思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

「信じる」ことから始めよう

2006-03-31 20:30:12 | 普段の生活(日常)
2006年2月15日、香港旅でネイザン・ロードを散歩しているときに発見した、映画『ナルニア国物語』のポスター(携帯電話会社とのタイアップ広告?)。広東語なので何が書かれているのかはよくわからんが、とりあえず、ライオンと魔女が登場しますよ、くらいのことは書かれているのだろう。


ここ数年、各種媒体(フィクション)で「信じる」という言葉をよく見聞きする。で、2006年1~3月に僕個人的にそれが特に目立っていたなあ、と思った作品を振り返ってみる。

●『I believe』

2006年に入っていきなりヒットした絢香(ayaka)の『I believe』という曲で、サビの歌詞の「信じることで全てが始まる気がする」とあった。この曲は現役高校生にしては相当の歌唱力だな、という点がかなり高く評価されているが、まあたしかに上手い。歌詞自体は特に世間向けにひねったわけではなく、ふつうの高校生目線で感じたことを正直にしたためたものなんだな、というのもよくわかる。若い自分には可能性がある、何事も前向きに捉えて生きていこう、という意欲は買う。
この曲を主題歌として採用したテレビドラマ『輪舞曲(ロンド)』自体は観なかったのでよくわからんのだが、竹野内豊とチェ・ジウの掛け合わせによって日本と韓国の信頼関係を取り戻すひとつのきっかけというか可能性を提示した感じのドラマではないか、と勝手に推測する。それにも当てはまる曲かな。

それと、「あやか」つながりで言えば、2003~2004年にかけてヒットした『Jupiter』をカヴァーしていた平原綾香も、自分を信じてあげられないことが悲しいこと、と表現していた。他人を信じることは大事だが、それ以前に自分の生き方を肯定し、自分にウソをつくことなく生きていくことのほうがもっと重要、という気運が今時の若者にもそこそこはあるという表れなのだろう。まあ最近は不可解な犯罪が年々増えていて、しかもそれも低年齢化していたりするから、他人の存在をどこまで認めて受け入れられるかの線引きはひと昔前よりも難しくなっているからこそ、若いうちからより多くの人に「信じる」ことを訴えたくなる気持ちもまあわかる。「信じる」という言葉を盛り込んでいく傾向は今後も続くだろうな。

●映画『ナルニア国物語 第一章:ライオンと魔女』

今年公開してすぐさま大ヒットしている映画、『ナルニア国物語 第一章:ライオンと魔女』も、「信じる」ことが物語の基本になっていた。
アスランが掟を破った罰を受けるため、エドマンドの身代わりとして石舞台に行くシーンでは、これでたとえ自分が死んだとしても、ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィの4人が国を救ってくれる、そして伝説どおりに事が進めば自分は生き返ることができる、というふたつの確証があり、実現する可能性は未知数のそれらの伝説をアスランが信じ抜いたという、このシーンが映画の肝ではないか、と僕個人的には思う。
まあ子ども向けのおとぎ話だから、物語の筋はわかりやすい、旧来のマンガやアニメでもありがちな展開で、お子様の純真さを狙って夢や希望を持たせることとともに、他人を信じることの大切さを知らしめるようなベタな話の作り方は昔も今も、そして地域を問わず万国共通なんだな、ということは観ていて思った。これによって“浄化”された(幼い頃は持っていた清い心を失っていたが、取り戻した)大人はどれくらいいるのだろう?

ちなみに、僕は『ハリーポッター』や『ロード・オブ・ザ・リング』の類は苦手でこれまでも一度も観ておらず、『ナルニア~』もそんな感じなのかと敬遠していたのだが、先日、たまたまこれをぜひ観たかったという友人と観に行くことになってしまった。で、結果は、娯楽作品としてはまあまあかな、という感想。冬の厳しさとともにそれが融解して四季の移ろいがあることもきちんと見せていたところは評価できる(でも、この映画を四季のない極地や赤道付近の国の人たちが観たらどう思うのだろう? という疑問も浮かんだ)。
ただ、「信じる」という人としての基本的な事柄をお子様たちに伝えるためにかなりお金をかけすぎかな、とは思った。でもまあ、ディズニーの看板を背負っているのであればCGを駆使したりしてどうしてもそういう傾向になってしまうのは仕方ないことか。

●テレビドラマ『西遊記』

このドラマの初回から最終回まで全般的に、“なまか”(仲間)を信じる、という身近な人(と妖怪)の信頼関係をしきりに表現していた。この言葉は何回出てきたかね、というくらい、他人を「信じる」ことを特に意識した話になった。
三蔵法師一行は「師匠とその弟子」、「人間と妖怪」という上下関係ではなく、お互いに助け合いながら進むことによって、最終回では4人が肩を組んで天竺を後にして歩いていたように、最終的にその関係は皆ほぼ同等の「旅仲間」の括りになった。先のWBCのイチローと若手選手とのかかわり方の構図に似ている。上下関係を取っ払ってスクラムを組んで仲間になると力は倍増、いや3倍増4倍増するという感じかな。ひとりでいるだけは気付かないことも、複数人になったときに初めて気付く、ホントに大事なものが見つかる、というのはよくある話。でもまあこれは人によるか。僕個人的には、ひとりでいて、しかも一歩引いた目線で物事を見るときのほうが他人も含めた世間全体の良いところと悪いところは見つけやすかったりする。

それにしても、このドラマの見せ場であった、毎回後半の香取悟空の「よぉーーーく聞けーーー!!」から始まる、
「自分にウソをつくヤツは嫌い」
「ヒトの使命は生きること、生き続けること」
「頑張ったヤツが報われなきゃいけない」
のような人生訓は、この番組の主対象であろうお子様たちにはちゃんと伝わったのかなあ、というのが気になる。今回は従来の恋愛調の「月9(げつく、げっく)」ドラマとは毛色の異なる手法を仕掛けてきたが、実はこの『西遊記』という物語を再現するうえで必要不可欠な出演者陣の扮装(現代風に言うと“コスプレ”?)する様を見せたい、というよりは、これらの悪く言うと説教っぽいことをきちんと伝えたいがために、脚本ありきでこの企画は始まったのではないかと勝手に推測する。だから、深津“お師匠さん”の、香取悟空の、内村悟浄の、伊藤八戒の、現実ではいざ他人に面と向かって言うには赤面してしまうようなちょっと臭いセリフであっても、彼ら彼女らが代弁することによって素直に伝わり、それがグッときたというか反省した(従来の月9の視聴者層の)大人も結構いたのではないかと思う。僕も激しく首を縦に振って同感できるふしはあった。僕も元々、正直者がバカを見る世の中はおかしい、と思っているクチなので。
これを全国的一般的に影響力の特に強い媒体である東京キー局・フジテレビ社員の良心の総意と受け取ってよいのだろうか。

「信じる」は、ほかのドラマでは『氷壁』の中盤や『小早川伸木の恋』の最終回でも出てきたが、これらは男女の仲に関することで以上の3点とは意味合いが異なるが、まあこの世の中では何事においても、すべては自分と他人を「信じる」ことから始まるということの再確認にはなったね。
最近の世相を見ても、世界各地で犯罪やらテロやらが頻発し、世界的に身近な仲間内の枠から外れた他人を信じられなくなってきている風潮がある。堀江貴文、小嶋進、ボブ・デービッドソンのような??? な人たちも出現し、「オレが一番!」と言わんばかりに幅を利かせるようになってきてもいる。たしかに、こういう傾向は困ったものだな、こういう人たちとできるだけかかわりたくないな、とも思うが、現実世界ではそういう「逃げ」の姿勢だけでは生きてはいけないのが常で、どこかでそういう人たちとかかわらなければならないこともあり、ある程度は我慢しなきゃならんこともある。そういう「信じられない」人や物事のほうが主流になってきている部分も時折ある絶望的な現代であっても、それらを前向きに捉えて少しでも信じられるというか受け止められるような余裕のある、「生協の白石さん」のような懐の広い大人になれるように頑張ろう、ということを最近よく考えている。

「なぜ山に登るのか」のわかりやすい回答例が、マンガ『イカロスの山』第16話に

2006-03-27 02:15:06 | 登山
週刊「モーニング」で2005年秋から連載している登山マンガ『イカロスの山』(塀内夏子)の第16話で(『とりぱん』が表紙の先週発売号。巻頭カラー)、山好きの人が一般のそうでない人々からよく聞かれる質問である、

「なぜ山に登るのか」

のわかりやすい回答例が、この回に凝縮されている。

平地では2本足で一歩一歩ふつうに歩けることを当たり前に思っていても、山では坂や岩や木の根や沢や雪などの様々な障害があり、そういった不整地を進む行為では平地のように簡単に、自分の想定通りには進めないことのほうが多い。
岩を、雪を攀じ登る一挙手一投足に命が懸かっていて、何かの拍子に一歩踏み外すと滑落・墜落して死んでしまう可能性も多分にあることは、大自然のなかでしか感じることができない。それこそ極限の登攀をやっているクライマーにとっては、手の指先(第一関節)や足の爪先を数mm単位の精度で引っ掛けたり乗っかったりしなければ身体を支えられずに墜落して死んでしまうかもしれない、というギリギリの状況をくぐり抜けていかなければならないこともあるだろう。そういった死への意識と生への執念が、携帯電話の画面を凝視したり鼻クソをほじったりしながらも歩けてしまう平地の普段の生活なんかよりも数十倍も露になるからこそ、登山という行為は、

