プリウスと風景

私にとっての「銀河鉄道」プリウスで旅へ、そして自由な思考表明をと考えています

終章 帰国 機中で空海を読む。v2

2011年10月21日 | 南ドイツ・スイス・パリの旅





帰りはフランスからドイツへ、そこで乗り継いでドイツから日本に行くことになってい
た。
乗り継ぎがあると確実に数時間のロスが生じる。
メリットは空き時間を利用して免税店で買い物ができるくらい。

乗り継ぎはない方が良いし、エコノミーでない方が良い。

座ったままエコノミーでの12時間(帰りは1H短くなるらしい)はつらい。
奴隷的拘束ではないか。
非余裕層のつらいところだ。
眠れず、やることがないので機内読書をすることに。

秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)が題名

「 生まれ生まれ生まれ生まれて、生(ショウ)の始めに暗く

  死に死に死に死んで,死の終わりに冥(クラ)し。」

の4度のリズミカルな繰り返しがあまりに名調子で有名だけど

次の最高部類に属するであろう、あまり知られていない空海の一節に巡り合えてうれしか

った。

* なお、鑰とは鍵の意味。宝蔵に入る蔵のカギということらしい。

秘蔵宝鑰は『十住心論』(正確には『秘密 曼荼羅十住心論』)の要約本的性質のもので

空海57歳時(830年)の著作。ちなみに教科書に出てくる三教指帰は若く24歳時のも

の。


僧侶を政治家に置き換えればそのまま今に通じる。


十四問答のうち、(第一問答)部分だ。

Q(国を憂うる公子からの質問)
「歴代天皇,家臣たちもしきりに伽藍を建て、僧侶たちを住まわせた。
国税を割いて寺に鐘を寄進したり田畑を奉納したりして僧侶たちの生活に不自由ないようにしてきた。その理由は、ただ一つ、国家が鎮まって、国民が利益を得て救済されたいという願いのため。

ところが今、目にする僧侶や尼僧は髪だけは剃っているが、心の欲望は剃っていない。  
衣服だけは染めているが心は仏法によって染めているわけではない。
昼も夜もあれこれ権力をめぐって思い続け、位の高い家臣やその愛妾たちのところへ出掛けて頭を下げて回り、朝に夕に手土産を持っては、彼らの使用人たちにまでひざを屈して廻っている。

日照りや洪水がしきりに起こり、はやり病いは年ごとに流行している。天下の政道の乱れも,公私の人々が塗炭の苦しみにあえいでいるのも、もとをたずねれば僧尼たちの非行・乱行によっている。

それゆえ、今後一切の出家・得度を停止させ、僧尼たちへの衣食の供給を断ち切るに越したことはないと思う。もしも、一切の煩悩を断ち切った阿羅漢で、仏法の法力を得た聖者が本当にいたならば、そのときに私たちも心から敬い、国家の財産を傾けても協力しようではないか。」

*(こう考えるのが素直だろう。今の日本での国民を忘れた与野党間の政争、1年ごとの総理の交代、議員に対する国民感情もこの文脈で捉えうると思う。
 先日の民主党総裁選で総裁=総理大臣になりたいがために権力者のところに赴き、ぺこぺこ頭を下げた見苦しい光景が目に浮かびます。)


 では師である「玄関法師」はどう応えたか。
感動的な言い方をしている。やはり空海は千年に独りの天才と思う。またまた、適当なはしょり方で恐縮だけど以下に返答を紹介。)


「 麒麟や鳳凰が世に現れるとその時代は天下が泰平になると言われ、優れた君主が出ると世界は平和に治まり、賢い家臣が出て国政を補佐すれば、上御一人は仮に何もしなくても天下は治まるといわれます。
 が、そのような名君に遭うことはまれで千年に一度とも言われ、懸命な補佐役が出るのは五百年に一度とも言われるほど。麒麟や鳳凰など実物を見た人などいません。
 しかし、麒麟や鳳凰を見たことがないからといって鳥や獣の種族を絶滅するべきではありません。
 ~のような名君が二度と世に出ないからといって天下を治める君主なしにはすまないし、~のような優れた家臣が出ないからといって国の官吏たちをなくしてよいものでしょうか。
 人中の麒麟ともいえる孔子は既に逝きましたが儒教を好み学ぶ人々は那ごとに袂を連ねて群がっています。
 現代では~のような名医はいないからといって医道がどうして絶えないのでしょうか。
 王義之や王献之の父子は書道の達人として立派な筆跡を残しましたが、これらの人は既に世を去りました。その技術を今、誰が伝えているでしょう。だれも伝えられないのです。それなのに人々はまずい筆跡でも必要に応じて字を書いています。うまくもない文字が目に入って困るのですが、そのわけは拙い技術であってもこれがあるほうがましだからです。
 このように考えると阿羅漢という聖者の悟りも一生の間にはとても得られるものではありませんし、鈍根でない利根の人でも生涯を三回生まれ変わる必要があるというくらい長い間の修行を積まなければならないのです。だから、四向四果を得た聖者が今いないからといって、人間の正しい道を示す仏道を絶滅させてしまってよいものでしょうか。」

* (長いので適当にはしょったものです。詳しくは原著を。)


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