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conscience

my diary

心に刺さってしまったこと

2021年04月23日 | 日記
 テレビのワイドショーを見ていると、非常事態の再宣言で、学校も再度オンラインでやるとなったら、子供達が学校に行って友達と触れ合うことによる貴重な時間が奪われるのでは、とのコメンテーターの意見があった。それを聞いていて非常に私自身に刺さるものを感じた。というのは、私は子供の時から社交性に欠け、例えば、休み時間に遊ぶ友達もいず、毎日辛い日々を送っていたことがあった。この為、友達との交流による社会性の獲得ということが決定的に出来なかった。私は、毎日、学校に行っていたにも関わらず、それが出来なかったのである。この為、学習意欲にも欠け、大学に進学したものの授業に出る意欲もわかず、結局除籍となってしまった経験がある。(その反動で、通信制の大学を三回卒業して、卒業証書や学位記も三通づつある。)青春時代に何と貴重な時間を失ってしまったんだろうかと、今更ながら後悔しても始まらない。しかし、反対に考えてみると、学生時代に青春を謳歌していた他の人達は、このコロナ禍の一億総ひきこもり時代になって、どのように考え生活しているのだろうか。私は、幸い、年金生活者であっても、毎日、読書をしたり、昼寝をしたり、テレビやビデオを見たりして、日がな一日、のんべんたらりと過ごしても、そのことに然したる苦痛を感じることは少ない。それが子どもの頃からの私の日常であったからでもある。勿論、若い時代には、そのことに辛さや苦しみを感じたこともあった。(辛い時は、敢て何も考えないという、ある意味で人生を放棄して生きて来たことで、自殺もせずにサバイバルしてこれたかもしれないが、)通信制の大学に10年間在籍してよかったことは、このような私の生き方についての自己分析が出来るようになったことでもあった。
 そのおかげで、大勢に順応することなく、世の中を皮相的に見ることが出来るようになったと考えると、ひきこもり生活も悪くないし、大勢の中の独りぼっちという生き方も悪くはないかもしれない。どうせ人は死ぬわけで、戦争の時代であれば、19や20歳で、意味もなく敵に向かって突撃して死んでいった人も多い。それを67歳の今まで長生きして、好きな本も足るだけ読んで、日本全国もあちこち旅行したり山登りをしたりしてきて、食べたい物も食べれて、何の文句があろうか。青春を謳歌した人でも、その後の生活は、上司や世間に気を使い、その意味では枠に嵌められた生き方しかしてこなくて、子供や家族にも縛られて、息苦しく生きているのであれば、その方が余程可哀想ではなかろうか。そんな思いもする今日この頃でもある。



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