思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

拙著『沖縄人力紀行』の補足15 沖縄的嗜好品・酒編

2007-02-28 20:30:47 | 拙著の補足・訂正
拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)では、旅の最中にアルコール類を摂取したくだりもいくつか小出しにしているが、56~57ページでは沖縄県を代表する企業・商品であるオリオンビールも近年はビールのみならず発泡酒の生産にも力を入れていることについて触れた。
で、下の写真が最近の発泡酒の一種で、「麦職人」というやつ。



この発泡酒は2005年当時のもので、昨年9月に行ったときにスーパーを観察したら出回っていたが、今年はまだ出回っているのかなあ。このほかにも、「オリオンスペシャル」というキレのあるのもある。
オリオンビールも近年はビールも発泡酒も本土の大手ビール会社と同様に次々に新しい商品を開発していて、代替わりもひと昔前よりは早くなっているようだ。まあこれは、オリオンビールは2002年にアサヒビールと業務提携したおかげで開発環境が以前よりも向上した影響が大きいのだろう。オリオンビールの名護工場に見学に行くと(僕は2005年1月に1度行った。ひとりでも可。ただし前日までに要予約)、見学行程の終盤というか試飲コーナーで過去のオリオンビールの商品パッケージがずらっと紹介された様子も見られるのだが、やはり近年の発泡酒の生産が始まって以降は商品数も増え、代替わりも早くなっている。もう今では1、2年おきに新商品を次々に投入している感じやね。ビールのほうも春や夏限定のパッケージを施すような工夫も見られる。
ちなみにひとつ小耳情報としては、アサヒビールの主力商品である「スーパードライ」の沖縄県内流通分は、業務提携の関係でオリオンビールの名護工場で生産されていたりする。




次に、泡盛。まあ泡盛は最近は本土各地でも数・種類ともにかなり流通しているので、沖縄料理店以外のふつうの居酒屋チェーンでも呑めるようになってきているし、各種媒体のアルコール類や沖縄特集でも原料のタイ米・黒麹から製造過程から各地の銘柄から何から頻繁に取り上げられているので、ここで改めてはもう触れまい。日本の有人最南端の島・波照間島産の、生産量が極端に少ないことで有名な「泡波」も、東京都内の店でふつうに呑めるようになった、というかなってしまった。

上の写真は2006年9月21日の投稿でも触れた「富士家泊本店」で注文した久米仙ブラウン(480円)で、この店で泡盛をひとつ注文しただけで、グラス・泡盛の原酒1合とともにやかん丸々1個の水割り用の水と鍋1杯分のロック用の氷が付いてくるという状態で出される。面白い。こんなふうに自分好みの配合で泡盛をちびちび楽しめるというのは、本土の居酒屋で何倍に薄めたものかわからないある種ボッタクリのような状態でグラスのみ出されるよりも(しかも水割りなのにやや高価)数段楽しいもので、こんな至れり尽くせりの呑み方であれば、同じ泡盛でもより楽しく呑めるというもので、僕はこれを昨年に初体験してすぐさま感激した。今後は富士家を再訪した場合には、この店の主力メニューであるぜんざいやタコライスよりも真っ先に泡盛を注文することを誓った。ミニコミ誌『酒とつまみ』に携わっている方々もこういう呑み方を楽しんだことはあるのかなあ。まあとにかくおすすめの呑み方である。ただ、ひとりでこれを頼んでやかんも鍋も含めた一式丸々出されるとやや大げさかな、とも思うので、いざひとりで注文するとなるとちょっと気が引けるかもしれない。

また、59ページ7行目で触れた、新酒を複数年寝かせた「古酒(クース)」もまた良い。新酒よりもやはり味に深みがあり、アルコールが喉よりもまずは鼻先にグワッと迫ってくる感じで(このへんの繊細な表現は僕は苦手なので専門家に譲ろう)、思わず後頭部を仰け反らせるくらいの迫力がある。一般的には3年モノや5年モノがよく出回っているが、銘柄によっては10年以上寝かせたものもあり、那覇市の国際通り沿いの土産物店では瓶(かめ)入りの10年モノの古酒もたまに見かける。しかもワインやウイスキーと同様に、寝かせたぶんだけ高価になる。
ちなみに最近、ある野宿の催しで12年モノの久米仙をいただく機会があったのだが(それは瓶ではなく一升瓶入りのもの)、これはもう最近の若者言葉で言うところの“ヤバイ”(凄い、の意味ね)ものである。昨年に富士家で呑んだものや、そこらへんのスーパーで出回っているものとは明らかに文字どおり「次元が違う」液体であった。沖縄県の泡盛づくりの歴史に想いを馳せながら、寒空の下でそれをしみじみとちぴちびといただき、実に幸福なひとときを過ごすことができた。おかげで、一般的には二日酔いはしないと言われる泡盛でその翌日は見事に二日酔いになり、しかもその体で出勤し、その日1日僕はその職場では使い物にならなかったというおまけも付いた。でもこれを呑むことができたのはホントに良い経験であった。12年モノの泡盛なんてなかなか、しかもひとりで呑む機会なんかはめったにないからね。

拙著『沖縄人力紀行』の補足14 沖縄的嗜好品・タバコ編

2007-02-28 20:00:45 | 拙著の補足・訂正

拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の140ページ14行目で、沖縄県内限定のタバコが3種類あることについて触れたが、写真はそのみっつが自動販売機で揃い踏みしている様子(2005年6月27日撮影)。

値段的には、高価な順に「ハイトーン(230円)」、「うるま(180円)」、「バイオレット(170円)」とあるのだが、基本的にタバコ嫌いの僕としてはこれらにほとんど興味はないために吸ったことも一度もなく、味や煙の出具合もどんな感じなのかはいまいちわからないのだが、最近はタバコ好きの人のための沖縄土産として買う本土からの旅行者もそこそこいるようで、普段はこれらに慣れ親しんでいるウチナーンチュの生活を感じるためにもこれらを一度は吸ってみるというのもアリかもしれない。

拙著の140ページあたりでは、沖縄本島東部の与勝半島から海中道路を渡って最奥の伊計島でタバコ畑を見たことを書いているが、県内農業の統計ではタバコの生産が特に盛んなのは本島西部の伊江島や本島からさらに南下した宮古島なんだそうで、生産量的には僕が2002年当時の旅で訪れた伊計島を含むうるま市はたいしたことのない部類に入る。だから、沖縄県内でよりタバコ畑の景色と香りを楽しみたい方はそれらの島に行くとよいでしょう。