「(この世に)生きている実感」

をより強く得られるのだ。
そういう意味で、生活の重心が登山になっている、これを命懸けで本気でやっている人というのは、自然のなかで「自分の思いどおりにならない」こと、最近流行っている言葉で言い換えると「想定外」のことを比較的多く経験していることから、一般の人よりも総じて我慢強い、自分以外の物事にもよく気付く、他者への想いやりのある人なのではないか、とは思う。というようなことを以前、あるテレビ番組で(最近はすっかり毎年のヒマラヤ通いが板についてきた)レーサー兼冒険家? の片山右京も言っていた。右京の各種媒体での“山屋”的な発言はあまり好きではないのだが、多くの登山者の心情を代弁したこれに限っては「たまには良いこと言うじゃん!」と拍手を贈った。
現代を生きていることを真に実感できる機会って、普段の街なかでの便利で安易な生活ではなかなかないのよね。やはり人間はある程度の曲折を経て生きていかないと成長しないものなのだな、と最近よく思う。

最近、他人の命を何の理由もなく無差別に奪うような悲しい事件が頻発しているが(まあいかなる理由があってもやってはいけないことだが)、大自然のなかで登山のような生死の境に立つこともよくある行為を真剣にやっていれば、そんな命を粗末にする愚かなことはできないはずなのに、と事件報道を見るたびに毎回残念に思う。
今の便利な時代だからこそ、ホントの現実世界での自分の小ささをわきまえることにつながる登山のような行為は、昔も今も誰が何と言おうが生きていくうえで大切な行為なのだな、とこのマンガを読んでいて改めて気が引き締まった。

この作者の塀内夏子というと、一般的には以前、週刊少年マガジンで長期連載していたサッカーマンガ『Jドリーム』の印象が強いのだろうが、高校時代はワンゲルで活動していたということから、『おれたちの頂』のような山マンガも描いていた。山に向かう人の事細かな心理や自然のたたずまいを経験則で描ける女性マンガ家は珍しいので、この連載の今後の展開はとても楽しみにしている。塀内以外に山のことをきちんと描けるのは、あとはくじらいいく子と藤臣柊子(しゅうこ)だけだな。まあ藤臣姉の場合は、自身の体験を綴ったエッセイマンガなんだけど。登山は男だけの世界ではないから、今後は女性目線も必要になってくるので御三方には期待したい。
先週、単行本の第1集が発売されたが、第16話はおそらく次回の第2集に収録されるだろうから、そちらを読んでみてもよいだろう。最近はマンガ喫茶でバックナンバーも読めるか。まあとにかく、この第16話だけでもより多くの人に読んでもらいたいですな。

で、この項の元ネタである、「なぜ山に登るのか?」といえば、ジョージ・マロリーが1923年にアメリカの新聞の取材のなかで、当時はまだ未踏峰だった世界最高峰・エヴェレストの登頂を狙っていた彼がなぜそれを登るのか、という質問に対し、

「Because It’s there.(なぜならそこにそれがあるからだ)」

と回答したことが有名。だが、この言葉のitの部分は、それ=エヴェレスト、と限定的で狭義の意味で答えていたようだ。しかし、後にこのやりとりが日本に伝わったさいにマロリーのこの回答を、

「そこに山があるからだ」

とitが「山」という広義の意味で拡大解釈されて、それがそのまま現在に伝わってしまっている。
最近でも、あまり登山のことを知らないであろう一般の人が「なぜ山に登るのか?」という問いに対して、「そこに山があるからだ」とこれ見よがしに言ったり書いたりしているが、元ネタの正解は「山」ではなく「エヴェレスト」ですから。残念!! 引用はちゃんとやりましょうね、と僕個人的にはこの誤解釈を見聞きするたびに落胆してしまう。この言葉だけひとり歩きしている現状には違和感を覚える。

ところでこのマンガを読んでいると、主人公のひとりの三上俊哉のように、一度は本気で取り組んで、ある種病気かというくらいまで熱中した登山を“降りた”けれども、後年にふとしたきっかけで再開した、という昔取ったナントカな人はどのくらいいるんだろう? と最近の中高年登山ブームをつい気にしてしまう。まあその想いを仕事やら家庭やら何らかの事情のために封印しておくか、きっかけはどうであれ再燃させるかは人それぞれだが、まあとにかく自分の心に正直になって判断してほしいものだな、とは思う。(本ブログの開設当初に書いたが)登山を「始める」とか「止める」という感覚がなく、これは人生のなかで当然続けていくものだと思っている僕としてはちょっと気になるところではある。

ちなみに、この「生きていることを実感」という概念は、本ブログのもう少し後のほうでじっくりと突き詰めていこうと思って温めていたのだが、このマンガに先を越されてしまった。でもまあ、登山のことがよく解っている塀内のマンガであればまあいいか、とこの回で僕が常々思っていることを代弁してくれて嬉しい。こういう僕の援護になるような明快は表現は、今後も見つけ次第随時報告していくことにする。僕のまわりくどい駄文よりはわかりやすいしね。

香港雑記⑩ おまけ写真参・矢印のほうを見ておけば大丈夫(終)

2006-03-23 23:00:09 | 自分の旅話(非日常)

香港雑記⑤での歩行者の交通で触れた、横断歩道を敷いて歩行者専用信号を設置するほどではない細い路地の、歩行者が横断すべき場所の一例。
写真では道路の手前側でも奥側でも右のほうに矢印が施されていて、しかも手前は「望右」「LOOK RIGHT」、奥は「望左」「LOOK LEFT」という文字も書かれているが、ここの場合は写真右側から左側に向かってのみクルマが通行する一方通行道路で、その逆に左側から右側に向かってクルマが進入してくることはない。つまり歩行者がこの道路を横断するさいは、左側は気にすることなく右側からのクルマの進入のみを注意しながら渡れば問題ないですよ、という目印になっている。ここはたまたま一方通行だったため、手前側も奥側も矢印が同じ方向になっていたが、上下線が対面通行になっている道路ではもちろんふつうに左右両方を確認してから横断する必要がある。

この手法は日本でも見習うべきで、交通安全の観点から考えるとやらないよりはやったほうがよいに決まっている。このくらいの文字数であれば日本の「止まれ」や「通学路」などの路面標示よりも容易に書けそうな気はするのだが。これらの文字を書く費用が足りないというのであれば、クルマのドライバーの交通違反金をどこぞの組織を経由することなくそっくりそのまま充てればよいのではないか、と素人判断では思う。悪質な違法駐車車両の取り締まりを強化するなどして、とにかく歩行者だろうが自転車だろうがクルマだろうがどんな交通手段で移動していようが、自分以外の交通にも敏感に反応できる環境づくりを進めるべきである。それがホントの公共空間の在り方ではないのか。

ほかにも公開しておきたい香港ネタとその関連写真はたくさんあるのだが、これ以上続けると次に進めないので、とりあえずここまでにしておく。旅してからもう1か月も経ってしまったし。
でもまあ、今後何かの旅ネタを披露するさいは香港関連の写真を再び採用する可能性はある。

香港雑記⑨おまけ写真弐・なぜか目立っている犬の糞箱

2006-03-23 22:20:41 | 自分の旅話(非日常)

香港雑記⑦の大型犬のところで触れた、ヴィクトリア・ピークの登山道付近にいくつか設置されていた犬の糞専用のゴミ箱。「犬糞収集箱」という名称で、なぜかオレンジ色という目立つ色に塗装されていた。山なので基本的に緑一色の景観のなかでも特に目立っていた。
まあこれは人間がふつうに快適に暮らすための衛生面の配慮とともに、ヴィクトリア・ピークは香港有数の観光地で他所からの旅行者もひっきりなしに訪れるため、人通りが比較的少なくて自然味もいくらかはあって犬の散歩に適したこの山頂付近で彼ら彼女らに悪い印象を与えないために、地元の犬の飼い主に注意喚起の意味合いでこの色になっているのだろう。
ただ、山のほうにはよくあるこの箱も麓の繁華街あたりでは一度も見かけなかったし、飼い犬を公園で散歩させている様子も2、3回しか見なかった。やはり山のほうのやや標高の高いところにある豪邸や高級マンションに住んでいる富裕層の人々は中国よりはイギリス的な、犬を飼うさいも人間の家族同然に受け入れる欧州らしい生活様式になっているためにこのゴミ箱もこの付近でしか見られないものなのだろう。
犬にこのような措置や散歩の回数などで欧米や日本同様にかなりの手間をかけているとなると、やはり香港でも愛玩動物の死によってその後しばらくはその喪失感が深く残る「ペットロス」っあるのかね。ひと昔前は犬食がそこそこ盛んらしかった中国もここまで変わったのか、とあれこれ考えてしまう。

香港雑記⑧おまけ写真壱・やる気のない蛙

2006-03-23 21:33:18 | 自分の旅話(非日常)

これは香港島にある動植物園の東端にある温室に行ったときに見つけたもの。温室の入口にこぢんまりとした噴水のようなものがあり、写真の蛙一匹とほかに数羽の鳥の口からそれぞれ細い水流があった。なかでもこの蛙の堕落した感じの姿がおかしくて、どうしても気になってしまった。公園の小便小僧の下(しも)や大浴場のライオンの口から水や湯が流れ出ているのはよく見かけるが、こういうのはあまり見かけないな。
この動植物園や公園はイギリスの影響で? 洋式の庭園風の造りになっていたりするのだが、そのなかにこういう“ゆるキャラ”があるのがいかにも中国的な気はする。

べつに香港でなくても日本でもこういう置物は全国津々浦々探し回れば見つかるのだろうが、こんなにやる気のなさが露骨に表れている置物は珍しい。ふつうはどんな人間や動物を模したものでももう少しカッコイイというか勇ましい姿をしているものだが、これはホントに間抜けである。これを作った人は洒落でわざとこういう姿にしたのだろうか、などと勝手に想像が膨らむ面白い一品である。
まあ全国各地にいる? 蛙グッズを集めまくるような蛙マニアの方々の参考になれば、と思う。

WBCは日本が「野球」で優勝ですな

2006-03-21 23:31:11 | スポーツ
もうすでに各所で報じられているが、アメリカで開催されているWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第1回大会は、今日の決勝戦で日本がキューバを破って優勝した。
驚いた。最終的には辞退やら故障やらが相次いで決して最強とは言いきれないあのメンバー構成で、決勝を優位に戦えるとまでは正直予想していなかった。僕個人的にはなんとか準決勝を競り勝てれば良いほうかな、としか思っていなかった。
でもまあどんなカタチであれ、「ベースボール」の母国で日本らしい「野球」で臨んで勝てたのは嬉しいことではある。

