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日本語の成り立ち

2023年05月11日 | 日本
今日は無料メルマガ「古代史探究レポート」からお伝えします。

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日本語というのは基本的に二音で表される言葉なのです。今回は、この日本語の仕組みについて考えてみたいと思います。

お気付きの方も多いと思いますが、日本語では、ほとんどの言葉が二音で表します。自然も、山、川、海、空、風。生き物も、人、犬、馬、牛、虫、「さかなは違う」と言われるかもしれませんが、「さかな」は「酒菜」で酒を飲むときの食べ物でした。今では魚を指しますが、魚は「うお」です。

位置もそうです。上、下、前、横、…もちろん、例外もあります。後ろ、は違いますが、きっと、平安時代ぐらいの新しい言葉です。元々は、「しり」だったのかもしれません。時間的には、「あと」「のち」になります。どれも、当てはまる漢字は後です。

「左も3音だ」と言われるかもしれません。これも、「日垂り」で日が沈むという意味の合成した言葉が元になっているように思います。北を向いてという前提が必要になりますので、もしかすると、別の語源があるのかもしれません。後から生まれた言葉には、3音のものがありますが、日本語は元々2音だというのがお分りいただけるかと思います。

勿論、ごく僅かですが、1音で表されるものもあります。しかし、2音が基本であることを考えると、1音で表されるものは、元々2音であったものが、省略されるようになったのか、もしくは、音の一部が消えたのではないかと考えられます。例えば、木は、クイであったのかもしれません。杭は、木を材料としますから、自然の物とは呼び名が別られたのかもしれません。漢語ではモクですから、やはり2音です。

人間が生きて行くための根源として、水と火があります。空気は、存在すると認識されたのは、最近の事だと思います。空の気体の合成語。いかにも作られた言葉です。水は2音ですが、火は1音です。以前に、古代日本にはハ行の音がなかったというお話をさせていただきました。だから、古代中国から伝わったハ行の言葉は、全てカ行に変わり残っています。従って、ヒとは、多分言わなかったのだと思います。火はヒではなく、可能性としてはピ、ピイ、もしくは、プィ、プイかもしれません。

あくまで、日本語の根源に当たる言葉は2音で表されているのであって、新しいものや、複合的なもの、また、外来語は、もちろんこの限りではありません。
動詞もまた、然り。根源的な動詞はみな2音です。見る、聞く、食べるは「くう」、寝る、得る、取る、足る、刈る、着る、行く、どれも2音です。

これは、日本人が古来より2音で表すことを好み、その2音によるリズムや響きを好んだからだと思います。2音による意思の伝達は、端的でわかりやすく、コミュニケーションに適していると思います。

万葉仮名は88音ありましたから、2音だと7744通りの音を作れます。これだけあれば、日常での生活は充分 対応できると思われます。英語検定で要求される語彙数は、5級で600語。日常会話ができる3級で、2100語。高校卒業時3000語とされています。基本的な生活が十分カバーできる数なのです。

縄文時代の前、石器時代の人々は、最小限の単語を並べてコミュニケーションをとっていたのかも知れません。もしかすると、想像以上に豊かな文化生活を送っていたのかも知れませんが、やはりそれは縄文時代以降のことなのではないかと思うのです。集団生活を行わない限り、意思を伝える必要がないからです。

例えば、石器時代の人々の言葉として、2音の日本語を使うとどのような言い回しになるのでしょうか。「山行く。餌取る。」「雨降る。家待つ。」これでも、生活を行う上では、最低限の理解ができます。子供への伝達であるなら、これで十分かもしれません。こんな形で、日本人のコミュニケーションは始まったのではないでしょうか。

日本語を考えた時、本当に優れている言葉だなと感じるのが、助詞の存在です。〜が、〜は、〜で、〜を、〜に、今度は全て1音です。この助詞の1音というのが、日本語のポイントだと思います。英語は、方向や手段にto, by, at , in, onなどの助詞をつけますが、主語に助詞はつけません。でも、日本語は主語にも、私は、彼が、などの助詞をつけます。

