(23) 日中関係Ⅱ (第1次世界大戦以後~1945) -22-
ⅳ 日中戦争(支那事変)-9-
■まとめと考察 3/n 「南京事件」
1 「民間人」の状況の描き方
● 被害者の数が「不明」「不確か」なのに、”大量に殺害された”と断定している。 → × 東京書籍、帝国書院、日本文教、清水書院、学び舎。
※中国共産党の言い分と同じ。 → とうてい、日本の義務教育教科書とは思えない。清水書院と学び舎は特に悪質。
● 被害者の数が「不明」「不確か」なのに、「多数の死傷者」と、あいまいな(どうにもとれる)表現をしている。 → △ 育鵬社、教育出版。
※1 日中関係における重要な歴史認識について、”玉虫色”のような表現は不適切。また、中学生が《そのようなあいまい表現をしていい》と思ってしまう可能性が高い。
※2 では、どう表現すればいいか?
自由社のように、《歴史書には”不確かな情報”は書かない》というのが原則だろう。
諸般の事情によりどうしても書きたければ、①まず、軍人と民間人をはっきり区別し、②軍人について諸説を紹介し、③次に、民間人について諸説を紹介するのが”学問的態度”として適切だと思う。記事量がかなり多くなるが、もともと真偽がはっきりせず、複数の資料や学説があるのだから当然のこと。したがって、「特別記事(コラム)」にする必要がある。
しかし、果たして、義務教育用歴史書でそこまでする意味:重みがあるのかどうかは疑問。中国共産党と「旧連合国の古株」と、”日本の評判を落としたい人々”が喜ぶだけではないだろうか。
2 「諸外国」の反応の描き方
● 当時「非難」したのは当事者の中華民国政府だけ。 → △ 帝国書院、清水書院。
※当時、中華民国(蒋介石の国民政府)のプロパガンダ(※印象操作、おおげさ表現、嘘などによる宣伝行為)があったのは史実。米国からの援助の継続・拡大が目的だったと言われている。
3 「極東軍事裁判」の扱い方
● 今ではその”正当性”も”妥当性”も否定(あるいは疑問視)されているのに、肯定している。 → × 教育出版、日本文教。
以上に疑問のある方は、<ウィキペディアの「南京事件」/「極東軍事裁判」・「ラダ・ビノード・パール」>で詳しく調べてください。
~次回、ⅳのまとめと考察4「南京占領後、1940年ごろまで」~
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《著者:松永正紀 教育評論家 /h22年度 唐津市・玄海町:小中学校校長会長》