「では皆さんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れた跡だと云われたりしていた此のぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか?」
知人は、黒板に吊つるした大きな黒い星座の図の上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指さしながら皆に問いをかけました。
狐の友人の内の一人の友人が手をあげました。
それから三人手をあげました。
狐も手をあげようとして急いでそのままやめました。
慥かにあれが星だといつか雑誌で読んだのでしたが、此の時は狐はまるで毎日眠く本を読む暇も読む本もなくそれに其の儘の捻りのない問いにボケを試されているのではないかと思いそろそろネタ切れ気味なのだから銀河鉄道の夜ネタはやめたほうがよいのではないかといふ考えに取りつかれ、何だかどんな事もよく分からないといふ氣持がするのでした。
ところが知人は早くも其れを見附けたのでした。
「狐さん。あなたは分かつてゐるのでせう?」
狐は勢いよく立ち上がりましたが、立つてみるとはつきりとそれを答へることができないのでした。
狐の友人の内の一人が振りかへつて狐を見てくすつと嗤ひました。
狐はもうどぎまぎしてまつ赫になつてしまひました。
知人はまた云ひました。
「大きな望遠鏡で銀河をよつく調べると銀河は大體何でせう?」
やっぱり星だと狐は思いました。しかし此の儘では銀河鉄道の夜の冒頭部分と全く同じになつてしまふ。此処はボケなければならない。でも良いボケが全く浮かばない……。
狐の心は千々に乱れて今度も直ぐに答へることができませんでした。
知人はしばらく困つたやうすでしたが、目を狐の友人達に向けて「狐さんは絶不調のやうです。貴方が答へなさい」と友人の一人を指名しました。
するとあんなに元気に手をあげた友人が、やはりもじもじ立ち上ったままやはり答えができませんでした。
知人は意外なようにしばらくぢつと友人を見ていましたが、急いで「では。よし。」と云いながら、自分で星図を指さしました。
「このぼんやりと白い銀河を大きな良い望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。狐さんさうでしやう?」
狐はまつ赫になつて頷きました。
けれどもいつか狐の眼の中には涙がいつぱいになりました。
さうだ。私は知つてゐたのだ。此処はボケなければいけないことを私は知つてゐるのだ。
勿論、友人も知つてゐる。
此の儘では銀河鉄道の夜の冒頭部分とまるで同じになつてしまふ。其れだけは避けなければならぬ。
しかし何も思い浮かばないのだ。
友人が何も答えないのは此の頃私が絶不調でボケがまるで浮かばない状態なのを知つていて気の毒がつてわざと返事をしなかったのだ。
さう考へると堪らないほど、狐は自分も友人も哀れなやうな気がするのでした。
知人はまた云ひました。
「ですからもしもこの天の川がほんたうに川だと考へるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考へるならもつと天の川とよく似てゐます。つまりその星はみな、乳の中にまるで細かに浮かんでゐる脂油の球にもあたるのです。それなら何がその川の水にあたるかと云ひますと、それは真空といふ光をある速さで伝へるもので、太陽や地球もやっぱりその中に浮んでゐるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに棲んでゐるわけです。そしてその天の川の水の中から四方を見ると、丁度水が深いほど青く見えるやうに、天の川の底の深く遠い処ほど星がたくさん集って見えしたがって白くぼんやり見えるのです。この模型をごらんなさい」
知人は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズを指しました。
嗚呼。知人はもう諦めて銀河鉄道の夜の冒頭部分の儘進めています。
狐は、私がボケれば展開が変わったのに……ボケることが出来なかつた……と惨めな気持ちになりました。
「天の川の形は丁度こんななのです。このいちいちの光る粒がみんな私どもの太陽と同じやうに時分で光ってゐる星だと考へます。私どもの太陽がこのほゞ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこの真ん中に立つてこのレンズの中を見まはすとしてごらんなさい。こつちの方はレンズが薄いのでわづかの光る粒即ち星しか見えないのでせう。こつちやこつちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見え其の遠いのはぼうつと白く見えるといふこれがつまり今日の銀河の説なのです。その中の様々の星についてはもう時間ですからこの次にお話します」
嗚呼。終わつてしまつた。
何の捻りもなく唯々銀河鉄道の夜の冒頭部分の儘で終わつてしまつた。
知人もさぞかしがつかりしたことだろう。
私は駄目な奴だ。
狐は情けない気持ちになり唯々俯いていました。
「では今日の集会はここまでです」
知人のお宅の中はしばらく片付けの音がいつぱいでしたが、まもなく皆はきちんと禮をして知人のお家を出たのでありました。
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