夫婦が置いて行ったコナコーヒーの豆をミルで挽いた。
ゆっくり豆を挽くという作業はなかなか時間がないと出来ないことで
あり、香りを嗅ぎながら、4年位前に倉本聰のドラマで富良野が舞台の
「優しい時間」を思い出していた。
冬の雪景色の中、寺尾聡のコーヒー店の主人と二宮和也の息子のドラマに釘付けになった。
お客に一人ひとり自分でコーヒーミルで豆を挽かせるのだが、このドラマではコーヒーがやけに美味しそうに伝わり、私も真似をしてコーヒーミルを買い込んだ。
そのことを思い出しながら、ああ又あの白い季節がやってくるのだと背筋が寒くなった。
倉本聰の最後の脚本といわれる、風のガーデンというドラマが始まり
緒方拳が亡くなったとは信じがたい存在感溢れる演技をして、その度にどきどきしている。枯れた風貌、そのくせ重厚さに満ちて富良野という舞台で開業医師の役を演じているが実は肝臓がんの末期の自分をどう映し出していたのだろうなど,しんみりしながらコーヒーをすすった。
最近このお陰で死に対する恐怖感がやや薄れ、いつか突然自分にもやってくるに違いない。
今が最高と思う毎日で生きなくては思う様に心がけが変わってきたのは間違いない。
今年の初めに母を亡くし、死が身近になった。

休日の朝はこのようなゆっくりと流れる心豊かな時間が欲しいのだが、お天気が良いとそうは行かず、家事に明け暮れてしまう。
小心者だからどーんと構えていられず、ネズミの様にこちゃこちゃこちゃ動き回ってしまう。
ハワイのコナコーヒーはやはり格別の味で、休日の朝に相応しい。

気を取り直して午後からまとめて仕事を片付ける。
来月で満期の車検の相談のためにトヨタの販売店に出かけ日取りを決めた。
その後は茅野の駅前の行きつけのパーマ屋さんで3時間たっぷりかけてパーマをかけた。すっかり外は暗くなっていたが、その足でユニクロヘ
寄り、パジャマなどのフリース類を揃えた。
信州へ越してきたら。セーターがやけに寒く感じ、やはりフリースは暖かく、通勤や犬散歩とか出たり入ったりの生活のため身軽で暖かい衣類が便利になった。
午後からのスケジュールは終わり、家に帰るともう7時過ぎ。聯
秋の夕暮れは駆け足で過ぎていった。
今日も行動的な、我ながらタフな一日を過ごしたが、気の毒なのは犬達であった。
明日は何とかして外へ連れ出せるお天気になって欲しいわね?みるきい。


美しい上高地

2008年10月19日 22時43分35秒 |  日記
自宅を出発して2時間半で上高地に到着した。
松本インターから野麦街道を走るが、渋滞もなく日曜だから昨日の土曜日より混んでいないんだわとほくほくしていたら、終点の駐車場で満車状態で驚く。
あと1時間遅く出かけていたらどうなっていたか。
快晴の空、紅葉はピークを迎え、想像していた以上に色が濃く綺麗で、梓川のエメラルド色の水の色と美しい対比をなしている。
さすが大正池、田代池、河童橋、名が良く知られているだけにこの青い空に映えて美しい場所である。
4時間、大正池、河童橋から明神池まで早足で歩いた。
多分この距離は息子夫婦は根を上げるに違いないと思いながら、これは毎日仕事で歩いている強みかもしれない。
こうして長く
歩いていると、東京にいた頃よりずっと足が強くなったと嬉しく思う。
常に混みあっている上高地のイメージのため、好きになれなく信州へ来てもなかなか訪れようと思わなかった場所だが、いざそのスケールの大きさと景色の美しさに固定観念を持ってはいけないと反省をする。
針葉樹の林の中を歩き、木々のかもし出す香気に心は洗われる。
奥穂高岳を仰ぎ見ながら、この空気、光、木の香り、川の流れ、これらをアルジェリアのムスメには一番必要としみじみ思った。
大自然に触れることが時々なくては人間らしい生活とはいえないかもしれない。
今日の景色は言葉に表わせないので写真を載せて終わり。

DSCN7471.JPG DSCN7451.JPG DSCN7435.JPG DSCN7419.JPG DSCN7408.JPG DSCN7407.JPG DSCN7406.JPG DSCN7402.JPG DSCN7401.JPG



秋真っ只中

2008年10月18日 23時09分50秒 |  日記
             DSCN7392.JPG 

珍しく10月に入り、週末は好天に恵まれ朝晩の気温だが大きくなり、木々は紅葉が進んできた。
朝の通勤の際は街路樹の紅葉の美しさに、上機嫌でハンドルさばきだ。
先週の土曜日は東京へ出かけ、さて今週は、と考えた。
天気予報では週末は晴れて、行楽日和という。
迷いに迷って、えいっ出かけるのは明日にして、今日は掃除洗濯畑と犬だと決めて朝から大回転だ。
心地よい秋の日差しは身体を動かして働くように仕向けてくれるから
散歩をねだる犬達を無視して家事に励んだ。
今年は家の周りの小菊を丁寧に面倒を見て株を増やしたところ、相当な増え方をして丁度コスモスが終わった頃に一斉に咲き始めた。
今満開になったが、これほど見事に増えて咲いてくれるとは思ってもみなかった。花が咲き乱れる家に住むという、夢は叶うものである。