ちなみに、最近はこれらの沖縄タバコはやはり本土のほうにも進出しているようで、僕の身近なところでは、(最近はほぼ毎月行っている)地平線会議の報告会が行なわれている東京都新宿区の榎町地域センターのそばのタバコ屋で、そこにはうるまが置いてあることを確認している。もちろん自動販売機でも買えるようになっている。このように、タバコ屋店主の趣味によってはこれらの本土では珍しいタバコを置いている店は探せばほかにもあるかもしれない。でも、どうせならこれらを安易に仕入れずに沖縄県に行かなければ買えない、という希少価値がある状態を貫いてほしい気もする。
ここ数年は沖縄ブームの影響で沖縄物産展が開催される機会も増えて、タバコに限らずあらゆる商品の希少価値が若干薄れつつあるように思う。沖縄料理や沖縄物産を常時扱う店も年々増えているし。僕としては必要最低限のものだけ空輸して、限定を売りにして顧客の沖縄訪問欲・再訪問欲を刺激するほうが沖縄県の為になると思うけどなあ、と最近はそのタバコ屋の自動販売機の前で毎回、沖縄物産の本土における流入量についてつい考えてしまう。

拙著『沖縄人力紀行』のある図書館一覧・増補版

2007-02-23 22:00:21 | 拙著の情報
これまでに拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)がすでに導入された図書館名をすべて挙げると、以下のとおり。8日投稿分を増補した最新情報。


福島県

・矢祭もったいない図書館

埼玉県

・越谷市立図書館南部図書室

東京都

・杉並区立下井草図書館

神奈川県

・厚木市立中央図書館

愛知県

・豊川市中央図書館
・半田市立図書館

広島県

・広島市佐伯区図書館

沖縄県

・沖縄県立図書館本館
・沖縄県立図書館宮古分館
・沖縄県立図書館八重山分館
・西原町立図書館
・琉球大学附属図書館
・沖縄国際大学図書館


とりあえず、今日現在で以上の13館で拙著を置いていただけていることを確認している。

そして、いちばん上に挙げた福島県の「矢祭もったいない図書館」について少々。ここは2007年1月14日に開館という比較的新しい図書館。これがある県南部の矢祭町について特筆しておきたい。
矢祭町というと、近年全国各地で実施された市町村合併、いわゆる“平成の大合併”の流れにあえて逆らい、2001年に周辺の町村との合併をしない、という宣言を立てて、町民の生活環境の激変を嫌って独自路線で町政を進めていくという英断を下した町である。現在も財政的にはほかの自治体同様に苦しいながらもその路線を貫き続けている(それでもまあ最近は破綻云々で話題の北海道夕張市ほどは深刻ではないかな)。

で、財政的にはとても厳しい状況だから、図書館の運営、特に図書購入についてもそんなにお金をかけられないため、この図書館に置く本は全国各地から寄贈を募り、それで集まった本のみでまわしていくことになった。そして、そんな勇気ある? 町政に共感した全国各地の人々から応援の意味で続々と本が届き、先月11日の開館直前の時点で29万1398冊の本が集まったそうだ。この冊数、町レベルにしてはかなりのもので、ちょっとした市でも蔵書数はこんなにはないよな。約30万冊なんて、それこそ都道府県庁所在地の中央図書館並みの凄い数だ。まあこの図書館の開架書庫は約3万6000冊と町の図書館の平均的な数ではあるが、今後は図書館とは別に約28万冊収納できる閉架書庫も建設し、多くの善意によって寄贈された本たちをここに収納するとか。

僕もそんな矢祭町の反骨的な攻めの町政には前々から共感できる部分が多く、まあ偽りのない本心としては拙著を購入していただけるととてもありがたいのだが、この図書館ではそんな事情で寄贈を希望していることは理解しているから、ということで僕もその寄贈運動に参加し、先日、拙著を1冊寄贈した。
近々、数年前にJR水郡線で通りかかったけれどもまだ未踏の矢祭町に行って、この図書館の運営状況を生確認してみたいものだ。拙著は開架・閉架のどちらの書庫に分類されているのか、気になる。

今日現在で、拙著の広報が手紙・メールで済んだ全国の図書館の館数は960館を超えたが、これだけ方々にお知らせすればもう少し反応があってもいいかな、と思うのだが、現在は拙著を置いていただけている図書館は47都道府県のうちのこの13館のみとなっている。拙著を採用するか否かを検討中の図書館を含めても20館以下で、やはり無名人の出版と販売の現実は厳しいなあと日々痛感しているが、へこまずに引き続き吉報を待つことにしよう。
3月からはまた書店営業にもガンガン行くつもり。
とにかく、僕のような無名人は自ら行動を起こさないと売れないのは重々承知しているので、引き続き拙著の宣伝活動に力を入れることにする。

東京マラソン2007は発泡酒片手にテレビ観戦

2007-02-18 14:00:31 | スポーツ

今日の9時すぎから開催の、前々からいろいろと警戒されていた東京マラソン2007だが、あいにくの雨模様で午前の気温も5度前後と肌寒い天候になったが、新宿→皇居前→品川往復→銀座→浅草往復→有明の先頭集団の本気の争いはフジテレビ系列の生中継でそこそこ楽しめた。上の写真はスタート地点の東京都庁から数百mの、靖国通りの大ガード東から都庁方面を見た様子(2006年7月23日撮影)。普段から交通量の多い、そしてこの右側(北側)の歌舞伎町という日本屈指の大繁華街に近いのこのへんの道路がマラソンコースになるというのはなんとも不思議な気分である。

そんななか、ケニアから来日して15年の、インタビューも日本語でできるくらいに半分日本人のようなD・ジェンガ(ヤクルト)が大会の初代優勝者になったというのはまあ妥当な結果かな。
僕が先頭集団で気になったのは、アテネ五輪の妨害劇→銅メダルがまだ記憶に新しいV・デリマ(ブラジル)がやたらと長いネックレスを身に付けていてじゃらじゃら揺れていたことと、初マラソンで注目された徳本一善(日清食品)の相変わらずのサングラス姿か。
徳本については、5年前の法政大学時代の箱根駅伝“花の2区”の棄権劇もテレビで観ていたが、今回は初マラソンにしてはタイムは2時間15分ほどとなかなかの出来で、あの一件以降も頑張ったんだろうなあ、ということは感じられた。ただ、あの天候で視界がただでさえ狭くなるサングラスを装着し続けるのは……、とも思うが、スポンサーとの絡みがあるとか、競走馬の顔に装着するブリンカーのような前方への集中力を高めるための役目もあるのだろう。

