1948年から

文句たらたらどうでも日記

椿の実

2006-06-30 22:33:57 | 日記・つぶやき
色づき始めたリンゴみたいに見えるのは、椿の実。
もう、こんなに大きくなっています。
秋を過ぎる頃、割れて、中の黒い実が見えるようになると、
いくつか拾ってきて、クリスマスのリースに使います。

今日は蒸し暑く、だらだらと一日が過ぎてしまいました。
区民プールへ行こうと、用意していたのに出そびれ、
お昼のヨーガにだけ、行ってきました。

約1ヶ月、少し身体が慣れてきたかな、という感じです。
ポーズをとって、じっと呼吸を続け、次第に自分の世界に入っていく、
他の参加者のことが、完全に意識の外に出て、自分の内側にだけ集中、
そんな感覚を少し味わうことができました。

実は、昨日のつづき"The Zen of Swim"の内容について書く予定だったのですが、
うまくまとまらず、やめにしました。

心と体

2006-06-29 23:58:17 | 心と体
ヨーガの講師が、
ヨーガとはサンスクリットで「つなぐ」という意味があります、と話していた。
心と体をつなぐ「行」と言われると、なるほどと思う。
心が体を動かすのか、体が心を動かすのか、どちらがリードするのか、
難しいし、心って何、体って何、って考え始めると、なんだか哲学的になって、
分からなくなってしまう。

最近、趣味の水泳関係の本や記事の中に、
こういう側面を取り上げているものを、よく目にする。
水泳技術の本であっても、ヨーガ、禅、気功などについて触れている。
トータル・イマージョンもそうだ。

日本の水泳雑誌や水泳本では、
あまり取り上げていないような気がするのだけど、どうだろう?
もちろん、私が目にする範囲は全体から見ればとても狭く、少量なので、
そんなふうに言いきることはできないが・・・

今、読んでいる"The Zen of Swim" では、
水泳におけるメンタルな要素の有用性を力説している。
ヨーガ、太極拳、気功、霊気、瞑想を通して禅の境地に達し、
水と一体化し、水の一部分になる、それが水泳の醍醐味である、と。

フィットネスと言えばフィジカルなものだった。
加えて、メンタル・フィットネスを同列に、重要性は同じ。

でも、このメンタル・フィットネスに登場するのが、東洋的なものばかり、
これはなぜだろう。
ヨーガ、気功、太極拳、禅、(よくわからない)霊気、
これらと並ぶもの、欧米発祥のものはないのだろうか。

肘鉄をくらう

2006-06-28 22:04:13 | 日記・つぶやき
昨日のJR車内、ドア近く、降りようとする人垣の中にいた。

駅に到着して、ドアが開き、人が動き始めたとき、突然、左胸に肘鉄をくらった。
ウウッ、と思わず心臓の上を押さえたほどの衝撃。
斜め前にいた大きな男、鞄の中の何かを探していた拍子にぶつかったみたいだ。
でも、知らん振り、見向きもしない。

同じ駅で降り、改札口前の広場で、仲間とおぼしき中高年男性7、8名に、
やあ、やあ、と迎えられ、笑顔でその輪の中に入っていった。
ちょうど我家の同居人と同じような年恰好、
うかがえる行動パターンも似ているみたいだ。
これから定年退職仲間と、どちらかグループ行動にお出かけなのだろう。

そんなことはどうでもいい。
腹が立ったのは、痛かったこともあるけれど、
こういう場で、とっさに「ごめんなさい」が出てこない神経回路断裂人間がいることだ。
何て言おうか、あやまろうか、なんて考える前に、
自動的に「すみません」と口をついて言葉が出てくるものだ、
と思うが違うらしい。

さらに驚いたことがあった。
帰りのJR車内、空いていてほとんどが座席についていた。

ふと前を見たら、中高年の女性が爪切で爪を切っている!
こんなのは初めて見た!
パチン、パチン、あれ、どこに飛んだかしら、しゃらっとして平気な顔。
膝においたバックを開いて、そこにスカーフをぐしゃっと置き、
その上に切った爪を集めている。

