思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

拙著『沖縄人力紀行』の補足21 あえて悪く言うと、ゾンビのような団体客

2007-08-31 11:22:16 | 拙著の補足・訂正

本項はいつになく一般的にはちょいと不適切っぽい表現もあるかと思うが、人命にもかかわる大事なことなので、あえてそのとき率直に思ったままのことを挙げてみる。

拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)のあとがき、特に187~188ページに、ひとりで「旅」する僕は団体で「旅行」する人たちが苦手、ということについて簡単に触れたが、それに関することで、先の東北旅で訪れた岩手県・JR岩泉線の終点である岩泉駅で衝撃的なできごとに遭遇した。まさに「旅行」の典型的な悪い事例。

14日に岩手県内でも特に有名な観光地である龍泉洞に行くために、前夜にJR山田線で茂市駅に前乗りして、この駅付近の空き地でこの時期がちょうど見頃だったペルセウス座流星群を寝転びながら眺めつつしっぽりと野宿し、翌14日朝に午前は7時台に運行している茂市発岩泉行きの始発列車に乗り込んだ。岩泉線は現在は茂市-岩泉間を1日に3往復しか運行しないかなりローカル度の高い路線のため、公共交通を利用する場合はできるだけJRで移動したい僕としては数年前から気になっていたこの路線に確実に乗るにはこうやって前乗りする必要があった。

で、やっとこさ14日朝に数年来楽しみにしていたこの列車に乗り、ちょうど盆の時期ということでこの路線狙いの鉄ちゃん風男子が茂市駅からも、そして途中の駅からもちょこちょこ乗ってくるくらいに乗客は意外と多く、ガタゴトと50分ほど揺られながら岩泉駅(上の写真参照)に辿り着いた頃には、乗客は朝イチの列車なのに40人近くいたりした(この9割がたは10~30歳代の男子だったかな)。ここまでは地域を問わず運行の乏しい(特に春休みと夏休みの)ローカル線にはよくある光景なのでまあよい。問題はここから。

この1両編成総ボックス席の列車が終点の岩泉駅に着き、さて降車しますか、という段になると僕はいつものように40人ほどの乗客の降りる列の最後のほうで降りることにし、車両の前後にふたつある扉のうちの片方に向かった。そしてやっと降りますなあ、と扉の手前の1段低い段差のあるところに差し掛かったとたん、前方からわらわらわらわらと中高年の団体十数人が僕の降車を待たずに一斉に乗り込んできた。
そのうちのひとりの胸のあたりをチラッと見ると旅行会社らしき名札というがバッジが付いていたので、この列車は岩泉駅から折り返して宮古に行くのだがそのローカル線目当ての団体旅行なのかな、と一瞬思った。

朝イチの列車で、しかも夏休みの時期なので地元の高校生もいないはずだからそんなに混むことはないだろうと踏んでいて、そんな事態はまったく想定していなかった僕としてはなんの前触れもないそんないきなりの“奇襲”に驚く間もなく僕のほうにガシガシ突進してくるその団体に一瞬にしてもみくちゃにされ、まだ車内にいるのに数歩押し戻されながらその60~70歳代と思しき団体客に全身丸ごと、特に肩をぶつけられながら、列車を降りられずに数秒間もがき苦しんだ。

地域を問わず、鉄道やバスやエレベーターの乗り降りではふつうは乗客の入れ替えの意味で降客の動きが優先されるべきだが、まあこれは「ルール」ではなく「マナー」の話なので厳格にどちらが先、と決められているわけではない。でも、普段から鉄道にそこそこ乗り慣れている人にとっては降りる人が先、ということくらいは小学生でもわかることで、近年は特にそんな鉄道やエレベーターの乗り降りにまつわる「マナー」が悪いと以前はよく言われていた大阪近郊でも、鉄道利用時の整列乗車が浸透してきて大きな問題は起こらなくなってきている。
でも、そんなこともわかっていないらしきその団体客が、おそらく特にボックス席の窓側の車窓から眺めの良い席を確保するために我先にとまだ降車していない僕のことなんかまったく眼中にない状態で、言い換えると盲目状態でわらわらと乗り込んでくる状態というのは、ある意味、怖い。

今回の一件では比較的重量のある僕だから対向する流れにもなんとか倒されずに持ち堪えることができたが、これがふつうの線の細い人であれば押されてすぐさま後方に倒されて、頭などをしこたま打ちつけて大ケガする可能性もある。

実際、僕がその降り口でもみくちゃにされながらも中高年のその一団の顔を瞬時に見ると、目線はみな僕ではなく奥のほうにあり、それだけで早く良い席を獲りたい、と気が急いているということが一瞬でわかった。しかも、そうやって席まっしぐらという感じで僕に気遣う理性というか生気はまったく見られなかったので、その一団は例えるとホラー映画によく出てくるゾンビのようなものではないのか? と困惑し、悪い意味で鳥肌が立った。団体だとこんなに理性がなくなるものなのかと、呆れよりも怖さのほうが強かった。

その一団としては「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というふうに、大人数でやればなんでもアリ、という集団心理が働いていたのかもしれないが、ホントに理性を失ったその一団の目つきは正直、この世のできごととはとても思えなかった(でもべつに、その一団のひとりひとりが人生の残りの手持ち時間が短い、三途の川に片足を突っ込んでいる、という意味ではないよ)。
今思い出しても、そんな盲目的な行動はある意味、暴動に加わる暴徒と同じ状態だよな、そんな盲目状態になるのでは諸外国のテロ行為を批判する資格はないのではないか、とも思った。

でもそんな違和感を一瞬のうちに考えても、こちらとしてもとにかく列車を降りなければ先へ進めないので、その一団の“攻撃”でそれこそ膝カックンをやられた、もしくは映画『マトリックス』の主人公・ネオが弾丸を避けるときのようなあの海老反りに近い状態に崩された体勢をなんとか立て直しながら、意を決して、

「降りるんですけど!」

と一喝し、僕のほうからも流れがどうにも止まらないその一団が続々と突っ込んでくるのを泳ぐようにかきわけながら対抗して強引に前進し、なんとかケガなく降車することができた。その一団の先頭と接触してから僕が駅のプラットホームに足を着けるまでに20秒はかかったかな。

集団で何か事を成し遂げるのは良い面もあるが、このように単独行動のときよりも気が大きくなって、つまり偉い気分になってしまう、みんなでやれば怖くない、という雰囲気にもなってそれに流される、自分の本意ではない行動も集団になることによって平気でできてしまう場合はどうしてもあり、どちらかと言うと悪い面のほうが多いと思う。
僕は拙著のあとがきには、「個人が団体の行動を気遣う状況に陥るのは腹立たしい」と書いているが、逆に言うとふつうは、児童の遠足を引率する先生のように団体が周りのほかの個人の行動に気遣うべき、という発想には異論はないだろうと信じているのだが、この考え方は間違っているのだろうか?

近年は、というか元々はひとり旅を志向している僕ではあるが、これでも一応はボーイスカウト活動で11年、ワンダーフォーゲル部で高校・大学合わせて8年、団体行動も経験しているために、普段の生活も旅も限らず公共交通を利用するさいの個人での動き方も団体での動き方も心得ているつもりなのだが、その経験から鑑みてもその一団の、(人数はこのさい置いておいて)降客にかまわずにわらわらと乗車してくる行為というのは、どう考えても間違っている行為である。その中高年の一団の息子ほどの歳であろう若僧の僕でもそんなことを普段から考えて行動しているのだが、その手本となるべきその年代の方々がそういうことを平気で行なっているのはいかがなものか。集団心理だから、そして一般的には「旅の恥はかき捨て」とよく言われるように、旅の空だから成せる業なのか。業という大層なものではないか、愚行だな。

ちなみに、その一団と相対したときにチラッと見た名札をなんとか降車してから再び見ると、旅行会社名を包み隠さず挙げるとクラブツーリズムのものだった。僕個人的にはこの会社、2005年9月に北海道の利尻島・礼文島に行ったときにもその移動のためのフェリーの船内でどんちゃん騒ぎに近い騒ぎ方をしていたことに辟易したために元々あまり良い印象は持っていないのだが、またもやここで交錯するとは運が悪いなあ、とさらに凹んだ。なんでふつうに旅しているだけで岩手県でも個人客である僕のほうが落ち込まなきゃならんのだ、腹立たしい。

まあこれはクラブツーリズムに限らず、JTBでも日本旅行でも近畿日本ツーリストでもどこでもそうだと思うのだが、団体になるとやはりそれ独特の(悪い意味での)ヘンな力はどうしても発生すると思う。薄利多売のそういった格安の「旅行」が大好き、と需要がありすぎるのもいかがなものか、とひとりや小人数でしっぽりと行く「旅」を好む僕としては、ケッ、と毒づきながら、またもやこの一件でさらに辟易したのであった。クルマを使わない「旅行」であっても、このような団体になると起こる、個人が被害に遭う(被害妄想ではない)細かい問題もあるんだよな、最近の旅行業界というのは。