やっとお昼を回り、恨めしそうな顔をしている犬達を引っ張り出して散歩に向かった。
本当に日差しは暖かく、気持ちが良い。
こんな贅沢な豊かな環境の中で部屋の中ばかりにいるのは勿体ないと歩き始めたら途端に反省する。
ところどころ木の種類によっては真っ赤に紅葉し、今年は紅葉が早くやってきたように思える。
通常なら車でしか来れない距離を覚悟の上なので、エコーラインから自由農園を通過し、林の中を暫く歩き、別荘地帯も通過した。
別荘は大半が閉まっており、静かな散歩道に木々は真っ赤に紅葉し最も美しい季節に見る人はいない。
針葉樹の林では特有の香気が漂い、同じような香りに、この夏行ったカナダの森のトレッキングを思い出した。

                DSCN7381.JPG DSCN7386.JPG

 
 約1時間半、歩いた距離は1万1000歩で、犬達は足が短いから、多分5万歩くらい歩いたかもしれない。
今夜はさぞ良く寝るだろう。
今月末は多分紅葉も終わりの時期にかかり、夜はずっと冷え込むに違いないと思われる。
さあ明日は早起きして、上高地へ出かける予定だ。

実はこの2週間くらいずっと心の中は鬱々としていた。
10月のはじめ、俳優の緒方拳さんの訃報を読んでおののいた。
夏、NHKのドラマで帽子というドラマを見た。
若者と帽子職人の老人と、一緒に育った胎内被爆の幼馴染の話である。
痩せたなー、緒方拳、と思いながらドラマに引き込まれた。演技の一つ一つに磨きがかかり、まるで緒方拳そのものが主人公と重なり、とりわけ帽子を縫う針を持つ手つきや、新幹線に乗り東京へ向かう車中で自前の弁当を食べるシーン、あれには参った。
アルミの今は見ることの出来ない弁当箱にかぼちゃとサトイモの煮物とご飯が入った弁当で、かぼちゃの煮物がうまく炊いてある言いながら美味しそうに食べ、それを若者にも勧め、こっぴどく断られる。
このシーンはずっとドラマが終わっても何ヶ月も自分の中に残っていた。何だか切ないのだ。緒方拳にあまりにもぴったりすぎて。
別な映画では洋服仕立て屋の老人の役もあった。
帽子も洋服やも難しい役柄であるのにぴったりはまっていた。
追悼番組で帽子の番組をあらためて見て、そして泣いた。
それ以来ずっと私の心の中は穴が空いたままになっている。
別に親しいわけでもなく、しかし長いこと緒方拳のドラマは好きだった。
年齢が経つにつれ、演技が重々しくなり風貌もそれにつれ素敵な顔になり、まさに円熟して来たと思っていたが、痩せて来たのが気になり始めた。
自分は医療職であり人の死に目を山ほど見て来たので、痩せたりする様子を人より早く気付く。その後その人は訃報で発見し,やはり・・・と悲しくなる。
今回もそうだがやたらに死に直面する役柄が続いていたので、相当覚悟の上で役に向かってきたのであろうと思うと又涙が出る。
老いは闘うものではなく、仲良く連れ添っていくもの。過去でもなく、未来でもなく今を生きるということかなと追悼番組の中で話していられた。独特のあの笑顔とアルミの弁当のかぼちゃを食べるシーンがずっと残ります。


スカンクみるきぃ

2008年10月14日 00時53分38秒 |  日記
 連休の2日目、昨日から犬を動物病院へ預けており、朝はうるさい吠え声を聞くことがなく、ゆっくり静かな中で新聞を読む。
たまにはこのような静けさが欲しい。

午前中は洗濯、布団を干し、部屋中の掃除をしてから庭に出て、畑の手入れと花壇の植え替えを行なった。
すぐに3時のオルゴールが火の見やぐらからお知らせがあり、あらまあ、実に休暇は飛ぶように過ぎていくわと、犬のお迎えに出向いた。

昨日の朝からだが、たった一日のお泊りであほみるきいは又もや声が出なくなっていた。多分吠えまくっていたに違いない。
その後天にも昇るような嬉しさ一杯の足取りで犬達はエンジン全開で散歩に出て走った。