日本語が、2音の並びにより始まったとするなら、全ての言葉のやり取りは、やはり2音で聞くことを前提として行われたと考えます。きっと、1番目の音で用意して、2番目の音を聞いて、意味を判断しようとしたはずです。

すると、助詞も、実は1音であるのではなくて2音であるのでは、ないでしょうか。すなわち、1音プラス1音の休み、音楽で言うなら、四分休符のようなものを付けて、2音にしていると言うことではないでしょうか。つまり、私達は助詞を入れることで、そこで言葉を一瞬止めることになるのです。そうすることで、2音の言葉に誤解を生まないように工夫しているのです。

「彼は山へ行く。餌をとる。」つまり、「かれは□やまへ□いく。えさを□とる。」これで、2音2音2音2音2音、2音2音2音になるのです。助詞が入ることで、どこで切るべきかを相手に伝え、コミュニケーションを確実にしているのです。

2音で言葉を作る日本語では、助詞がないと、「彼山行く」ですから「かれやまいく」となります。「かれやま」でも切ることができますから、枯れ山などの別の意味を生んでしまいます。これに助詞が加わると、「かれわやまへいく」となります。もし、助詞に休止の役割が付いていないと「かれわや」となり、最早何のことだか分からなくなります。だからこそ、休止音を持った助詞の存在が必要となるのです。

よくできてますよね。そう思われませんか。まさしく、生活に根付いて生まれてきた使い方だと言うのがわかります。人々が集い、集落を形作るようになった縄文時代だからこそ、わかりやすいコミュニケーションが必要となり、きっと、人々は助詞を使って話すようになっていったのだと考えるのです。

意思が伝わると、次には感情を伝えたいと考えます。では、どうやって伝えようとしたのでしょうか。
最近、プレバトというテレビ番組が放送されています。ダウンタウンの浜田さんが司会をする、芸術的な才能を競う番組です。ゲストの人の才能の豊かさに感心させられるとともに、審査をする先生の解説の中に、いろいろと面白い発見があります。

その番組の中で、俳句のコーナーがあります。俳句は、五、七、五のわずか十七音で感動の共感を伝えるための工夫をこらします。ゲストで登場する名人級とされる方々の、語彙力の素晴らしさには驚かされますし、先生の添削が、いかにリズムに載せるかというプロの技を感じることができて「なるほどね」と感心させられます。

日本の歌である俳句は、五、七、五ですし、短歌は、五、七、五、七、七です。日本の詩歌は5音と7音の組み合わせで表現されています。私が、高校時代に衝撃を受け夢中になった中原中也の歌も5音と7音の組み合わせです。

「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れちまった悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる」七、五、七、五、で繰り返されます。「汚れちまった」と言う7音と「悲しみに」と言う5音が、あまりにも切ないですよね。7音で始まり、5音で終わると、本当に物悲しくなって聞こえてきます。この5音と、7音の響きは、最も心に響く音の数の組み合わせだと思われます。

そもそも、どうして、5音や、7音なのかというのは、先程紹介させていただいた通りで、日本語の根幹が2音、単語が2音で表現されるためです。このため、切るための1音の助詞をつけると、奇数になることから5音、7音になります。これが3音では1単語に助詞をつけるだけになり短すぎます。かといって、9音ではやっぱり長すぎますよね。5音、7音ぐらいが丁度良いというのがわかります。

最初は、やはり5音、7音のリズムさへ守れば、きっと、どのように歌ってもよかったのだと思います。
日本書紀の中に書かれている歌です。追い詰められた神武天皇が、必ず勝利すると誓いを込めて歌った歌です。
「神風の 伊勢の海の 大石にや い這(は)ひ廻(もとほ)る 細螺(しただみ)の 吾子(あご)よ 吾子よ 細螺(しただみ)の い這(は)ひ廻(もとほ)り 撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ」(神風の吹く伊勢の海の 大きな石に這い廻る 小さな扁螺(きさご、巻貝)よ。扁螺よ。 お前ら、 お前ら、 扁螺みたいに這い廻って、敵を撃ち取るぞ、 撃ち取るぞ)

