自己を客観視することは難しかろう。たいていの人たちは、本能の赴くままに生きているし、それが主観のままに生きていることと、同義だとも知らない。しかし、自己を客観視できるということが、霊的生活、霊的目覚めへの始まりでもあるのだ。「自分」だと思っているものが、肉体的五官によって、突き動かされている感情に過ぎないと知るのは、哲学や宗教の始まりでもある。外側から自分を観るという立場は、守護霊的存在の目を意識 . . . 本文を読む
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