僕個人的には日本古来の体育会系的な努力と気合いと根性という精神はあまり好きではないのだが、このような国対国の戦いの場合は、サッカーJリーグで言うところの中山雅史(磐田)のような勝ちにいくための強い気持ちを全面に押し出さねばならんのだな、と改めて思った。基本的に冷静なイチロー(マリナーズ)がグラウンドの内外であれだけ熱くなっていたのもまあわかる。なにしろ日の丸を着けた(野球では珍しい)日本代表ですから。
それにしても、開催国のアメリカが2次リーグで敗退して、今やメジャーリーグに有力選手が数多く乗り込んできているドミニカ共和国、韓国、そして日本の選手たちが上位争いをして、さらには決勝トーナメントには進めなかったもののアメリカとほぼ互角の力のあるメキシコやベネズエラも含めて考えると、やはりアメリカ人主体であるべきメジャーリーグが現在はそれらの外国人選手頼みになっていることを如実に表したということね。

今回は準決勝以降はトーナメント方式で戦っていたが、一発勝負のこれは試合の流れによって結果が大きく変わり、天候や試合会場などの実力以外の部分も大きく影響するから、今回は100% 日本の実力で勝ったという印象はあまりなく、やはりホントの実力を見るには総当たりのリーグ戦のほうがよいと思うなあ。
実際、決勝トーナメントに進出した4チームの勝敗数のみを数えると、日本5勝3敗、キューバ5勝3敗、韓国6勝1敗、ドミニカ共和国5勝2敗で、勝ち数・勝率では韓国が首位に立つ。これを考えると、両手放しでは喜べませんな。
3年後の2回目の開催が確実にあるのかどうかはわからんが、そういった戦い方や例の審判誤審問題など、もっと時間をかけて大会の在り方を協議してほしいものだ。各国がお金ではなく国の名誉をかけて戦うのだから、それにふさわしい場を提供すべきである。事前にそういう用意ができなければ、開催する意味がない。マイナーリーグの(元々は要注意印が付いていた)審判が同じ国の試合を何回も裁くなんて、ふざけるにも程がある。
日本の優勝という結果はたしかに嬉しいが、そのような大会運営のずさんさが多く見られたという後味の悪さも残った。

でもまあ、これを機に世界的に「野球」および「ベースボール」がより注目されるようになったから、とりあえず開催しただけでも良かったのかな。日本代表チームで特に注目され、その期待どおりの活躍をしたイチローも、これまでにない熱い野球小僧ぶりを発揮して世間的に身近な存在になったし。
これまでは他者を容易に寄せ付けない圧倒的な雰囲気を持つ「孤高の求道者」というようなたたずまいを保っていたイチローが、ほかの選手たちと一致団結して全力で戦ったことにより、若手選手と一緒になると日本的な体育会系上下関係による「手本」になるというよりは、ひとつの集まりで同等の出来事を共有して「仲間」になった、ということは端からはわかりにくい。だが、試合後の優勝を祝うシャンパンかけで、上原浩治(巨人)ら後輩に、
「イッチッローーー!!」
などとはやしたてられてシャンパンを頭から背中から思いっきりかけられて、イチローのほうも、
「オマエら、先輩を敬えよ!!」
と返していたやりとりなんかを見ると、準決勝進出以降はイチローを中心にチーム全体がまとまって相当引き締まっていたんだな、ということはなんとなくわかる。メジャーリーグでもトップレベルの活躍を見せる「日本代表の代表」とも言える求道者・イチローに「仲間意識」が加わった今回の化学反応を経て、今後はどんなプレーが飛び出すのか、という先々の活躍ぶりも楽しみである。まあ同じ日本人なら注目しないわけにはいきませんな。

あと、日本選手にひとつ注文を付けるとすると、多村仁(横浜)の送りバントや松中信彦(ソフトバンク)のヘッドスライディングのような、「チームのためのプレー」を、ペナントレースでももっと観てみたい。各チームの主力級選手であっても、場面によってはやはりそういう細かいプレーも必要になってくる、というのは夏季五輪や今大会でもよくわかっているだろうし、そういう熱のこもった試合を観たい観客も数多くいるはずだ。そういう練習も今後はもっと採り入れて、実戦でも見せてほしい。現在の日本のプロ選手でこれらの(良い意味で)ちまちました日本的な技をわざわざ仕掛けなくてもよいのは、清原和博(オリックス)だけで充分。
3年後? の第2回の大会では、日本代表チームのスターティングメンバーのうち、何人がメジャーリーガーになっているかな? 次回こそ、松井秀喜(ヤンキース)や城島健司(マリナーズ)なども加わったより強い日本代表を早く観てみたい。

花粉症率60%

2006-03-17 06:25:31 | 普段の生活(日常)
先週、神奈川県鎌倉市においての祖母の葬儀で久々に親戚一同勢揃いしたのだが、同様に僕の家族5人も全員揃った。これは近年では3、4年に1回あるかどうかというくらいに珍しいことで、常にバラバラの生活時間のなかでそれぞれ異なる仕事をしている影響で全員揃わないことのほうが当たり前の藤本家にとっては、全員がひとつの場所に揃うことがなんとなくヘンというか恥ずかしい気分であった。
で、葬儀の合間の待ち時間に家族の者と話をすると(両親や兄と喋ることも普段はあまりないことで、これも非常に珍しいこと)、そのさいに僕とともに兄ふたりも花粉症持ちであることが判明した。ただ、両親はその被害には遭っておらず、ふつうに暮らしている。最近の世間一般ではスギ花粉症を患っている人は5人に1、2人ほどの割合だそうで(実際に医者に診断してもらって判明した人と自覚症状がある人を合わせた割合)、そうなると花粉症率は20~40%ということになるが、僕の家族の場合は5人中3人が患っていて、つまり花粉症率は60%ということになる。他所に比べるとえらく高い割合だ。
ウチの兄弟は「だんご3兄弟」ならぬ「花粉症3兄弟」ということで、これは客観的に見るとちょっと恥ずかしいことだな。

“老後”の圏内に入ったことで、テレビ『おもいッきりテレビ』や『ためしてガッテン』や『発掘! あるある大事典Ⅱ』の信奉者になり、最近は半ば健康オタクとも言える(花粉症ではない)母によると、そうなる原因は最近の若者は呼吸法が悪いからだ、と指摘している。
たしかにそれも一理あるが、しかしやはり最大の原因は、数十年前から山間部で元々あるケヤキやブナのような広葉樹をバンバン伐採して、そこに針葉樹であるスギを植えまくって自然を人工的に管理しようとしたから、という国の林業政策の行きすぎというか人間が自然を掌握しようという驕りによるという単純な理由のほうが大きいはずだ。それは関東地方で言えば東京都の奥多摩や埼玉県の秩父のほうの山をよく登りに行く僕としては、そこらへんで植林・枝打ち・伐採が繰り返されているスギ林をしょっちゅう見ているので、余計にそう感じる。しかも昨年の花粉の飛散量はここ数年で最も多く、それを吸うことによって一度抗体ができてしまった“花粉症予備軍”の人が今年になって発症する、ということが多いようだ。

まあひと昔ふた昔前の状況では針葉樹の植林による木材の確保が日本が成長するうえで必要不可欠な政策だから、ということで行なわれたことはなんとなくはわかるが、近年は国産材よりも安価な輸入材が幅を利かせることによって国内林業が廃れている様子を、登山や徒歩旅で全国の山間部を歩きながら、伐採した木が運び出されることなくずっと放置されているような状況を垣間見ると、どう考えてもやりすぎだよな、とつい憤ってしまう。そんなずさんな予測による政策によって(これに限らず、国策の予測はどれもヘタだよね)、現代に花粉症の流行というカタチで(20~40%の割合だけで単純計算すると)約2500~5000万人がそのしっぺ返しを受けているのだから、国は花粉症への医療的な保障を早急に、もっと大がかりに行なうべきだ、とこの時期は毎年思っているのだが、これに関して何か劇的な対処が行なわれた、ということは依然聞かないのよね。
花粉症持ちの人が「とにかく(花粉症の原因である)スギを伐採してくれ!」と林野庁を訴えたくなる気持ちになるのも無理はなく、やはり国家事業として扱うべき問題であるよ。地元住民も望んでいないダムや高速道路のような大規模公共事業なんかは直ちに止めて、スギを伐採して、それに転換される以前は植えられていた各種広葉樹の植林を進めるべきだ。これは広葉樹の落葉によって腐葉土ができて山の保水力が高まる、人工的なダムが不必要になるいわゆる“緑のダム”を形成することにもつながるのだから、一石二鳥の行為ではないか。スギを木材として考えた場合はそんなに悪いものではないが、やはり多すぎる。多すぎることによって人間も手が回らなくなっている現状は早急に改善していくべきである。
毎年2~3月に行なわれる確定申告の医療費控除では、各種疾病の「診療」や「治療」はその対象になるが、病気を未然に防ぐという意味での「予防」のための費用は対象外になる。花粉症は発症して以降のそれを緩和させるための薬物などによる治療も大事だが、それよりもその度合いを減らすための予防のほうが肝心だと思う。だから、花粉を防ぐためのマスクや目薬や花粉除去スプレーなんかのこまごました道具も今後は控除対象として認めていくべきだ。