「伊勢の海の」は6音ですし、「吾子よ吾子よ」も6音です。それらが7音の字足らずであったとすると、5音、7音で歌が読まれていることになります。五、七、五、七、五、七、五、七、七、七、です。

実は、これと同じ歌ではないかと思われるものが、古事記にも乗っています。
「神風の 伊勢の海に 生石(おひし)に 這ひもとほろふ 細螺の い這ひもとほり 撃ちてしやまむ」五、七、五、七、五、七、七、です。日本書紀と同じ歌だと思われますが、随分、洗練されたと思われませんか。私は古事記が偽書かもしれない、少なくとも日本書紀より後に作られた書だと思う理由の一つが、この歌なのですが、今回のテーマではありませんから、置いておきたいと思います。

この歌が示すように、歌は歌い語り継がれたのでしょうが、どんどん、時代に合わせて洗練されてゆき、五、七、五、七、七の和歌の形になって行ったのだろうと思うのです。そして、歌い方も、時代に合わせて変わっていったのだと思います。

もう一つ、この日本書紀の歌からわかることがあります。結句を「撃ちてし止まむ」「撃ちてし止まむ」と繰り返していることです。古代では、歌を読み上げる時、結句を繰り返して歌ったのではないかと言われています。長唄などが流行していた時代でもありますから、歌の終わりを告げる意味あいもあったのかもしれません。

現代は、いろんなリズムと、様々なジャンルの音楽と歌に溢れています。しかし、古代では打楽器と、琴や笛の限られた音色しかありません。そんな中での歌謡は、これらの詩歌を抑揚をつけて、スピードを変えながら朗読することであったのだろうと推測されます。

何名かの方が発表されていますが、万葉の時代と、平安の貴族の時代では歌の歌い方は、大きく異なっていたということのようです。時代と共に、歌の読み上げ方が変わり、それが歌の形にも変化をつけたのではないかと思います。現代の中原中也の歌では、最初の7音と5音を、いっきに続けて読み上げます。そうする事で、より一層悲しみが引き立ちます。歌い方には、時代の流行があったのだと思います。

歌い方のリズムが、5、7の調べであって、その中で字余りや字足らずはうまく処理されていたということなのかと思います。だからこそ、古代の歌には、字足らずや、字余りが多いのではないでしょうか。大切なのは、歌い上げる曲に載せることであり、字数はうまく合わせられていたと言うことだと思います。

ブレパドの先生が言うように「わざとリズムを壊し、不安定さを生む高度な技法」と言うことまで考えて歌うようになったのは、平安時代の貴族であったのかもしれません。最初はやはり、いかにしてリズムに載せるかに皆尽力したのだと思います。

古代日本人にとっては、2音の単語に、助詞を使ってわかりやすく伝え、そして、5音と7音のリズムにのせて歌を歌い、自分の気持ちを相手により深く伝えようとしたと言うことだったのではないかと思うのです。

最古の歌集である万葉集には、五、七調の歌が溢れています。最後に、その中から一首紹介させていたできます。
皇族以外で、采女ではなく初めて天皇の妃となったのは、仁徳天皇の妃となった磐之媛命(いわのひめのみこと)でした。彼女が天皇に送った歌です。
「ありつつも君をば待たむうち靡(なび)く わが黒髪に霜の置くまでに」(このまま私はあなたを待ち続けています。私の黒髪に霜がおりるまで、白髪になるまでも。)

様々な音楽に合わせて、軽快に言葉を並べる現在の歌謡曲やJポップもいいですが、独特の調べで五、七のリズムで気持ちを歌う短歌も本当にいいですよね。
「ありつつも〜、君をば〜待たむ〜、うちなびく〜〜、我が〜黒髪に〜〜、霜の〜置くまで〜〜〜、霜の〜置くまで〜〜〜」
こんな歌もらったら、誰だって一緒にいたくなりますよね。日本語っていいなー。そう思われませんか。

---owari---
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