《じゃあ、幼名は正式な名ではないのか》
《そうです。あくまで呼称です。嫁ぐ前は誰々の何番目の娘、嫁いでからは誰々の妻、というのが正式な名前になります》
《井戸掘りがきっかけで、色々な部族と親しくなったか》
《はい。どの部族にも属さない場所だったので、砂漠の族長全てに許可を取りました》
《何でまた、砂漠に井戸なんか》
《貿易商をしていた頃、砂漠も通ったのです。使える井戸があれば便利ですから》
《水を巡る争いを減らす為もあったんだよ。ルージュは言わないけど》
オグとルージュサンの一問一答を、セランが補足した。
盗賊との騒動を目撃し、オグの好奇心が屈辱感に勝ったのだ。
それから道中の会話は、オグの疑問が大半を占めるようになっていた。
《刀はどこで覚えたんだ》
《育った船で》
《随分腕が立つんだな》
《海賊も出ますから、身を守れるように鍛えてくれました。そして心も守れるように、更に》
《心を守る?》
《なるべく人を殺さずに済むように、です》
《それが心を?》
オグはピンと来ない。
《俺は一度、戦に駆り出されたことがある》
ずっと黙っていたムンが、口を開いた。
《獣を仕留めようとする時、俺は威厳を感じる。固くて重い。同じ強さの何かが俺に生まれて、矢を放つ。戦は違う。命じられたからでも、正義や国の為でもない。死なない為に射る。的に弓を引くように、殺し続ける。敬意も尊厳も何も無い。でも確実にすり減る。棲み付く。嫌なもんだ》
訥々と語って振り返る。
《大事にされたな》
《はい》
ルージュサンが深く頷く。
《花嫁に何を渡した》
《指輪です》
《えっ?指輪?あ、本当だ。小指にしていたのが無い!お父上から頂いたのに!》
セランが驚いてルージュサンの左手を取った。
《問題ありません。まだ足の指にもはめる程あります。彼女にはお守りが必要になるかもしれないのです》
《いっつもこうなんです》
セランが呆れた振りをしてムンに言う。
《自分のことはそっちのけで、人助けばっかりしてるんです》
《お前はそれを助ける為に吹き矢を覚えたか》
《足手まといにならない為に、です》
その口調に滲み出るルージュサンへの愛に、ムンが小さく笑った。
《なかなかだった。けれどルージュサン、あれは速い。見たことが無い》
《ナザルと鍛練しています。力では到底敵いませんので、速さと勘が磨かれます》
《ああ、あいつも強いな》
《判るのか?》
オグがムンを見た。
《猟師の勘だ》
《役立たずは俺だけってわけだ》
《ベイと荷物を守るのも、大事な役だ。お前は畑が得意。それでいい。いや、俺はそれがいい》
ムンは口をつぐんで前を見た。。