遠藤周作の晩年の作品「深い河」を読んだ。学生時代は大学がカトリック系だったこともあり、キリスト教に強い関心を持ち、遠藤周作の本をよく読んでいた覚えがあるが、卒業してからはほとんど読まなくなった。長編小説を読むこと自体が、本当に久しぶりである。なかなか読みやすく、私にしては早く読み終わることができた。数ある遠藤小説の中でも、この「深い河」は代表作と言われることが多いようである。
遠藤文学の主要テーマといえばキリスト教だが、特にこの小説において、彼のキリスト教(というか神そのもの)に対する考えが色濃く反映されている。自分にとって神とは、日本人にとってキリスト教は、ということを絶えず問い続けてきた彼の、70歳において出した結論がこの「深い河」だといえるのだろう。どのような内容であるかは、少し長いがこれを読んでいただきたい。
主要登場人物である大津のセリフを通して、遠藤周作の神に対する考えが述べられており、日本人にとって分かりやすいキリスト教の解釈となっている。しかしそれはあまりにもオリジナルで汎神論的な考え方ともいえるせいか、どうやら遠藤周作はカトリック教会からひどく嫌われているらしい。(^^;) 熱心な信者ほど彼のことを嫌う傾向にあり、彼がノーベル文学賞を逃したのも選考委員に敬虔なクリスチャンがいたためだ、と言われている。日本人にとってキリスト教を身近なものにした彼の功績は大きいと思うのだが。しかしまあ確かに、カトリックというのは教会の権威が重要な宗教であるだけに、教会の考え方を否定してしまっては、それはカトリックとしては異端ということになるのだろう。
この「深い河」を読んだ人のレビューを見ると、実に多くの人が「インドへ行きたい」などと言っている。しかし私は逆に、インドへは絶対に行きたくないと思った。残念ながら私は、ガンジス河とまともに向き合えるほど真面目に生きていないのである。(^^) それだけ私はシアワセな奴だということだ。しょせんは豊かな先進国でぬくぬくと育ったお坊ちゃんなのである。