この団体客の傍若無人ぶりが日本国内だけならまだしも、最近は諸外国でも頻繁に起こっているというのがまた問題なんだよなあ。どう考えても、過剰な団体で行動する、「旅行」するというのは、いろんな意味で多方面にやさしくない行為だと思う。21世紀の「旅」には、自分にも周りにも、やさしさが必要不可欠なのだ。

亘つながり、名前の呼ばれ方

2007-08-30 12:00:22 | 出版・言葉・校正
29日、プロレスラーの坂田亘とタレントの小池栄子が婚姻届を提出した、という話題が大きく報じられたが、本ブログ2006年7月9日の投稿にもある、横浜で観た「ハッスル18」でやや遠めからではあるが坂田を生で観た、しかも彼と名前が漢字も読み方も同じという僕としては、他人事ながらちょっぴり嬉しく思ったりする。30日午前の記者会見でふたりが並んだ様子を見るとなかなかお似合いではないか。

小池がテレビ番組に出演している様子を観ると、本来の男勝りのちゃきちゃきした部分を出しながらも最近はしおらしい雰囲気もいくらか出ているように感じ(料理ができるようになったとか)、ああ坂田とはうまく行っているんだな、ということはなんとなく感じてはいた。最近は芸能関係では暗い話題が多かったから(朝青龍問題も芸能ネタ?)、良かったね。

小池が報道関係各位に流した結婚報告のFAXでは坂田を「兄のような気楽さと父のような頼もしさ」を兼ね備えている、と表現しているが、うーむ、翻って僕は果たしてこの先こんなようなことを想ってもらえる異性に巡り会えるのだろうか、などとふと妄想したりもする。
そんななか、小池が会見で坂田のことを「亘さん」と呼んでいるのを聞くと、どきっとする。異性から受けるこの感覚は酒井美紀(※)以来だな。僕は最近はこのように名前で呼ばれることはめったになく、ふつうに名字の「藤本」か、もっとくだけた感じでは「ふじもっちゃん」とか「ふじもっちー」とか呼ばれたりはするが、小池のように名前のほうまで踏み込まれることは10年以上の長い付き合いのある人くらいなので、仮にいきなり面と向かって「亘さん」と呼ばれたりするとちょっと恥ずかしいかも。果たしてこの先、僕のことを名前で呼んでくれるような異性にも巡り会えるのだろうか。坂田・小池夫妻関連の報道を受けてそんなことを思った。


※補足
知っている人は知っていると思うが、1990年代のテレビドラマ『白線流し』で、酒井美紀演じる七倉園子が、想いを寄せている長瀬智也(TOKIO)演じる大河内渉(おおこうち・わたる)のことを劇中で度々「渉さん!」と呼んでいて、名前の漢字は違えども読み方は同じなので、その名前を呼ばれる場面を観るたびにどきどきして、恥ずかしいのと同時に嬉しかったりした。このおかげで演者としての酒井美紀の印象は僕的にはずっと良いままなのよね。私生活でも良い恋愛をしておくれよ、といつも気にかけている。

「富士吉田火祭りロードレース」に出走してきた

2007-08-26 23:00:35 | スポーツ
今日、山梨県富士吉田市で開催された、正確には「第27回山日YBS富士吉田火祭りロードレース」に出走し、“走り屋デビュー”してきた。距離は20km、10km、5kmと設定されていたうちの10kmの部。

なんでいきなりロードレースかというと、僕としてはいきなりではなく、数年前から健康維持や「人力」の旅の今後の可能性を模索するなかで長距離走にも当然興味はあり、大小いくつかのマラソン・ロードレース大会を観に行ったり、いろいろな大会の情報を調べてはいた。最近は走り系月刊誌『ランナーズ』を毎月熱心に読むようにもなった。
でも実際に申し込むきっかけがなく、これじゃあいかんよな、とずっと棚上げしていたところに今年に入ってから、本ブログでも度々触れている野宿仲間が最近のマラソンやロードレース大会にも力を入れていて(特にフルマラソンとかウルトラマラソンとかいうとんでもないやつに)、その影響も受けて今回、僕もとりあえずは何か目標を持って取り組んだほうがいいよな、ということで今回初めて大きな大会に紛れ込むことにした。で、レースは近場の開催であればどこでもよかったが、6月下旬に観に行った千葉県富里市のスイカロードレースで今回の大会の案内が配られていて、このコースの一部は冬富士登山の帰りに数回歩いたことがあって土地勘がある、参加賞としてTシャツがもらえる、富士吉田名物のうどんが無料で食べられる、の3点が参加の決め手となった。

昨夜に家を出て、JR大月駅で駅寝して(大月駅では富士山に行くときなどにいつも寝慣れている定位置がある。場所は秘密)、今朝に富士急行の始発で富士吉田駅に行き、そこから無料の送迎マイクロバスに乗って会場の富士北麓公園には10時10分のスタート約2時間前に着いた。
8時45分からの開会式も見届け、準備はスタート1時間前から始めた。ただ、今月は東北に行ったりしていたために練習する時間があまりなく、まともな練習も7月に一度だけ10kmを試走したくらいで、スタート地点に立つまでは、その東北旅で靴下の選択を誤って靴ずれによるマメが両足に計6か所できて完治していないし、さらに今日は気温28度くらいと暑かったし、コース中の標高差も100mあったし、と不安だらけだった。
富士吉田は標高が700~800mと高めなので僕の地元などよりはひんやりしているが、晴れると直射日光は厳しく、帽子が必須であった。参加者の過半数は帽子を被っていたかな。

でも、今年の火祭りロードは全体で約4300人の参加があるなかで実際に走り出すと意外と調子は良く、コース前半のほとんどは未舗装路の登りだったのだが、足が止まることも歩くこともなくなんとか走行で乗りきった。走りながらなんでだろう? と考えると、最近の野宿仲間との登山などのいろいろな催しでやや無茶に身体を動かしているからなのかもしれない、ということを振り返る余裕もあった。

それから、今までマラソンを観ていて個々の選手が集団になって走るのを不思議に思っていたのだが、ひとり旅よりは誰かのあとにピタッとくっついて行くと風徐けの効果もあるけどそれとともに他者と自分のペースを比較しながら確認できて随分走りやすいのね、ということにも気付き、今回初めて集団走行を体験してまさに目からウロコであった。今後はマラソンの見方が変わるかも。

5kmを過ぎると今度は下り一辺倒になり、中の茶屋あたりからは見慣れた、ややひび割れの激しい曲がりくねった細い舗装路ののちに2車線の広い道路になる。でもこのへんは交通規制はしておらず、ふつうにクルマや大型観光バスがランナーに一応気遣いながらも往来し、これでいいのか? と思いながらも調子に乗って下り続けた。
下りではなぜか背筋が痛くなったが呼吸や故障の多い膝・足首は問題なく、体重85kg前後の肥満体にしてはなかなかイケてるんじゃないの? と少々うぬぼれていたら、やや平坦になった8km地点からはそれまでのツケがまわってきて見事にへばり、ゴールまではぐずぐずであった。
そんなとき、沿道からの見知らぬ人からの声援には助かった。知り合い以外の人でも声を出してくれると結構頑張れるもんなんだね、とひとつ勉強になった。僕も今後は大会を見物するときは何か言ってみよう。

そしてゴールして、1時間後に貼り出された結果を見ると、1時間11分19秒であった。予想よりは良い結果で僕としては初陣にしては満足だが、走行中にいつものようにデジカメで撮影しまくったこともあって、それをやらなければさらに2分くらいは縮められたかも、とも思った。この撮影しまくり行為は真剣なランナーになりきれていない、“報告者”の悲しい性なのよね。
ちなみに、僕が登録した「10km男子16~35才」の枠では1位の記録は32分19秒であった。凄いね。で、僕は272人中257位だった。記録と順位はまあよい。出走することに意義があるのだ。

午前中に意外とあっさりレースが終わると、あとは水分を3リットル以上摂ったり(今年最高の発汗量であった)、うどんを食べたり、出店を冷やかしたり、道具類の店ではもっと良い靴や靴下を買おうかなと皮算用したりして、14時前まで大会の雰囲気を楽しんだ。ひとりで来ても楽しかったのだから、複数人で参加すればやはりもっと楽しいはずだよな。