ウチの3人兄弟のなかでは、花粉症の症状はやはりスギが乱立している山間部のほうに登山でよく行く僕が最もひどく(花粉症歴約6年、自覚症状のほう)、先週の葬儀が行なわれている最中も目はまともに開けていられない状態で、くしゃみを出さないように必死に我慢していた。今年の花粉の飛散量は例年よりも少ないが、それでもこれだけ症状が表れるから、厄介な現代病だよな。以前、何かのテレビ番組で花粉症歴二十数年? というラサール石井が、
「目玉をくり抜いて、それを水で丸洗いしたいくらいだ」
という表現でこの時期の花粉症による目のかゆみの辛さを訴えていたが、僕も同感で、この時期は花粉症のせいで何をやるにもやる気が半減して物事が理想どおりに進まなくなる。それに出不精にもなる。呼吸法だとか食事・薬物による体質改善だとか、ひと昔前の体育会系的な「気合と根性」という感じの精神鍛錬で、一朝一夕で治せるものではない。

だから最近は僕個人的には、現代社会において花粉症を患う人はアニメ『機動戦士ガンダム』シリーズで言うところの「ニュータイプ」(人類の革新)ではないか、と勝手にこじつけて解釈している。他人のみならず動物・植物を含めた地球環境のなかでの生きとし生けるもの全体を、特に植物の場合はスギ林などの生態や息吹に対しても誤解や偏見を持たずに敏感に反応して、理解して、交感している、という点では、花粉症持ちの人というのはそうでない人よりも自分以外の他者の心情を察することに長けている人ではないか、と思っている。
そう考えると政治でも経済でも文化でもなんでもよいが、あらゆる分野で日本全体を、ひいては世界というか地球全体を善い方向に導いていくかもしれない人々が現れた、という意味では、花粉症持ちの人の割合が高まることはそんなに悪いことではないのかもしれない。でも60%は高すぎるか。

五街道クリーンウォークに参加してみた(2年連続2回目)

2006-03-11 19:07:31 | 徒歩
2006年3月11日、五街道クリーンウォーク・甲州街道(国道20号)コースの途上、皇居西側の内堀通り(都道401号)との交差点に出たところ。端から見ると何かの異様なデモ行進のようにも見えるのだろうが、実際には善いことをしている“ゴミ拾い部隊”である。


毎年この時期に、東京都中央区日本橋を中心とする街道のゴミ拾いをしながら歩く、「五街道クリーンウォーク」という行事が開催されている。今日はこの当日だったため、参加してみた。主催は国土交通省東京国道事務所と社団法人日本ウオーキング協会。
コースは中山道(国道17号)、奥州・日光街道(同4号)、甲州街道(同20号)、大山道(同246号)、東海道(同1号)の5つで、それぞれ街道沿いの大きな公園を起点に、11~12kmの行程が設定されている。今年は甲州街道コースに参加した(昨年は中山道コース)。

9時30分に起点である新宿中央公園に集合し、参加受付ハガキと引き換えにゴミ袋、軍手、トング(火ばさみ)、コース案内図、参加記念のピンバッジなどをもらう。その後、大会本部から注意事項の確認と軽めの準備運動があり、10時ちょうどに出発。このコースの参加者は約120人だった。
あとは集団で隊列を組みながらトングを使ってゴミを拾いながら、約12km東の終点・日本橋に向けて歩いてゆく。
日本ウオーキング協会の催しということで参加者はやはり近年加熱しているウオーキング人口の大半を占めている年配の方が多く、歩行中にも定年退職後のあれこれや孫のかわいさや嫁との関係がどうのこうの、という話を度々漏れ聞いた。でもなかにはもう少し下の年代もいて、僕よりも若いであろう女子グループもいた。ほかのコースでは小学生くらいの子どもを連れた家族参加の人もいたようだ。
新宿御苑のそばの公衆トイレでトイレ休憩し、12時前に四ツ谷の迎賓館のそばにある公園に着いてからの昼食を経て、皇居西側の内堀通りに出たところでゴミ拾いは終了となったちなみに、全行程でゴミの回収車がぴったり付いてきていて、拾っているうちにゴミ袋が重くなったり一杯になったりしたら適宜回収してくれる。
ここからは皇居沿いを時計回りにひたすら歩き、何かの団体のロードレース大会の走者とすれ違いながら進む。大手門からは東の東京駅方面に入り、あとは国道1号に沿って日本橋に向かって歩く。そして14時30分に日本橋の「日本国道路元標」のそばに設定された終点に到着。というのが今回の行程の流れだった。

全行程歩いた人はここで完歩賞という簡単な参加証明をもらう。ちなみに、設定されている5つのコースすべてを歩くと何か記念品をもらえるようなのだが(つまりこの催しに計5回以上参加するということ)、何がもらえるのだろう。まあ僕は今回で2コースを歩いたことになり、残り3コースも参加すればそれも判明するか。

設定コースの歩道のゴミ拾いの実際は、やはりタバコの吸い殻や噛み終わったガムのような細かいものが多いことは昨年と同じだった。なんでこういう場所にポイポイ捨てるのかね、とそれらを腰を曲げてトングでいちいち掴むたびに腹立たしく思う。他人への悪影響を想像できない幼稚な人間が相変わらず多いことを再確認した催しであった。のぼりを立ててわらわらと歩けば結構目立つよね。これでゴミのポイ捨ての抑止効果は少しはあるかな。でもゴミが散乱していることを不愉快に思っている人がいることがわからないヤツは死ぬまでわからないままなんだろうなあ、と今年も多くのゴミを拾いながら日本橋の袂で現代人を嘆いた。

覚悟はできていた葬儀

2006-03-10 00:00:23 | 普段の生活(日常)
2006年3月7日、湘南モノレールの西鎌倉駅。鎌倉の親戚宅に行く場合は、JR大船駅経由でここか、またはJR藤沢駅経由で江ノ島電鉄(通称“江ノ電”)の腰越駅を利用している。僕にとっては通い慣れた、地元・埼玉県以外では特に思い入れの深い交通手段なのだ(本文とはあまり関係ありません)。


先週4日の深夜、母方の祖母が亡くなった。で、7日から8日にかけて葬儀があり、神奈川県鎌倉市の親戚宅のほうに行っていた。家族・親戚のみの20人ほどで執り行なわれた。

祖母は享年93歳で、僕の親戚のなかではおそらく最も長生きした人ではないかと思う。
祖母についての特に印象的なことは、僕が小さい頃から宅に訪問するたびに、高齢なのにもかかわらず、毎日タバコをスパスパ吸っていたことだ。不健康の象徴のような喫煙を続けていたのになぜかいつも元気だったんだよな。
僕は基本的にタバコを吸う人はあまり好きではないのだが(宮崎駿とビートたけしと志村けんは除く)、この祖母に限っては喫煙行為が僕にとっては昔から当たり前の光景だったのでそんなに気にはならなかった。
祖母の娘たち(僕の母や叔母)のあいだでは、身体の線は細くて特別強いわけではないからそんなに長生きはしないだろう、という見方をしていたようだが、数十年前(戦中?)まで住んでいた東京都内からそこよりは比較的自然環境の良い鎌倉に引っ越してきたことが長生きにつながったのだろう。

2、3年ほど前から特別養護老人ホームや病院のお世話になっていて、僕もそれなりに最期への覚悟はできており、今回の寺(仏式)や火葬場でも泣くことはないだろうと思っていたが、いざ出棺の段になっていとこが祖母との最後の別れを惜しんで泣いている様子を見ると、ついもらい泣きしてしまった(まあこの時期はいつも花粉症に悩まされていて、特に目にくる僕としては8日の19度近くまで上昇した気温で花粉もかなり飛んでいただろうから、それで終始涙目になっていたこともあるけど)。一青窈のような繊細な女性でなくても、僕のようなブ男でももらい泣きをすることってあるんだなあ、と自分で自分に驚いたりもした。

人間は生まれれば遅かれ早かれ必ず死を迎える、と巷でよく言われることを再び思い出しながら、今後の生への意識を持ち直す機会になった。
登山での転倒・滑落や徒歩および自転車旅での軽い交通事故などで生傷や骨折が絶えない僕としては、やはり最大の親孝行は親よりも先に逝かないことなのかな、と最近よく思う。生命の危険を伴う身体を張ったそんな行為に長年首を突っ込み続けていると、若くして亡くなった、しかも親よりも先に逝ってしまった人の話を聞くことがどうしても多くなってしまうが、まあとにかく、現世を生きているうちは自分でそれを放棄したりせずに懸命に生きるべきで、それが生き残っている者の責務である、と再確認した。

30年近く色々とお世話になった祖母に感謝しながら見送り、今後も僕の身近で亡くなった方たちに恥じない生き方をしていこう、と鎌倉の青空の下で誓った。

香港雑記⑦ 香港の街並み、香港人の良識編

2006-03-06 18:30:28 | 自分の旅話(非日常)

2006年2月17日、街の至るところに設置されている、上部に円形の灰皿が付いたゴミ箱。特に繁華街では50~100mおきに設置されていて、路上にちょっとしたゴミがポイ捨てされている様子はあまり見かけなかった。


●環境美化の意識、街なかのゴミ箱

香港市街の歩道を歩くと、あちこちでゴミ箱を見かける。繁華街の表通りでは5分歩くごとに1、2個は必ず見かけるくらい、ホントに多い。また、それとともにそんな人通りの多い歩道の路面をよく見ると、日本の道路のようにタバコの吸い殻のような細かいゴミがあまり落ちていないことにも気付く。街のゴミ処理のマナーが徹底されていて、環境美化の意識もそれなりにあるということか。
過去に中国を旅した人の旅行記をいくつか読むと、例えば広大な中国本土で鉄道に乗車したさいには、車内で食べた弁当の空容器などは窓から投げ捨てるのが一般的なマナー、というような日本では考えられない行為がふつうに行なわれているという記述もあったため、香港もそんな感じなのかと想像していたのだが、実際は意外と清潔であった。これはやはり中国よりはそれに返還される前のイギリス統治下の頃の名残なのだろうか。僕はまだ訪れたことはないが、欧州のほうが地球環境への意識は比較的高い傾向にあることは媒体でよく見聞きしているため、その影響で香港ではゴミ処理が意外と適切に行なわれているのかな、とそこそこ感心した。香港特別行政区は世界的にも比較的狭い土地面積のなかで急速に発展してきているから、ある程度の秩序が成り立っていないと約700万人もの住民がこの一か所で一緒に暮らしにくくなるから、ゴミ処理や環境美化政策も比較的進んでいるからなのだろうけど。
また、街歩きのなかでいくつかの公園や香港島にある動植物園にも立ち寄ってみたが、それらの場所でも日本の公園でよくあるベンチ前にタバコの吸い殻が残されているような様子を見かけることはなく、清潔な状態が保たれていた。その公園内の清掃や植物・植え込みの手入れをする人も日本の公園に比べると多かった。環境美化に相当の時間とお金をかけているな、ということはゴミがほとんど落ちていない様子を見ればわかる。
ただ、人通りが少ない裏道ではゴミもよく捨てられていてそこそこは汚れていることもあり、日本も香港も含めたこの世に生きる人間は全員が全員善い人ばかりとは限らない、という世界共通の残念なことも改めて感じた。

●犬は家族の一員?