今炬燵で、私の傍にぴったりくっつきながら寝ているが、あたりの空気がどうも臭い・・・・。
私は今朝もお風呂に入ったし、いよいよ加齢臭が来たかと思いつつ、ブログを書いていた。
しかし臭い・・・。自分の洋服や腕を嗅いでみたが別にどうってことない。
ふと、傍に寝ているみるきいのお尻に鼻をくっつけてみた。

犯人はこやつだ!!
肥溜めの様な臭いは彼のお尻から臭う。
すかしっぺのみるきいは、多分、お泊りでストレスになり、もっと長いと血便になるが、今回はその一歩手前で、すかすか臭いを出している。
ううううう、スカンクになった、みるきいは何の夢をみているのか、口元は笑っており、臭いを出しながらしっかり私の傍から離れない。
こんな文章を読んだらきっと、シカゴのヨメはみいちゃん可愛い漣!!!と絶対言うに違いない。確実だ。

今期最後の笛吹市の上野園から送られてきたぶどうは、最高の味で、今年の猛暑のお陰で糖度が強く、食べるのに勿体ないその姿かたちである。

            DSCN7326.JPG DSCN7327.JPG

DSCN7339.JPG DSCN7340.JPG DSCN7343.JPG




3連休

2008年10月13日 00時02分25秒 |  日記
ブログの更新がありませんとミクシイに注意されてしまったです。
ねたは毎日あるが、いざ夜になってみると書く時間がなくなってしまい、今日も次の日になってしまったかと、数時間しか寝られないことを後悔しつつ慌てて寝る。
多分、書くリズムの波に乗り遅れてしまったかもしれない。
まあいいかと、毎日、波に漂っている感じでいたら、ミクシイ様から注意を受けた。聯

9月10月と結構な連休がチョコチョコとあり、仕事で疲れた精神は楽になる。
その代わり、天気次第では出たり入ったり、庭の続きの畑で野菜の世話をしたり、夜になって疲れて炬燵で沈没だ。
実態は誠にくだらんのではある。

鍊昨日からの3連休は、まず第一日目は、犬を動物病院へ預けてその足で最寄のバス停から中央高速バスで新宿へ出掛けた。
乗車時間は3時間。
お昼に到着し、友人達と高島屋の寿司源で昼からビールを飲みながら
この1年半のブランクを埋め合わせる話に3時間以上費やした。
流石に場所を変えようと、コーヒーショップへ席を替え、又そこで3時間近くしゃべり、慌てて気が付き、帰るバスに乗るべく西口に向かった。
南口から西口へ向かう間のお店はまるでよその世界。
バッグも洋服も目を奪われるものはなく、買い物をしたいとちらりとも考えることもなく、そうそう、近所に和菓子を買っていくわとデパートに寄った。
信州に引越ししたら物欲が無くなった。
車で通勤していると、決まりきった場所の行ったり来たり、休日も華やかな場所は縁遠く、友人達と話していたら私、この1年半でスカートをはき、かかとの高い靴をはいて出かける場が無くなり、しまったままだわと言ったら、余程山奥で暮しているような印象を持たれたらしい。

ヨドバシカメラの前を人にぶつかりながら歩き、酸欠になりそうな空気を吸い、何て人がこんなに多いのだと心の奥深くでののしりながら歩いた。
予定通りハイウエイバスに乗り、帰りは2時間半で原村に戻って来た。
月が煌々と出て明るく、新宿では気温が高く汗をかいてブラウス一枚になっていたのに、車に乗ってエンジンを掛けたら冷気でガラスが曇ってしまった。
外気温が8度‥。随分と差があるではないか。

一日都会へ出かけ、帰って来たらほっとしている自分はもうとっくに信州人になっていることを認める。
この空気、この景色、色々慣れるまでに辛かったけれど、自分の求めていたものが確実にここにはある。


秋真っ只中

2008年10月05日 00時05分49秒 |  日記
  DSCN7229.JPG DSCN7226.JPG

今週は水木金と3日間、職場は消化器学会で医者がほぼ、留守になるので健診は3分の1に減らした。
受診者が少ないと楽だがいまいちやる気が出ない。
毎日へとへとになるほど動き回っているのに、リズムが狂い、やっぱりい忙しいほうが良いという結論。(これは自分だけだが)
久し振りの快晴になった週末、同僚の結婚祝いの贈り物のガラスのランプを依頼してそれを受け取りに大泉の作家さんの家に午前中出掛けた。
これほどからりと暖かい日差しの日は稀で、運転していても気分がわくわくして来る。
ドライブ気分で、八ヶ岳や南アルプスが久し振りに雲も無くくっきり見えるではないか。
田んぼは稲が黄金色に輝き、コスモスが満開で道路の両脇で秋の景色にぴったりだ。
七尾裕子さんのアトリエは秋の日差しが一杯に射して、ガラスの作家さんらしい家のたたずまいになっている。
何度もお邪魔してすっかり親しくなって、芸術家とは敷居が高いのだが
有難い事に、いつもうかがうとご主人まで顔を出して下さる。
自分の家を作るときは必ず七尾さんのガラスの照明を使わして頂きますねと誓っている。

