1948年から

文句たらたらどうでも日記

『檸檬』のケーキ

2024-05-16 20:25:30 | 読書
日本橋丸善へ、往復で約5000歩のウォーキングでした。
探していた本は古すぎてなかったけれど、少し前に読みたいなあと
思っていた山田風太郎『八犬伝』が角川文庫であったので
上下ともに買ってしまいました。
元の『南総里見八犬伝」は昔、夢中になって読みましたが、
こちらは滝沢馬琴と葛飾北斎を中心人物にした小説のようです。

そして3階のカフェへ、11時少し過ぎ、静かでいい雰囲気です。
梶井基次郎『檸檬』という小説に丸善が出てきます。
それにちなんで作られた丸善カフェのレモンケーキ、
それを食べるのが今日の一番の目的でした。

半分に切ったレモンの中身をくりぬいて、下にレモンゼリー、
その上にレモンムースが山盛りに乗っていて、
丸い一個のレモンの形になってます。
レモンの香りと酸味、滑らかなムースでとても美味しかったです。

若いころ、親しくしていた人から読むように言われた本です。
読書好き、多読家、頭のいい人でした。
縁は切れてしまったけれど、善悪いろいろな面で
大きな影響を受けました。
一人でコーヒーを飲みながら、そんなことを思い出しました。

命がつきるとき

2024-05-04 13:32:55 | 日記・つぶやき
先月末に私と同じ立場の高齢女性(嫁の実母)が老衰のため亡くなりました。
年齢は私のほうが下ですが、食も身体も細くて、転んだり、つまづいたりの
骨折で入退院、大きな病気はなかったけれど徐々に衰弱していったようです。
話し方も立ち居振る舞いも上品で、穏やか、地味で美しい人でした。
お元気だったうちにお会いしてもっとお話ししたかった、残念です。

お焼香でその寝姿を拝ませていただいたら、年齢が近いだけに
その姿がとても身近に感じられ、自分に重なってみえてきました。
誰にでもいつかやってくる最期ですが、老いて死をむかえるまで、
どんな意識下にあるのでしょうか、分かりません。

最近読んだモーム『片隅の人生』の最後はこんな文章で終わってます。
とても心魅かれたので紹介します。(天野隆司訳ちくま文庫 p.388)

・・・手際よく家事や農園の仕事をこなしながら、その一方で、
揺るぎない静謐な心をもって、やがて自分の身に訪れる運命をじっと
待ち構えている。はたしてどんな運命が待っているのやら?・・・
それがどんなものであろうとも、人間の想像力がもたらす最上の夢が
たとえ実現したとしても、それがすべてとどのつまり、命がつきる最後には、
ただ幻でしかないのである。

枯淡素朴な花

2024-04-11 20:22:51 | 日記・つぶやき
日本橋高島屋で開催中の「山村御流いけばな展」を見てきました。
毎年行われてますが、初めて見たのはずいぶん前です。
静かで素朴でつつましやかな花の扱いは、
まさに枯淡素朴、花は野にあるように、という流派の教えに
とても良い印象を持ちました。
今回も撫子や山吹、利休梅、カタクリなど、
また雲柳梅、黄花桜、珍至梅、黄カタクリ、など
初めて目にする花もあり、興味深く鑑賞し、
とても気持ち良い時間を過ごしました。

山村御流は奈良の門跡寺院圓照寺ゆかりの流派です。
この門跡寺院については、三島由紀夫『春の雪』に描かれている
寺院のモデルと言われています。
以前読んで深く感動した場面があり、今も目に浮かびます。

小説を読んでいて

2024-03-30 20:15:08 | 読書
小説で、人の容姿を表現するとき、
日本の小説と外国の小説ではずいぶん違うようです。
欧米の小説では、必ずと言っていいほど、
まず最初に出てくるのが歯並びです。
手入れされてない汚い歯はその人の生活の表れとみなされ、
人間性、評価が失墜します。
きれいな歯は美男美女の絶対条件です。

これはどの小説でもほんとに頻繁に出てきます。
最近、モームの『片隅の人生』という小説を読みましたが、
その中でも人の歯並びに対して辛辣な描写が出てきます。
ずっと胃腸障害が治せない登場人物に、それは歯のせいだ、
まず歯を治療しなさい、と小説の中の医者に言わせてます。