犬については、九龍のネイザン・ロードや香港島のトラム沿いの繁華街では見かけなかったが、香港島の標高100~200mあたりの高台に林立している高層高級マンション周辺や、ヴィクトリア・ピーク周辺の高級住宅地のあたりで散歩中の飼い犬はよく見かけた。
やはり、比較的お金も時間も土地もあるような富裕層の人たちの娯楽という感じで犬も飼われていることが多いようだ。しかも散歩のためにリードでつながれている犬を見ると大型のものが多く、日本で近年よく見られる胴長短足で猫とほぼ同じ体格の小型犬は見かけなかった。僕は犬には疎いので犬種の判別はできないが、とにかく人間の6、7歳くらいの子どもよりは明らかに体重がありそうな大型犬ばかりだった。
でもよく考えると、日本ではそんな大型犬はマンションのような集合住宅では飼えず、比較的広い面積の一軒家で飼われているが、基本的にマンション暮らしの人が多い香港人は普段犬をどう飼っているのだろうか? やはり室内に入れて人間の家族同然の感覚で一緒に暮らしているのだろうか。そうなると、日本の一軒家のように屋外で番犬感覚で飼うことはできないから、香港では「(マンションで)犬を飼うということは、当然家族の一員として迎え入れる」という前提条件があるのか、と僕は勝手に推測する。
それと、ヴィクトリア・ピーク周辺の犬の散歩コースになっているような歩道では、犬の糞専用のゴミ箱もあった。その“糞箱”は大きな家にある郵便受けくらいの大きさの縦型で、なぜかオレンジ色の目立つものだった。日本ではスーパーマーケットのレジ袋や透明のポリ袋に糞を入れて処理していることが多いが、香港も同様の片付け方なのだろうかと(あまり見たくはないが)試しに上蓋を空けて確認してみると、新聞紙やチラシに糞を包んで捨ててあった。さすがに糞を裸のまま丸ごと捨てているわけではなく、人間の出すゴミと似たような捨て方であった。
ちなみに、犬以外の哺乳類では猫も何回かは見かけたが、犬のように誰かに飼われている感じではなくほぼ野良猫のようだった。

●タバコの扱い方、比較的目立つ女性の喫煙

公共交通機関のなかでの喫煙は罰金を設定して厳しく禁じているが(下記の「違反行為とその罰金」参照)、通常の街地では老若男女問わず、タバコを吸っている人が多い。
喫煙者を見て思ったのは、日本に比べると若者、特に20~30代くらいの若い女性の喫煙率が高いことだ。街角の露店やセブン‐イレブンなどでも漏れなく販売していて買いやすいということもあるのだろうが(新聞とタバコのセット販売もやっていた。3ドル)、屋外ではホントに喫煙者をよく見かけた。4、5人に1人は吸っていたかな。
吸い終わったタバコは路上にポイ捨てはせずに街のそこらじゅうにあるゴミ箱の上に設置されている円形の吸い殻入れに入れているのはよいのだが、通行人の多い繁華街であっても歩きタバコをしている人が多い。しかも、ふつうは対向してくる人がいる場合はそれを気遣って先端の火が点いている部分を対向者から遠ざけるものだが、香港人はそういう素振りをすることがほとんどなく、だからどうした、(歩きタバコをしていないふつうの)非喫煙者のほうが火を避けるもんだろ、近付くと火傷するぜ、というようなカタチで通行が成り立っていた。
ちなみに、僕は普段日本でもこういう無意味に偉そうで理不尽な行為が断じて許せないタチで、日本に限らず世界共通の愚行というか犯罪だと思っている。だからほぼ毎回、火の点いたタバコを持ちながら対向してくる喫煙者のほうにあえて向かって歩いて、タバコの火を向けてくる“先制攻撃”を僕のほうも拳や肘や片手デコピンで“迎撃”して、歩きタバコという愚行の撲滅に努めている。外国のような他所の土地では基本的には郷に入ったら郷に従うべきなのだろうが、世界じゅうの誰が見ても納得はいかないであろう歩きタバコのような愚行は地元に遠慮せずに対抗していくべきだろう、と香港でも思ったため、この街でも日本同様にそれをやってもかなりの効果はあった。でも僕がそんなささいな抵抗を加えても、香港の歩きタバコ人口は日本よりも断然多いな。
しかも、若い女性も歩きタバコを躊躇なく当たり前のようにやっていて、火の点いたタバコを持った腕をブンブン振りながら歩道を闊歩する様子をよく見かけた。もちろん男性のそれを見ても残念に思うのだが、日本女性の約3倍の香港女性が歩きタバコをしていたのを滞在中毎日見ると余計ショックだった。最近、アメリカのハリウッド映画にも進出して活躍している映画俳優のチャン・ツィイーのような、アジア出身の若い女性、通称“アジアン・ビューティー”が世界的に、特に映画やファッション業界でよく持ち上げられているが、それは黒髪や小顔や細身の体型のような外見のみならず、普段の東洋人独特の仕草の奥ゆかしさというかしなやかさも含めた神秘的な印象が高く評価されているように思う。だが、歩きタバコはどう考えてもそれには含めることは到底できない、美しい仕草とは言えないよな。せっかく欧米で評価されているのに、そこから訪れている観光客がそれを見ることによって香港女性は無駄に評価を落としている気がして、もったいない、と残念に思う。

●違反行為とその罰金

香港の交通機関を利用すると、禁止事項の注意を促すシールがよく貼られていた。例えば地下鉄の車内で飲食をすると罰金が最高で2000ドル(約3万4000円)、地下鉄やトラムの車内で喫煙をすると同5000ドル(約8万5000円)と書かれていた。
また、公園内で鳩などの野鳥に餌をやると1500ドル(約2万5500円)の罰金、というポスターも掲示されていた。これは感染症の予防のために設定しているとのことで、やはりここ数年世界各地(特に欧州)で流行っている鳥インフルエンザの影響だろう。これらの欧州的な罰金刑を設定しているからこそ、香港は意外と秩序が保たれているのだな、ということを垣間見ることができた。
でも、違反者を実際に取り締まっているのだろうか? と少し気になる。日本の各自治体でも最近は都市部の駅前や繁華街の歩きタバコとポイ捨ては禁止、違反者は罰金を徴収するからな、と条例で制定したとよく謳ってはいるが、実際に違反者を取り締まっているところを僕が見たことはなく、有名無実化していることが多い。そんな中途半端な決め方・取り締り方では歩きタバコなどの愚行を繰り返す輩は一向に減ることはない。
香港のように、取り締まりをさらに強化し、ゴミ箱もある程度は設置して街の美化に努めるべきである。罰金も甘いな。少なくとも香港以上の金額、例えば10万円以上に設定して、もっと法的拘束力を強めるべきだ。
ただ、そうやってゴミ箱を設置すると、そこに爆弾や薬物を置き去りにしていく無差別テロ行為を助長させるため、最近は鉄道駅でも街でもコンビニエンスストアでもゴミ箱を撤去する方向に進んでいるが、あまりになさすぎるというのも街の汚れがひどくなるように思う。ゴミ箱の数もそこそこは必要なのかな、とも考えてしまう。
JR東日本の東京都管内によくある透明ゴミ箱のようなものもある程度は必要だな。理想としては一人一人がゴミを家まで持ち帰るようになることなのだが、生ものの包装のような水分を含んだゴミなんかをいちいち運ぶのは抵抗があるから、そう簡単には物事は運ばないよね。
でもまあ国・地域を問わず、違法行為への罰金を設定するだけでも犯罪というか秩序の乱れを抑止することにはつながるだろうけどね。そのような街地での取り締りが最も厳しいとよく聞くシンガポールにも一度行って確認しておきたいなあ。

●日本人旅行者の愚行

香港に行ったということであれば、ふつうは香港人のことがおおいに気になるべきところなのだが、外国を旅すると実は地元の人以上に僕と同じ日本人の旅行者の動向のほうが悪い意味で気になることが多く、今回もその傾向にあり、しかも僕と同年代かそれよりも若い年頃の旅行者の愚行が目立った。その事例を以下に3点挙げておく。

まず、椅子やベンチなどにではなく地べたに座る、いわゆる“ジベタリアン”について。香港島のセントラルやヴィクトリア・ピークの展望台付近で見かけた。香港市街を歩くと観光客向けというわけではないのだろうが意外とベンチのような座るところが公園以外にも結構あり、地元の人も他所からの旅行者もよく利用している。僕もよく利用していた。しかし、そうではないそこそこ人通りのある場所のそばでも若い男子が平気であぐらをかいて座っていることがあった。で、なぜそれが日本人とわかるかというと、喋っている言葉が日本語だったり、座りながら見入っているガイドブックを素通りしながらチラッと見ると日本製だから。観光スポットの所在確認などはべつに座らなくてもできるだろ、と思うのだが、そのほうがラクなのかね。羞恥心よりも先に自己満足の意識のほうが先に働くのか。
まあアジアでももう少し西のインドやネパールのような比較的時間の流れが穏やかな国に行けば道路脇や鉄道駅などで(特にやることもなく)地べたに座る人もいるのだろうが、香港の中心地は日本で言うところの東京都中央区や港区のような大都市で、そういう行為はふさわしくない場所であることにふつうは気付くもんだと思うけどね。地元の人や日本以外の他国からの旅行者で地べたに座る人なんか一度も見かけなかったので、他人事ながら同じ日本人として恥ずかしかった。