3万1140人の18~85歳まで幅広い年齢層の参加者が(10km部門や車椅子も含まれるか)、新宿やら飯田橋やら銀座やらの僕も普段から見慣れている4車線や6車線の車道のど真ん中を疾走している光景というのは、実際に画面上で見るとたしかに面白いことは面白い。石原慎太郎東京都知事の独断? から始まったこの大会だが、事前の広報と、約1万2000人のボランティアと約5000人の警察官の警備・規制のおかげか特に大きな混乱もなさそう。
抽選で当選した(倍率は3倍くらいだそうで)一般参加者を見ても、仮装やかぶりものをしてのびのび走ったり、所々で立ち止まってデジカメで写真を撮影したり、という、やはり競技というよりは一種の祭という様相であることはテレビ中継からも感じた。晴れて気温があと5度くらい上がっていればもっと賑やかになったんだろうなあ。
それを観るほうの沿道の観客? のほうも同様の雰囲気はあるのかな。都心の道路は規制されているが、今大会のメインスポンサーである東京メトロなどの鉄道はふつうに動いているので、新宿、新橋、銀座、浅草、豊洲などを主に地下鉄でハシゴして数か所で観戦した人も結構いたのではないかと思う。僕も今日の午後から所用がなければハシゴ観戦するつもりだった。まあ次回以降の大会でやってみよう。あ、でも、次回の開催の有無は今回の結果次第か。

諸外国への注目度としては、日本の代表的な地名といえばやはり東京になるし、今回も石原都知事のやや独裁的な行動力と豊富な資金力(もちろん都税のことだが)によってこの地域で半ば強引に? 実現したが、僕としてはこれからの地方分権云々を考えると、このような大規模な大会が関東以外の地域で開催されるといいんだけどなあ、と思う。僕個人的には、帯広、盛岡、富山、鳥取、松山、熊本、那覇あたりで開催できるといいと思うけどなあ(まあこれらの地域でも、これ以外の地域でも、全国的な知名度は東京・大阪・福岡などの国際大会に比べたらはそんなに高くはないが、マラソンや駅伝の大会は各地で開催されているだろうし)。でも、資金(もちろん税金)や気候や土地の起伏などのもろもろの問題があって実現は難しいんだろうけど。

今回の大会および都心の交通規制も16時頃まで行われているから、この時間もまだ走って、というか観光気分で小走りしたり歩いたりしている人も多いのだろう。午後からは晴れてくるようだし。
今の時期の雨模様は寒いことは寒いのだが、晴れの日よりも湿気があるために呼吸がしやすかったり、花粉や粉塵の飛散が抑えられたりして走りにはそんなに悪くはない条件であり、観客が雨によってそんなに増えなかったことも、大混乱にはならなかった要因かな。
こういう大会であれば、走るのは苦手な僕も一度は参加してみたいな、とは思う。僕は体重が人並み以上あって走るための条件は厳しいが(以前、試しに20km走ったら3時間以上かかったし)、「人力」の催しという観点から一度はフルマラソンを完走してみたいという欲もふつうにある。だが初心者はやはりハワイのホノルルマラソンのような温暖な土地での大会参加が妥当なのだろうか。
でも、沿道の補給物資も魅力的だな。今大会も、一般的な水やバナナのほかにも、アミノバリュー、チョコレート、一口あんぱん、人形焼などが出されているとか。それらをつまみ飲み食いする目的で走破するのも楽しいかもしれない。でもそんな不純な動機で参加すると、そこそこ本気で走っているランナーからは白い目で見られるか。

まあとにかく、僕は普段は徒歩の人であるためにあまり湧いてこない走り欲を少々刺激された、大きな市民マラソン中継であった。

視察大歓迎! の埼玉県志木市の自転車レーン。ただし、問題もいくつか……

2007-02-12 13:35:28 | 交通・地理
7日の投稿で、埼玉県志木市の県道36号保谷志木線の、自転車レーンが敷設されている区間の写真を出したが、あれは1年半ほど前のやや古いものなので、8日に改めて撮影しに行った。とは言っても道路自体はべつに大きな変化はないし、現在も対外的に充分手本になる様子が見られる、はず。
東武東上線志木駅東口から徒歩3、4分のほどのところにあるので、(僕個人的には)全国の自治体からの視察大歓迎! という感じである。他所の市民がこんなことを書くのもヘンだが、まあこの近辺も昔からの遊び場として慣れ親しんでいる場所なので、自治体レベルではなく小市民レベルから太鼓判を押しておきたい。

ただ、この区間を度々観察しているといくつかの問題もよく見られる。まあつまりは、道路の構造上の云々もあるが、それより目立つのは道路を利用する自転車乗りやその他の移動者の意識および認識のほうなのだが。そのわかりやすい事例の写真を以下に挙げておく。すべて8日午後撮影。



問題1、逆走。
これはホントに多い。「自転車は車道の左側通行」という基本が浸透していればべつに問題ないのだが、このような間違った走り方の自転車と、写真奥から手前に来る正しい乗り方をしている自転車との接触の可能性が高くなる。「すれ違うときにお互いに注意すればいいだけのことじゃん」という言い分もあるのだろうが、自転車はクルマと同じ交通法規で走るべき「車両」の一種の「軽車両」なのだから、やはり同じ走り方をすべきである。車道のひとつの車線内で2台のクルマが交差するようなもので、そんなのはおかしいよね。それに、左側通行の日本で道路の右側を通行しているクルマはいないでしょう? 自転車の逆走は、そんな走り方をする側の輩の単なる「違法な」わがままである。
ホントに、僕がふつうに左側通行しているときにこういう逆走の自転車乗りのほうから逆ギレされるのは理不尽である。疋田智氏の本によると、“自転車先進国”のオランダでは、このように逆走していると激しく注意されるそうだ。



問題2、並進。
これも、道路交通法では特例が認められた区間以外での自転車の並進は認められていないため(まあ公道外ならいいんだろうけど)、クルマがひとつの車線内に2台並んでいたらおかしいのと同様に(というか、ふつうはそういうふうに並べる幅はないが)、おかしな走り方である。
ちなみに、地元の高校生が写ったこの写真ではついでに左側の歩道通行のほうも撮れてしまっている。このくらいの年頃であれば、友達と横に並んで喋りながら走りたい心境もまあわからなくはないが、それはせいぜい小学生くらいまでにしておきたい(僕も小学生時分ではこういう走り方もしていたが)。そのくらいの年頃であれば時速15~20kmかそれ以上か、それなりの速度は出るだろうし、やはり道路交通の構成員としての自覚を持ってほしいなあ。
この道路はクルマも歩行者も自転車も交通量はそこそこあり、仮に並進中に隣とぶつかったりしてコケたら痛いし、後続の自転車にも迷惑。歩道通行のほうはまあ改めて書く必要はない、論外の走り方である。自転車専用レーンがあるにもかかわらずそれでも歩道を通行している場合は、違反の罰則をより強化、つまり罰金であればその金額を倍増してもよいのではないかと思う。