小淵沢の八ヶ岳アウトレットに寄り靴を買って帰る。
お天気が良いので、駐車場は満杯、都心の車のナンバーが目立つ。
秋めいてきた地方は週末のドライブにはぴったりの季節で爽やかな景色と空気を吸えば元気になること間違いなしと思う。

犬の散歩も遠出した。
田んぼや林や川に沿って歩き、いつの間にかセロリの畑は出荷が終わってほうれん草の畑に変わっている。
スジ条に播かれた青々したほうれん草の模様がとても綺麗だ。
都会に居た頃はほうれん草がこのような畑で育つとは見たことも無かった。
ススキは秋の日差しで光り稲は刈り取られ、わらが束ねて干してある。
これも絵になる景色だ。
雨が降ると田舎はどうしようもなく歩くことも出来なくなるが、お天気が良いとどれを見ても懐かしい里山風景で、田舎育ちに自分には嬉しい、気持ちが活性化する散歩になる。
多分犬達もこれまでの生活の半分近くが原村になるので、お散歩が命の彼らにとってはこんな素敵な散歩道を歩けるから犬の業界でも幸せな奴らではないかと思う。

              DSCN7240.JPG DSCN7235.JPG 
              DSCN7285.JPG DSCN7299.JPG



11月下旬の気温

2008年09月30日 00時57分18秒 |  日記
昨夜は気温が9度と書いたが、朝起きたら温度計は5度になっていた。
寒さが違う。
身体で感じる温度は確かでこれまでにない冷たさを感じ取る。
今日は炬燵にしてみたところ、案の定あほ犬2匹はいそいそと炬燵にもぐっていったまま出てこない。
暫くして体が温まると出て来てはドタンと横になり身体を冷やしては、又炬燵にもぐるという繰り返し。

昨日は自分の人生を振り返ってみた。
今医療職でいるが、小さい頃母親から私は3度死に掛けたと言われて
育ってきた。
自分の記憶がのこりはじめたときにも病院通いの記憶が沢山思い出せる。
5歳の時肺炎で死に掛けた。これは覚えていないが、台湾から引き揚げて来た家族は小さな家で暮していた。山田先生という町医者が寒い家の中で寝ている私のために障子を入れて風を防いで暖め、当時やっと出始めたとてもでは高価で手が出ないペニシリンの注射を打ってくれて死に掛かっている私は助かったそうだ。
それが無かったら5歳の命だったそうな・・・・。
赤ひげ先生のお陰で今の私はいるのだ。
その後歯髄炎で高熱を出し顔中腫れて死に掛かったそうだ。
敗血症という。
これは覚えている。遠足での帰り同級生がお見舞いに寄ってくれたから。

小学校1年には大やけどで左手1本丸ごとやけどして毎日病院へ行き、水泡を鋏で切ってもらった覚えもある。
痛くて毎晩泣いていた。その傷跡はいまでも残っている。

小児の初感染結核で中学2年の時1年間薬を飲み、体育は休んだ。
蕁麻疹や中耳炎でバスに乗り遠い町まで耳鼻科に通った。
骨折したり脱臼したり、骨の成長痛で毎晩小学生の頃は泣いていた。
昔は貧乏な世の中、医療費がかかり、病気がちの子供を育てていく母親は気苦労が耐えなかったであろうと、今になって感謝するのである。

高校になってからやっと病気とは縁がなくなった。
結婚して家族の面倒を見る立場になったら、病気をすることが許されなくなった。
お陰で気強く生きて来れたが、小さいときに何度か死に掛けた子供が成長して今は、人様を病気から逃れる方法を指導する仕事をしている。
自分の生き方をしっかりと考えたことも無いのに、本当は無かった命、60才を過ぎても仕事を持って一人で生きているし、人様のために役に立っているのは神様の采配かなとも思う。


転換期

2008年09月28日 20時55分58秒 |  日記
いやぁーこの土、日は良く働いた。
土曜日の午前中は勤務先の災害シュミレーションに参加する。
休日に出勤するのは気が重い。それに朝早く、月に2回しかない、資源ごみの収集日で、今回は役場の敷地内だから、出勤前に出していかなければならなく、こちらのほうがむしろ前日から気が張っている。
原村の資源ごみは分別が細かく分れていて、それぞれ入れる袋が異なるから走り回ることになる。紙であれば新聞、雑誌、その他の紙類など5種類に別れ、プラや白色トレイ、びん、ペットボトル、それぞれの袋を探し、まるで宝探しのようだ。これで軽く2,30分は掛かってしまう。
災害シュミレーションの集合時間に遅れそうになり、車を飛ばして諏訪まで一気に走る。

