思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

マナー以前の歩道問題

2008-04-30 23:55:58 | 交通・地理

7日午後、新潟県新潟市内を出歩いたとき中央区万代の萬代橋(架け替えを経て現在は3代目)を通って信濃川を渡ったのだが、橋の手前(南側)にこのような看板があった。

本ブログでも度々触れているが、歩道上で歩行者と自転車の通行帯を分けたって、どうせ自転車はお構いなしに歩道上を空きがあればどこでも通行するのだから分類する意味がないし、それ以前に道路交通法では自転車は車道左側通行が原則なんだから、自転車も歩道を走らせるこの表記は完全に間違っているってばよ。
まあ橋やトンネルの場合は特に車道もあまり幅員を広げられないから、自転車の通行する余地(この場合は車道外側線?)がなくてこのように造ってしてしまうのだろうけど、ここの場合は歩道をもっと狭くしてその空いたぶん(写真の図のなかの灰色の自転車の通行帯)の幅員を自転車専用レーンとして設定するのが本筋で、こんなに歩道を広げすぎるとどうしても自転車が流入してしまう。実際、自転車は多かったし。後ろから前から。

この写真を撮ったあとしばらく散策して薄暮時に新潟駅への帰路もここを逆方向に渡ったが、そのときは無灯火の自転車がこれまた多かったし。橋を横断中に40台くらいすれ違った、そして後方から追い抜いた? 自転車のうち過半数が無灯火で、しかも大概は時速20km以上出していて、危ないったらありゃしない、ああここでも自転車(主にママチャリ)は歩行者感覚の乗り物なのか、と落胆した。しかも運転していたのは県の中心地ということもあっていい歳をした(会社帰りの?)会社員やOLばかりだった。

でも冬場は積雪の多い新潟県では、自転車の歩道道通行頻度というか自転車の利用割合は他地域に比べるとかなり低くて、歩道上の歩行者対自転車の事故の割合も他県に比べると低いだろうけど(県内の自転車の登録台数や事故統計は見ていないのであくまで僕の推測だが)、それでもそのような真っ当な整備は当然行なうべきで、このような歩行者のなかでケガ人が多数出るはずのダメ歩道ばかり造ってはいかん。マナーを守れとかいう以前の問題だ。
なんでこういうふうに造るのかね。その感覚がよくわからない。人命にもかかわるこのような間違ったお仕着せはいいかげん勘弁ですわ。

拙著『沖縄人力紀行』の補足25 人力はダサいのか?

2008-04-29 10:00:31 | 拙著の補足・訂正
久々の補足。今年も(嫌味なくらい?)長いぞ。
先週発売の「週刊少年チャンピオン」08年21・22合併号で、ここで連載中の自転車マンガ『弱虫ペダル』の10話のなかの、高級車に乗った強面の兄ちゃんが自転車乗りの主人公たちをバカにする場面でのネーム(セリフ)で、

「自転車自転車て バカか ダセーんだよ 人力は」

というものがあったのだが、拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)もそれ以外の場も含めて「人力」を生涯の最重要課題として追求・追及している僕としては簡単に受け流すことはできない大問題で腹が立った。マンガを読んでいて本気で腹が立つというのは久々の体験ですな。
とはいえ、これは「動力」のクルマと「人力」の自転車という対比を狙ってあえて示した表現であることはもちろんわかる(この作者・担当編集者ともに自転車にかなり乗り慣れているほうなのかなあ?)。
以前同誌で連載していた(今年9月に映画化される)『シャカリキ!』以降年々増えている自転車系マンガでは技術的な講釈やマンガだけに人間模様を中心に描かれることが多いが、自転車を扱ううえでの真に現実的な、乗り物を扱うヒトの感情におよんだこのような表現はなかなか見られないので、読んでいて腹が立つのと同時に面白くも感じた(深読みしすぎ?)。

