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木内克 エーゲ海に捧ぐ

2009-12-10 | 彫像

ご案内 

木内克 エーゲ海に捧ぐ 【わたしの里の美術館・彫像】 木内克 エーゲ海に捧ぐ
by Japanese artist Yoshi Kinouchi (1892-1977)

 

 

  画面をクリックして、大画面でご覧ください。

 

 

    

 

C'est vous, un appartenir gras.

Il paraît être froid et je me sens désolé.

Veuillez faire une pose plus insouciante.

 

 

木内克 1892 ~ 1977

 木内克(きのうち よし、1892年6月27日 - 1977年)は、茨城県水戸市出身の彫刻家である。

渡仏し、アントワーヌ・ブールデルの指導を受けた。二科展などに多数出品し、テラコッタの作品を多く残した。

 

略歴

1892年(明治25年)茨城県水戸市に4人兄弟の末っ子として生まれる。
1912年(明治45年)20歳で上京し、彫刻家の海野美盛のもと彫刻を学ぶ。
1914年(大正3年)朝倉文夫の彫塑塾に入門。
1921年(大正10年)渡英。半年間ロンドンに滞在し、その後パリにわたる。そこでブールデルの指導を受ける。
1927年(昭和2年)窯業家のラシュナルを訪ね、陶器を始める。
1930年(昭和5年)テラコッタ技法に習熟。
1935年(昭和10年)帰国。以後二科展などに出品。
1938年(昭和13年)「木内克作陶展」開催。
1948年(昭和23年)新樹会展に出品し始める。
1970年(昭和45年)第一回中原悌二郎賞受賞。
1972年(昭和47年)記録映画「土くれ」が完成。
1974年(昭和49年)第29回茨城国体モニュメントに「女神像」製作。
1977年(昭和52年)急性肺炎のため85歳で死去。


代表作

『エーゲ海に捧ぐ』1972年

 『女の顔』 1929年 (国立美術館)

 

 

                                                             


エピソード

小さい頃から動物好きで、特に猫は7,8匹飼っていた時もあり、作品に多く残した。
パリから帰国後、生計を立てるためにマジョリカを製作し、時計店に陳列していた。
晩年はバリ島・台湾・バンコクなど様々な地域へスケッチ旅行へ行き、精力的に活動した。
著書の『木内克の言葉』には、木内の芸術思想が書き留められている。
「ぼくは彫刻というものは宝石を入れる箱であると思っている。」
「芸術というものは写生そのものではなく、いろいろな味があったり、匂いがあったりするようなものだとおもう。その人自身がでてこなければいけないものだよ。」
「ぼくは小さい頃から動物ならなんでも好きだった。特に猫と馬はこの年になるまで好きだね。(Wikipedia)

 

 

  『 エーゲ海に捧ぐ 』   1972年

 

 彼の作品をみて思い出すこと。眠かった。何処までも走った。重かった。

 『エーゲ海に捧ぐ』の大きなブロンズ像を車に乗せて、東京から神戸くんだりまで、運んだことがある。とにかくデカくて、重かった。何百㎞の高速運転は、もちろん一人では無理。二人で交代なのだが、やはり眠れない。荷台のお堅いご婦人と添い寝なのだが、ゴツゴツあたって痛い。 

 値段はいくらだか忘れたが、有名なわりには、安いのだそうな。

 型モノであるからと言う。つまり型さえあれば、何体でも造れる。

 

 

 その点、手びねりで、焼成したテラコッタは一点物である。

 軽くて、持ち運びも簡単。それで小さいわりには、値段が高い。

 だんだん美術商みたいな語り口になるので、この話はオシマイ。

 

 ご本人は猫が好きらしかったが、作品には、ご婦人の裸体が多い。

 その奔放なポーズは、愛らしくもあり、ほほ笑ましくもあり。

 これは、モデリングがおおざっぱで、細部が省略されているので、尚のこと。

 

    

  立つ 

制作年:1961
設置場所:渡辺翁記念会館前庭
素材:ブロンズ
サイズ:186cm×90cm×47cm
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

レスボス島 Λέσβος


テラコッタ 

 上の作品なんかは、けっこう  アブないポーズ。わたしの里では、リアリティ評価の観点から、写真的な影像も添付して、画学生へのサービスなんだが、この格好では修正の手間がかかってしまう。

 日本国では、「芸術」か「猥褻」かとの、論争やら場合によっては司直も乗り出してくる、野暮なんで……。

 普段から見慣れていれば、性器とかも誰にもあるモノなので、なんてことはない。妙に隠し立てするからムラムラと変な感情が湧きやすくなる。右のモデル嬢の名は、Devon とホトを示す英語のタームかなんぞで検索すれば、それこそ山ほど影像が出てくる。

 木内の作品の良さは、おおらかさ。

 地中海のおおらかさは、いつかナポリ付近のレストランで、海を見ながら、生のコーラスを聴きながら、食事をしたときの気分が、甦ってくる。

 スパゲッティや、その他パスタをたらふく食えば、女性だってデカくなる。

 

