
先週23日のことだが、ここ数年はほぼ毎月聴きに行っている地平線会議の今月の報告者が、本ブログでも度々触れている「サバイバル登山」でお馴染み? の服部文祥(はっとり・ぶんしょう)さんだった。
6年前に報告者として立ったときと同様に、良く言えば大胆不敵、悪く言えば自信過剰、といったあの独特の風体が好きで、今回も山岳雑誌『岳人』の辣腕編集者というよりは一介の登山狂? の立場からの“本気の告白”を興味深く聴いた。失礼ながら、相変わらず出版業界人には見えないんだよなあ。
で、以下は箇条書きでその話のメモを。これ、自分の頭の中身の整理のつもりで備忘のために挙げるので、他人からするとわかりにくいことだらけ(マニアックな内容)かもしれないので、あらかじめご了承を。だいたい喋った順に挙げている。
・『野宿野郎』の最近の媒体露出が多くて、売れているようでうらやましい
・美大卒で絵描きの奥様は美人(とプロジェクターでパソコンの家族写真を見せながら数分間自慢)
・子どもが登校拒否(体調の問題?)
・最近はサバイバル登山と陸上競技・中距離走に夢中
・近著『サバイバル!』(ちくま新書刊)の初刷は1万2000部
・ちくま新書は毎月4、5冊刊行で、08年11月発売のものでは最も売れていた?
・東京都立大卒だが、大学は1浪して14校受験して合格はここだけ
・大学で登山を始める前はハンドボールに傾倒(6年間)
・大学時代は山岳部とワンゲルを掛け持ち(基本はワンゲル?)
・大学時代から高所登山を目標に掲げていた、ひがみ根性で続けていた
・経歴は都立大→白山書房→『岳人』編集部
・(1996年の)K2登頂者、の「肩書き」は便利
・『サバイバル!』第四章のK2仲間割れ? 話は、当時の参加メンバーからは批判集中
・でも当時衝突していたK2登山隊の隊長とは、現在は邂逅? してサシでもふつうに話せる仲に戻っている
・K2登頂時、山頂から一刻も早く下降したかったが、登攀隊長の谷川太郎氏にひとりで勝手に下山することを止められ(生死の問題)、結局はほかのアタックメンバーと下山
・K2はポーターは300人以上、他人に自分の荷物や酸素を持ってもらう登山に違和感→(自分のことはすべて自分でやる)サバイバル登山へ
・サバイバル登山、最初はラジオ・ヘッドランプ・時計を持たないところから始めた
・でも最近のデジカメを携行すると時計内蔵ゆえに撮影時間がわかってしまうので、正確な時間がわからないように適当な時間にわざと狂わせて使っている
・最近はマットも持たないが、登山中に拾った銀マットは使う(自分で調達できた、という意味で)
・登山や釣り、ひいては人生の師匠は(黒部横断などの先鋭的な登山で有名な)和田城志(わだ・せいし)氏
・狩猟を始めて今冬で4年目、主に山梨県東部で活動
・4年で鹿を7頭仕留めた
・散弾銃を使用、ボルト銃、50mで10cmの射程
・300m射程のライフルは、散弾銃で10年は経験を積まないと使いこなせない?
・銃はクルマと同じ原理(爆発させる)、ともに圧倒的な力、動物が想像つなかい力
・自分で獣を撃って殺して食べる、はいくらやっても慣れない
・銃で獣を殺すのはアンフェア? 罠を仕掛けて狩るくらいはフェア? でも実際に銃をやってみるとそれでも難しい
・鹿は普段はめったに鳴かないが、親子がはぐれたときは鳴くことがある、ピーとか
・鹿などの獣が道路上でクルマに轢かれて死んだのを見つけたときは、解体して食べたほうがよい、解体は慣れれば簡単
・猟の仲間は高齢化が進み(体力的に山の上のほうまで上がれなくなってきた)、猟場は空いているので自分の思いどおりに猟をやりやすい
・猟でその時季に最初に仕留めたものは土地に供える、自分への戒めでもある
・(『サバイバル!』第二章107ページにもあるように、日本の特別天然記念物の)雷鳥を発見して食べたくなったが思いとどまった
・雷鳥は絶対数が少ないから、周辺の環境が良いから、自然保護の象徴だからか
・同じ鳥でも鶏は絶対数が多くて貴重ではないから食べる? その言い訳で鶏を説得できない
・08年夏に南アルプス(赤石山脈)縦走サバイバル登山を敢行、11日間
・この登山から敷物をマットから熊の毛皮に変更
・6日目に泊地に釣りの仕掛けを忘れた? ので、それ以降は茸や植物を主に食べてしのいだ
・最近米の摂取量が増えた(食に関する規制が緩んだ)、玄米にはまっている
・08年冬も南ア深南部でサバイバル登山、銃を携行して狩りをしながら11日間
・冬は日照時間が短くて怖い、寒い、結局は野宿のほかにも無人小屋も利用した
・銃は行動中は荷物になるが置いて行けない(法律上の問題)
・『サバイバル!』で渓流釣りの話をたくさん書いたが、サバイバル登山を始めた当初よりも釣りが上手くなった実感があるから
・「詩人と釣り師はつくれない」(イギリスのことわざ)
・担当した『岳人』08年6月号の黒部奥山廻りのカラー記事は自信作だった、でも雑誌は期待していたほどは売れなかった
・最近、登山行為がシフトダウン、「山で死ぬかもしれない」と思わなくなってきた
・(登山の)報告って、なんなんすかね
・登山行為自体が「表現」では?