拙著のまえがきで、人力の旅は「しぜん」「やさしく(やさしい)」「カッコイイ」と書いたが、「しぜん」と「やさしい」については本文でも細かく触れたつもりではある(前者は人間の実力に見合った速度で行ける、健康的、後者はクルマ利用よりも二酸化炭素排出量は格段に少ない、騒音を出さずに静かに進める、とかいうこと)。が、みっつめの「カッコイイ」についてはほとんど触れていなかったかな。
でもこれは、自分がかわいい、自分のやっていることを美化しよう、と自己陶酔しているという意味ではなく、自分の五感を含めた全身を駆使・酷使しながら行く、エンジンとガソリン、つまりは他力に頼った動力の移動よりも自分の意思で行動を選択・判断する場面が多くてそのぶんより責任を持つ必要がある、という意味で「潔さ」がある行為である、ということ。動力に頼って必要以上に調子に乗ること(本文の170~171ページあたりで強調した)よりも、人力で慎ましく人間の身の丈に合った旅をすることのほうが正直で妥当な行為である、という信念が僕にはある。逆に言うと、移動するさいに動力に頼りきることを「ずるい」とか「卑怯」とか思っているふしも少々ある。

で、そのセリフで人力は「ダサい」と表現されていたが、でもたしかに僕も旅先でそういった言い分をたまに聞くことがあり、なぜ人力移動は世間ではそんなふうにバカにされる傾向にあるのだろうか? と考えることがよくある。
まあ簡単に考えるとこれは、クルマや新幹線や飛行機のような便利な移動手段が発達している現代で、あえて全身を駆使して汗かいてベソかいて風雨に晒されてもみくちゃにされて汚くもなってさらには経済的にも困窮しながら節約しながら移動する自虐的な行為である、そして当然ながらクルマや二輪車よりも維持費も含めて安価な移動手段だからその価値が低く見られる、さらには現代のクルマ社会において道路上では動力が幅を利かせていて「みんなが乗っているからオレも乗る」という多数決的な発想から現代では少数派である人力を排除する傾向にある(中国のチベット弾圧の構図に似ている)、という主に3点の理由から人力はダサい、と見られるからなんだろうけど。

ほかにも、格好が野暮ったい、動力のほうが馬力があって強い、速度も出せて速い、クルマであれば運転するさいに硬いボディに囲われて安全、人力では交通法規を守らないヤツが多い、とかいう細かい理由もあるだろうか。でも馬力や速度についてはエンジンとガソリンに頼ったうえで初めて実現できることだからねえ。それを扱う運転者の真の実力ぢゃないからねえ。近年、そこを勘違いしているヒトが多いよねえ。
それをなんのたいした考えもなしになぜか(他力に頼っている状態で強がって)上から目線で旧来の人力をバカにする、人生のなかでの重要課題というような意気込みで人力で本気で旅して移動して生きている様子を虐げるという感覚が僕にはよくわからない。

自転車について言うと、近年はフレームや部品の組み方によってはクルマ以上に値の張る高級な自転車も作れたり、自転車をMTB、ロード、ピスト、折りたたみ小径、ママチャリなど複数種類をクルマ1台分以上出費して所有して目的によって使い分けたりして、現在は価値という点ではクルマと対等かそれ以上にもできるのだが(最近、東京都板橋区に自転車乗りのためのマンションも造られたし)、一般的にはそんな細かいところまではわかりにくいか。今は自転車というと1万円未満でも買えてしまう(交通では歩行者の感覚に近い)ママチャリが物量的にも精神的にも浸透しているからなあ。

どんなヒトでも自分でお金を稼げるようになる前は、運転免許を取得する前は主に徒歩や自転車による移動で生活していたはずなのに、歳を取るにつれて裕福? になってクルマやオートバイのような動力を持つようになってそれに頼る(他力本願の)割合が高まることによって信念がブレるもしくは失われるからこそ、過剰に調子に乗ったりするのではないかと思う。しかも無意識のうちに。動力にばかり頼っているヒトというのは、人間は元来人力で移動する生き物だ、という人間としての基本というか“初心”を忘れている、もしくはそれがポロポロと徐々に欠落している寂しいヒトたちなのではないか。
だから、車道上で自転車にわざと幅寄せしたり不必要なクラクションを鳴らしたり、歩行者の多い細い路地で爆走したりするようなバカグルマを見たり実際にかち合ったりするたびに、これまた腹が立つのと同時に「(自己満足しか考えない、他者との接し方に気が回らない)ガキンチョだなあ」と、ヒトとして成熟しきれていないんだなあ、とその運転手の顔を見て哀れに思うことはよくある。程度の差はあれど、どちらかと言うと動力よりも人力で移動するヒトのほうが見るもの感じるものは多く、人間としての成熟度は断然高い、と思う。

