このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

魂のうずき

2018年05月17日 | 人生

道を求めるという気持ちは、いつの時代も各人に委ねられてきたかもしれません。しかし、道を求める人が出てくる背景においては、必ずや、使命を帯びた一群の人びとが、いつも地上に降りているのです。単に、各人バラバラに、いろいろな時代において道を求めさせるわけではありまをせん。いつの時代にも、時代精神を創るべく、一群の人たちが必ず出ているのです。

 

そして、このブログをお読みのみなさんに特に述べておきたいことは、今という時代に、この日本という地に生を享けているということが、いかほど難しいことであるかを知っていただきたいということです。

 

みなさんは、過去数百年の間、日本に生まれるチャンスはいくらでもあったでしょう。これから後の時代に生まれるチャンスもあるでしょう。しかし、今という時代を選んだ。今という時代を、この地において選んだ。それは、この時代に、新しい時代精神を創る人が数多く出ている、という真実があるからです。その真実を知っているがゆえに、みなさんは、この時代に、この地に出ざるをえなかった、というのが真実なのです。

 

みなさん自身の魂の奥に問いかけてみてください。この地に、この時代に、偶然に生まれたかどうかを――。

 

そうではないはずです。おそらく強い強い願いがあって出ているはずです。それはきわめて難しいことなのです。この時代に、この地域に生まれるということは、一見簡単なことのように思うかもしれませんが、人類の歴史のなかで、そうした大きな高みがつくられていかんとする時代に生まれ合わせるということは、それだけでも大変なことなのです。

 

その出発点において、みずからが、いかに大きな期待を担って出ているかということを、そして、後世の人びとへの大いなる希望を担って出ているかということを、断じて忘れてはなりません。この時代認識と、自己の今世の人生への使命感というもの、これなくして心の修行などない、ということを言っておきたいのです。それが見抜けなかったら、何を勉強しても意味がありません。

 

今この時代に存在する、その存在自体が、ひとつの情熱の現れである、ということを忘れてはならない。自分がいま存在するということ自体が、自分の魂のなかの数千年にわたる情熱の結果である、ということを忘れてはならない。

 

そして、僭越ながら、みなさんは、自分の思いによってこのブログを見つけたと思っておられるかもしれませんが、みなさんをこのブログに導いた人がいるのです。それは、みなさんの目には見えないかもしれない。身体には感じないかもしれない。しかしながら、私たちの生きている世界は、決して、目で見、耳で聞き、手にて触れることができる世界だけではないのです。

 

私たちの住んでいる、三次元といわれる現象世界は、実在界の目から見るならば、ちょうど金魚鉢のように見えます。この三次元は、大いなる世界から見ると、机の上に置かれた金魚鉢のようなものです。みなさんは、この金魚鉢の水の中で泳いでいる金魚のような存在なのです。

 

金魚は、金魚鉢から飛び出したら死んでしまいます。ゆえに、不自由であっても、金魚鉢という限られた世界の中で、その水の中を泳がざるをえないのです。それが現在のみなさんのあり方だということを知っていただきたいと思います。

 

---owari---

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