まだまだ「銚子往還」歩きが続きます。今回から「佐原」~「銚子」まで。
「東金線」、「総武本線」を利用しての銚子往還。今回から「成田線」を利用しての銚子街道となります。
銚子街道
国道356号が現在踏襲している利根川沿いに整備された街道である。なお、厳密に起点は決定されておらず、木下街道と接続する木下付近を起点とする説や佐原を起点とする説もある。江戸時代には我孫子宿(我孫子市寿1丁目16、追分石碑)で旧水戸街道と接続していた成田街道(印旛郡栄町安食「安食」交差点までの国道356号の一部、県道18号・松崎街道)と共に印旛への輸送路・開発路として役割も果たした。
また、水運と共に発達し、明治期には水戸街道(現在の国道6号)とともにすでに国道として確立していたが、利根川の治水工事の影響により現在は一般県道や市道に格下げされている箇所もある。神崎町区間では成田線と並行しており利根川とは大きく離れているが、香取市の佐原市街地に入ると再び合流し、県道55号が踏襲している。なお、かつてはここに佐原宿(佐原の町並み)があり、成田山新勝寺に至る佐原街道や香取神宮に至る香取街道、多古街道と接続していた。その後は銚子市唐子町の「銚子大橋前」交差点までの多くを成田線と並行して国道356号が踏襲している。西芝町で銚子道(※「銚子往還」として歩いた道筋)と合流し、飯沼町の飯沼観音付近で鹿嶋市や水戸市に至る飯沼街道と接続する。なお、銚子道と同様に水郷の町として栄えた佐原の発展のため、伊能権之丞らが発起した武総鉄道会社は銚子街道に沿う形で建設が計画された。(この項、「Wikipedia」より)
成田線「佐原駅」。
佐原は、成田からの「佐原街道」の終着地として、また、利根川河口から左岸を遡ったときにも立ち寄りました。
5月3日(祝)。快晴。
京成成田駅から、JR「成田」に乗り換え、佐原に向かいます。この日は、鹿島スタジアムでサッカーの試合があるようで、
満員すし詰め。佐原まで立ちっぱなし。周囲は、サッカーの話で盛り上がっています。
こちらは、膝も腰も痛くなってしまいます。
佐原駅で鹿島線に乗り換えるため向かいのホームに大移動の皆さん。あっという間に鹿島神宮宇行きが満員。すっかり空いた電車から降ります。
ところが、改札口は、いっぱいの人。佐原巡りもけっこうにぎわっているようです。
さあ、歩こうか、といっても膝の痛みはなかなか消えず。結局予定では小見川駅まで歩くよていでしたが、その手前の「水郷駅」で挫折。
ということで、水郷駅までの報告。
安孫子からの街道に合流。
古い家並みが残っています。
この付近の今昔。
(1880年代)↓(桝形)が現在ものこっている。
宿場の町並みが東南に広がっている。どの宿場と同様、駅は中心から離れたところに設置された。
(現在)成田方面から上宿、仲宿と連なる。