・・・まあ、そんなことより、この『片隅の人生』という
小説は意味深長で考えさせられることの多い内容でした。
本当はそのことを書こうと思ったのですが・・・

水の流れに乗る

2024-03-17 08:50:24 | 水泳


無理は危険な年齢になったので、泳ぐ気持ち良さをたくさん味わいたい。
60歳代ぐらいまでは、大会に出て、練習も頑張ってましたが、
所詮、素質なき者の高望み、競泳のまね事でした。

ずいぶん前、習っていたコーチに言われたこと、
きたない流れ、きたない波を作らないように泳げ。
水をひっかきまわす私のきたない泳ぎを見てのことです。

最近、それを思い出し、バシャバシャきたない波を作らず、
きれいな流れを作るにはどうすればいいのか、
考えながら泳ぐようになりました。
適切な良いストロークと姿勢、キック、タイミング、
とても難しいです。

出来る限りいい姿勢を保持し自分が作った水の流れに乗って
前方へ身体を滑らしていく、
たまにそんな瞬間を味わえると、気持ち良く楽しい。
競泳でない水泳、もし大会に出たとしても、
こんな自分の泳ぎが出来たらいいなあと思ってます。

世間体

2024-03-12 21:05:56 | 日記・つぶやき

東京国立博物館の紅梅

某記事で紹介されていた本、島田裕巳『葬式は、要らない』
(幻冬舎新書)を読みました。
お寺がお金のからんだ葬式仏教になっていった歴史的背景や、
日本人の死生観の変遷が分かりやすく書かれてます。
冠婚葬祭には世間体というやっかいな考え方が関わってきます。
最近は昔ほどではないかもしれませんが、家としての考え方や
住んでいる地域社会で差があるので難しいです。

私はずっと自分の死後について考えあぐねています。
このタイトル通り、葬式も戒名もいらないけれど
問題はそのあとの遺骨の処理です。
墓もいらない、と思ってます。

中村元『原始仏教、ブッダのことば、ブッダ最後の旅、釈尊の生涯』
を続けて読んできましたが、
葬式仏教と言われる現代の仏教、お寺とは、大きな隔たりがあります。

墓は要らない、ならば火葬した骨をどうするのか、です。
散骨や共同墓地について調べてますが、まだ決心はつきません。
出来る限り息子たちに迷惑をかけたくない、
生前きちんと相談し、手続きをしておきたいと思ってます。
近所に古い大きなお寺があり、説明会に行き、
共同墓地を見学してきました。
契約時にお金がかかりますが、そのあとは何も必要ありません。
婚家の墓は都営墓地にありますが、入りたくない。
死んだら縁を切りたい、もうこりごりです。

火葬して骨になってしまえばただの物、無になるのだから、
先のことを考えるのは無駄かもしれません。
今生きている自分がこのように考えても、
後に続く者たちがどう判断するかです。
ほんとに難しい、まだまだ問題はたくさんあるし、
理解しがたいものもいろいろあります。
決められた法令のもと、最も簡素簡単に
始末してもらいたいです。

泳げた!

2024-03-03 16:32:09 | 水泳

隅田川テラスの河津桜、1月末に咲き始めた

昨日、クラブのプールがなぜか空いてて、
往復レーンを一人貸切状態で使えました。
最近、400や800など泳いてましたが
クロールで続けて泳ぐと、途中で飽きてしまい。
何か他のことをやりたくなります。
平行して苦手な平泳ぎを練習し、前よりほんのちょっと
泳げるようになってきたので、往復レーンが使えるときは
できるだけ個人メドレーで練習するようにしてます。

今までは100IMを4本、200IMを1本が限界でしたが、
昨日は空き空きのプールで気兼ねなく気楽な気持ちで
行けるところまでいってみようとスタート。

バタフライ100mが泳げたので続けて背泳ぎ100、
背泳ぎは好きな種目なので楽、ここまで来たら400まで
いきたい。
続けて100平泳ぎを何とかクリア、そして100クロールは楽、
初めて400m個人メドレーを泳げて久しぶりに満足しました。
直後の心拍数も140ぐらいでそんなに辛くはありません。

難関は平泳ぎの100m、大会に出るわけではないけれど、
私の今の泳ぎ方は、泳法違反すれすれかもしれません。
それと背泳ぎから平泳ぎへのターンが下手、
この二つをどうにかしたい、どこかで指導してもらえたらなあ、
と思ってますが、いろんな意味で難しいです。
長く習っていたコーチは病気で全く連絡とれず、
もう2年近く一人練習なので、自己流泳ぎになってます。