相変わらずの化粧女もあきれるけど、これにはもう何と申しましょうか・・・
年齢、性別関係なく、神経が狂っている。

基本から出来ていない

2006-06-26 21:46:11 | 水泳
先週の辰己での練習は、前半、ずっとスカーリングだった。
主に、キャッチ後のスカーリング。
中でも苦労したのは、
うつ伏せの姿勢から、徐々にサイドの姿勢へ、そして背浮きまで、
片手で同じスカーリングを続けながら、ローリングしていく。
キックは打たず、脚は揃えて伸ばしたまま、プルブイもなし。
姿勢を崩さず、キャッチがちゃんとできていれば、
スカーリングで体を浮かせながら、進んでいく。

私の場合、それができていないから、進まない。
後ろの人に追い上げられてあせる
ますます水を捉えられなくなって、でたらめになる。
さらに、姿勢が崩れて体が沈む、最後は水と格闘、ほんとにひどかった。

そして後半は、ドリルからスイム。
もちろん前半のスカーリング練習を意識し、充分に活かしてだけど、
前半がこんな状態だったから、活かせるはずもない。
でも、意識はした。

自分のストロークは基本から出来ていない、それがよく分かった。
どの種目にも共通することなので、致命的だ。
姿勢を崩さず、しっかり体を浮かせて泳げるようにならないと。
これで速く泳げるようになりたい、なんて恥ずかしくて言えない。

ということで、近所の中学プールへ行って、地味な練習をしています。

不安から自信へ (つづき)

2006-06-25 22:45:39 | 翻訳記事
<自分のパフォーマンスを向上させるために、
どんなふうにスポーツ心理学を利用したらいいか、といっても、
人それぞれ、一般的な決まりはない。
自分の不安は精神的なものか、身体的なものか、
自己分析から始めるのがいい--ほとんどの人が精神的なものでしょう。
結果に注目しすぎる傾向が、精神的不安の発端、
私たちは結果について考えるし、そういう考えは影響力が強い。

イギリスのスポーツ心理学者のトップであるLouis Friend は、
結果目標よりも、大会目標を、と提言している。
自分でコントロールできる目標を、自分に与えなさい--200IM中、
バタフライでは頭を下向きに、ターン後はストリームラインを、など。
そういう集中は、レース結果を思って心乱されることを遠ざけてくれる。>

この辺は、少しわかりにくかった。
レース中、結果を気にしたり、追うのではなく、
レースそのものに集中すべきだ、ということか?
レースに集中するには、自分でコントロールできる具体的な目標を持つこと、
その具体的な目標を達成することに気持ちを集中させれば、
余計なことは考えなくて済む。

<精神的不安を持つアスリートの中には、
レース前にレース経過をイメージしたり、落ち着いた空間や、
完璧なストロークを行っている自分を頭の中に描いたりしている人もいる。
また、呪文を唱える人もいる。
ある言葉やフレーズを、ひたすら繰返すことで、余分な考えが入り込むのを防ぐ。

身体的不安があるならば、リラクゼーションを勧める。
深呼吸、ストレッチ、筋肉を揺さぶってほぐす、瞑想する、などは、
身体的不安を減らす。
友だちとおしゃべりすることで、身体的不安を減らすという人もいる。

不安を減らそうとする行為は、闘い半ばでしかなくて、
重要なのは、不安を積極的に自信へと向けていくことである。
自信は、今まで遭遇した様々な状況・場面から学んだこと、経験から生まれる。
普通、練習中、不安は低い。
私たちは(レースでの)パフォーマンスから自信を得る。
レースを何回も経験することで、自信を築いていくだろうし、
経験がそうさせるのだ。

何があなたにとって効果があるか、見つけなさい。
見つかったら、もうやるだけ。
コースへ出て、200m個人メドレーを泳ごう。
世界へ出ていこう。>

8月の世界マスターズへ向けてのメッセージが込められた記事だった。
躊躇しているあなた、参加しましょう!
出場し経験することで、自信を得ることができます。
その繰返し、失敗も経験のうち、自信を少しずつ重ねていくことなんですね。
人との比較ではなく、自分の目標をもつこと、積極的に経験を積むこと、
その中から、自分で自分のやり方を見つけましょう、と。
今年はもう間に合わないけれど、次回は出てみたいです。