次に、トラム(路面電車)の車内で大声を出していた人。僕が香港島北部を横断する2階建てトラムにハマッたことは以前書いたが、そのなかで一度、2階最前列の最も見晴らしの良い座席に陣取っていた日本人男子グループが比較的大きな声で喋っていたことがあった。もちろん地元の人たちもふつうに喋ることはあるが、それよりも一、二段大きな声で喋っていた、というか騒いでいた。日本にはない乗り物とそこからの風景なので少々興奮することはわかるし、僕もこの乗り物は初体験だったので彼らと同様に興奮したが、それでも基本的には乗客の大半は地元の人たちであるその車内の雰囲気が大声を出すのにふさわしくない場であることはすぐに察することができる。だが、彼らはそんな素振りもなく延々と大声で陣取っていた。
ただ、これがヴィクトリア・ピークの山麓と山頂駅を登下降するケーブルカーのような「ピークトラム」であれば、これは利用客の大半は他所からの旅行者で、異国での印象・感想述べ合い合戦がつい弾んでしまうのも無理はない。だが、地元の人が主の公共の空間で騒がしくするのはいかがなものか。これは自分たちの殻に閉じこもって周囲の様子に気付く力が足りなくなる、複数人で行動することの典型的な悪い例だ。
そのときは2階後方の座席に地元の人に混じってこぢんまりと座っていたひとり身の僕としては、彼らがうるさくしていて申し訳ない、と地元の人たちに心のなかで謝りながらのこれまた恥ずかしい気分であった。僕が彼らと同じ日本人であることを悟られないように、地元の人たちが降車するまではほとんど顔を伏せたままだった。だって彼らがワッとかギャッとか一瞬特に大きな声を出すと、地元の人が「なんだ? アイツら」という感じで度々振り向き直すくらいだったから、地元の人たちにとっては相当物珍しい(そしてはた迷惑な)ヤツらとして映っただろうな。

そして、ヴィクトリア・ピーク展望台での写真撮影のこと。ピークトラムの山頂駅から徒歩約1分のところに、香港島北部の街並みを見下ろせる観光客向けの展望台があり、各国の人々がひっきりなしに訪れていた。僕はここで昼・夜両方の景色を合計1時間ほど楽しんでいたのだが、そのさいにカメラ片手にここを訪れる人たちを観察すると、全体の約1~1.5割が日本人だった。
そのなかで、これまた日本人男子なのだが、街並みを背景に写真撮影をするさいに、谷側の被写体(友人)をできるだけ良い写り方にしようと苦慮した結果なのか、山側の床よりも1mほど高いところにある手すり部分に登って撮影していたヤツがいたのだ。その気持ちはわからなくはないが、それはほかに撮影している集団が終わってから登らずに撮影すればよいだろう、と思う。日本の自然のなかでもできるだけ良い構図で撮影したいがために登山道や木道から外れて高山植物などを狙うことに躍起になるアマチュアカメラマンのように自己満足が先行して見境がなくなる、言い換えると日本人は物欲が激しいがために自己中心的な行動に陥るという傾向があるのだろうか。他国の人から日本人すべてがこんなことをやるのか、と思われるのはイヤだな。

もちろん、他国からの旅行者は先客と同じ位置で撮影したい場合はそんな愚行はやらずに紳士的にその人たちの撮影が終わるまで待っていた。これがこういう場所の基本的な振る舞い方なのだが、日本人の場合は時間的にあまり自由な行動ができないパックツアーで訪れている人が多く、
「時間がないので、次に行きますよー」
という添乗員の指示がすぐに飛んでくるため、その短い観光時間のなかでできるだけ良い写真を撮りたいがためにそういう行動をしてしまうのだろうか、と少しは同情もするが、でもやはり客観的に考えると手すりに登るという行為は紳士的ではないよね。

上記の3点に共通することは、いずれもやっていたのが僕と同年代かやや若めのおそらく20代のフリーターもしくは大学生の卒業旅行風の男子だったことだ。これらはホントに欧米からの旅行者は誰もやっておらず、若い日本人独特の行動であった。日本人旅行者の立ち居振る舞いというか良識が年々廃れていることの表れなのだろうか。これらの行為によって日本人の評価が無駄に落ちているであろうから、非常に残念に思う。今度、日本人はそういったふざけたヤツらばかりではなく、ふつうにまともに旅しているヤツもちゃんといるんですよ、と誤解を解くというか弁明するために世界各国の主要観光地を行脚したほうがよいのかな? とさえ思ってしまうよ。そのくらい同じ日本人としてつい目を逸らしたくなる愚行が香港でも目立った。ホントはいずれの行為も一言注意したほうがよかったのだろうが、彼らの彼らなりに楽しんでいる旅の時間をぶち壊すことになるし(僕も他人からそれをされたくない)、僕が日本語で注意すると僕も日本人であることがわかり、結局は地元の人から僕も彼らと同類に見られるのがイヤだったため、つい二の足を踏んでしまった。
香港以外でもこういう行ないが繰り広げられていることを想像すると、彼らとほぼ同世代の、もっときちんと旅したい僕としては重ね重ね残念に思う。世界のどの国・地域でも、ふつうに考えると控えるべき行動であることがわかりそうなもんだと思うけどなあ。

多摩川経由羽田空港行きの自転車行

2006-03-05 23:50:48 | 自転車
2006年3月5日、東京都大田区の多摩川緑地。河川敷で野球やサッカーなどを楽しんでいる人も多いが、サイクリングコースを走る自転車も多い。おおよその印象では、1分間に2、3台くらいは通過していた。


今日は大学時代のワンゲルの後輩と合計4人で、東京都府中市の是政橋から多摩川沿いにあるサイクリングロードを走り、東京国際空港(羽田空港)ヘ行った。
実はこの催しは2004年から、大学時代に所属していたワンゲルでは登山が主な活動だったのだが、それ以外にも自転車と自転車旅が好きな者が数人集まって、毎年数回、不定期で開催している。
これまでのMTBによる自転車旅では毎回ひとりで走ってきた僕としては、複数人で走ることは結構新鮮なことで、毎回楽しみにしている。

で、いつもは是政橋から多摩川サイクリングロード(通称“タマサイ”)を利用して西の多摩川上流のほうに向かって遡り、八王子市の高尾山麓や羽村市の羽村堰、東大和市の多摩湖や埼玉県所沢市の山口貯水池に行ったり、そこから玉川上水や多摩湖自転車道周辺を走ることが多いのだが、今回は普段あまり行く機会がない下流域も見てみたいということで、登戸、二子玉川、六郷を経由して、さらには東京モノレール沿いの都道311号を通って、羽田空港まで行ってみた。
休日の多摩川沿いの河川敷では野球、サッカー、アメリカンフットボールなどの練習や試合を楽しんでいる人やそれを見物する人(余暇の趣味や遊びというレベルではない真剣勝負をしている人もいるか)、土手の舗装されたサイクリングコースをランニングや自転車(主にロードレーサー)の練習というか訓練、それに複数人でのウオーキングやピクニックという感じの散策、犬の散歩で往来する地元の人など、とにかく多くの人で賑わい、みんなが快晴の青空の下で健全な春の休日を楽しんでいた。天気予報の予想気温では12℃らしかったが、体感では16℃以上あったのではないかと思うくらい暖かかった。サイクリングコースの通行人の少ない場所で自転車のペダルを漕ぐさいに少し力を入れて25km/hくらい飛ばすと背中のあたりが汗ばんだりもして、まあ身体を動かして運動するにはもってこいの1日であった。ただ、花粉症持ちの僕としてはこの時期の屋外は目と鼻のあたりがちょっと辛いけど。
実は、いつも行く多摩川上流を今回敬遠したのは、上流に行くということはスギ林が多い奥多摩の山に近づくため(河川敷からは山の稜線もよく見渡せる)、スギ花粉の大量生産地に行くことは花粉症持ちにとっては自滅行為であるため、行くのは避けたかったから。

自転車で羽田空港に行くには、クルマの交通量は多いし(特にバス)、合流・分岐部分をクルマの通行するタイミングを見計らって通過するのがやや面倒なのだが、トンネルなどで一時的に歩道を活用しながら一応行くことはできる。僕個人的には4年前にも一度通行したことがあって行き方はわかっていたのだが、2回目の今回もそれらが面倒だな、と思ったし、やはり空港周辺の道路というものはあくまでクルマ主導で造られているのだな、と改めて感じた。
その証拠に、空港に着いて4台の自転車を停めるための駐輪場を探したのだが、なかった。
そこで、第1ターミナルの立体駐車場にあった自動二輪車の駐車スペースに、係員に一言断ってから置かせてもらった。公共の建造物であればふつうは駐輪場もあるものだが、羽田空港くらい大きな建物になると難しいか。ましてや海上に人工的に造った長崎空港や関西国際空港、それに先月に開業した神戸空港のようなところでは、空港島と本土を結ぶ道路(主に高速道路?)と鉄道を造ることが優先され、ふつうの道路行政と同様に自転車や歩行者まで手が回らないのだろう。
まあ空港利用者の大半は自家用車や民間の路線バスや主要ホテル直通のリムジンバス、各種鉄道を利用して訪れるからそうなるのも無理はないが、北海道や沖縄県の空港のように徒歩や自転車でも気軽に足を運べる空港がもっとあってもよいと思う。これは最近の道路行政にも言えることだが、クルマをあえて積極的に利用しない人も世の中には少数ながらいるのだから、すべての移動手段が公平に利用できる道造りを行なうべきである。クルマの交通にばかり力とお金をかけてそれに偏るのは不公平なんだよ。
でもまあ、空港に着いてしまえばそんな憂慮も一時は忘れて展望デッキからの飛行機の離着陸風景を楽しむことができて、疲れも吹っ飛んだ。ちなみに、展望デッキは今回は第2ターミナルのほうに行った。旧来の第1のほうは過去に何回も行っているのだが、2004年末に開業したこちらのほうにはまだ訪れたことがなかったので、より楽しめた。休日ということもあって見物客も老若男女多く、飛行機を撮影するために長時間陣取っている、一眼レフカメラに(おそらく300mm以上の)望遠レンズを装備したカメラ小僧もたくさんいたな。