筆ペン

2024-02-27 20:20:20 | 散策・小旅行
  

二月半ばの春のように暖かった日、
再度「本阿弥光悦の大宇宙」展を見に行ってきました。
東京国立博物館敷地内の白梅、紅梅は大木、満開でした。

前回見逃した光悦の書、なかでも、
俵屋宗達下絵「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」を見たかったので、
またまた入場料2100円を払って見てきました。
なんとも言いようのないすばらしい絵と書です。
『嵯峨野明月記』には、これが出来上がるまでの経緯が
丁寧に書かれています。
もちろん小説ですから作者の強い思いで描かれた人物像です。
実際はどうだったのか誰にも分りません。
でも作品は現存し、こうして実物を目の前で見ることができます。
2回目の訪問の前に、もう一度小説を読み返した私は、
描かれた光悦と宗達という人物にすっかり入り込んでしまいました。

ミュージアムショップでこの下絵が入っている筆ペンを1本
買いました。
50年ぶりの習字、昔習っていた筆遣いを思い出しながら、
今、百人一首を半紙になぞり書きしています。
筆ペンを使うのは初めてで、
思うようには書けませんが、とても楽しい。

冷や汗もの

2024-02-18 18:59:48 | 読書

二月は私の誕生月、息子からのお祝いの花、ありがたい、とっても!

漱石全集8巻の小品集に収録されている
『思い出す事など』を読んでます。
重い胃病のため修善寺で療養していたころの記述に
こんな文章がありました。

・・・誰でも中年以後になって、二十一、二時代の自分を
目の前に憶い浮かべて見ると。色々回想の簇(むら)がる中に、
気恥しく冷汗の流れそうな断面を見出すものである。
・・・二十年の昔に経過した自分の生涯のうちで、甚だ不面目と
思わざるを得ない生意気さ加減を今更の様に感じる・・・

漱石でもこんなことを思うのか、ならば普通の人間が
自分の過去の行いを悔やむのは、相応のこと。
眠れない夜など、忘れたい、思い出したくないことほど、
次々と頭に浮かんできます。
若かったから、とはいえ、あんな間違いをなぜ、愚か者だった、
ああすればよかった、こうすれば、と、
分かっていても無駄に悶々とし、眠れなくなります。
でも、こうやって思い出すということは、
自分の中で懸命に後悔し反省しているのだから、
もういいじゃない、と思うのは真っ当なのかもしれません。


シロウトさん、クロウトさん

2024-02-13 09:36:59 | 水泳
同い年の水泳友達との話、
マスターズ大会でトップの人と自分のタイム差が
50mで10秒以上ある、なんであんなに速いの?
スタートリストを見れば泳ぐ前から1位から3位ぐらいまでの
順位はほぼ分かる。
中高大学の競泳出身の人たち、国体、日本選手権、
国際大会などの選手だった人、そんな人たちの中では
趣味水泳で泳げるようになって大会に出て、
順位の後半を占める私たちのような人をシロウトさん、
と呼ぶのだそうです。
じゃあ、競泳出身者はクロウトさんというのね。

あまりに差があるから、マスターズ大会もシロウトと
クロウトで分けたらいい、という意見もあるとか。
それはちょっと線引きが難しいし、なんだかあほらしいと
私は思いますが。

ほんとの意味でクロウトな人はこんなことは言いません。
中途半端なクロウトさんや、指導者になっている人の中に
こういう蔑視まがいのことを言う人がいるみたいです。

私もいろんなことを言われました。
下手だの、そんな泳ぎでよく出るわねとか、
だれでもかれでも大会に出てくる、云々。
マスターズ水泳の世界は広いようで狭いです。
指導者や自称クロウトの人と話して感じるのは、
水泳の他、様々な経験や仕事、趣味を持つシロウトより
クロウトさんの世界のほうがより狭いような気がします。

マスターズ水泳もやりようによっては自己研鑽になるけれど、
言われたことを真に受けて卑屈になることも。
結局は自分の意思でやる、シロウトで結構です。

「比較は喜びを奪う」セオドア・ルーズベルトの言葉。
何事も比べず、とらわれずにやりたいです。