 


 

  

 地中海あたりの文化では、豊穣の豊かな女体よりも、狩りをする細身のディアナがよく出てくる。しかし実際のご婦人方の体型は、実に豊穣きわまりない。春夏秋冬、しゅんかしゅうとうと幼子が少女になり地中海神話では狩りの神となる。初夏の海に似合うのは、ウラノスのファロスから生まれたとされる、ヴィーナス。☆☆

 

政治のルネッサンス 

 

中世あたりの型にはまった美術の歴史。それらもそろそろ見てみたい気もする。

ソ連が崩壊して反共の御旗は、神通力を失ってしまった。日本はソ連への防波堤みたいな見方が、米欧にはあって、日本が経済発展するのを傍観といおうか、微笑ましくもあるとかの心根で見ていたのであろう時期が、日米安保が日本にとってポジティブな機能を発揮していた季節なのだろう。それがソ連が崩壊して、日本を見てみればアメリカや欧州の、工業経済ばかりではなく、ロックフェラービル群の買収に見られるように、不動産とか金融でもアメリカを侵食してきた。それで米欧ははっきりと「日本は敵だ」との戦略を確定した。

如何な敵でも米欧の戦争は、強盗団とか詐欺師のそれの規模が大きくなったものだと、思わねばならない。

なのでこれからお前を殴ってやる。

なんて、宣誓することなどない。

 

日本の経済陣はアホ、馬鹿そして間抜けが多いので、相手の心情の底にわだかまっている、悪意など斟酌する能力が無い。なので、彼らの戦いが 「ラハブ」 のような女間諜とかを、盛んに使役した諜報戦からはじまることなど、てんで知らない。 

日本だってもう、戦後の擬似ヘイワの御代は、70年にもなろうとしている。

いつまでもディアナとか、アテナーの美貌と均整のとれた美しい国家論を並べていたのでは、ほんとうのこすっからい戦争におくれを取る。

 

おっぱいだって垂れるし、お尻も異様にデカくなる、腹のくびれもなくなって、出っ張らかってくるのが悲しい現実だ。

つまり早く言ってしまえば、爺やばあさんは、もうそろそろ隠居の年なのだ。

       木内克 エーゲ海に捧ぐ【わたしの里の美術館・彫像】たしかに日本の工業社会は、アメリカとか欧州と違って、多くの自動車会社があって競合し合っている。しかし、目を海外に転じてみれば、日本の自動車会社は北米とか欧州、はては支那くんだりまで出かけて行って、「役員どもが美味しい思いをさんざんに喰い散らかしている。」このことで、工業経済よりも前に、日本の政治が空洞化してしまった。 自動車 トヨタ系など 画像分類

たしかに日本の工業社会は、アメリカとか欧州と違って、多くの自動車会社があって競合し合っている。しかし、目を海外に転じてみれば、日本の自動車会社は北米とか欧州、はては支那くんだりまで出かけて行って、「役員どもが美味しい思いをさんざんに喰い散らかしている。」このことで、工業経済よりも前に、日本の政治が空洞化してしまった。(国のリーダーは経済人など、つまり商人風情ではなく、政治家がせきにんを持たねばならない。それが政治資金を貰いたいばっかりの、ギブミーチョコレートの子供政治家ばかり多くなって、大人の政治家がいなくなってしまった。何て言っても企業減税とか、相続税減税が日本の政治を「兵糧攻め」にしてしまった。そでも間抜けと言おうか、浅ましい政治屋たちは、経済が発展すれば税収が伸びるとかの、笊で水を掬うようなデタラメを言っている。今こそパンツを下げて、自分らの恥部を点検してみるときなのだ。) 戦後レジームのあまりにも酷い姿を見て、また酷薄・冷酷な裏社会のおぞましさを見れば、お腹が痛くなって、まともな神経ではやっていけなくなる。リハビリも住んでアベチンは復帰した。つまり、日本の政治家で子供のような清澄な心根の人はほとんどいない。それでお坊ちゃまの彼がトップを引いている。

日本はもう成熟した大人。と言うよりも、もう老境に入りつつある。

70%の企業が税金を納めていない。』

これを安倍晋三グループは何とか言えている。若い政治家は、もっと言を進めて、「 企業減税が日本経済を駄目にした。」こうはっきりと言い出せるようにならねばいけない。

 

ならば此の現実を直視して、熟年の良さもそれなりに評価する。
(企業の世界進出は、相手国の実経済を壊すとか、鹵獲することに成功。つまり実経済では、日本が中核で元枢軸国の独逸も善戦。特亜が日本の足手まといのようにも見えるが、条件次第で日本の放った伏兵にもなりうる。)

そして死すべき明日に備えて、若い芽を育てる。種を撒いて水をやる。
(つまり自動車会社だって、新しいのをつくらねばならない。)

それが今の日本なのだろう。

 

 

 

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