病院での災害シュミレーションは病人がいるので細かく部門別に、今回は診療がない日の震度6の地震を想定した。
結果的には2時間半の訓練を行なうが、事前説明のように行かず、途中で流れが止まり、反省事項ばかりが続出した。
事態は深刻だ。
実際に地震が起きれば想定どうりに進行しない。
30分も車に乗って病院まで駆けつけることは不可能かもしれない。
自分の居場所が危ういかもしれないのだから、シュミレーションの訓練は100分の1くらいの訓練場面になるのかも知れないと思われる。

帰宅してから2時間のスペシャルサービスで犬を散歩に連れ出す。
昨日から気温が急に下がり、日中でも風があるので9度しかない。
もう冬だ。顔が冷たくぴりぴりして、いくら歩いても身体が温まらない。
何と北アルプスの頂上が白く、初冠雪になり、いつの間に?
空気が冷たいはずね。
庭の草を取り、花の手入れをして花壇をすっかり秋の仕様に替えた。
暗くなるのが早く、かくして土曜日は終わっていった。

この足掛け10年の重い、心の重石がこの数日で取り払われた。
20代は青春時代を楽しいと思えることも見つからなく、結婚して30代すれすれで年子の母になった。
30代は早かった。年子の育児と姑の病気に付き合い病院通い、学校の役員や仕事にもちょびっとずつ復帰し子供の教育にどっぷり浸かった

40代に再就職したが家族が次々に病気や事故に合い、そのなかを駆け回り最後に自分も車にぶつかり締めくくった。
これでもか、これでもかと毎年、毎年立て続けに病気や災難ばかりが続き、自分の運命を流石に疑った。
子供たち2人は滅多に無い、13日の金曜日、仏滅の3りんぼうの生まれである。別にクリスチャンではないが、毎年毎年交互に怪我をして、私はしょっちゅう、救急病院を巡っていた。救急対応ではベテランになった。
やがて子供は大学に入り、氷河期といわれる就職困難期を潜り抜け、独立した時に私は54歳になっていた。
自分の生き方をしたいとその後は約10年に及ぶ果てしない苦労の中、定年を迎え信州での生活に入った。
兎に角私の30年間は飛ぶように過ぎて行った。
やっと望んだ区切りのついた生活を手にしたが、あまりにもこの10年近くが重い気持ちで暮してきたせいか、身軽になった時に意外な事に嬉しくてたまらないという気持ちがなく、抜け殻のようになっている自分に気が付いた。何だか手につかない。落ち着かない。すかすかした気分。
いけない、いけない、これから自由な自分になれるはずが何だこの気分は?

                  DSCN7225.JPG

一人でワインを飲んでお祝いしてみた。
酒の肴はBSでのニュージーランドの旅物語。ムスメが1年間WHで過ごした国だからとても興味深い。


犬はストーブのそばで温まって気絶状態・・・・・。
何と怠惰な寒がりな奴らではないか!

                    DSCN7221.JPG



自給自足の食事

2008年09月23日 22時29分35秒 |  日記
              DSCN7186.JPG 

今日は23日でお彼岸のお中日に当る。
すぐそばの阿弥陀堂では村の住民(主に老人)が集まりお念仏を唱え、法話を聞き、お茶会を催す。
私は午前中、雨が上がり数日間降りに降った雨のため庭の草花が傷み、倒れてしまいそれを直して雑草を抜き、あちこち向いた菊の花のまとめ、コスモスを植えなおした。大家さんが庭にきのこが出たからと持って来てくれる。
見たことがないきのこで大丈夫かいな?とやや心配。
午後から甲斐大泉に出かけて、この21日から23日まで開催されているオープンアトリエを見学する。
といっても35もの陶芸や木工ガラスなどの作家さん達の工房を見て廻るには時間が足りない。しかももう残すこと数時間しかないので、今回は
ガラスの作家のうずというアトリエと何回も訪ねている七尾裕子さんのアトリエに絞って見る。
うずではグラスの製作体験もできるということだが、気持ちが準備できていないし、実演を見ていたら1000度もある窯で真っ赤にとけるガラスを見ていると、そんなに簡単に手を出せないと丁寧にお断りした。
七尾さんは私の顔を覚えていてくれて、優しい笑顔で迎えてくださる。
赤十字のずっと若い同僚が10月に結婚するのでお祝いに色々考えたが、一生記念に残りそうな、ガラスのランプにしようかと見て廻った。
木漏れ日の灯という名前の薄い淡い緑の濃淡のガラスのランプが目に入り、予算オーバーだがそれに決めた。
実は自分が欲しい。
でもまだまだ自分で手に入れるには先のことで、鑑賞するだけで七尾さんには申し訳ない。