問題3、ほかの車両の駐車および停車。
道路外になんらかの用事があるときや、携帯電話を利用するために一時停止するときなどに、こんなふうに自転車レーンの通行ができない状態になることもたまにある。ここでは、写真左側に大きなマンションがあるためにいろいろな配達のクルマや二輪車もひっきりなしにやってくる。だが、このような停め方をされると自転車は車道のほうに膨らまざるを得なくなり、ちょうどこの難儀な場所を自転車で通過するときに運悪く後続のクルマにパッシングされる、という理不尽を僕もよく経験している。ここを自転車で強引に通過すると、誤って停まっている車両にハンドルやペダルを引っかけて傷ができたら器物損壊、とかいちゃもんをつけられる可能性もなくはない。そんな言い分を受けるのも理不尽だな。それらの車両は駐停車違反なんだから。
これは道路の構造に関する問題で、ホントは道路外に荷捌き用の駐車および停車場所があると良いのだが、現状ではそういったものを再整備するのはちょっと難しいか。でも自転車乗りとしては自分が通行できる場所を犯されているのだから、通行する権利を主張しつつ、ほかの車両は自転車レーンの外側に停めてもらいたい。実際、きちんとそのように停めて荷捌きをしている某流通系会社の車両も1時間の観察中に数台見かけた。


今後新たに道路整備をする場合は、このような整備を期待したい。でもそれ以前に、7日の投稿でも挙げたようにやはり自転車への認識を改めるところから始めないといかんかね。しかも自転車乗りのみならず、歩行者、クルマや二輪車の運転手にも喚起すべきだな。
今度、テレビ『めざましテレビ』の月曜日のコーナー、「めざまし好奇心 みんなはどっち」で、「自転車では車道を通行する、歩道を通行する」とかいう感じでアンケートを取って取り上げてくれないかなあ。やはりテレビの影響力は強いから。
交通問題をよく取り上げる『めざましどようび』のほうでもでもいいや。
ある意味、道路交通問題は同じフジテレビ系列の“あるある捏造”よりも切実で由々しき問題で、どんな移動手段にせよ道路を利用する日本国民全員にかかわることだから、全員が考えるべき課題である。

あまのじゃく登山者は破線の登山道がお好き[官ノ倉山編]  

2007-02-11 23:30:46 | 登山
今日、埼玉県小川町の官ノ倉山(344.7m)を登りに行った。登山は昨秋の北海道・羊蹄山以来4か月ぶりになり(先月行った兵庫県・書写山は登山というよりは徒歩による小旅だったので除外)、山勘がえらく鈍っていたり日頃の食べすぎおよび運動不足がたたったりして、低山ながらも結構疲れた。

ただ、単に登頂を目指すだけでは味気ないので、今回は山の登頂よりは、僕がここ数年近場の山域で取り組んでいる、昭文社の登山地図『山と高原地図』シリーズ、いわゆるエアリアマップ内の一般的な実線(-)の道ではなく、そこよりも山道の状態がよろしくなくて登山者も比較的少なめの破線(--)の道を辿ることを主目的とした。東武東上線沿線の官ノ倉山の西側にも破線で表記された登山道があり、ここはホントに難しい道なのだろうか? と前々から気になっていた。

で、埼玉県人の僕が頻繁に活用する『山と高原地図22 奥武蔵・秩父』の右上にもあるように、今日は役場入口~421.1m三角点~官ノ倉山~八幡神社~東武東上線・小川町駅と辿り、確認した。かねてから気になっていたこの前半部分の役場入口~官ノ倉山間の破線の道を歩いた結果としては、道は明瞭で特に危険なところや迷いそうなところもなく、ふつうに踏破できた。なんでここが破線なんだろう? と不思議に思うくらいの道であった。
この稜線上の道はちょうど小川町と東秩父村の境であるため、その境界であることを表す印も数十mおきに埋め込まれていた。どうやら最近測量し直したらしい。沢筋やあまり大きくない尾根ならともかく、そういった稜線上というのは大概は登山道が付いているもので、ここも地図制作のさいに実線か破線かとか判別する以前から地元では仕事道として利用されていたのかな、とは思う。測量のための三角点も設置されているし、昔から歩いている人は多かったのだろうな。
地図の見た目の印象どおりにはっきりした道なのになぜここが破線のままなのか、を考えるとおそらくはこの近辺の地主の意向が働いているのかな、とは思う。実線にしてしまって登山者がふつうに登れる道なんだ、と判断した結果としてどっと押し寄せると、ゴミが増えたり道の裸地化が進んだりして環境的にあまりよろしくない、という懸念から破線という扱いにしたのだろう、とこの地図を調査執筆した奥武蔵研究会の意図を勝手に想像する。

数年前、埼玉県西部にある日本百名山のひとつにも挙げられている両神山(1723m)の登山道の一部が閉鎖された事例もあるように、埼玉県以外にもあまりに登山者が増えすぎるのは困る、という人的な問題からこのような措置を取らざるを得ない登山道は埼玉県以外の全国各地にも結構あると思う。活火山で高濃度のガスが噴出していて危険だから入山禁止、というのであればまあわかるのだが、人間同士のいざこざが発端で原風景を見られる場所が減っていくのはちょっと悲しい。自然と人間との接点を日々探究している僕としては、最近はそのへんの登山道事情も常に気になっている。

ちなみに、421.1mの三角点というのは臼入山(うすいりやま)という山名であること、この三角点は三等三角点であること、三角点→官ノ倉山間は地図のコースタイムでは1時間25分だが実際には僕の足でゆっくり進んでも1時間弱くらいで行けること、この区間には杉のみならずなぜか竹が育っている箇所もあること、稜線から北側の見通しが良いことなど、今回辿ることによって初めて知ったことがたくさんあった。この区間を3連休の日中に歩いていてもすれ違った登山者は1人だけだったのだが、ホントはもっと歩かれてもいいのかな、でもたしかにあまりにわらわらと登山者が押し寄せるのは周辺の雰囲気が壊れてつまらなくなるのかな、と複雑な心境のまま、踏破した。