富士吉田駅に一旦戻ってから、「道の駅富士吉田」に行き(ここは3か月前にも洞窟探検と富士登山の前に立ち寄っている)、このそばにある富士山レーダードーム館にも行った。実は大会参加のもうひとつの特典として、昨年から気になっていたここの特別招待券がもらえる、というのもあり、普段の入場料600円が浮いたりもした。
ただ、内部は富士山測候所時代の気象観測の様子をきっちり再現してはいるが、やはりお子様向けの展示が多く、今回無料で良かった、という感じであった。僕的に嬉しかったのは、測候所にも勤めていた新田次郎に関する展示で、直木賞受賞作の『強力伝』の初版本、『富士山頂』の直筆原稿、彼が使っていたカメラやピッケル、のような貴重なものがあった。見所はそれくらいかな。

そのあと、毎年この時期に富士吉田で催される肝心の「火祭り」にも体力的に余裕があれば行こうかとも思ったが、走ったあとによく出る股関節の痛みがひどく、見物は見送った。今年の夏祭り見物は先の青森ねぶただけで腹一杯でもあるし。
火祭りも数年前から気になっていたので、来年以降のまたの機会にじっくり観に行くことにしよう。
なんせ、階段の登り降りに通常の3倍くらいの時間がかかるくらいに下半身全体が痛いから(筋肉痛とはちょっと違う)。これを改善しないと、今後のより大きな目標(もっと長距離)に立ち向かって行けないので、善処したい。

そんなこんなで、元来の徒歩ダーからより運動強度のある“走り屋”にまで手を染めての初陣は結構楽しめた。「人力」の可能性を突き詰めるうえでの次の目標はどこの大会に定めようかな。すでにその候補はいくつか挙げてある。



富士北麓公園の会場。朝方にまだ雲が上がってきていなければこんな感じで南方に富士山の山頂部が見える。実はこの公園は高校時代に一度だけ星空を観に来たことがあり、14年ぶりの再訪だったりした。



最近のマラソン・ロードレースではすっかりお馴染みの記録計測用のRCチップ(黒色)を装着するのも今回が初めてであった。
ちなみにこの汚い靴は、2年前からアルバイトなどで普段使いしている靴で、靴底もかなり磨り減っている。やはりマジメに走るには走り専用の靴を用意するべきなのだろうが、経済的に依然厳しいしなあ。一応、買い替える場合の候補もいくつか決めてある(もちろん国内メーカーのアシックスかミズノのやつ)。そうなると走り用の1足1000円以上する靴下も欲しくなる。



筋肉疲労に効くサロメチールのお試しコーナーもあった。これ、運動後だけでなく運動前に塗っても良いらしく、僕も走る前にふくらはぎが張り気味だったので試してみたら、たしかに効果てきめんであった。



開会式のあとにはこのような準備体操もあり、参加されるみなさんは結構マジメに取り組んでいた。



最初にスタートする20kmコースのスタート3秒前くらい。中央にいるのは今回のゲストランナーの谷川真理。このスタート間際の緊張感を観るのも好き。



10、20kmコース序盤の未舗装路。全体で約3kmはあったか。小石や砂利や土の凹みが多くて足運びに少々神経を使うが、森林のなかを走るために陽射しもやわらいで意外と気持ち良い。まあそれでもここは登りだったので発汗量は尋常ではなかったが。
それにしても、先頭集団はこんなところがあってもものともせずに疾走して、10kmでは32分台、20kmでは1時間6分台とかいう記録を出すのね。凄いね。



10kmコースの5km手前の折り返し地点付近。やはり舗装路のほうが飛ばせるので、ここいらへんではみんな速い。複数人で参加している人たちはこのすれ違いざまに仲間内で声を掛け合ったりしている様子も微笑ましい。



7km地点前後の長い下り。このように交通規制がないのでクルマが多い。それに気を取られると道路脇の側溝に落ちそうにもなるため、うーむ、と困惑した。このあたりも1時間だけでもいいから規制できないもんかね。
あと、給水所3か所はまあよいのだが、距離表示は僕の記憶では5、7、8km地点にしかなかったように思う。千葉県富里市のスイカロードレースの1kmごとの表示まで細かくはなくても、特にコース前半のほうでもっとあってもよいのではないかとも思った。



ゴール後、20kmコースの参加者もそこそこ帰還する正午頃にはこのように陸上競技場の外に並んでいた出店周辺は1日のうちで最も活気づく。写真右側のテントがうどんコーナー。この時間になるとどうしても腹が減るので、ついつい出店に吸い寄せられてしまう。



で、肝心のうどん。参加者には受付時にもらうパンフレットに引換券が1枚入っていて、それと交換すれば1杯だけ無料で食べられる。1杯200円で販売もしていた。今度、富士吉田市内に30店だか40店だかあるらしいうどん店を歩いて巡る、「食べ歩きうどん」もやりたいなあ。それと、今後の小麦の輸入・販売価格上昇の影響も気になる。

拙著『沖縄人力紀行』導入の図書館がまた増えましたよー

2007-08-23 20:45:46 | 拙著の情報
最近、拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の全国の図書館へのお知らせを改めて地道に行なっている最中なのだが、そんななか先日、新たに拙著を導入していただけた図書館が1館増えた。これで28館目。


大阪府

・枚方市立中央図書館


大阪府はまた書店営業に、今年1月に重点的に巡ったJR環状線以外の地域にも行きたいなあとも思っているのだが、経済的に微妙ですな。せめて図書館に広まれば幸い、と思ってお知らせを続けていて、ホントにありがたいことです。
そのとき、国内自転車メーカー最大手のシマノの本拠地である自転車の街・堺市にも営業で数年ぶりに行ってみたのだが、自転車に乗っている人は(やはりほとんどがママチャリだけど)以前よりも確実に増えていたような気がする。もっと自転車的な街になればいいな、と願わずにはいられない。もちろん枚方市も同様。

あと大阪府内の図書館では、まずはこの堺市と、女ひとりのアフリカ縦断自転車旅話をまとめた『マンゴーと丸坊主』(幻冬舎刊)の著者で、先月の地平線会議の報告者で、今月上旬には僕と入れ違いの日程で青森ねぶたでハネト参加もしていた山崎美緒氏の地元である池田市に特に期待している。どうですか、司書の方。損はさせない内容ですよ。

引き続き全国の図書館業務に携わっているみなさん、よろしくお願いいたします。


以下に、これまでに拙著が導入済みの図書館を挙げておくので、こちらも参考に。

福島県

・矢祭もったいない図書館(矢祭町)

栃木県

・上三川町立図書館

埼玉県

・越谷市立図書館南部図書室
・大利根町童謡のふる里図書館ノイエ

東京都

・豊島区立中央図書館
・杉並区立下井草図書館
・西東京市ひばりが丘図書館
・調布市立中央図書館
・国立市立くにたち中央図書館

千葉県

・浦安市立中央図書館

神奈川県

・厚木市立中央図書館

愛知県

・豊川市中央図書館
・半田市立図書館
・豊田市中央図書館

三重県

・大台町立図書館

大阪府

・大阪市立大正図書館
・枚方市立中央図書館

広島県

・広島市佐伯区図書館
・福山市民図書館

大分県

・佐伯市立佐伯図書館

沖縄県

・沖縄県立図書館本館(那覇市)
・沖縄県立図書館宮古分館(宮古島市)
・沖縄県立図書館八重山分館(石垣市)
・那覇市立図書館
・浦添市立図書館
・西原町立図書館
・琉球大学附属図書館(西原町)
・沖縄国際大学図書館(宜野湾市)

青森市「ねぶた」の写真集

2007-08-21 21:00:00 | その他趣味
今月前半に観に行った、青森市の「ねぶた」の写真を以下に20点挙げておく。もちろん、五所川原・弘前の各5点のほうもそうだが、各種媒体の報道では拾えない細かい部分について触れている。
今回、五所川原・弘前・青森と巡ってデジカメの撮影枚数は最近整理し終わった段階でも4日間で約1200枚になり、2004年春に観に行った長野県・御柱祭のときの12日間で約900枚を超え、それだけ“観る阿呆”のほうもしぜんと気合が入ったことの表れか。

●2007年8月6日(月)、7日(火)、青森市・ねぶた


写真1。6日、これが噂? の“ねぶたブートキャンプ”。正確には、青森市が8月1日~8日のねぶた開催期間中のみ臨時で無料で提供しているキャンプ場。ねぶた専用のウェブサイトでも告知している。函館航路があるフェリーターミナルに近いここが数年前から設置された経緯も聴いたが、現在はここを拠点にねぶたを見物もしくはハネトとして参加する旅人と、青森県外からの見物客やハネト参加者をより多く取り込みたい場所を提供する市の思惑が一致している。
無料といっても10年以上通っている古株キャンパーを中心に秩序は保たれている。仮設トイレが7基、水場は蛇口が6個あり、ゴミ捨て場もある(もちろん要分別)。さらに、ここから徒歩1分ほどのところにアルコール類も充実しているスーパーがあるし、距離は2kmほど離れるが入浴施設が周辺に3、4か所あり、ここが無料でいいのか? というくらい便利で快適で、僕はここに3泊した。
広さは、正確には数えなかったがテントは頑張れば200張以上は張れるか。ハネトとして過去数回ここを訪れている人によると、今年は例年よりも少なかったらしい。自立したひとり旅を実践している旅人が特に多く集まるため、1~2人用のテントが多かった。建物の雨がしのげる場所を見つけて野宿している人も数人いた(そのうちの2人は僕の野宿仲間だが)。
ここで泊まる人はたぶん約9割がハネトとして参加するために来た人たちだが、運行の3時間ほど前(通常の19時開始であれば16時すぎ)から正装に着替え始める。