不安から自信へ

2006-06-24 23:58:25 | 翻訳記事
6月のUSMSの記事、”Sports Psychology” by Jani Sutherland を読んだ。

スポーツ心理学なんていうと、大げさで、うっとうしいが、
これは、マスターズの大会に出ている人たち、誰もが経験するような心理状態、
(誰もが・・・では、失礼に当たるかもしれないけれど)
なかでも不安をどう自信につなげていくか、という内容。

以前、旧ブログに書いた『水泳のメンタル・トレーニング』と重なる部分が多いが、
私のように、読んでいる時はいつも「そうだ、そうだ、そうなのだ」と納得しても、
翌日にはもう、マイナス思考のどつぼにはまっている人間にとっては、
再確認にちょうどいい内容だった。
           
<「不安=anxiety」がスポーツ心理の主要素、
世界記録を目指す人も、初めて大会に出る人も、
私のようなのがスタンフォードの世界マスターズに出ていいのかしら、
なんて思う人も、同様に不安というものに、影響を受ける。

「不安」ってなんだろう。
対象となるものの重要度によって増幅される恐れのこと、と言えるだろう。
結果がたいして重要でない大会、結果がかなり解っている大会では、
あまり不安感を持たないのが普通だ。

不安は、決して悪いことではない。
自分のパフォーマンスを気にかけている表れだし、
人間であることの一つの要素でもある。
確信のもてないことに強い決意で臨むのは、人生における使命でもある。
多くの人がスポーツに引き込まれるのは、この不確実性のため--
どれだけ速く泳げるか、勝てるか-->

と、ここまで読んで、
スポーツする魅力って、不確実性への挑戦、そうかもしれない。
どんなレベルであれ、自分の能力の限界なんて、本当は分からない。
振り返ると、自分で勝手に限界を作っている場面がいっぱいあった。

潜在する自分の力の何分の一しか、まだ出していないかもしれない。
まだまだ自分はできるはず、すべて不確実、だから、こうしてみたら、
ああしてみたら、といろいろ工夫を重ね、やってみるのだ。
この過程を楽しむことが、スポーツすることの魅力とも言える。

<二種類ある不安の一つは、身体的不安、
心拍数が上昇したり、ドキドキして落ち着かなくなる。
もう一つは、精神的な不安--低すぎる自尊心やマイナス思考。
でも、どんな不安を持とうとも、それにどう対処するかがより大切なことだ。

スポーツする人は、そのパフォーマンスの場で何らかの不安を持つだろう。
そこで、重要なのは何か、各人にとっての最適な不安レベルがある。
そのレベルを見つけることが必要で、それを知ることが、自信へつながっていく。
自信を持つ人は不安を前向きに利用し、
それは時としてより良いパフォーマンスを導く。>

水泳に限らず他の場面でも、準備万端で調子よし、予定通りだ、なんていう時、
それに比例して結果もいいかというと、そうでもない。
そんな経験は多々あった。
私にとっての不安レベル、それを認知して事に臨むことが大事、
と言っているのだろう。                   

(つづく)

ノカンゾウ<忘れ草>

2006-06-23 21:03:46 | 植物
これも辰巳で。
巳のオブジェの回りで、毎年たくさん見かける。
ああ、今年もキスゲが咲いている、とずっと思っていたが、
調べたら違っていた。

ノカンゾウ、別名忘れ草、忘憂草、和須礼久佐とも。
薬草として漢方では有名らしい。
株元をゆでてさらし、酢味噌和えに、
つぼみは天ぷらにすると美味しい、と書いてあった。
株ごと抜いて、つぼみも食べてしまったら、絶滅してしまいそう。
でも、最初に食べた人、薬効を見出した人は、大変な偉人だ、といつも思う。

『万葉集』には忘れ草として詠まれているそうで、昔からあった植物だ。
この花を見ると、悲しいことを忘れられる、という言い伝えから、
古の人も、ずっとずっと悲しいことを抱えて生きてきたんだなあ、
と思わずにいられない。
人の情は、千年を過ぎても生き続ける。
せめて物言わぬ植物に託したい、そんな思いを伺える植物の名前は多い。