でもまあ、そんな発見も多々あるし、山と高原地図や国土地理院の地形図に表記されている以外の道もまだまだあるだろうな、と想像すると山へ向かう楽しみがより一層膨らむので、今後もそういった一般的ではない道を辿るあまのじゃくな登山を続けていくことにする。
最近は中高年層の、特定の道から日本百名山に選定された山をとにかく登ることが流行っているが、そういった偏った登り方ではなく、破線や一般的ではない道を辿って行くような独自の登り方がもっと浸透すればいいな、と思う。団塊の世代はおおむねこれからは自由に使える時間を多く持てるのだから、登山するにしてもただ単に最短距離で効率良く数合わせというか結果を出すことに躍起になる登り方ではなく、山頂に至る過程をもっと大事にしながらいくらか時間をかけて行く登山も志向してほしいものですな。



臼入山(421.1m)の山頂はこぢんまりとした落ち着いた雰囲気のある場所であった。北から北東にかけての深谷・熊谷方面の眺めが良かった。
ちなみに、ひとり旅が多い僕はセルフタイマー撮影をよく行なうためにそのこだわりも強いということは拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の178ページでも書いたが、なかでも最近のマイブームは、この写真のように一般的な横構図ではなくあれこれ小細工して縦構図で撮影すること。
これ、最近のデジカメはクルマと同様にボディは登場当初の角張ったものから(若い女性向けに?)流線形のものに移行しつつあり、そんな丸まったカメラを縦に置いて撮影するのが困難になってきているため、最近発売のムック『シェルパ斉藤のニッポンの山をバックパッキング』(出版社刊)の58ページにあるインターバルタイマーを活用した撮影よりも難易度は高いと思うのだが、どうだろう? これは山頂のそばにあった指導標に三脚を引っ掛けて固定して撮影した。



地図上では破線であっても、実際にこのような趣もありしかもわかりやすい道もある。ただし、花粉症持ちの身としてはこの周辺も奥多摩同様に杉ばかりが植えられていて、この時期に歩くのはちょっと辛い。この破線区間内でくしゃみも20回以上出た。



この破線の道のちょうど中間地点(標高は約300m)あたりに、なぜか竹が密集しているところもあった。直径10cm以上のかなりしっかりした青竹が登山道のど真ん中にも生えていた。なかには、このように杉の幹のすぐそばからニョキッと生えているものもあった。なんでだろう?
以前あるテレビ番組で、生長が速いわりに杉や檜に比べると利用価値の低い竹が(焚き火するときに火にくべても爆ぜてしまって燃料としても不向きだし)、筍の刈り取りを含めた里山の管理不行き届きで爆発的に育ちすぎてしまって処分に困っている、というのを観たことがあるが、それを考えると、里山の手入れを怠って竹の生長を許してしまっているということは里山の住民の少子高齢化もそのぶん進んでいることの表れでもあるのかなあ、と改めて考えたりもする。



一般的なハイキングコースとしてもよく知られている官ノ倉山(344.7m)付近は、毎年4月下旬の日曜日に開催される「外秩父七峰(ななみね)縦走ハイキング大会」のコースに設定されているため、このような白色プラスチックの矢印標識をよく見かける。
この大会は、東武東上線の小川町駅を起点、同寄居駅(の付近)を終点に、この近辺の山々の主に稜線上にコースを取り、制限時間も設け、この区間約42kmを1日もしくは2日かけて(2年ががりで)縦走するという大会で(途中下山もできる)、毎年老若男女問わず数千人の参加者によって賑わっている。今年で22回目の開催ということで意外と歴史もある大会で、今年は4月22日に開催される。
僕も2004年の第19回大会に参加したことがあり、写真を撮りまくったりして制限時間ギリギリになってしまったが、一応は1日で完歩したことがある。ということで、官ノ倉山周辺は前々から歩き慣れているのだが、今回は初見の道を辿りながらこの見慣れた山に至るというのは新鮮な気分で面白かった。



そんなに険しい道程ではない低山の登山ではいつも目立ったゴミを拾いながら登るのだが、今回は登山者が比較的少ない破線の道だったので、ゴミもそんなに多くは見かけなかった。
ただ、ひとつ残念だったのは、その破線の区間内で1.5リットルのペットボトルが2本も残っていたことだ。こういう“大物”が置き去りにされているのは珍しく、登山者があまり入らない道ではこんな残り方もあるのか、と寂しく思う。
しかもさらに残念だったのは、この2本のうちの1本は、中身の飲料が空になってからふたが閉められた状態で残っていたことだ。こんな“大物”は、落とし物としてよくあるタオル・ハンカチやボールペンなどの筆記用具や菓子・飴の包み紙のように歩いている最中に気付かないうちにうっかり落としてしまった、というモノではなく、明らかにここに意図的に残していきやがったな、としか考えられない。そんなアホな輩には二度と山に来てほしくないのだが、万人が楽しめる場所なのでそうもいかず、そういったゴミを拾う者(僕)が今回もバカを見た、という格好になった。
こういうモノを残していく行為を現行犯で発見したり法で裁いたりするのは困難だが、こんな行為も立派な犯罪だよな。このように恩を受けている自然に仇で返すようなことを平然と行なう輩や、僕のこんな怒りに違和感を唱える(逆ギレする)輩は、実社会でも大きな顔をして生きてはいけません。近いうちに、地震や洪水などの自然からの猛威としてしっぺ返しが来る、天誅が下ることを覚悟しておきなさい。
結局、これらのゴミは家に持ち帰り、ペットボトルもひどく痛んで汚れていてリサイクル品の回収にも出せない状態なので、燃えるゴミとして処分することにした。

暴力団同士の「縄張り争い」って、何?