写真2。青森県には過去5回訪れていて先入観のある僕のこれまでのハネトの衣装の印象としては、浴衣を着て肩にタスキをかけて足袋と草履を履くまではわかるのだが、頭には花笠を被って全身に鈴を付ける、というのは今回野宿仲間が着替えている様子を観察して初めて認識した。で、花笠がきれいだったのでそのアップを撮らせてもらった。モデルは、最近は野宿や登山で毎月会っている野宿仲間の姉さん(いろんな意味で強力なバックパッカー。ねぶたは今回初参加)。完全装備を誰かに撮らせてもらえばよかったかな。
ハネトの衣装を実際に全体的に見ると、浴衣はもちろん着るのだが(衣装はセットで3500~3900円など、市内あちこちで販売している。浴衣の柄に当たり外れもあるらしい)、頭は花笠を被っているのは全体の約6割で、何も被らなかったり、つば付きや麦わらの帽子を被ったり、手ぬぐいを巻いたりしている人もいる。足ごしらえは足袋に草履の正統派の人もいれば、運動靴だったり、最近流行りのゴム製のサンダルを履いている人もいる。



写真3。青森市内のマンホールもねぶた仕様。これを見ると、ハネトはたしかに花笠を被っているし、手にはうちわを持っている。まあこれは跳ねていると暑くなるから扇ぐために持つのだろうけど。



写真4。ハネト参加者がキャンプ場で着替えが終わると、19時の運行開始の約2時間前(17時頃)に集合して、みんなで約3km離れた会場に移動する。これは自転車組。全日程の参加は無理でも週末のみ跳ねに来る人もいるため、多いときは40台ほどのチャリダー(自転車で旅する人)が一斉にキャンプ場から出陣する。ここに滞在する場合は乗り物があるほうが便利か、と今回はザックひとつで訪れて会場との往復約6kmの道のりを徒歩移動した徒歩ダー(徒歩で旅する人)の僕としては教訓を得た。



写真5。実は自転車よりも二輪車のほうが圧倒的に多く、正確な数はわからないが毎日200台前後の二輪の旅人もキャンプ場からまとまって移動する。自転車や二輪車のような移動手段を持っていない人のなかで慣れた人は、便乗させてもらうためにあらかじめヘルメットを用意する人もいる。
キャンプ場からの移動はまず自転車が出て、そのあとに二輪車が追い付く、という感じで、そうなるとJR青森駅に近い青森ベイブリッジあたりで両者がエール交歓する様子も見られるそうだ。その参考に、函館在住で旅人のあいだでは有名な年配の旅人の“も~さん”と、今回は4~5日の週末のみ跳ねに来た、アフリカ縦断自転車旅話をまとめた『マンゴーと丸坊主』(幻冬舎刊)の著者の山崎美緒氏のウェブサイト・ブログがあるのでぜひ。前者は8月5日、後者は8月11日の記述。



写真6。沿道からハネトが「ラッセーラー!」と唱えて祭りを盛り上げ、太鼓を叩いて囃子が笛を演奏しながら練り歩き、主役であるねぶたが前進する様子を間近に観る。僕は全部で22台運行するうちの15台を観たが、それぞれ立体感の出し方や色の付け方に趣向が凝らしてある。内部は蛍光灯や電球をそれぞれ数十個使って発電機を動かして照らしているが、この光量の多少や和紙の透け具合も魅せ方の点で重要らしい。
開催日の前半でそれぞれのねぶたを審査していて(採点基準や各賞の詳細はウェブサイトに明示してある)、これはそのなかの大賞つまり第1位だった、青森山田学園のもの。中学・高校ともに野球・サッカーなどのスポーツは全国レベルで、今春まで卓球の福原愛も在籍していた学校やね。ここは昨年に続いて2年連続受賞。



写真7。ねぶたは五所川原と同様に周回コースなので、その内側に入って、いろいろな場所に移動してねぶたも、ハネトも、見物客の様子も観た。運行開始前に一度外側に出ると運行中は道路を横断できなくなって内側に入れなくなるため、自由に移動しながら観るにはあらかじめ内側に入るほうが有利、という見物のコツは五所川原で体得した。1か所でじっくり観るのもよいが、祭り全体の“表事情”を見極めたい僕としては移動しながら観るほうが性に合っている。
で、これはコース南側の道路から鉄パイプ組みで1mほど底上げした有料観覧席。ふつうに座って拍手したりしてノッている見物客もいるが、このように立って踊ってノリノリの人もいる。“踊る阿呆”のハネトのほうも、いかにこの“観る阿呆”の見物客を巻き込んでより盛り上げるか、という駆け引きも繰り広げられるという“裏事情”もあとで聴いた。



写真8。各種媒体でもハネトが跳ねている様子はよく見られるが、実際には道路のあちこちで自由に跳ねるのは人数が多いと難しく、このように外側にロープを張ってハネトがあまりばらけないように少し規制している。というか、これをやる真の目的は別のところにあるようだが。



写真9。そのロープを張る目的のおそらく最大の理由と思われるのが、“カラス”の存在。ねぶたの白色っぽい浴衣とは真逆の黒色っぽい別の衣装で(黒色だからカラス?)、使用が禁止されているラッパや笛のような鳴り物を使用しながらハネトの列に隙を見つけては割り込んでくる。数人が手をつないで集団でワーッと一気になだれ込んだりもして、一見の見物客には通常のハネトと区別がつきにくそうだが、五所川原にもいたから僕は初見でもわかった。
で、ロープの内側にカラスが入ってこないように数mおきに見張り役がいて、カラスの侵入を手で払いのけたりという闘いも度々目撃した。ロープ内部ではハネトが侵入してきたカラスに対して全身で外に押し出したり蹴りを入れたり、という格闘もあったとか。ある場所では目に余る状況になるとこのように監視していた警察官が割って入ることもある。でも数年前には機動隊が出動したというひどい年もあったそうだから(それはなんとなくニュースで見た記憶がある)、今年はまだやさしいほうか。
僕が歩道を通って運行を追跡中にも、割り込む隙を探している若い女子のカラスと接触した。なかには上半身はビキニ1枚という露出度の高い格好の娘もいた。そんなに反抗的にならずにふつうにハネトとして参加すればいいのになあ、こういう若気の至りも「伝統」だ、とか言っちゃっているのかなあ。それに、顔も女子プロレスラーのヒール役のようなメイクにせずにナチュラルメイクにすれば青森出身の新山千春並みのべっぴんさんなのにもったいない、というなかなかの容姿の娘も見かけた。



写真10。JR青森駅に最も近い交差点は最も混雑し、通行しにくい。だが、大混雑はこの周辺くらいで、数百m移動すれば場所取りされた席の後方からではあるがそこそこ落ち着いて観賞できる。これまでに僕がねぶたを敬遠していたのは、このくらいの混雑度が全体的に毎日続くのか、という悪い先入観があったからなのだが、場所によっては意外とよく観られることが今回わかり、ねぶたに対する不安感はいくらか払拭された。



写真11。ここから7日。“ねぶたブートキャンプ”では毎夜2時間の運行が終わってハネトたちがキャンプ場に帰還すると、着替えてから入浴や買い物に行ったのちに、日付が変わる頃から方々でこのキャンプ場で出会ったハネト仲間が集まって宴会が繰り広げられる。僕は地平線会議でよくお世話になっている、実はハネト歴3年の世界的冒険サイクリスト・安東浩正さんが毎夜10人前後で鍋を囲んでいると聞き、いつもの野宿仲間も数人いるこの集まりにお邪魔した。基本的には前述の“も~さん”の拠点に安東さんたちが加わったカタチで、チャリダーが多い集まりだった。
で、鍋の具材は毎日変わるのだがこの日は写真2の姉さんが買ってきた八戸名物のせんべい汁用のせんべいを、彼女の性格同様に豪快に、怪しいにわか津軽弁を喋りながら投入して“せんべい鍋”になった。塩やごまなどのいくらかの味がある南部せんべいとは違って鍋用のせんべいは無味なので、えらい固い麩とかぶ厚いワンタンとかいう辛い感想が続出し、全体的にはやや不評だった。結局残り、捨てるのはもったいないし朝まで残っていても誰も食べないよなと思ったので、残飯処理班の僕がぐずぐずになった鍋の残りを明け方までに腹にすべて片付けることになった。欲を言えば、野菜の甘味がもっと欲しかったな。



