映画を見に行く途中の宝くじ売り場、今日から年末ジャンボ宝くじの売出しです。
ココは全国でも有数の辺り九時が出るので有名なところですのでこの人ごみです。
もう本当に年末ですね。
「まぼろしの邪馬台国」は多分私は読んでいるはずです。でも記憶にないとこを見ると面白くなかったのだと思います。
すなわち、私はタイトルから「まぼろしの邪馬台国」を読み解く話だと思って手にしたわけです。
今回、映画を見ても違います。歴史の神秘の謎解きにせまるお話ではありません。
島原の郷土史研究家であり、文学者でもある宮崎康平、和子夫妻のお話なのです。
映画では、盲目の宮崎の目となり、支えとなった、和子夫人の役を吉永小百合が演じるということで評判でした。
これまでの彼女の演じたヒロインと異なって、時代の先端を走って行った、
実際の人物を、力強く演じているという触れ込みでした。
残念ながら、私は吉永小百合さんの映画は見たことがなありません
今回の演技が他作品とどう違うのか批評はできません!
一番の感想は竹中直人さんの演技です。
彼の演じる宮崎氏は当時、言動や発想が個性的で、大変な奇人扱いをされていたのだそうです。
今から50年も前に、地域の活性化に本気で取り組み、島原を観光と農業で自立させることに生涯をかけていたのだそうです。
そういうことを踏まえてでしょう。
竹中さんの演じる宮崎氏は、始終怒鳴り、白い杖を振り回していることがとても印象に残ります。
この映画を見て和子夫人が「康平氏はもっと穏やかな、礼儀正しい人で、杖など振り回したりするのでなく、相手の気持ちを量って、細かいことまで気配り、行動する人だった」といっています。
島原の子守唄
おどが島原の
おどが島原の
梨の木育ちよ~、、、
という歌は康平氏が作詞作曲したものです。
こんな優しい歌を作った人なんです。
そして和子夫人はインタビューで、
「わがままな考古学好きを支えた女房として、夫に犠牲的に仕えたのではありません!
確かにつらいこともありましたが、そんな犠牲的な生活では長続きするわけがありません!
今振り返っても、楽しかった、いい生活だったなと思います。
夫に従うとか、尽くすとか、そういうのではなくて、妻も対等の立場で一緒に物を考えたほうがいい。
映画を見た方々にもそういったことが伝われば嬉しいですよね。」とかたっています。
この映画を見て、どれだけの人に、この和子夫人の気持ちが伝わるか
夫婦の物語としても、私には大分ずれを感じました。
ただ景色はとても素敵です。
島原の武家屋敷、雲仙岳、中通古墳群、阿蘇、
一年に2~3回しか見られないという、宇土半島の干潮時と夕陽が重なった黄金の景色は、それだけでもとっても印象深い物でした。
まぼろしの邪馬台国の特定は、現在もなお、解明されない推理と好奇心をかき立てる謎のままなのです。
なかったのですね。残念でしたね。宮崎夫妻の話なんですね。
康平氏は50年も発想が進んでいたんですね。すごいね。
島原の子守唄康平氏が作詞、作曲したのですか?このような
やさしい歌を作れる人が映画の様に杖振り回したり怒鳴って
ばかりはしない。吉永小百合が主人公なのでそういう犠牲的
に仕えた様に映画化されたのではないですか。吉永小百合
さんが主人公の場合こんな映画が多いと思います。本当に
犠牲的に尽くすばかりでなく妻も対等の立場で一緒に物を
考えたら良いですよね。「まぼろしの邪馬台国」謎解きの
方が面白いですよね。
吉野ヶ里が発見された時は九州説が盛んになりましたが、、卑弥呼にわたしたという銅鏡が奈良で発見されて、またまた大和なら説が優勢になってきました、地道などりょくと研究結果のつみかさねによるものでなくてはならず、むつかしいところです。
竹中直人の宮崎康平は失敗でしたか。やっぱりね。奇人変人だったようですがロマンとスケールの大きさを感じさせるような役者が良かったでしょうね。演出にもよるのでしょうが。
「盲目の作家宮崎康平」という本を読んだことがあります。
「島原の子守唄」採譜か作曲家は論が分かれるようです。詞は「からゆきさん」のことを歌った哀歌で切ないですね。
竹中さんはそじょそこらの砂利タレとは違うのに、
役者も少し研究すれば分かると思うけど、演出か、シナリオが悪いのかな、、
吉永さんの作品も「北の零年」もフアンの方も??をつけてらしたです。
島原の子守唄はもう彼の作詞作曲ということにしてしまってました。
ちゃんとヒキノさんの言われるように、性格に書いても彼、宮崎康平さんの価値が堕ちるわけもないのにね。