2007-02-08 19:00:39 | 普段の生活(日常)

5日から6日にかけて、東京都内の4か所で暴力団同士の抗争というか報復? による発砲事件が連続して発生した。発生した順番としては5日に港区西麻布、港区麻布十番、6日に豊島区高田、渋谷区道玄坂だったが、昨日、このうちの豊島区高田の現場を見に行った。
なぜこの場所が気になったかというと、実は僕が昨年後半に一時期勤めていた会社がこの近所にあり、そのときはこの現場マンション(上の写真中央の茶色の建物)付近をほぼ毎日通っていた身としてはどうしても気になるから。で、その現場マンションの内部にも管理人に一言断ってから入り(当然ながら無断で立ち入ったら不法侵入になるから)、さすがにまだ警察が捜査していたのでその手前の警備員が立ちはだかっているところまでしか入れなかったが、上の階に上がって銃弾が打ち込まれたドアの位置も確認したりして(警察の捜査中なので弾痕のある箇所はA2判ほどの大きさの白い紙で隠されていた)、マンション全体の雰囲気は掴めた。

マンション自体は一般住民も多く住んでいる何の変哲もないもので、この近辺の普段の様子をそこそこ知っている身としてはここでこんな物騒な事件が起こるとは考えにくい。現役の暴力団員もそれ以外の“足を洗った”(けれどもずっと狙われ続けることもある?)元団員も、今となってはそういう人たちは各地域に分散していて一般住民の生活に紛れ込んでいて、いつどこで何が起こるかわからない状態になっているのだな。映画やテレビドラマでもよく表現されるように、たとえ堅気の世界に戻ったとしても、報復攻撃で延々と尾を引く可能性は多分にあるか。
6日と7日の各種報道でもあったように、この付近は教育機関も企業も多く(前者では学習院大学とその附属学校、後者では明治安田生命の関連会社や大正製薬が特に目立つ)、目の前の新目白通りも時間帯を問わず交通量が比較的多い。まあ事件はその動きが少ない朝の5時台に発生していて、周囲への大きな被害はなかったが(周りに気を遣ったのではなく、単に寝込みを襲ったということなのだろうが)、それでも拳銃の発砲騒ぎという普段の生活の流れからするとあり得ない事件は付近住民にとっては怖いよな。

で、僕としてはこの手の映画やテレビドラマなどの描写で前々から気になることとしては、この手の人たちというのは、仁義だなんだと言ってはいるが、実際にほかの団体と対決するさいには飛び道具を多用したり複数人でひとりをボコボコにするような手段を選ばない報復の仕方になり、それは卑怯な行為だな、男としてそういうことばかりやっていて恥ずかしくないのかな、と思う。1対1で飛び道具なしの肉弾戦をするほうがまだ潔い(当然ながらこれもダメな行為ではあるが)。
まあ手段や周りの視線なんかをいちいち気にしていたら暴力団の活動なんかやってられない、というそっち系の輩の勝手な言い分もあるのだろうが、いずれにせよ卑怯な手法で、簡単に言うとカッコワルイ。最近の流行りもんで言うところの亀田3兄弟のボクシングや山本“KID”徳郁の総合格闘技のような闘い方のほうが(このさい彼らの普段からの尖った言動は置いておいて)まだカッコイイし、彼らのほうがよっぽど「漢」である。これは世界各国の戦争や紛争にも共通することだが、飛び道具の使用と集団攻撃はやはり卑怯であるよ。

それに、暴力団同士の騒ぎでよく言われる「縄張り争い」という言葉の意味合いがそもそもよくわからない。日本という国の成り立ちを一千年二千年、それよりもももっと昔から考えると、元々は誰のものでもなかった土地を、“みかじめ料”をパチンコ店や風俗店などから取り立てながら牛耳る、という感覚がわからん。
今回も、元々は東京都内をまとめる住吉会系の縄張りに、西の山口会系が進出するとかしないとかいうことで揉めた過程で起こった事件のようだが、いつからこの土地はそんな輩のものになったのだろうか。7日のテレビ『スッキリ!!』でテリー伊藤も暴力団同士の縄張り争いについて憤慨していたが、僕も同感で、武器を使ったりという卑怯な手段でそれを行なうことはどう考えてもおかしいし、ずるいし、くだらない。

僕個人的には、各種賭けごとや風俗にはあまり興味・関心を示さないのは暴力団の活動の資金源になるから、ということもあって敬遠している。というか、そんなものよりももっともっと楽しくて為になる「野遊び」というものを幼少時から知ってしまっているから、そういったいざこざ混じりの物事が僕の目からは物凄くくだらないものとして映る。

これは極端な事例だが、先日の投稿でも挙げた沢木耕太郎の『凍』(新潮社刊)の275ページで、クライマー・山野井泰史氏の現在のパートナーである(まだ独身で長尾性の頃の)妙子氏が1991年のマカルー(8463m)の登山後に重度の凍傷の治療で病院に入院しているときに、同じ病院に小指を詰めた暴力団員が入院してきたが、女性病棟に(登山中の凍傷によって)手足18本の指を詰めても泣き言を言わない人がいる、と医師がその団員に言い、しばらくしてその団員が妙子さんを菓子折りを持って訪ねてきた、という逸話を出している。
登山という行為に(生死の境を綱渡り状態で行くくらいに)のめり込むことを「物好き」というあっさりとした表現で簡単に片付けることはできない、妙子さんの“山屋”らしい人間としてのホントの強さを持っている人の生き様を見ると、暴力団の抗争云々というのは、たとえ指を失ったとしても自分の好きなことをやり続ける人もたくさんいる、そういう酔狂? な世界を知ってしまった僕からするとホントにちっぽけなものに見えてしまう。
妙子さんがその登山でそんな重度の凍傷を負いながらもなんとか下山した経緯というのがまた泣ける、しかも複雑な話なのだが、これは各自で登山関係の本や雑誌などを探し出して読んでいただきたい。

そういえば、先月中旬に関西方面に行ったときに、僕が大阪府内を訪れるとほぼ毎回行く某銭湯で(ヒントは、JR大阪環状線の範囲内の某地下鉄駅から徒歩1、2分という交通至便な場所にある銭湯。情報誌でも紹介されるくらいに有名)、上半身は入れ墨(刺青)だらけのそっち系の30代くらいの男と脱衣場で一緒になった。旅先ではよく銭湯に行く僕としてはそれだけならよく見る光景でべつに改めて驚きもしない(有名温泉地や大型のスーパー銭湯では「入れ墨お断り」の但し書きがよくあるが、地域密着型のこぢんまりとした昔ながらの銭湯ではあまりその文言は浸透していないため、いろいろな柄を背負って入浴している人をよく見かける)。
ただ、そこで珍しかったのは、その兄ちゃんには20代前半くらいの若い子分というか付き人が終始張り付いていて、入浴後に兄ちゃんが服を着る段階でその付き人がシャツやら上着やら腕時計やらの兄ちゃんが身に着けるものひとつずつを用意して差し出しながら身支度を補佐していたことだ。そんなベタな上下関係の様子は実際にはあまり見かけないので、僕も着替えながら横目でその一挙一動を興味津々ながら観察できて勉強になった。あの兄ちゃんたちもやはり、関西圏が主戦場? の山口組系の団員だったのだろうか。