写真12。2~6日は夜の運行だが、7日のみ昼すぎの運行で、実質は祭りの盛り上がりは6日までで、この日は例年はねぶたの各賞が決まったあとの消化試合の感があり、見物客も実際少なかった。でも見物客としては観やすいし写真も撮りやすいので、この日もきっちり見届けた。で、ねぶたの前を練り歩く太鼓と囃子を改めてしっかり観た。これまでで最も近い距離で演奏を聴くとさすがにしびれる。



写真13。これは運行先頭の様子。巨大な太鼓を叩き、その前にはウェブサイトの写真ではちらっと見ていた今年の「ミスねぶた」もいた。運行開始直前は「目線くださ~い」という感じの撮影会みたいになっていたな。



写真14。ねぶたは下部でこのように10人前後で押して歩く(後方からも同じくらいの人数をかけて押している)。交差点のような広くて目立つ場所で時折360度回転させることもあるが、それも(当たり前だが)完全に人力で行なっていることを改めて見ると、うーむ、これはホントに人数をかけないと大変だなあ。観客の声援による盛り上がりも推進力となるか。



写真15。この日は13時の運行開始で、13時30分頃から5日の弘前同様に集中豪雨に捕まる。そんななか、運行は何も変わりなく続いていた。
開催期間前半は雨天ではねぶたの保護のために巨大なビニールをかけて運行して、太鼓にも工事用の青シートをかけて保護して叩いているが(5日の弘前ではそうしていた)、この日は最終日で最後だからもう濡れてもいいや、と開き直っていてそのまま続行していた。ハネトのほうも降られたことで逆に開き直ってテンションが上がり、前夜よりも“踊る阿呆”度が上昇していた。



写真16。写真8で、夜の運行ではハネトをロープで規制していたが、最終日はロープが外されて自由に跳ねることができる。まあこれは最後だからということもあるし、カラスも昼間では興醒めして来ない、ということもあるか。
列の後方でこのように昨夜以上にかなり自由に跳ねている様子をよく見かけた。跳ね方は基本的に左足を2歩、右足を2歩、を交互に出していく、という感じだが、それにこだわらずにいろいろな跳ね方があった。特に何年も跳ねに来ているベテランの足捌きは見事。ちなみに、野宿仲間はこの7日の運行では7人跳ねていた。



写真17。青森県庁前。大規模なマラソン大会以外の祭りで1桁国道(4号と7号)を数時間規制し続けるのは意外と珍しいことかも。この青森県の玄関口でもハネトの勢いは衰えずに跳ねる様子には感動した。ハネトは頭の中身がからっぽになってしまったかというくらいに無心に跳ねる様子もそうだが、運行コースとその周辺、それに沿道の地元住民と見物客、とお膳立てが整って愛され続けていて、すでにこの街の「文化」となっているという点で。



写真18。“ねぶたブートキャンプ”滞在のハネトの大半は「青森県板金工業組合」のねぶたに付いて跳ねていた。今年で運行40周年のここに古株キャンパーたちが以前からお世話になっているとか。前夜もいくつか運行を観たなかでも、客観的に見てもここのハネトが最も盛り上がっていた。その活躍のおかげか、今年は「市長賞」という、22台中実質第3位の賞を受賞した。
ちなみにこれは「呉軍の先鋒・鈴の甘寧」で、この三国志モノのほかにも、日本武尊、平家物語、石川五右衛門、チンギス・ハーン、水滸伝などなど、各国の物語や史実や歌舞伎の演目などを立体的に表現している。



写真19。この日の運行コース最後のほうに、奥側に病院があるところ。病院の窓から運行を覗いている入院患者もちらほら。実はここは特等席かもしれない。暗くなりがちな入院生活を続ける人々を元気付ける意味でハネトもより盛り上がった。



写真20。この日の運行後に上位入賞した数台は「海上運行」に出て、海上からねぶたを観る、という行事もある。この夜は花火大会も催され、19~21時までの開催のうち19時台はこの海上運行と花火が上がるのを同時に楽しめる。ただ、この特等席である青森港の埠頭は有料観覧席になっていて、3500円や4000円という高価な価格設定になっていた。

五所川原市「立佞武多」と弘前市「ねぷた」の写真集

2007-08-20 21:00:00 | その他趣味
今月前半に観に行った、青森県五所川原市の「立佞武多(たちねぷた) 」と弘前市の「ねぷた」の写真をそれぞれ5点ずつ挙げておく。


●2007年8月4日(土)、五所川原市・立佞武多


写真1。JR五所川原駅から最も近い、立佞武多の運行コースの交差点付近。19時の運行開始1時間前ともなるとこのように歩道には多くの見物客が陣取っていて、人がすれ違うのもやっとの歩道を通るのに少々難儀する。歩道の半分以上が見物席として埋めつくされる。建物側には十数mおきに出店も点在しているし、見物場所ではパイプ椅子を設置しているところもあって場所をかなり取っているし。
一部の見物席ではすでに缶ビールをプシュッと開けて宴会が始まっていたりもした。



写真2。写真1の交差点の別位置。19時に始まってすぐの囃子隊。僕のような立ち見客もだんだん増えてくる。囃子もカセットテープではなく生で聴くと味わい深くて良い。



写真3。で、最初の立佞武多が登場すると「オォー、すげー」とそこかしこから歓声が上がる。これは駅前に格納されていたものだが、たしかにこのとき初めて観た僕も周辺の建物よりもはるかに高いこれを観て、思わず「でけー」と声に出た。



写真4。少し移動して、やや高いビルの隙間から立佞武多を見るとこんな感じ。やはりこの大きさはどこでも際立ち、幼い頃に何かのロボットアニメでこんな光景を見た記憶があるなあ、となぜか童心に返ることができたりもした。
このあと、周回運行コース南側の見物客が少ないところを狙って移動を繰り返し、10台ほど観賞した。



写真5。で、実は今回僕が立佞武多をぜひ観たい! という決め手になった、左手前が今回の目玉? のガンダム(RX-78-2)の立佞武多。ほかの立佞武多に比べると数m低くて小さいが、それでもこうして立体的なものが動いている様子を見るとちょっと感動する。4~8日の開催期間中にこれを観て、「ガンダム、行きまーす!」とガンダムのパイロットであるアムロ・レイ調で心のなかで叫んだ20~30代男子は少なくとも3000人以上はいたであろう、と見た。僕もそのひとり。
僕個人的な希望としては、あと、ガンタンクやシャア専用ズゴックのも観てみたい(基本的にずんぐりむっくり体型のモビルスーツが好き)。まあより派手さを求めるのであれば、Zガンダムの百式が最適なのだろうが、あまりに金ピカすぎると目が眩みそうだな。


●2007年8月5日(日)、弘前市・ねぷた


写真6。翌日、一旦青森に出て荷物を置いてから日帰りで弘前に向かった。
それで運行6、7時間前の昼頃にJR弘前駅前の運行コースを歩いてみるとすでにこのように行く先々でシート類やガムテープを使って場所取りがされていた。名字や何かの団体名もご丁寧にガムテープで表記されていた。ちなみに、ねぷたの運行コースは1~4日、5~6日、7日と3回替わるので(それぞれ一方通行)、ほぼ毎日別の場所でこのような静かな闘い? が繰り広げられるようだ。
観る位置が少し高めに設置されている有料観覧席もあるが、これらの場所取りはもちろん無料で観たいほう。このような取り方はご遠慮ください、というたぶん弘前市による貼り紙もあちこちにあったが、そんなことにかまわずにクルマで来てベタベタ貼りまくる、という光景を数回見かけた。



写真7。19時すぎに運行が始まってから1時間は、ねぷたが待機している幹線道路から運行コースに出てくる出発地点である交差点で観賞していた。ここは弘前駅前ほどは見物客は少なく、扇形のねぷたをじっくり観ることができた。
なかには、このように7月中旬の新潟県沖地震のその後を心配し、復興を期待する山車? もあった。地域を問わず祭りを催すというのは、地元住民の伝統継承のほかにも(やや乱暴に言うと)自己満足のため、という面もあると思うが、そんなこと言っている場合ではない地域もたしかにあるわけで、こういうふうにほかの地域も気にかけている、という表現があると安心する。