ただ、このツーリングで僕個人的にひとつ残念というか情けなかったのは、空港からの帰路途中、東京都大田区の弁天橋手前で段差を降りるのを失敗して転倒・落車していまい、その衝撃で衣服に穴が開き、腕にも擦り傷ができてしまった。またそのさい、フロントホイール(アラヤ、VP-20・36H)のリムも少し曲がってしまった。これまでにも段差の乗り越しに失敗したりなどの自分の不注意で転倒したり、僕が交差点を直進中に強引に右左折してきたクルマにぶつけられたりして自転車とホイール(と僕の全身)に強い衝撃が加わって痛んだことは20回近くあるのだが、それでもホイールが曲がるなんてことは一度もなく、かなりの信頼を置いていたものだったので、今回の一件にはいつも以上に驚いたし落胆もした。まあこのホイールで10年以上乗り込んでいて、ハンドルに常に装着しているキャットアイのサイクロコンピュータ(CC-CL200)を見ると、このMTBでの走行距離も今回のサイクリングでちょうど1万kmを超え(ボタン電池が切れる間近や寒いときは作動しないこともあるので、ホントはもっと走っている)、リムのブレーキパッドの当たる部分もかなり擦り減っていて、そろそろ交換したほうがいいよな、と2、3週間ほど前からちょうど検討していたところだったので、結果的には交換するための良い口実になった。ニップルを回して振れ取りをすればまだなんとか走れるが、これに関しては素人が調節するにはちょっと恐いな。それに曲がっているから直進では速度を上げられないし。20km/h出せるかどうか、というくらいの状態になってしまった。ホイールを交換するまでは長短問わず旅には使えそうにない。

でもまあ、落車の一件を除けば今日のツーリングは全体的には楽しかった。寒い冬場はどうしても自転車から遠ざかってしまうのだが、久々に長距離を走って、ようやく春が訪れたな、と思った。それにこれで羽村堰から多摩川河口、つまり東京湾まで自転車の轍をつなげることもできて、そこそこは有意義な一日であった。

香港雑記⑥ 街に溢れる日本のあれこれ編

2006-03-03 18:14:36 | 自分の旅話(非日常)
2006年2月15日、ネイザン・ロードの歩道で見かけた日本企業の看板。なぜか写真関連のメーカーのものをよく見かけた。まあ香港に限らず、世界各国でカメラや家電やクルマなどの日本製品の評価はおおむね高い、ということを改めて実感する。


●日本の企業、キャラクター

市街を歩いていると、あちこちで日本語表記の看板や広告を見かける。しかもそれは日本の大手企業やそのブランド名が多い。アシックス、ソニー、パナソニック、オリンパス、ペンタックス、コニカミノルタ、富士フィルムなんかを見かけた。また、街を走る2階建てバスのボディに広告が施されていることもよくあり(いわゆるラッピングバス)、特にニコンのデジカメの最新機種やインスタントラーメンの「出前一丁」がでかでかと貼られているのが特に印象的であった。大概は2階建てバスなので通常のバスよりも側面の面積が広いため、広告を張るとかなり目立つ。
香港島で特に賑わっているコーズウェイベイ(日本で言うところの東京都・渋谷駅周辺のような雰囲気)の大通り沿いには三越とそごう、路地を1本入ったところに西武と、このへんには日本の大手百貨店が集中している。それと、ここから約3km東のトラム通り沿いには大手スーパーマーケット(以下、スーパー)のジャスコがあり、日本と同様の大きな売り場面積のなかに多種多様の商品があり、香港に住む日本人向けの商品というか日本語の外装のまま輸出した商品も多数陳列されていて、もちろん地元の人は多いのだがやはり日本人も多かった。ただ、商品の値段は日本の7、8割程度で、日本に比べるとメチャメチャ安い、というほどではなかった。ここよりは中国産の製品を扱う地元のスーパーや市場のほうが断然安い。まあこれはジャスコも含めたイオングループが最も得意とする日本の郊外型スーパーと同様に、広い売り場面積のなかで食料品だけでなく日常の生活で必要なあらゆる商品に触れながら買い物をひとつの場所でまとめて済ませることができて、何でもアリの遊園地的な雰囲気も楽しめる、という利点を香港でも売りたいがための立地なのだろうけど。
それから、企業とはちょっと違うが、ハローキティやドラえもんやピカチュウを見かけることもあり、特に香港島のトラム後部にはドラえもんのラッピングが施されているのを数車両見て、香港には日本のモノが相当進出しているのね、と香港滞在中は四六時中驚いていた。
まあこれは香港に限らず、日本と経済的に関係が深く、日本人旅行者も多く訪れる地域では現在はどこでも見られる光景なのだろうが、他所の土地のなかで普段日本で慣れ親しんでいるそんな日本産キャラクターを度々見かけるというのも不思議な気分であった。

●日本製の物品と技術

繁華街では日本製の生活用品や電化製品を扱う専門店が多い。特にチムサアチョイではそういった店が多く、デジカメ、ビデオカメラ、ノートパソコン、MD、それに日本製ではないが日本でも大人気のipodなども日本とほぼ同様の品揃えで、東京都の秋葉原や大阪府の日本橋のような雰囲気の店もあった。

街を行く香港人を見ても、日本製品を使っている人が多いようで、一度、スターフェリーの桟橋近くで地元のカップルに(広東語と英語混じりで)写真撮影を頼まれたさいに受け取ったデジカメはパナソニック・ルミックスの400万画素くらいの撮影ができるものだった。僕が普段使っているコニカミノルタの200万画素のものよりも高機能で、僕も手ブレ補正ができるこれを買い替え候補に挙げていたのでちょっと悔しかったが、そのくらい日本製品が品質本位で受け入れられているというのを生で実感すると、ただ単に日本人あるというだけでも僕も少しは誇らしく思い、気分もそんなに悪くはない。だがその反面、最近は中国も日本製品の下請け大量生産の経験によって(調理器具やユニクロ・ダイソーの商品がわかりやすいか)、技術力が年々向上して、日本人の知恵と日本で築き上げられた技術がそっくりそのまま奪われてしまうのではないか? という心配もあり、あまりにも日本製品が諸外国に流出するのはどうなんだろう? という声もたまに聞き、こういう問題もあることは気になる。
ここ数年の中国の急速な経済成長ぶりを報道で見るともうある程度は日本の技術も流出してしまっていて手遅れの状態なのだろう、と店に日本製品とともに並んでいるそこそこ立派な中国製品を見かけるたびに、少し落胆する。香港の街を見ても、とても中国の力のみで発展したとは思えない光景がそこかしこで見られ、昔のイギリス統治や近年の日本企業の進出による資本主義の影響は多分にあることは街を1日歩けばわかる。

また、日本とはあまり関係ないかもしれないが、大きな街なので当然、携帯電話もよく見る。これはさすがに外国製のようだが(モトローラやノキア? 中国製もあるのか?)、やはりこれもかなり普及していて、日本と同様に若者が電話の液晶画面を見つめながら不安定な足取りで歩道を歩いていて、対向してくる人にしょっちゅうぶつかったり、路地を通るクルマを気にすることなく電話に熱中しながら渡るものだから、クラクションを数回鳴らされたりする様子も数回見かけた。このような携帯電話中毒症状に陥るのは日本に限ったことではないようだね。

●日本製のクルマ   

道路交通を観察していると、トヨタ・日産・ホンダの乗用車、三菱・いすゞのトラックなど、日本製のクルマが多く走っていることに気付く。あちこちの道路脇や交差点で香港滞在5日間のうち合計2時間ほど観察した結果をまとめると、全交通量のうち約3割は日本車ではないかと思う。
もちろん、日本でも高級車ともてはやされるメルセデスベンツやBMWのような欧州製のクルマも見かけたが(特に香港島の高台にある高級高層マンション付近でよく見かける)、それよりもやはり日本で普段見慣れたクルマを新旧問わずよく見かけた。なかでも日本と同様によく売れているトヨタ・ヴィッツやホンダ・フィットが特に多く走っていた。
街歩きをしていたあるとき、横断歩道はないが人が横断してもよい場所でちょっとした路地を渡り始めたさいにキュッキュッと急接近してきたクルマを、「いきなり来るなよな! 先に人が渡っているんだから少しは気を遣えっつうの!」と(僕が日本でもアホな運転をする迷惑ドライバーに対してやっている)ドライバーを牽制するという意味合いでクルマ(とドライバーの顔)を凝視すると、そのクルマの前面のマークとボディは見慣れたトヨタや日産のもので、通りすぎたその車両をよくよく見るとカローラやハイエースやサニーだったりする。外国の片隅で、自分の国で造られたクルマに轢かれそうになるというのもヘンな話だな、と苦笑することも数回あった。

