信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

地元の画家

2009年11月20日 22時51分34秒 | Weblog
職場で今日の午後4時半に、原田泰治さんの絵の贈呈式があるので、集合するよう声がかかった。

えーあの有名な原田さんがここに見えるとはどういったことか・・・・。

健診センターには壁に地元の画家の原田泰司さんの描いた絵が数枚展示されている。
それがずうっと飾られたまま、色あせてきたため、受診者の方が寄贈されるようで
どういったいきさつか、作者が贈呈式に姿を見せることになったようである。

さかのぼれば昭和57年、子供がまだ6歳の頃、朝日新聞の日曜版に原田泰治さんの絵が掲載され始めた。
細かい描写で、絵の中の人物は表情がないのが特徴で、全国北海道から沖縄まで2年半に渡り、127箇所の地方をスケッチして回り描かれたが毎週、楽しみに眺め、スクラップしたものである。

風景は自分が育った幼い頃に共通で田舎の原風景と似通ったものばかりで懐かしさが一杯だった。
たちまち原田さんのフアンになった。
実家のある銚子の風景も登場し、夏休みに帰省し銚子電鉄の2両編成の電車が走る場所を探した遠い思い出もある。

定年の際日本のふる里という画集を買い求め時間が出来たらゆっくり眺めようと、移住する際に将来目標に入れてみた。
まさか自分でも原田さんの住んでいる土地に勤めることになるとは夢にも思わなかった。

諏訪湖のほとりには原田泰治美術館があり、数回訪れて絵を見て回った。
初めて原田さんの絵を知ってから27年経っていた。
この27年間の自分の人生は波乱万丈であり、けれどいまは穏やかな老後を迎えつつある。
良くぞここにたどり着いたという思いが強い。

職場に夕方、原田さんが車椅子で現れた。マスコミ関係もごっそり。
諏訪の市長も共に姿を見せ、院長が挨拶をし、原田さんが絵を30点も寄付をしてくださり、そのいきさつを話してくださる。

 

自分の書いた絵はグリーンの色を大事にしていると言う。
健診センターに飾られた絵はそのグリーンが色あせ、そのことを耳にして寄贈することにしたそうである。
30点の絵を春夏秋冬、季節ごとに取り替えて飾って欲しいと言われる。
写真で見た原田さんと実物は同じだがもっと若々しく、話し方も慣れて、諏訪の方言も交えてこの絵を描き始めたあたりの話に至る。

あまりにも身近に目の前に見ることが出来、思わぬ幸運に恵まれた。

 

健診センターに飾られた自分の絵を眺め、流石にグラフイックデザイナーらしく、周囲の展示する案内文などが気になったらしく、めちゃくちゃだと言う。
自分が書き直して上げると言い、秘書に寸法を測らしてあれこれ指図している。
レントゲンの案内や、果てはゴミ箱の表示まで、書き直すと言う。
中で働いていると慣れっこになって感じなくなるが、原田さんのような感性には、
直ぐに何もかも感じるらしい。

地元の画家の絵が飾られ、外は諏訪湖が大きく見える風景がみえロケーションとしては豪華な施設であるが、中身が大事だ。
自分達の仕事は来年の機能評価と、3年後の建物の新築を目指し高いところを目指していくのである。