相変わらず暑い日が続いており、夜の眠りが浅い。今朝も1時過ぎに目を覚まし、タブレットでYouTubeなどを見て時間潰しをしていて、兵庫県知事が何故あのような態度を取り続けるのかなどを考えて過ごしていた。自らのミスを認めない習性はキャリア官僚出身であれば誰でもそうなのかとか、このまま公開裁判のような形で百条委員会のニュースが流れ続けるとすると、義憤を持った誰かが彼を害するような事件に繋がりかねないのではないかとか、維新はようやく彼に辞任要求をしたようだが、遅きに失したのではなかろうかとか、暇潰しには恰好の話題となっている。(そういえば、カラオケ店での中学生に対する不同意性交の容疑で逮捕されたのは元維新の議員だというニュースもあった。維新の威信は地に落ちている。)
暇潰しといえば、今、ライトノベルで男女が入れ替わってしまうという小説を読んでいる。男女の入れ替わりということでは、平安末期に書かれたという「とりかへばや物語」は、大納言兼大将の男女二子は美しく瓜二つであったが性質は男女逆で、父に「とりかえばや(取り替えっこしたい)」と嘆息され性を入れ替えて育ち、そのために起こる様々な事件を描いたとされている。最近の作品では、大林信彦監督の映画で「転校生」という作品もあった。尾道を舞台に男女の中学生が階段から落ちて入れ替わるというものであり、テレビの再放送やレンタルビデオなどで何度も見た記憶がある。「おれがあいつであいつがおれで」という山中恒の小説も男女の中学生が入れ替わる内容で、テレビアニメで放送していたような記憶がある。新海誠監督のアニメで「君の名は」という作品は、大ヒットしたもので、田舎暮らしの女子高生と東京に住む男子高生が夢の中で入れ替わるという物語であった。
私も、若い時代には、女性というものに憧れや性的関心もあったし、70歳の今でも自分自身の性機能がどうかという問題とは別に、どういう訳か性欲はある。パンティ泥棒とか盗撮をする人の心理は良く分からないものがあるが、自分にとって未知の性への憧れというものが、そのような行為への動機づけの一つであるかもわからないとは思う。しかし、かといって女性に成り代わりたいとは思わない。京言葉が、繊細で奥ゆかしさがある反面、皮肉や嫌味が隠されていると言われているが、私にとっては、ある種の女性の発する言葉で、皮肉や嫌味というものを経験したことがある。それらの経験が、恐ろしいものの一つとしての女性という存在を思ったこともある。それに、毎月の生理や、出産の痛みなどは想像に余りある。私は、尿管結石を何度か経験したことはあるが、まだ、そんな痛みなど女性が出産時に感じる痛みからすると何のことも無いかもしれない。また、この国で、女性の置かれている状況は、まだまだ報われないものもある。色気を武器に成り上がろうとしている女性もあるが、そんなことで男性に取り入って何が楽しいんだろうか判らない。女性となって、化粧や衣装に毎日気を使うような生活もしたくは無い。そんなことを言えば、ゲイの人には失礼なんだろうか。