●日本の飲食店

日本食を扱う飲食店も多く、街なかでは特に吉野家を多く見かけた。一度だけここで食べたのだが、ふつうの牛丼(豚丼?)や定食のほかに朝限定のメニューも数種類あり(米飯ではなくビーフンのような麺を使ったメニューもある)、すでに地元の人たちにも浸透しているようだ。日中は西洋人も多く利用していて、逆に本家の日本人は少ないように感じた。
ほかには、味千ラーメンも見かけた。ここは利用しなかったが、入口にあったメニューを見ると、日本製逆輸入? ラーメンのみならず、カツ丼やカレーライスのような日本ならではの料理が味わえるようだ。ちなみに、味千ラーメンは香港国際空港の到着ロビーにもあった。
また、街のある場所では「和民」「北の家族」という思いっきり日本語の看板の居酒屋も見かけた。僕も日本では和民にはたまに行くことがあり、店内の様子は日本と同じなのかな? と少しは気になったが、ここはひとりでは入りにくいな。利用客はおそらく日本から出張で来ている会社員の一団などが主なのだろう。
これら以外にも回転寿司や天ぷらや丼ものなど、日本料理を扱う店はいくつか見かけたが、それだけ日本人に目を向けた商売をしているのね、と改めて思った。まあこれは世界的に日本人は財布のひもが緩いだろう、というお金になりやすい“カモ”と見られて舐められている一面もあるためなのだろうけど。毎年、他国の人に比べると物欲がかなり深い買い物目当ての日本人観光客(カモ)がネギではなくゼニを背負って大挙してやってくるのだから、そうなるのも無理はない。

●日本人旅行者

香港は日本人旅行者が多く、繁華街を歩いていると日本語がよく聞こえてくる。地図の案内板でも、中国語・英語に加えて日本語が付記されているものもあるくらい。まあ香港といえば、ソウル・上海・台北・グァム・ホノルルなどと同様に日本から時間的経済的に手頃な距離にあり、それなりに発展もしていて、日本人が訪れやすい環境が整っているからなのだろう。街には日本語や日本製品が溢れていて、日本人にとってはそんなに違和感もない。比較的大きな店では店員からふいに「日本人?」と尋ねられることがあり、買い物をするさいにも「これは○○ドルね」と教えられることもあり、片言ではあるが日本語がわかる人も結構いた。地元の人もそんな対応ができるくらいだから、繁華街やヴィクトリア・ピークなどの観光名所ではそのぶんやはり日本人旅行者も多い。しかも2月中旬というこの時期は卒業旅行で訪れたであろう20代前半の若者が複数人で行動しているのをよく見かけた。
でもここに限らず外国を訪れたさいに不思議に思うのは、日本人は複数人で行動していることが多いこと。まあそのほうが何かと安全で、不測の事態に陥った場合でも対処しやすいことはわかるが、
「これからどこに行く~?」
「一緒に○○に行こうよ!」
などという、複数人ならではの他人任せの曖昧な言動や行動は、日本の主要観光地でよく見るそれと同様に、何事も自分で決断してその責任もひとりでしっかり受け入れるひとり旅をこよなく愛する僕の目からはなんとなく幼稚に見える。まあほかの国から訪れている人でも複数人で行動している人もいるが、日本人よりはひとり歩きをしている人は多かったように思う。
僕が好むひとり旅では自ら喋ることは出入国の手続きや食事や宿泊以外にはそんなにないし、日本人と中国人は似ているので判別しにくいため、ひとり旅の日本人か否かということもわかりにくいが、もっと自分本意の単独行動をしてもよいのではないか、なんでもかんでも同行者と見聞きしたいものがピッタリ一致するわけないだろう、と思う。
まあそういう団体旅行をする人たちの大半は、他人と一緒に行動することに重きを置いていて、旅する場所は二の次であることが多い。旅する場合の動機付けとしてはふつうは順番はその逆だと思うのだが(人数の多少以前に、自分が「行きたい場所」や「体験しておきたい物事」が第一義のはず、ということ)、まあ最近はこういう旅行形式も浸透していて、旅行会社の競争激化によって最近流行っている団体旅行を完全否定はしないが、ワイワイガヤガヤと内輪ネタ満載で騒がしく行動している日本人旅行者はなんか違う、と僕は思ってしまうのよね。

池袋・東京芸術劇場で舞台『OHダディー!』を観た

2006-03-01 09:04:10 | 普段の生活(日常)
池袋西口公園そばにある、東京芸術劇場。このへんで数年前に長瀬智也(TOKIO)が「ブクロ(池袋)最高ォーーーーー!!!」などと深夜に叫んでいたが、普段の日中は地元の住民や半住民の方々、そして近所の学校に通う児童・生徒や立教大生の憩いの場になっている。写真は2006年4月28日撮影、つまり後付け。


昨夜のことになるが、東京都豊島区西池袋の東京芸術劇場で舞台『OHダディー!』を観た。
(有)オン・タイム企画製作、福田陽一郎演出、川平慈英(かびら・じぇい)主演のミュージカル。ほかの出演者は、堀内敬子、平澤智、藤浦功一、花山佳子、高嶺ふぶき、佐藤輝。
これも2月上旬の下北沢・本多劇場と同様に、かねてから東京芸術劇場で舞台演劇を観てみたかったので、行ってみた。ここにある大・中・小のみっつのホールのうち大ホールは以前ある催しで一度入ったことはあるが、この公演で使う馬蹄形で演劇向きの中ホールに入ったのは初めて。
それに、「いいんです!」の決めゼリフでテレビ番組やCMでもお馴染みの川平の舞台出演ぶりもまだ観たことがなかったので、それも楽しみだった。

この公演は、この劇場で1999年から始まった「ミュージカル月間」の演目のひとつで、『OHダディー!』自体は2005年に続き2回目だそうで、開演中もそこかしこで笑いが起こるテンポのよいミュージカルであった。
ただ、僕は歌って踊るミュージカルがタモリと同様に苦手で、ふたりの演者が顔を10cmか15cmくらいまで近づけてハモるような場面は首筋がかゆくなるような感覚に陥るのだが(今回も終盤で川平と堀内でそういう場面があった)、川平についてはテレビ番組で舞台俳優らしい大げさな身振り手振りで出演していたという予備知識があったため、そういうお約束事もやるんだろうなあと事前に予測できて心の準備もできたため、拒絶反応はそんなに表れずにそこそこは楽しめた。
今回の主演というか目玉である川平の一挙一動を見ると、テレビで観るのと同様の相変わらずのテンションの高さで、そんなに大声を出し続けていたら血管が切れるんではないか? と思わず心配してしまうくらいの演技が終始見られた。
劇中ではサッカーボールを扱う場面もあり、読売クラブユース(現在のサッカーJ1・東京ヴェルディ1969の前身のクラブチーム)出身の元サッカー小僧である川平の本領? もおおいに発揮され、片足リフティングやまたぎフェイントのような、「あ、これはサッカーを相当やっていたな」と一目でわかる技を舞台上で披露していたりもした。
また、数分間タップダンスを見せる場面もあり、「ミュージカルは演技、歌、踊りがすべて含まれた総合芸術である」とよく言われる言葉も納得である。

客層の年代はは平日だからなのかやや高めで、(見た目では)僕よりも年上の人が大半だった。年代を問わず笑いを取れるのは良いことだ。まあミュージカルってふつうはそういうものか。
これも特にけなしようはなかったな。強いて言えば、出演者のマイクの音量がやや大きかったかな、と思ったことくらい。まあでも会場の広さを考えると、歌が大事な舞台だから仕方ないか。あ、そういえば、僕はこれで2月は演劇鑑賞を2回したことになり(今回も招待券のプレゼントに当選したのでほぼ無料)、すでに1年分観たことになる。まあ良い機会が訪れれば観られるだけ観ようとは思っている。

僕としては苦手なミュージカルであったが意外と楽しめて、そこそこは満足したが、なかでも今回最大の発見は、実は劇場でも主演の川平でもなく、その相手役?(妹役?)だった堀内敬子(けいこ)である。
堀内は今年大ヒットしている脚本家・三谷幸喜が監督した映画『THE有頂天ホテル』の23人の豪華主演陣にも含まれていたが、実はその大半の役者の出演作は(主にテレビドラマと映画でだが)観ていてそこそこは知っていたが、映画が3、4本撮れそうなその面子のなかに堀内の名前を初めて見つけたときは正直、??? と頭のなかに疑問符が付いた。で、プロフィールを見たりして調べてみると、ミュージカル王国・劇団四季出身で、『美女と野獣』や『キャッツ』などで主要な役で出演していたくらいの舞台演劇の逸材であることがわかり、なるほどね、と納得した。
この映画ではウェイターの丹下(これも川平慈英)からしつこく求愛され、客室係の同僚であるハナ(松たか子)と愚痴をこぼしながら働く、歌手を諦めたベルボーイの憲二(香取慎吾)から譲り受けたギターを背負った(抜けているんだかいないんだかよくわからない)睦子を映画初出演ながら好演していたが、各場面の豪華出演者とのやりとりでも特に違和感なく溶け込んでいた。
それを観たうえで考えると、本業の舞台のほうはどうなのだろう? と今回の『OHダディー!』でも川平の相手役として出演していたのでやや気になっていたのだが、やはり歌は上手く、声量もその音域の広さも申し分なく、川平の高いテンションの演技にもきちんと対応できていて、「オォッ! やるな~」と関心した。身長はそんなに高くないし、かわいらしい、というかめんこい感じの外見なのに、そこから湧き出てくるあの力強さはなんだ!? と驚いた。劇団四季で鍛えられただけのことはある。ふつうに歌手としてやっていくだけでもいけるのではないか、とも思った。自分が脚本を担当する作品に舞台役者をよく使う三谷幸喜が目を付けるのもわかるな、と今回の舞台を観て再び納得した。やはりミュージカルが最も得意なのだろうか。
今回の堀内は僕にとってはまさに目からウロコの発見で、舞台演劇に表から裏から生業として深く携わっていたり、雑誌『演劇ぶっく』を愛読していたりするような演劇通の人たちからすると「気付くのが遅いんだよ!」と叱られそうだが、たしかに遅かった。今まで知らなくて申し訳ない、という気分である。今後は特に注目していきたい役者である。
2月は上旬の辺見えみりと今回の堀内と、良い発見が続いたのは幸せなことだ。