ガラスの器の掘り出し品を2個買うが、折から正面からの秋の日差しがガラスの花瓶やランプに差し込み、周囲は林なので木々の香りが満ちていて何と素敵な午後の時間だろうと胸が一杯になる。
ススキの穂が逆光の日差しで白く光り、八ヶ岳や南アルプスの山々は今日ははっきりと見えて田んぼの稲は黄金色に輝き、綺麗な秋の季節になってきた。

家に帰り犬の散歩を終えてから夕食の支度をするが、朝頂いたきのこできのこ汁を作る。
自分の畑で採りたてのナスやじゃがいも、たまねぎ人参などを入れるが
食前酒は昨年作った梅酒とやはり畑から直行のレタスや赤瓜、ピーマンやトマトでサラダも作り今日買ってきたガラスの器に盛る。

                  DSCN7178.JPG

何から何まで手作り野菜で、野菜たちに感謝して一人で乾杯をした。

1昨日依頼してから実に半年振りに電気屋さんが工事に来てくれて、衛星放送のアンテナを設置してくれた。
衛星放送は世界の旅番組や列車の旅など美しい映像を見ることが出来る。お笑い芸人花盛りか毎日クイズ番組で堕落した国内テレビは見るものがないが、ハイビジョンの映像はくっきりと美しい。
スイスからイタリアまでのベルニナ急行の車窓の景色に見とれながら食事をする。
サンモリッツから1800メートルの標高差を駆け上る車窓の景色は世界遺産になっているしヨーロッパのお金持ちが10日以上も年間を通してやって来るそうだ。
それを観ている私は、自給自足の野菜でつつましい食事をしている。
小さな小さな幸せだが気になるのは大家さんが持って来たきのこが毒キノコではないことで、明日の朝は確実に目覚めることを願っている。


甲州ぶどう園

2008年09月21日 16時28分05秒 |  日記
 DSCN7132.JPG DSCN7134.JPG

 
9月も中旬を越え、お彼岸の時期を迎えた。
今頃本当は残暑で暑くて、しかし過ごしやすい季節のはずが、9月になって何だか週末はいつも雨降りになっていた感じがする。
台風13号がのろのろと居座り、しかも列島を縦断してゲリラ豪雨を伴うので気持ちの良い秋の日差しを感じたのは数少ない。
このお彼岸の週末も台風が過ぎたら台風一過で当然秋日和だろうと思ったが、翌日も雷付きの雨の一日になっている。

昨日は午前中のみ天気が良さそうとのこと、兼ねて気に掛けていた毎年恒例の隣の山梨県に出かけ、ぶどうを作っている上野さんご夫婦を訪ねる。
4年ぐらい前にムスコとヨメ候補が探して知り合い、その後母親も仲間に入り、9月になると訪ねて行き、ぶどうを挟みで切って楽しませてもらう。
その前に、上野ぶどう園に到着するとまあお茶を一杯と言いながら、冷えたぶどうが器に山盛りに盛られて出てくる。
初めの年はその山盛りにおののき、手を出すのがはばかられたが、翌年からは家族といとこ達も加わり、山盛りのぶどうは全部根こそぎ食べ尽くして帰ってくるようになった。
上野さんの話は異業種であるから、知らない世界を教えられ、いつも感心しきって帰ってくる。
口に入れているぶどうの粒、一粒がいかに真冬から半年以上掛けて
何回も上を仰ぎながら手を掛けて、やっと商品化することは知ることは出来ない。
農業でも果樹でも花卉でもその道は何十年も時間を掛けて自分の造り方をマスターするので本当のプロの世界だ。

半年以上掛けて丹精した果物も台風が来れば一夜で駄目になるし、危険と背中合わせの自然には手が出ないし先が読めない仕事である。

今年も新しい品種が目の前に出てきて、色といい、粒といい、美しい形でとても食べるには惜しいため手が出ない。
それでも3時間くらい話込み、気に入ったぶどうを迷いに迷って鋏で切り、お彼岸だからとあちらこちらの仏様に送って頂く。
めったに地元でしか手に入らない添加物なしの甲州ワインも一升瓶で買う。
今や子供達もいない家で誰が飲むのか?と思いつつ、無添加100%なんて滅多に手に入らないので、冷蔵庫で冷やしながらいつの間にかなくなっていくであろう。

帰りは病み上がりの友人宅に寄ってお土産を差し出し、代わりに美味しい夕食をご馳走になり既に真っ暗闇になった原村へ帰って来た。
こうした季節の変化を食べ物で楽しむ地方暮らしは自分自身を優しくしてくれる大事なスパイスになることが間違いないので、引越して来て良かったという思いを今日も心の中にしまって寝た。