旅するにあたって動力に頼って多くの点ばかりを巡ってお気楽に行くのもアリだとは思うが、あえてそれに頼らずに人力で線を延ばしながら行くほうが旅自体もそこから生まれる発想や思考もより充実すると思うけどなあ。近年目立つ好例では“グレートジャーニー”の関野吉晴や“リヤカーマン”の永瀬忠志の旅があるが、そのようにあえて人力で行くほうが、観ているほうもそのヒトの信念をひしひしと感じられると思うのだが。
ただ、その度が過ぎると生死の境の淵をギリギリで渡るような、安穏とした生活を送る一般人からすると尋常ではない行為に行き着くこともたしかによくあり、1984年2月に厳冬季のアラスカ・マッキンリーの登山中に遭難した植村直己、2001年5月に北極海を徒歩横断中に遭難した河野兵市、今年2月に熱気球による太平洋横断に挑んで消息を絶った神田道夫、などの冒険者が、人生のなかでそういった冒険的行為をその中心に据えて、結局はこの方々は残念なことに悪い結果のほうに傾いてしまったが(でも当人たちにすれば好きなことをやったうえでこうなったのは本望なのかもしれないけど)。

ほかにも、そのような冒険的行為を経て生き残ったヒトのなかにも、あとで脳の機能が低下したり凍傷によって手足の指を切断したりするような後遺障害を抱えるような、命は獲られなくてもタダでは済まない事例もあるが(行為の規模が大きくなるにつれて、あとで多額の借金を抱えるという問題もあるかな)、でも信念を貫いたうえでそのような結果を迎えても、自分のやったことは間違いではない、後悔していない、障害を障害とは思っていない、といういくらか前向きな心持ちになれるのであればそれはそれでその当人の人生のなかではアリのことだと思う。それを安易にダサいと、言い換えるとたいした信念もなく安全というか無味乾燥な立場のヒトの側からナシと批判・否定するのはおこがましいことだとも思う。

ここまでわかりやすい人名で事例を挙げたが、このような強い信念を持った人力主体で行く行為者が行なったことを(神田さんの熱気球は人力とはやや異なるかもしれないけど、僕は熱気球は動力よりは人力に近い行為だと思っている。これについては雑誌『Coyote』No.18と今月発売のNo.27に詳しい)、ダサい行為か、というと僕はそうは思わないのだが。一般の安穏とした人々に比べると数倍、いや数十倍熱く生きたこれらの行為を、結果はともかく過程を見てダサいと断言できますか? 動力頼みで安直に生きている方々。僕はカッコイイと思うけどなあ。これでダサい、と断言できる方がもしいらっしゃれば、その理由をぜひ聴きたいものだ。

だから僕は近年、そういった旅においての信念や潔さの数々を多く感じられる地平線会議という集まりに関心があって入れ込んでいるわけで(まあそのなかでもやはり人力の旅話が大好物なのだが)、それ以外のちょっとした旅話を聴くような催しでは生ぬるいな、と感じることがよくある。
先日もある別の旅の催しで、特に南米に強い旅人のバックパッカー的な旅話を聴く機会があったのだが、僕は正直、そこからはあまり信念を感じられなくて一部を除いては予想外に楽しめなかった。

最近、旅人が旅先で出会った人物とのできごとや、動植物やモノの写真を見せてそれにツッコミを入れて笑いを誘う、つまりはそれらをネタとして取り上げて短時間に消費する見世物的なつくりに仕上げる催しが多いが(そういった雰囲気の、特に若い女子にウケそうな軽めの旅本も増えているね)、僕としてはもっとその地域の現状を的確に報告したりその旅人の信念をさらけ出したりする、それこそ1冊の旅本を読むに等しい催しにできればいいのに、とよく思う。話を聴くのに来客からお金を取るのであれば尚更のこと。ウケ狙いで面白おかしくすりゃあいいってものでもないでしょう(まあこれはヒトによって趣味嗜好も差もあるから、嫌だったら聴きに行かなきゃよいだけのことでもあるが)。
これは拙著のあとがきでも触れているが、最近の旅行業界は何事も、良く言えば敷居が低くなったけど、悪く言うと軽薄になったよなあ、とも感じる。