そんな光景を改めて生で見ると、暴力団というのは現実世界でたしかに存在しているのだなあ、と考えてしまう。警察にはこれまで以上にそっち系の人々の取り締まりおよび根絶に力を入れてほしい。僕のような一般住民としても、彼らの資金源になるようなものにはできるだけ手を出さないようにしたいものだ。だが、近年よくある某有名消費者金融の利用者に対してそっち系の人が脅迫まがいの督促をしながらやりとりしている様子を録音したものを入手した報道なんかを見ると、普段の生活のなかであちこちに一般住民が知らないうちに暴力団の手が加わっているという物事は多々あるのかもしれない。まあとりあえずは情報収集しながら、できるだけ自己防衛に努めたいものだ。

とりあえず、自転車は「車両」である、という事実の啓蒙が先決でしょう    

2007-02-07 23:45:34 | 交通・地理
先程、NHKの『クローズアップ現代』の「歩道が危ない~相次ぐ自転車事故~」で、本ブログでも度々取り上げている最近の自転車の交通に関する法改正の動きについて取材した模様をまとめたものが放送された。

このほかにも、今年に入ってから疋田智氏が所属する東京放送(TBS)の報道番組や全国紙や(自転車専門誌ではない)一般誌のいくつかでもこの動きについて取り上げているが(専門誌の『BiCYCLE CLUB』07年2月号の序盤でも自転車の通行の事例や先の警察庁の動きについて写真の多用や一問一答形式で大々的に取り上げている)、今回の国営放送が世間的に最も影響力のある媒体のため、番組の仕上がりはどんな感じなのかが気になっていた。結果は、問題点が簡潔にまとめてあって、いち自転車乗りとしてもそこそこ納得のいく内容で、僕個人的にはちょっと安心した。ただ厳密に考えると、あの内容では自転車が完全に悪者ではないか、クルマや歩行者にも問題はあるだろ、と憤る自転車乗りも多々いるだろうが、まあ自転車にそんなに関心のない方々にもわかりやすく伝える、という意味ではまあまあの内容であったと思う。(先の経理面での不祥事は置いておいて)さすが国営放送、とちょっと見直した。

そのなかでも特に気になったのが、昨年に大分県大分市で実施された、2車線対面通行の車道を1車線の一方通行にして、その両端を自転車レーンにする、という棲み分けの実験の映像だった。この話は知っていたが、実際のクルマと自転車の流れが実験によってどう変わったのかを知りたかったので、おおいに参考になった。
ただ、僕としてはこれは都市部においてはかなり良い方法だと思うのだが、地元住民からはクルマが一方通行になると不便だ、クルマも自転車も速度がより上がって危ない、との声が集まって結局は自転車レーンの整備が見送られてしまった。残念。

また、そのあとに愛知県名古屋市千種区で、朝の車道・歩道ともに交通量が最も多くなる時間帯に、車道の両側にある歩道を一方は歩行者、もう一方は自転車に棲み分けるという地元住民による運動の事例が紹介された。
こちらの試みのほうは僕は今回初めて知ったのだが、既存の道路に自転車レーンを整備するのが困難な幅員の道路の場合には一理ある方法だな、と思ったが、やはり僕としては「自転車の通行は車道左端」の原則がどんな道路であっても適用されるべきで、どちらかと言うと大分市の試みのほうが好き、というか妥当な施策である。

今後はやはり、歩道と車道とは別個に自転車レーンが整備されるのが理想ではあるが、既存の幅員のやや小さな道路での自転車の走り方をとりあえずどうしていくべきか、を早急に考えないとならんのだが、これまでにも数回触れたように現在の自転車乗りの大半は、自転車が「車両」の一種であるという事実への認識が低く、それによって歩道での自転車と歩行者の衝突事故が近年多発しているという結果を招いているのがホントに悲しい。

で、僕なりに多くの自転車乗りのその認識を改めるための方法を、東京都荒川区などですでに実施されている「自転車運転免許証」のような運動以外でひとつ考えてみた。くだらないことかもしれないが、何もしないよりは何かやっておいたほうがいいかな、と思うこと。
具体的には、自転車を新規に購入する場合や、自転車の乗り主が修理などで自転車店を利用する場合に、販売店や自転車店がまずそんな利用客にいくつかの問題を出して答えさせるのだ。そのレベルは「自転車は車両である」とか、「自転車は左側通行である」というような基本的なもので、これを○×形式とかで5題なり10題なり出して、利用者は全問正解しないと購入や修理ができない、というふうに規制する。
まあ一種の学科試験のようなもので、場合によっては道路交通法の条文も広告して、まずは自転車を利用する・しようとする者が基本的な乗り方を知識として身に付けているべき状況を整える必要がある。

たしかに、幹線道路の車道の左端の自転車での通行は大変で(特に橋やトンネルの通過にはそこそこの覚悟が要るかな)、乗り方がまだ不安定な小学生以下の子どもは歩道通行を認める、というような諸外国(主にアメリカ)でもすでに実施されている特例は日本でもあってもよいとは思う。が、それよりも年上の世代に対しては、自転車は基本的には車道通行であることをもっと知らしめていかないと。

歩行者が安心して通行できるはずの歩道で、本来はそこに侵入してくるはずのない自転車に我が物顔で暴走されて傷も負ったりし続けるのは、いいかげんもう飽きた、というか呆れ果てた。自転車でいきなり目の前から突っ込まれてぶつけられて泣き寝入り、はもう嫌だ。

今後は歩道を歩く歩行者が自転車に、車道の左端を走る自転車がクルマに対して、正しい知識のもとにもっと自己主張していくべきである。
拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の162ページでも書いたが、自分の交通手段よりも強力なものに対して卑屈になり続けているままでは損だ、と僕も今後は引き続き方々の道路で“交通強者”に対して目線や身振り手振りで引き続き対抗、もとい主張していく。

そんななかひとつ幸いなのが、最近の疋田さんのメールマガジンでまだ非公式ながら、警察庁が先の欠点だらけだった「提言」に基づく「思案」を歩行者や自転車乗りの側に大幅に変更した、という吉報があったことだ。それは最近の各種媒体による報道とともに、先月に警察庁が募集していたパブリックコメントへの自転車乗り側からの大量反論攻撃がそこそこ効いたようだ(もちろん僕も提出した。主に、大半の警察官が行なっている、彼らが乗る白自転車での歩道通行や並進のような乗り方がそもそもおかしいのではないか、という趣旨で書いた)。
まあ自転車の歩道通行完全解禁という最悪の事態は免れたようなので、ひと安心であるよ。



2006年12月15日の投稿でも出した写真とほぼ同じ場所で撮影した、埼玉県志木市の県道36号保谷志木線の自転車レーン(青色舗装の箇所)が敷設されている区間。旅で全国各地の道路を見てきた(そして現在も見続けている)僕としては、この形態が理想である、と断言したい。全国いろいろな道路をおおむね人力で見て回っているが、実は僕の地元近くにこんな良い道路があったりするのよね。まさに灯台下暗しであるよ。
ちなみに、この写真の右側の歩道に立っている男性が気になる方もいるかと思うので補足すると、フェンスのなかを覗き見しているわけではなく、単に携帯電話で通話中のところがたまたま写り込んでしまったというだけのことなので、本項の趣旨とはまったく関係ありません。

当然ながら、本ブログではほかの媒体からの盗用はありません! 