写真8。僕が観に行った5日は、19時30分頃から30分ほど集中豪雨になり、練り歩くほうも観るほうも、傘も役に立たないくらいにずぶ濡れになった。そんななか、練り歩くほうはいろいろな演目を予定どおり? にきっちり演じていた。年に1度のこの晴れ舞台(今年は“雨舞台”?)のために鍛錬を重ねてきたのだろうから、そりゃあ雨が降ろうがどうなろうが気合は入るよな。
大半の見物客は雨がしのげる建物に逃げていたが、ねぷた以外のこれらもきっちり観たい僕としては怯まずに間近で見物し続けた。おかげでパンツまで濡れたけど。



写真9。JR弘前駅前。20時をすぎると雨が弱まった。で、写真1のように陣取っていた見物客が降雨によって方々に避難していなくなったおかげで、逆に沿道を移動しながら見物する僕としては人垣が減ったぶん見物しやすくなったので、結果的には良かったのかもしれない。でも駅前から後半のコースはそれでもさすがに人出は依然多かったが。特に目立つこのへんで、ねぷたの扇形をくるくる回転させたりして見物客を魅了していた。



写真10。地元民がはっぴや浴衣を着て練り歩いている様子を観ると、子どもたちが多く参加していることがわかる。ねぷたは青森ねぶたのように他所者を受け入れるということはせずにパレードのように起点から終点まで滞りなく練り歩く感じなので、女性や子どもも比較的参加しやすいようだ。そのため、ねぶたのように他所者が参加できないのはつまらない、閉塞的だ、と言うねぶた命のハネト(津軽弁で言うところの“ねぶたバガ”)もたしかにいるけど。
でもまあ、祭りは東京都・浅草のサンバカーニバルや高知県のよさこいや沖縄県のエイサーのように対外的に大々的に主張するものもあるが(特に踊る催しで)、それ以前にまずは地元の人たちが楽しむ、ということが前提にあるべきだから、これはこれで祭りのカタチとしては良いのかもしれない。人生いろいろ、祭りもいろいろ。

新宿・模索舎に再び拙著『沖縄人力紀行』が入荷しましたよー   

2007-08-19 23:59:32 | 拙著の情報
本ブログ2006年7月28日の投稿で、東京都新宿区新宿2丁目にあるミニコミ誌や自主流通出版物を扱う書店の模索舎で、拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)を2部置いていただけることを報告した。

ここでは出版物を納品してから丸1年経過した時点で一旦売り上げのあった出版物の精算をする、という決まりがあり、拙著も正確には2006年7月26日から置かせてもらい、1年強経過していた。
で、その決まりからは少し遅れて今日の昼すぎに精算してきた。結果、昨年納品した2部ともに売れていた。とりあえずひと安心。
品揃えの豊富な大型書店もよいが、ここのようなお客さんが始めからある程度の目的意識を持って来店するであろう小規模の書店でも狙いどおりに売れていた、というのはもっと嬉しい。

そして、在庫切れしていた拙著を今日再び2部納品してきた。なので、明日からまた店頭に並ぶと思いますんで、興味のある方、模索舎によく足を運ばれる方、ぜひ手にとってみてください。

また、その少し前に拙著が先月後半の時点で3部在庫してある(大型書店のほうの)ジュンク堂書店新宿店も見に行ったのだが、在庫は1部に減っていた。ということは、2部売れたのかな?
まあこれは他店舗への移動や返品のために一時的に在庫が減ったのかもしれない、という後ろ向きな考えもあるが、ここはまあ前向きに2部売れた、と捉えておこう。

では、再びよろしく。

東北を旅しながらも書店営業も行なっていたんですよ

2007-08-17 20:45:22 | 拙著の情報
3日夜に夜行列車「ムーンライトえちご」に乗車することから始まった東北旅から、16日深夜つまり17日に帰ってきた。家から10日以上離れたのは、2005年9月の北海道は旭山動物園・利尻島・礼文島などを巡った鈍行列車および徒歩の旅以来約2年ぶり。

いやー、それにしてもどこも暑いですなあ。東北でも青森で10日の午後から晴れだし、それ以降はほぼ快晴の青空がよく見られ、秋田・岩手・宮城で会う人ごとに「今日は今年いちばんの暑さだね」というセリフを毎日聞き、最高気温34、35℃は当たり前、そんなのはまだやさしいほう、方々を歩いていても日中は日陰を探しながら歩かないと熱中症にやられるから気を付けないと、という毎日が続いていた。というか現在も続いているのか。

そんななか、連日の暑さによって15日は僕の地元の埼玉県西部の生活導線である東武東上線のレールが暑さでゆがんで3時間不通になったりもしたそうで、さらには16日には熊谷で国内の最高気温記録を74年ぶりに更新する40.9℃を記録するとは、驚き。なんで今年なのかね。
家に帰っても、近所の林の蝉が深夜に強力に鳴いていたりして生活リズムが狂っていて、そうなると僕らが寝る時間にうるさく、そういうものを聞くとやはり日本の最近の気候はどこかおかしいよなあ、とつい思ってしまう。

で、昨日までの東北でのできごとの報告は追々やっていくが、取り急ぎの報告をひとつ。
今回の東北行の最大の目的は、拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の書店営業で(先日の青森市内の“ねぶたブートキャンプ”で僕とお会いしたみなさん、僕はねぶた以外の目的が目白押しだったために、体力温存の意味もあって「ハネト」として跳ねなかったのですよ)、特に普段よくお世話になっているジュンク堂書店の店舗が岩手県盛岡市と宮城県仙台市にもあり、これらには前々からどうしても行きたかったのだ。
あとはそれらの前に青森県弘前市内でも書店を巡り(「ねぷた」の開催期間中に)、みっつの街で計11店の書店で拙著の存在をお知らせすることができた。この結果はやや寂しいかとも思うが(実際にはこの3倍近い数の書店を巡った)、店舗の規模が小さくてやや厳しそうだなあ、というところも結構あり、さすがに人口の比較的多い関東圏の大きな書店のようにはうまくいかず、伺おうかどうしようか判断に迷う店もあった。でもまあ、拙著は発売から1年少々経過しているハンデも考えたうえでの当初の目標に近い結果が出せたので、そこそこ満足している。時間がもっとあれば秋田・山形・福島も行きたかったなあ。

今回もいろいろな書店に伺って拙著を案内した結果、好感触で、おそらく少なくとも2部以上は発注していただけるのではないか、と密かに前向きに期待している書店を以下に挙げておく。

青森県
・宮脇書店弘前店(弘前市)

岩手県
・ジュンク堂書店盛岡店(盛岡市)

宮城県
・ジュンク堂書店仙台店(仙台市)
・ジュンク堂書店仙台ロフト店(仙台市)
・BOOKS金港堂(仙台市)


特に、昨年からジュンク堂書店にはお世話になりっぱなしなので、足を向けて寝られない方角がまた増えたが、これは良いことなのでまあいいか。こうなると、今年1月に伺った兵庫県姫路市よりも西の店舗、例えば広島・福岡・鹿児島などにも行ってみたくなってきたぞ。それに東京・大阪と並ぶ大都市の愛知県名古屋市とその周辺の街もまだ未踏だし。それらの交通費の捻出も困難なくらいに経済的には依然厳しいが、引き続きできるだけ方々を営業していきたいものだ。

とりあえず、以上の東北の5店舗には早ければ、そして運良く? 拙著が書店員さんに認められれば9月の前半には入荷すると思うので、お近くの方はぜひ以上の書店で手にとってみてください。
ほかにも、東北に限らず全国各地の図書館リクエストも引き続きよろしくお願いします。



●本項とは無関係な小耳情報
宮城県・仙台駅を中心とする仙台圏のJR路線では改札でICカード・Suica(スイカ)が利用できることはもうすでに知られているところだが、先日たまたま関東圏で浸透しつつあるPASMO(パスモ)を携行していた僕としては仙台でもつい試したくなったので、埼玉県や東京都と同様にパスモで改札を通ろうとしたら、ダメだった。券売機でのチャージもできなかった。だが、スイカのマスコットキャラクターのペンギンが描かれている飲料の自動販売機では使えて、飲料はふつうに買えた。利用しなかったがたぶん、コンビニエンスストアの「NEWDAYS」でも買い物できるかもしれない。なんで改札はダメなのかね。仙台は関東圏から訪れる人も多いから、パスモも利用できるようになると幾分ラクなんだけどなあ。

きょうのわんこ(「犬」ではなく「そば」のほう) 

2007-08-14 23:11:48 | 自分の旅話(非日常)
先程、岩手県盛岡市内のそば処「東家本店」にて、盛岡名物のわんこそばを初体験してきた。
これは食べるの大好き、の僕としては当然ながら前々から興味はあったがこれまでは経済的な問題などによって体験したことはなく、せっかく盛岡にも6年ぶりに来たんだから、ということで書店で観光ガイドブックを立ち読みして店を探して意を決した。