しかもその催しのあとの深夜の2次会3次会のような場で、ある人が地平線会議のことに言及したさいにその本質をうろ覚え程度にしか知っていないうえで批判的なことを言っていたために、このヒトはちょっと違うな、といぶかしく思って不愉快になったりもした(でも逆に良く言うと、自分の価値観と異なる言い分が聴けて新鮮に感じる)。
僕は好物の旅話を聞いて違和感を覚えることはあっても腹が立つまでのことはめったにないのだが、このときばかりは久々に腹が立ち、旅の手法や考え方は旅人の数だけ無数にあることをわきまえて、ひとつの対象をきちんと認識したうえで批判するのはかまわないが、たいして知る努力もしていないくせに軽口を叩くとは何様だ、と(発言していたのは歳上のヒトだったが)わざとオマエ呼ばわりで反論しようかとも一瞬思ったが、場の雰囲気を考えてやめておいたけど。

まあ最近、旅話に関するそんな問題? もあるにはあったが、冒頭のネームに戻って、僕としてはやはり動力利用よりも数段潔いと感じる人力の移動手段や旅はダサいとは思わない、断然カッコイイ、という思いには現在も変わりなく、たいした信念もないくせに安易にダサいとか違うとかのたまう人々(「輩」と呼んでもいいかな)には、今後もツッコミを入れていくことにする。
二足歩行することは、岩や沢をじりじり登り詰めることは、自転車のペダルを漕ぐことは、スキーやスノーボードのエッジを効かせてターンすることは、カヤックのパドルを握ることは、バカな行為ではなくより思索が深まって頭も良くなって、体力も付いて健康にもなって、周りの物事により敏感になって五感も鋭くなって、地球に暮らすいち動物としては動力に頼りきりの状態よりも間違いなく成長できる行為である(まあ無理に成長しなくてもいいけど)。

12日の投稿で触れた『自転車をめぐる冒険』(東京書籍刊)という本にもあるように、これからは自転車を含む人力の移動が一過性の「流行」や非日常の行為ではなく、「文化」として尊重されて日常の当たり前の行為になり、産業革命以降の欧米の文化の影響を過剰に受けていない、それこそ江戸時代以前に近いくらいに人力で真っ当に移動できる世の中になってほしいと切望し続けるし、それに関して手伝えることがあれば協力していくつもり。
まあ僕としては、初心を忘れずに、周りからダサいと言われようともとにかく自分らしい、自分で腑に落ちるカタチの旅と生活を今後も続けていって(ついでに言うと、“ダサイタマ”の国に長年住んでいますが何か?)、カッコイイか否かは周りが評価・判断すればよいだけのことだ。でも、人力にこだわっているというだけで今の時代カッコイイんではないか、とはちょこっと自認している。


なお、2007年11月の「拙著『沖縄人力紀行』の補足24」と、同年12月の「拙著『沖縄人力紀行』の補足25」はまだ保留中で未完成。過去のことで調査中のことも少々あり、先送りになっている。そろそろなんとかしたい。



沖縄県の過去写真。2005年1月9日、本島最北の辺戸岬から半日かけて辺土名まで歩いて南下してみた。さらに3年前の拙著の自転車旅のときは北上中に強い向かい風にやられて顔があまり上げられずに周りの景色をほとんど楽しめなかったこの約12kmの区間をなんか歩きたかったのよね、ということで歩いてみた。この区間内にある「カニ注意」の黄色の注意標識や西方に浮かぶ伊是名島・伊平屋島も含めて、動力利用よりもやはりより移動速度の遅い人力移動のほうが見えてくるものや感じることは多い。
右奥に見えるのは赤丸岬で、この近くに県内でも比較的有名な保養施設「JALプライベートリゾートオクマ」がある。

第6回一箱古本市初日に見る悲哀(竹原慎二ブログのような間合いで)