  「かた時も 見てなぐさまん昔より 憂へ忘るる草といふなり」
                      藤原兼輔 『兼輔集』

ハツユキカズラ

2006-06-22 21:32:26 | 心と体
玄関脇のコブシの木の根元に、
数年前、ハツユキカズラを植えた。
通りがかりの素敵な家で見かけて、真似をした。
新芽が白、淡いピンク、濃いピンク、と織り交ざって、
とてもきれい、気に入っている。

これは、二日前の夕方撮った写真。
翌日、外出先から帰宅したら、新芽の部分が全部刈り込まれて、
ただのグリーンになってしまっている。

まただ!やられた!情緒もへったくれもない!

同居人が、なぜかこれが伸びると刈り込んでしまうのだ。
今回はたまりかねて言った、せっかくのきれいな新芽をなぜ切るの?
虫がつくから、という返事。
これに虫がつくのではなくて、上のコブシの葉っぱにつくのだ!
それが落ちてくるだけ!30年近く住んでて、そんなことも分からない!

今日は贅沢をしてきた。
久しぶりのフットセラピーとマッサージ、台湾式60分。
たまったポイントを利用。
頭部のマッサージがあまりに気持ちよくて、意識が朦朧とした。

帰宅後、ぐったりして横になったら、2時間も熟睡。
50歳を過ぎるころから、
眠れないわけではないけれど、寝つきが悪くなった。
でも、今日は、ここ数年間味わったことのない心地よい眠り、
昼間から、ストーンといってしまった。

白詰草

2006-06-21 21:46:44 | 水泳
辰巳でもう一枚。
緑道脇の広場はシロツメクサで覆われていた。
クローバーのことだけど、頭に浮かぶのは、
なぜかシロツメクサという和名だ。
アイルランドの国花だそうだ。

子どものころ、花の茎を長くつんで、首飾りを作って遊んだ。
今でも楽しげに作っている親子を見かけたときは、
ああ、伝わっている、と、ほっとするような、うれしい気持になった。

白詰草と書くのは、昔、ビードロをオランダ船で運ぶとき、
割れないよう梱包の緩衝として詰められていたから、と書いてあった。
そうやって、種が運ばれたのかしら?

今日は英語の授業のあと、千駄ヶ谷のプールで練習。
調子は?と聞かれ、うう~ん、泳げるかなあ、という感じで、良くない。
Back or Fly、迷ったすえ、バタフライに。
最初のドリルに組まれた75swim で、水を飲みそうになった。
最近はあまり飲まなくなっていたのだが、今日は体が沈み傾向だった。

なんとかやり通したけれど、今日も不出来でした。
体の疲れと、気持ちのよどみ、そんな感じがする。

クワの実

2006-06-20 21:34:06 | 水泳
辰巳の歩道橋から見えた赤い点々、何の花だろう、
と近づいたら、クワの実だった。

子どもの頃を思い出した。
まだ赤いうちは食べられない。
もう少しすると黒ずんできて、食べごろになる。
遊びながら、よく近所の家のクワの実をもいで食べた。
甘酸っぱい味。
きっと花が咲いていたはず、見逃してしまったので、来年はぜひ見たい。
このクワの実、ポリフェノールをいっぱい含んでいるので、
最近は、焼酎漬けやジャムに加工されて売られているそうだ。

辰巳で練習。
今日は全くいいところなし。
ずっとお腹の調子が変で、休もうかなあ、と直前まで迷ったのだが。
いつも帰りの電車内で、その日の練習内容や気づきをノートに記入するのだけど、
そんなことをする気もおこらなかった。
まあ、こういう日もあるし・・・

家に帰って、留守番していた犬のゲージ回りを片付け、
窓を閉め、カーテンを閉めて、2、3歩、歩いたら、足裏の感触がムムッ
ギャーッ踏んでしまいました、ビスケの出した物。
スリッパの裏にべっとり。
いつもちゃんとトイレ内で済ませるのに、
ゲージの外の模様入り敷物の上にしていたようで、
あ~あまったくもう