・最近の若者は(自分も)語るべきものがない世代
・登山(行為)とその(事後)報告は別物
・現在、『岳人』の編集の傍ら山の本を執筆中で、黒部の話もまとめたい
・本はひとつの表現、作品づくり
・山の本を書くために山を登っている?
・登山は簡単で面白い、今後もそれを伝えたい
・傲慢な言い方だが、登山(で表現すること)によってとにかく自分が深くなりたい、カッコイイ人間(ホンモノ)になりたい
・自分が面白いと思うことを、やるべきことをやる
まあこんな感じだった。上記で?が多いのは、服部さんのなかでの独特の言葉の使い方や受け取り方もあってここに正確に表記しきれないからで、そこはまあご勘弁を。ニュアンスの問題。
で、上の写真は、右側の06年発売の『サバイバル登山家』(みすず書房刊)に服部さん本人からサインをもらったことは以前書いたが、今回も『サバイバル!』にも同様にもらい、サイン本が2冊になった。
なお、会場に服部さんの話を聴きに来た80人前後? の聴衆のうち約半数が本を2冊ともすでに読んでいる人々で、何気に服部ファンがたくさん集まっているではないか、と驚いた。
『サバイバル!』は今回新たにもう1冊買って2冊となったが、サイン入りではないものは古本として後日手放すつもり。最近は自分が気に入った本を売りたい、配りたい、という欲が年々深まっているのよね。
それから、僕は基本的に「○○家」と肩書きに「家」が付く人、特にそれを周りから呼ばれるだけならまだしも自ら名乗っている人、というのはどの分野でも訝しく思っているクチ。例えば登山家とか冒険家とか探検家とか建築家とか小説家とか華道家とか。ちなみに、テレビのバラエティ番組にもよく出演する(長髪で眼鏡をかけた)某有名華道家は、華道歴ン十年のウチの母が見ると明らかに「ニセモノ」なんだって。
透明性の低い肩書きというか仕事は、どうしてもある程度は胡散臭さが漂うからねえ。好き嫌いはそれを名乗る人の普段からの物言いや立ち居振る舞いや何事で収入を得てメシを食っているかなどの、早い話が個性というか人間性にもよるのかもしれないけど。
だが、服部さんのように目先の利益を得ることに囚われずに本気で求道的にひとつの物事と真摯に向き合っている人であれば、しかもそれがちゃんと周知されれば(透明性が高ければ)「サバイバル登山家」と名乗ってもまあいいかな、と改めて思った。単なる自意識過剰ではなく自分が何者であるかという立ち位置を常に考えられる人は、周りからちやほやされると自分を見失いがちな人よりもカッコイイと思う。服部さんは間違いなく前者でしょう。
服部さん、今回も報告者として立つことについて「僕の話なんか聴いて面白いんですかねえ」と自虐的に聴衆に釘を刺して喋ったり、奥様に「報告」をすると伝えたら「アンタの話なんか聴きに来る物好きがいるんだ」と呆れられたりもしたそうだが、僕は充分面白いと思っているその物好きのひとりである。なんなら3か月連続くらいでぶちぬきで報告していただきたいものだ。
また3冊目の本が出版された頃にでも聴きたいなあ。
ちなみに、地平線会議の報告会は喋る人とともにこの模様を記録する人も、基本的には代表世話人の江本嘉伸(えもと・よしのぶ)さんの好みでいくらかの筆力というか感性を求められる人に毎月月替わりで書かせるのだが、今月はその記録するほうの人も面白い人選である。
今月分のこの喋り手と書き手の組み合わせ、何気に今後10年の野外業界全体の行方を占ううえでもかなり重要な分岐点となり得る人選で、おぉ、なかなかやるではないか江本さん(なんかこう書くとみ回り歳下の僕が偉そうだな)、と久々に思わず唸るくらいの人が書くことになった。こちらも超楽しみ。
それが具体的には誰なのかは、来月中旬発行の「地平線通信」を要注目ということで。地平線会議のウェブ上でも(「Tsushin」のコーナー)3週目以降に掲載されるので、そちらも旅好きの方もそうでない方も注視すべき。
と、最近は一般誌の執筆活動でも注目度が上がっている? この書き手に今からこの場を使って圧力をかけておく。深い一文を書いてくれることを期待する。
ただあの放送、いかんせん放送時間が短かったことと、単なる変わり者扱いみたいな出し方のような気もするので、今後どこかでもっとちゃんとした特番も組んでくれたりするといいですね。まああの放送は「サバイバル登山」という方法もあるよ、とひとまず提示できたことが良かったのではないでしょうか。
まあそれよりも当然、著書を読んだり、本人から話を直接聴くのがイチバンですね。