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conscience

my diary

loneliness(孤独)

2021年01月04日 | 日記
 高校一年生の時、学校から友人の有無についてのアンケートがあった。私は、折角入った高校を退校にされるかもしれないと思い(今から考えると、そんなことをされるはずもないのだが、)友人がいると嘘を書いた。実は、小学校に入学した時点でクラスに解け込めなかった私には友人はずっといなかった。
 コロナ禍で、人々が人との触れ合いの無さに耐えきれないということから、政府などが幾ら行動抑制の大切さを言っても、特に若い世代の行動欲は止まっていない。コロナ禍では、マスクをして、人との接触を避ける必要性が生じた。今までとは異なる行動をすることが推奨されている。孤独の生活、今まで人との触れ合いが当たり前の生活が極めて容易に覆されることになった。
 孤独に対して耐性の無い人々は、悩み苦しみ、まして、倒産や解雇などによって職を失った人々にとっては二重の苦しみであろう。自殺者の増加もむべなるかなとも思う。心理学では、『対等な人間関係として考えや悩みを語り合う友人との関係は、心理的に大きな支えとなり欠かせない存在である』と言われているし、『親依存から自立性や自己の確立をしていく時期である青年期の若者にとって、友人関係は、対人能力や性格、情緒などの自己の内面に関心を向け、理想の自己像と現実の自己像を比較することによって自己を評価するために重要な意味を持つ』とも言われている。確かに、私にとって、還暦を少し過ぎたこの歳になって、ようやく、余計なプライド等に捉われずに自己評価が出来るようになったような気がする。もし、もう少し早くに友人と呼べる存在があったらなあと、今更ながら考えることもある。
 しかし、長年、孤独であったということは、ある意味では、孤独に対する耐性というか、自分なりの過ごし方があった為に生き延びてこれたのかとも考えている。孤独であっても、人間社会というものに関わらずには生きていけない。  コロナ禍は、人対人、自分対社会の在り方を考える良いチャンスだと思うようにしたい。
 
 政府は、オリンピックの開催に未だに拘っているようだが、ここまで来ると、是非、コロナ禍を乗り切ってオリンピックを開催してもらいたいというように思うようになった。我が国を取り巻く環境は、大中国の勃興、アメリカの自国第一主義などによって、厳しい状況が続いている。中国は、コロナ禍を一早く乗り切り、次は、台湾併合、その前に、軍事的要衝である尖閣諸島を圧倒的な武力的優勢を示すことによって取りに来る可能性もある。そうした時に、米国は安保条約を守って介入してくれるだろうか。その時、戦争が出来ない国である我が国と国民にとって本当の危機が訪れることになる。台湾まで併合されたとき、米国との関係が維持出来るだろうか。それとも、共産党独裁国家の中国の軍門に下ることになるのだろうか。そして、それなら、今から中国語を勉強しておいた方が良いのだろうか。
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