(秘訣②威張らず、さまざまなことに興味・関心を持つ)
ときには、若い人に“刺激のあること”を自分から言ってみてください。そうすれば、向こうも刺激のあることを返してくるでしょう。こういうことが大事であり、“自分と違う種類の人たち”と話をして異質な刺激を得られるのは、とてもありがたいことなのです。
ただし、若い人は通常、年上の人には遠慮して、すべてを見せないようにガードするでしょう。
「ご説教、ごもっとも」という感じで聞いてはくれるのですが、自分のほうから何かを提供することはありません。それは失礼に当たるかもしれないし、言わないほうが無難であることもあって、プロテクト(防御)して言わない場合が多いのです。
そのため、若い人と会っていても、“年寄りの自慢話”を聞かせているだけで、「自分の憂さは晴らせても、何も学んではいない」ということは、いくらでもあるでしょう。もはや(仏教で言う)「*有(う)の状態」、「変化しない状態」になっているわけです。
しかし、若い人が本心を見せてくれないせいで、「今の自分は、どういうところが時代遅れなのか」を感じる瞬間が持てないのは、とても残念なことだろうと思います。
そういう意味では、年齢は、ある程度超越しなければいけません。年を取った人で、「威張ったように見せないかぎり自分の人格が安定しない」とか、「アイデンティティ―が維持できない」とかいうタイプの人、あるいは、「ポスト(地位)=自分」と思っているような人は、基本的に、“早く終わる”と思ってよいでしょう。
逆に、ポストや年齢、経験、性別に関係なく、いろいろな話に興味を持って、「調べてみよう」、「体験してみよう」と思うような人は、年齢不相応に若くいられます。情熱も湧いてくれば、創造性の高い仕事を続けることも可能なのです。
「*有(う)の状態」・・・仏教用語。ここでは、年齢が重なることで、「自分の考え方や行動の仕方がだんだん変えられなくなり、魂の傾向性が固まってしまうこと」を指す。
---owari---
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