この店の来客の平均値は、男性が50杯、女性が30杯、ということらしいが、僕の結果は141杯だった。これは平均以上の数字を叩き出せたからまあまあの数字かとも思うが、僕のなかでは150杯はいけるものと思っていたので、そのちょっとした目標は達成できずにやや悔しい結果である。



食後の様子。ひとつの机にひとりずつ向かい合い、注ぎ係のお姉さん!? がひとりでふたりの客を相手する。客が食べるペースが落ちてくると、3~4人を相手することもある。
僕の向かいには、僕と同年代かやや若めのひとりで来た男子が座り、以下にある3100円コースで101杯食べていた。対面するとなぜか、ゲームセンターの対戦ゲームのようにとりあえず目の前にいる人には負けたくないよな、というちょっとした対抗心を燃やしながら食べたりもした。


この店の歴代の記録がわんこそば専用会場となっている店内2階の座敷へ続く階段のところに貼り出されていたが、それを見ると上位10人はみんな300杯以上を記録していて、歴代1、2位の人はなんと500杯以上というとんでもない数字の人もいた(1位は山梨県の男性が1996年に記録した559杯)。上には上がいるものだ。

この店ではわんこそばは2600円と3100円の2種類のコースがあり、前者よりも後者のほうが薬味の種類が多かったり、後者は次々に注がれた椀を積み上げていって食べた達成感をより味わえるようになっている。テレビや写真などでよく見るのはこちらのほうか。
僕はやはり安いほうがよいので前者を選択したが、それでも薬味は海苔と白ごまも含めて8種類あっていろいろな味を楽しめて飽きないようにはしてあった。
またこのコースの場合、店のマッチ棒で食べた椀の数を自分で数えながら食べて、食べ終わった数を自己申告する必要があり、その手間があったために食べることに集中できなかったことが今回予想よりも苦戦した最大の敗因というか理由かもしれない。ここはケチらずに3100円コースにしておけば記録はもっと伸びたかなあ、と少々後悔している。

そうそう、食べに来る人たちはやはりみんな写真を撮りまくっていて、店内でも使いきりカメラを販売していたな。食べた証拠(積み上げた椀)が撮れる、という意味でも3100円コースのほうが結果的には得かもしれない。あと、何杯食べた、という証明書ももらえるようになっていた。

一応、昨日と今日で盛岡名物の三大麺と媒体や地元では呼ばれているわんこそば、冷麺、じゃじゃ麺のすべてを試すことができたが、やはりわんこそばが最も印象的で、満腹でこの先しばらくはそばは見たくも食べたくもない気分。
この飽食? の時代の終戦記念日の前日に何をやっているんだ、というちょっとした罪悪感もあるが、まあ生きている証を満腹感によってひとつ得ることができて、今後も自分の命を粗末にせずに生きていこう、なんてことも食べることによって考えたりもしているから、今日のところは勘弁してほしい。

テレビの大食い番組でもそれと似たような、食べ物を粗末にしすぎている、というような苦情が視聴者からよく寄せられるようだが、僕としては「生きている実感」を人並み以上に得られる、という点ではこの手の番組もアリではないか、と肯定的に見ている。出された食べ物をすべてたいらげずに残したり、好き嫌いが激しいほうがよっぽど食べ物を粗末にしているよな、と思うのだが。
それは今回、一般人も気軽に楽しめるわんこそばを体験してより強く思うようになった。これはこれですでにこの地域のひとつの文化として根付いて、全国的にすでに広く認知されているわけだしね。それは店の佇まいもそうだが、実際にそばを食べる人の脇でそばを間断なく注ぐ店のお姉さん!? たちの「じゃんじゃん」とか「はい、頑張って」というここ特有の合いの手をもらいながら絶え間なく食べ続けていてもホントに思う。

店から徒歩5分ほどの岩手公園で腹が苦しくて身動きが取れずに撃沈し、これでは1日の締めのアルコール類も飲めないなあ、今日はどこで寝るかと寝場所探しも難航するなあ、と困っている。またの機会があれば、今回以上の記録を出して、食後もしゃきしゃき行動できるくらいになりたいものだ。うー、苦しい。

岩手県盛岡市・岩手公園より。


後日の補足。ついでに、以下に冷麺とじゃじゃ麺の写真も挙げておく。


冷麺。店によってつゆの分量が異なるようだが、トッピングはおおむねこんな感じらしい。スイカが入っているのよね。価格は700~900円くらいか。580円でやっているところもあった。たしかに夏向きの麺ではある。これにキムチを入れて辛味を自分で調節しながら食べる。



じゃじゃ麺。うどんときしめんの中間くらいの太さの茹でたての生麺に、味噌やきゅうりの細切りをのせている。大概の店は分量を小・中・大に分けて販売していて、それでも価格は400~600円くらい。


※2007年8月17日の補足
3日前の食後は、そばはしばらく見たくも食べたくもない、と思ったが、最初の数口はホントに旨かったので、時間が経った今となってはわんこそばもまた食べたくなってきたし、今もそばを見てもふつうに食べる気は再び出てきている。日本を代表する食べ物だから、そう簡単に嫌いになることはないか。
次回の“リベンジ”のために、今からいろいろと対策を練ってみようっと。

偶然にも6年おきの青森ICヒッチハイク 

2007-08-12 23:45:38 | 自分の旅話(非日常)
今日は、青森県青森市の東北自動車道・青森ICから秋田県横手市の秋田自動車道・横手ICまでヒッチハイクで移動した。

実は、青森ICでのヒッチハイクは1995年10月と2001年8月にも行なっていて、今回が3回目。しかも偶然にもちょうど6年おきに行なっている。なぜ6年周期でここに来ているかは自分でもよくわからないが、何か見えない力が働いているのかもしれない。ひょっとしたら、ここから徒歩10分ほどのところにある三内丸山遺跡の影響かもしれない。
この近辺の景観は、現在建設中の東北新幹線・新青森駅までの延伸と昨夏に開館した青森県立美術館とともに、この6年でかなり変わってしまったね。今後も新幹線が開通したら……、と12年前からこのへんの景観を知っている身としては良くも悪くもいろいろ想うことはある(写真1)。


写真1

肝心のヒッチハイクのほうだが、1995年は大学の野外実習で(岩手県)二戸や(青森県)八戸周辺を訪れたときに、その終了後に寄り道で函館まで足を延ばして函館山からの夜景を観たり朝市で高めの海鮮丼をがっついたりして帰りの交通費が足りなくなったため、また2001年の八甲田山登山や遠野・六郷・山形などの東北うろつき旅ではこの年はあまり働いておらずに元々手持ちの現金が少なかったため、いずれも仕方なく行なっている。
そして今回も、青森ねぶたなどの見物やそこで出ていた出店で買い食いしすぎたために再び金欠になり、今回も仕方なく、青森ICに三度立った、ということになる。基本的にケチの僕に1週間で1万8000円も出費させるとは、青森ねぶた、再び恐るべし。そう考えると、ねぶたによる経済効果ってかなりあるように思うなあ。

で、今日の動きとしては、ヒッチハイク自体が約2年ぶりだったのだが、8時から始めて37分で、弘前に行く70代くらいのおじさんに黒石ICまで乗せてもらえることになり(歳のわりに運転は上手い)、3回目の青森ICヒッチハイクはあっさり達成された。
僕が埼玉県から来た、と言うと、おじさんは東大宮にきょうだいがいる関係で年に数回はクルマで埼玉県に行く、とのことで、最近なぜか旅先で埼玉つながりの話が多いなあ、と改めて驚く。

続いて黒石ICでは、10日まで雨続きだったがようやく快晴になって山頂までくっきり見えるようになった岩木山を真正面に見ながら1時間ほど立ち(写真2)、僕よりも体積のある兄さんに碇ヶ関ICまで乗せてもらった。


写真2

碇ヶ関ICからは続けて高速道路で南下しようと思ったが1時間立ってもダメで、すぐそばの国道7号に切り替えて20分ほどで、青森から来て実家のある能代に行く僕と同い年の兄ちゃんに乗せてもらった。
能代までずっと7号で行き、途中で秋田名物? の“ババヘラ”アイスをおごってもらったり秋田県の土地・道路事情を教わったりしながら1時間半近く同乗した。この兄ちゃんだけ車種がレガシィだったのを憶えている。

続いて秋田自動車道の能代南ICから秋田市在住の3人家族のクルマに、立ち始めてから16分で乗せてもらい、秋田南ICまで。14時すぎのこの頃が最も暑く、顔と両腕の日焼けがより進んだ。
特に奥さんが僕のような珍しい? 人種に興味があるらしく、移動は、食事は、寝場所は、と僕の旅における生態を根堀り葉堀り訊かれた。
別れ際に大きめの桃を2個もらい、別れてすぐに食べたら、秋田県では今年いちばんの高温らしい気温34度近い暑さに参っていた身体にはとても旨かった(写真3)。