2007-02-06 23:59:40 | 良識
朝日新聞の先月30日夕刊19面に掲載された富山県立山町の特産品「かんもち」に関する記事で、読売新聞の記事からの盗用が発覚し、2日朝刊34面でその謝罪記事も掲載された。

その件については、もちろん盗用は悪いことだが、当時はその記事を担当したカメラマンは締め切りが迫っていてやむなくそうせざるを得なかったのかな、まあこの1件だけで済めばいいけどな、と思っていたが、その後の調査でこの記事よりも少し前にも同じ人によって2件の盗用が発覚し(読売新聞と新潟日報から)、思わず頭を抱えてしまった。

と言うのも、実際の1月30日の記事というのが、その文字数は見出しを含めても200字にも満たないそんなに大層なものではなく、なんでそのくらいの分量の記事で盗用に至るのか、というのが疑問に思ったからだ。
まあおそらくは日本国民の約半数は名前だけは知っているであろう超有名全国紙の、しかも読者からの注目度が1面とテレビ欄に続いて高い社会面に掲載されるのだから、記事執筆のさいには一般読者にはわかりにくいそれなりの緊張感もあったのだろうが、盗用にまで至るものなのかね。

そのカメラマンは文章を書くのが元々苦手だ、写真撮影が主な仕事で記事執筆からは20年近く離れていた、という朝日新聞側の弁明もあったが、これだけの大新聞では毎年希望職種を問わず入社試験を実施して、新聞記者としての適性をきちんと見極めたうえで入社する人を決めているはずだから、そんな言い訳は通用しない(僕も過去に朝日新聞の入社試験を受験したことがあるから、そのへんの事情はなんとなくはわかる)。しかも全国紙に20年以上も在籍しているのであれば、自分が一度手がけた記事や写真の読者への波及効果やそれらへの責任がより大きくなることはそれなりに自覚できているはずだけどなあ。このカメラマンの諭旨解雇の処分は妥当なところか。その上司の解職・減給もまあ仕方ないかな。

また、そんな大新聞以外にも今日知ったところでは、山梨日日新聞の1月31日の社説でも、神戸新聞と西日本新聞からの一部盗用があったとか。先の柳沢伯夫厚生労働大臣の“産む機械”発言に関するもの。
山梨日日新聞というと、昨年7月30日に拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)を読書欄で紹介していただいた関係もあって、僕個人的にはほかの地域の地方紙以上に特別の思い入れがある新聞社で、そこでも盗用発覚ということでさらにショックである。しかも新聞社の顔とも言える社説でそれをやってしまったというのが余計残念。論説委員長ともあろう人がそういうことをやってしまう世の中になったのか。

僕としては、過去二十数年見て読んでいて慣れ親しんでいる朝日新聞と、個人的にお世話になっている山梨日日新聞という深いかかわりのある(僕にとっての味方である)新聞社2社で不祥事が連続して発生すると、さすがに精神的にちょっとへこむ。(業種は思いっきり異なるが)不二家と同様に、今後の再発予防および信頼回復に特に力を入れていただきたい。

そんなことを踏まえつつ、また先月のテレビのほうの“あるある捏造”も気にしつつ、本ブログの質について改めて考えてみると、他者へのツッコミというか揚げ足取り、ちょっとした引用(もちろん出典名は挙げる)や例え話なんかはこれまでもこれからもよく行なうだろうが、他の媒体からの盗用やウソの記述は一切掲載しない、ということは当然ながら厳重に注意している。そんなことがないように過去の投稿にもヘンなところがないかどうかにも常に目を光らせている。
いくら現在の大半のブログ開設者がそれを趣味気分で創作混じりで行なっていても、大媒体と同様のそれなりの倫理観のもとに行なうべきだとは個人的には思う。そんな当たり前のことをわきまえながら、僕は今後も本ブログを続けていくことにする。
僕は一応は出版業界においてのある意味物事を正すことに努める校正が本職のため、旅でも普段の生活でも物事の線引きについては人一倍どころか人三倍くらいは気にしているつもり。
何事においても自分の周囲からの視線を常に意識しながら、「信用第一」でいきたいものですな。そのへんがしっかりしていないと、各種事象にツッコミを入れるさいにも説得力がなくなるから。

拙著『沖縄人力紀行』を導入した図書館は徐々に増えております  

2007-02-01 21:15:30 | 拙著の情報
これまでにもちょこちょこ報告しているが、拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)を置いていただける図書館が徐々に増えてきて、嬉しい。
先日も各都道府県の図書館の蔵書を横断検索で調べてみたら、以下の3館でも導入済であった。


東京都

・杉並区立下井草図書館

沖縄県

・琉球大学附属図書館
・沖縄国際大学図書館


まあ沖縄県の2館はともに大学の図書館なので、閲覧の対象はそれぞれの大学に通学する学生に限られるのだろうが、どこであっても置いていただけるのはありがたい。
本ブログで何度も触れているように拙著は基本的に旅の話なのだが、今後の沖縄県を再考する資料にも充分成り得ると思うので、沖縄県内に置いていただけるのは特に嬉しい。

また、東京都の下井草のほうは、実は東京都内の図書館に向けてはまだどこにも宣伝活動はしていないのだが、なぜかすでに置いていただいている。でも、こちらも当然嬉しいしありがたいことだ。図書館の近所の住民の方がリクエストしたのだろうか? 下井草は僕の地元からもそんなに遠くはないので今度、実際に書棚に収まっている様子を確認しに行こうかね。

これで計12館の図書館で拙著が貸出可もしくは閲覧可の状態になっている。もっと増えるといいな。引き続き、拙著を導入していただける図書館の回答をお待ちしております。僕が今日観た、最近話題の環境系映画『不都合な真実』の内容にも合致する話も多々盛り込んでおります。よろしく。