 DSCN7143.JPG DSCN7155.JPG DSCN7156.JPG DSCN7140.JPG DSCN7142.JPG  DSCN7166.JPG




保存食

2008年09月14日 21時25分36秒 |  日記
DSCN7125.JPG






プチトマトが沢山採れ、冷蔵庫に有り余ってしまった。
そこでセミドライトマトを作ることにした。
ネットで調べたら天日干しとレンジで作る2つの方法があり、まずは自然の方法を選んだ。
これは、トマトを縦2つに切り、種を取り除き、キッチンペーパーに載せて水分を取り除いた後、ざるなどに並べて2日間ほど天日で干す方法である。

何10個か何100個か判らないが根気良く小さなトマトを切り種をスプーンで除くのに2時間を取った。
2日間外で日光浴をさせたが、この方法は予想外で小蝿が寄ってきて、気味が悪く、折角2日間干したが衛生上良くないのでボツにした。
次に、同じ方法だがレンジで140度で1時間から1時間半ほどからからに焼く方法をやってみた。
これは良い。スプーンで根気良く種を取るのにじりじりするが我慢我慢と自分に言い聞かせ、オーブンの天板にびっしり並べてスターとボタンを押した。1時間経ち具合良く乾燥し、さらに30分、延長ボタンを押した。
ムスメとムスコ夫婦からスカイプでの電話が通じ話し込んでいたら、焦げる臭いがして台所へ飛んでいったら、オーブンの中でトマトは真っ黒焦げの炭になっていた。あらぁ・・・・。がっくり。

でもここでくじけてはいけない、3回目の挑戦で又もや根気良く、半ば自分に腹を立てながらトマトのタネをくり抜き、天板に並べて時間を少なくセットして寝た。もう既に夜中の2時を過ぎていた。
朝起きて真っ先にオーブンの中を覗いてみたら、ドライトマトが出来上がっていた。
広口瓶に入れて、オリーブオイルを注いで終了。
買うと高いものだが、高い理由が良くわかった。
暫く保存して、イタリア料理やオープンサンドに乗せて食べると美味しいでしょう。

そして今年も梅干を漬けた。
大家さんがお盆前になって今年は梅が不出来だけれど、いるかしら?と籠に入れて持って来た。
チョット遅すぎるけれど漬けてみようか、昨年の梅干は硬かったから、今年は柔らかい梅干を漬けようと、有り難く頂いた。
塩漬けにしてからずっと雨続きで、紫蘇の葉を入れて天日干しにする頃は既に秋の気配になっている。
それでも晴れた日を選んで2日ほど干したらからからになり梅干らしい顔になった。

DSCN7115.JPG 

今年はヨメもムスメも外国暮らしで消費する者がいない。でも2年ものや3年もののほうが価値があるから大事に取っておこう。
見る限りではとても色も良く美味しく見える。鍊鍊



小海線の旅

2008年09月13日 01時35分28秒 |  日記
DSCN7073.JPG

休みが降って湧いて、5連休になった。
もっとも夏休みがないままに働いたので、自分を許して頭のねじを思いっきり緩めることにした。
信州へ引越しして、気にかかっていた小海線の電車に乗ることにした。
昨年、ハイブリッド車になりフアンも多く、休日に乗ったら満席で立ち通しと聞いた。
それではと、金曜日のウイークデイで行こうと、始発の小淵沢に車を置いてと思ったがさて、駅の様子がわからず、では、よく知り得たいずれ住民になるであろう大泉の駅なら駐車する車も多くないので、40分ほどの道のりを出かけた。

甲斐大泉は小淵沢から2駅目で隣は清里だ。
10時過ぎの小諸行きの電車があり1時間に1本の運転で所要時間は2時間である。
小海線は山有り、田園有り、標高1,375メートルのJR最高地点の野辺山が有名である。
小淵沢から小諸まで駅は32もあり、車両は2両編成で、ウイークデイだから空いていると思いきや、大泉から乗ったら満席で立ち席になった。
やはり旅行客ばかりで、賑やかそのもの。

標高差があり八ヶ岳、川上村のレタス畑、松原湖、八千穂や臼田と次々と変わる景色に見とれ、段々気温が上がり真夏の様子になって来た。
佐久平近くになると全く田園風景で、諏訪や原村あたりの田園風景と全く違うことが判る。
12時になり小諸に着いた。
帰りの切符も買ったので一時間に1本しかない電車に乗り遅れると待ち時間が途方も無くなるので、帰りは13時半に乗ることにした。