写真3

秋田南ICでは、国道13号と並行しているために交通量はかなり多いし道路の見通しもこれまでで最も良かったが意外と苦戦し、1時間20分ほどかかって横手市在住のお父さんと男児ふたりの組み合わせのクルマで横手ICまで。
子どもをどこかに遊びに連れて行った帰りらしく、ふたりはほぼ眠っていた。
横手ICで日没で終了。

そんなこんなで、当初は岩手県に行くはずだったがなぜか秋田県に来てしまっている。でもまだ手持ちの時間に少し余裕があるからまあいいか。移動距離は先程書店で地図を立ち読みしたら約220kmだった。まあまあかな。
ちなみに、今日は5台乗り継いだが、1日に5台も乗せてもらったのは初めてだった。いつもは3台が良いところか。ヒッチハイクって、やるのに良い場所を探すのにまた時間がかかるからね。
また、5台中3台がヒッチハイカーを拾うのは初めてだった。たしかに、東北地方でやっている人は北海道や四国や九州に比べると少ないかもしれない。でも今日のこの僕の移動によって、ヒッチハイクという行為の認知に一役買えたかもしれない。
複数人で1台のクルマに同乗して国内はもとより世界全体でクルマを走らせる機会を減らしていく、という意味での「カーシェアリング」の考え方がもっと広まるといいなあ、と思いつつ、今後のヒッチハイクによる出会いを楽しみにする。

旅先での人との出会いや触れ合いについては拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)でも本ブログでもほとんど書いていないために、これらを読んでくださった方のなかには僕は極端な人嫌い、という印象が付いているかもしれないが、そういったものも人並みにふつうに楽しんでいるのですよ。他人をあまり話のダシに使いたくない、というだけのこと。
むしろ旅先でもどこでも人と直接会うのは好きですから(先日の“ねぶたブートキャンプ”も面白かったなあ)。

秋田県横手市内より。

青森県の夏の三大祭りを観に行った    

2007-08-08 21:00:33 | 自分の旅話(非日常)

いきなり場所は飛ぶが、4~7日まで、青森県青森市の青森ねぶたなどの夏祭りを観に行った。具体的には、4日に五所川原市の「立佞武多(たちねぷた)」、5日に弘前市の「ねぷた」、6~7日に青森市の「ねぶた」を観た、という感じ。青森県的には、八戸市の祭りも含めて「四大祭り」と称していたりもする。

特に6~7日にかけて観た、全国的にも有名な青森ねぶたについては一応は10年ほど前から興味はあったのだが、有名なだけに人出がかなり多くて観るのは難儀なことかなあ、とこれまでずっと敬遠していた。
が、近年は規模の大小を問わず「人力」の観点から各地の祭りに俄然興味を持つようになった僕としては、日本の祭事を総合的に考えるうえで東北地方最大の夏祭りと称されるねぶたはどうしても外せないよな、そろそろ行かなきゃならん、と数年前から義務感混じりに思っていた。

そんななか、運が良い? ことに、昨年からつるんでいる野宿仲間のなかで、このねぶたの運行を跳躍したり踊ったりして盛り上げる「跳人(ハネト)」の経験者が数人いて、ねぶたの表事情にも裏事情にも精通している彼ら彼女らから、観るだけでなく跳ねると面白いぞ~、などとその噂はここ数か月で散々聞かされていて、というかねぶたの衣装を早く買いなよ、とやや洗脳されたりもしていた。今年も当然ながら跳ねに行く、今年が初参加だけどとにかく行きたい、という人が多かったので、それにつられて僕も見物しに行きたかったということもある。いよいよこの祭りと相対するのに良い口実を得られた、という感じやね。

で、その結果、僕は諸事情によってハネトに変身して跳ねるのには参加せずにいち見物客として沿道から3か所の祭りを計4日間分はきっちり見届けることができた(弘前ねぷたのみハネトとしての一般参加は不可)。
いずれも運営や警備も、そして観客もしっかりしていて意外と観やすく、内容も各種報道で見聞きするよりも数段楽しかった。今回で青森県入りは1995年から数えて6回目だったのだが、なんでこれまで祭り見物を敬遠してきたのだろう? とねぷた・ねぶたを観やりながら後悔しきりであった。青森では大勢のハネトがねぶたの前方で2時間も威勢よく跳ねている様子も生で観ると迫力があった。やはり自分の眼で生でしっかり観ないとわからないことってあるのよね。
ハネトたちによる「ラッセーラーラッセーラ、ラッセーラッセーラッセーラ!」の掛け声もあちこちで聴き(運行のない日中も青森駅周辺の土産屋などで歌のテープを繰り返し流しているやつをよく聞くし)、2日間観終わると頭にこびりついて離れないくらいに耳慣れてきた。経験豊富な年配の方では、「ラッセーラッセーラッセーラッセー」という掛け声もあるんだそうだ。

実際にハネトの衣装を着て道路の中央で大勢のハネトに混じって跳ねていた仲間のいつになくハイテンションな、ある種別の世界に行ってしまったのではないか、というくらいに心酔している様子を沿道から追っかけながら観ると、いかにねぶたがスバラシイ催しか、日本人として産まれて(青森県外の人も正装すれば自由に参加できる)ねぶたで跳ねないことは悲しいことだ、跳ねる楽しさを一度知ってしまったら翌年もなんとしてでも都合をつけて跳ねに来るようになる、などとしょっちゅう熱っぽく語っていたのも納得の内容であった。ねぶた、恐るべし。
たしかに、観る阿呆よりは踊る阿呆のほうが数段楽しいかもしれない、というこの祭り全体の雰囲気はなんとか掴めた。来年以降、ハネトとしての参加を前向きに考えてみよう。

僕はこのあとも青森県から南下しながらもうちょい旅を続けるつもりなので、祭りの様子については後日、写真付きでさらに補足する。

雨が断続的に降り続く青森駅前の沖舘温泉より。

埼玉県朝霞市の、故本田美奈子のモニュメントを見に行った

2007-08-03 10:00:07 | 普段の生活(日常)

昨日午前、埼玉県朝霞市の東武東上線・朝霞駅南口の最近新装された駅前広場にある、去る7月31日に除幕された故本田美奈子の記念モニュメントを見に行った。

朝霞市出身の彼女が(厳密には出生は東京都葛飾区で、3歳から朝霞市に移住)、2005年11月に急性骨髄性白血病で他界して以降も亡くなって残念だ、という声は地域を問わずあちこちで聞く。この埼玉県南部の新座・朝霞・志木・和光四市の出身者のなかでは故尾崎豊と並んで特に大成した芸能人だけに(何をやってきた人かはもういちいち触れなくてもいいよね)、38歳という若さで亡くなったときのショックは大きかった。生前の彼女は芸能界入りして以降も市内から仕事に通っていたというくらいに地元を大切にしていたこともあってか、現在でも惜しい人を亡くしたねえ、と語り草になっている。そのため、今回の朝霞市の玄関口のここにモニュメントが設置されたというのも納得かな、とほぼ地元民からややひいき目に見ると思うのだが、どうだろう?

僕が見に行った正午前も、まあ目新しさにもよるのかもしれないが老若男女問わず断続的にこのモニュメントを見に来て、これに刻まれている(生前に書いた)「笑顔」という題の詩を読んだり写真を撮ったりしていく人が結構いたが、人気の高さは相変わらずで、今後もこのような光景は随時見られるのではないかと思う。
ここは僕の家からも自転車で30分強でお手軽に行けるので、近いうちにまた様子を見に行こうかな。

JR有楽町駅前にて、再び三者会談   

2007-08-01 12:00:22 | 他人の旅話

昨夜、本ブログ2006年12月1日の投稿にもある、(甲信越の登山帰りの)出がらし紋次郎さんと、(編集部の業務を1週間停止して北方に逃亡? する)ミニコミ誌『野宿野郎』のかとうちあき編集長との三者会談が、東京都のJR有楽町駅前の居酒屋で7か月ぶりに実現した。と言っても、おふたりを急遽同時に捕まえることができただけで、たいした議題もないふつうの飲み会だったが。
前回と同様に旅に関する・関しない濃い話が聴けて超楽しかった。会う機会が少ないおふたりが対話する様子をもっと見たかったなあ。内容は秘密、というか特に出がらしさんの話が多岐に渡っていてしかも酔っ払っていたのであまり憶えていない。ひとつだけはっきり憶えているのは、かとう編集長はエイヒレが好き、というオヤジ的な趣味があることか。この娘さんはホントに面白い引き出しが多いなあ。
僕も締め切り間近の校正仕事を早めに仕上げて、旅立ちたくなった。早ければ明後日には発つつもり。