小諸駅に降り立ったが、いやはや暑いわ、真夏のようにむっとしている。
小諸の町は変わった。40年前の学生時代に浅間山に昇り、そこから小諸に行き、懐古園を見学した。
島崎藤村にあこがれて、藤村の詩集を随分と読んだ。
しかし月日の流れは大きすぎて、新幹線が通り、旧小諸の市街地は寂れた。
商店街はシャッターが下りたお店が多く、旅行客はいないし、歩いている人も少ない。
武家屋敷など名所もあるが休館中と地図には断り書きがあり、懐古園以外見るべき場所も無い。
ただただ歩いたが何も収穫がない。見て廻るお店もない。
しかしお昼時であり、評判とされている、草笛というお蕎麦屋さんで蕎麦を食べる。
心の中では、これは自分の住んでいる地元のおっこと亭のほうがずっと美味しいではないかと思いながら・・・のことである。
懐古園の出店で秋明菊を買う。
これは以前から欲しかったもので何度植えても枯れてしまい、2株1,000円で掘り出し物だ。
小海線の旅のお土産は秋明菊とはいまいち良くわからない。

お昼のお蕎麦を食べて帰りの小海線はずっと寝ていた。眠くて眠くて周りのお客も皆かくんと頭を垂れて眠っている。

帰りは富士見高原のヒルサイドの温泉に入り、、風呂の中では色々と今日の旅を考えた。
信州は南北に長い県だがこうして電車に乗って眺めると随分と暮らし向きが違うことがわかる。
暑くてたまらなかったが、同じ信州でも小諸や佐久は自分の住みたい場所ではないことがわかった。
2年目で住み慣れたこともあるが、原村は自分の感性にあった場所なのであろう。

              DSCN7069.JPG 





庭では・・・・

2008年09月12日 15時07分40秒 |  日記
  DSCN7055.JPG DSCN7052.JPG 

畑の野菜はいよいよお勤めの終わりを告げた。
最期のきゅうりやかぼちゃ、トマトを頂き木は抜いて、畑の整地をした。
今年の夏は取っても取っても追いつかないほど実を付けてくれて、私の健康な身体を維持するのにお役に立ってくれた。
丁寧に彼らの整理をする間、あほ犬達は暇をもてあまし、それぞれ昼寝をしている。

DSCN7058.JPG DSCN7057.JPG

庭では畑と一緒に花も作っている。
今年も頭が廻らないうちに、苗を植え、種を播き花壇の段取りまでいき届かなかった。
しかしこぼれダネが芽を出し、時折買って来て種を播いた百日草などが夏の終わりになってきてぐんぐん育ち始めた。
中央林間に住んでいたときにハーブに目をつけ買ってきてプランターに植えたが、どれもはかばかしくなく途中でちょん切れた。
それがこの原村の空気では昨年1本植えたのが今年は群生し、鎌で刈るほどの量になっている。しかも大木になって・・・・。
花壇は今や歩く隙間もなく花が咲き誇っている。
 
DSCN7096.JPG DSCN7086.JPG DSCN7090.JPG DSCN7089.JPG DSCN7099.JPG DSCN7083.JPG



湿度30%

2008年09月09日 22時32分33秒 |  日記
籠 9月6日、諏訪湖の新作花火大会が終わった。
終わった途端、土砂降りの雨になって観客は逃げ場もなく、滝壷に入ったような濡れ方になり話題を残して今年の夏の催しは終了した。43万人の人出だったそうで、相変らず人気は高い。
翌日の温泉組合の1ヶ月にわたった毎夜諏訪湖畔で30分間上がった花火も終了した。
それまで毎日不順な天気で雨や雷や突然のゲリラ豪雨でお盆を境に夏らしい暑さを感じなく、記録的に非常に短すぎる夏で終るのかと寂しかった。
ところが花火が終わった翌日から急に爽やかな、空は雲が無くなり、青く澄み渡り、兎に角空気が変わった。これが信州だというような、澄んだ空気、美味しさを感じる空気、朝も夕方も通勤の途中、信州へ越してきた幸せを実感する日々がやって来た。

朝夕は涼しさを通り越して、今この時間は気温が12度を切った。
いきなりかい!
空は中秋の名月が近いのかお月様があと少しというくらいまで形を整えてきて、煌々と冴え冴えと輝いている。

12度かぁ・・・・

今夜は勤務が終わったあと27日に病院全体の避難訓練のシュミレーションが行なわれるための説明会に出席した。
これまでは防災訓練は企業としてのスタイルで毎年行なってきた。
今度は日中ではなく、土曜日の診療がない日の休日の避難訓練で
震度6の地震が起きた場合の訓練になる。
病院だから当然入院患者さんがいる。
病院内は勤務者の職種も数多く、チームになって様々な場面での想定に基づく訓練をする。
しかし現実的には病院が災害に巻き込まれても、車での交通手段しかない職員は自宅から病院までたどり着かないと思う。
汚れても良い、洋服や靴を履いてくるようにお達しがあった。

今夜の夜空は限りなくい美しく、澄み切った空には月が上がってきた。もう完全に夏は行ってしまったようだ。