2008-04-27 22:00:10 | その他趣味

今日、不忍ブックストリート・第6回一箱古本市の初日にひとりの客として行ってきたのさ。








でもそのなかのある出店で、本に挟まれたスリップ(短冊)の値段を見ると、その本に残っていた、古本屋で扱う本によくある本の奥付の隅に鉛筆で書かれた値段からさらに上乗せした金額が明示されて販売していた本があったのさ。









そのふたつの金額を同時に見ると、セドリで儲けようという魂胆が見え見えではないか。










せめて鉛筆書きくらい消してくれれば、客としても複雑な心境にならずに済んだのに。大人って、欲が深いんだね。











ではまた。

5月3日、不忍ブックストリート・第6回一箱古本市に出店します

2008-04-26 01:00:58 | 拙著の情報

先日も少し触れたが、昨春もかかわった東京都台東区・文京区の谷中・根津・千駄木界隈、通称“谷根千”の「不忍ブックストリート」の一箱古本市に、昨春に続いて出店することになった。これは毎年春と秋に開催していて、今回が6回目。

この催しの詳細と雰囲気は昨年の本ブログ2007年4月19日~5月1日の投稿や不忍ブックストリートのウェブサイトをご覧いただけるとわかると思うが、まあ簡単に言うと事前に応募した出店者たちがダンボール1箱分の古本を持ち寄って1日のみ古本屋よろしく書物を販売する催しのこと。
で、僕の場合は当然ながら拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)をその中心に据えている。書店営業がダメなら手売りだー! と今年はこの催しにかなり力を入れていて、拙著を売る気満々。でも、規則で自著はあまり大量に持ち込めないのだけど。あくまで古本を売り買いする場なので。

期日はこれまでは1日に100箱の出店での開催だったが、今回は2日に分けて50箱ずつ別の日に開催するとのことで、初日が明日4月27日(日)で2日目は5月3日(土・祝)で、僕は後者に出店することにした。

屋号は昨春同様に「人力旅人の本箱」で、主に僕の得意な人力移動の旅の本を扱うためにこの名称となった。
場所は不忍通り沿いの「クラフト芳房(ほうぼう)」(住所:東京都文京区根津1-26-5-106)。
最寄り駅は、東京メトロ千代田線千駄木駅・根津駅。先日下見に行ったのだが、このふたつの駅のちょうど中間くらいにあり、一応は大通り沿いなので人通りも結構あり、集客にはさほど困らない、と思う(上の写真参照)。
開催時間は11~16時。しかも雨天決行。というのも、出店場所である「大家」さんは雨風がしのげる場所というふうに事前に決めてあるため、ちょっとの雨が降るくらいであればできる、ということらしい。まあとにかく、当日は昨年同様に好天になるように心底祈ろう。

ほかの出店の状況は、サイトを見れば一発でわかるのでそちらを参照してほしい。ちなみに、僕の知り合いでは「野宿野郎」と「放浪書房」も僕と同じ3日に出店するのだが、ホントはこれらの販売状況も冷やかしついでに覗きに行きたかったのだが、なんと同じ日にかぶせてくるとは、しかも交代要員なしでひとりで出店する身としては覗きに行きたくても行けないではないか、とやや落胆。まあいいや。どなたか、30分程度でもよいので当日の店の切り盛りを手伝っていただけるととても助かるのですが。

ちなみに、不忍ブックストリートのサイトの出店説明で拙店は「旅」に関する書物を扱う、とあるが、すでに用意した書物を見ると基本的にはたしかにそうなのだが、ただ「人力」と「旅」という非日常を重んじる拙店の趣旨からは少々離れた、日常の生活寄りの書物が予想外に多くなった。まあでも、普段の散歩や食べ歩きのような行為も小さな旅と捉えれば旅と言えるはずなので(こじつけだ、なんて言わないでおくれよ)、まあそこはご容赦いただきたい。日帰りで行ける場所も心持ち次第では旅なのだ。

なお、今回は昨年以上におまけというか特典を充実させているので、おおいに期待していただいてかまいません。とりあえず決めていることとしては、拙著または拙著以外で合計1000円以上お買い上げの方には、ほぼ漏れなくあるモノを差し上げる予定。その内容と、今回出品する(拙著を含む)計55種類の書物の全容は当日来てみてのお楽しみということで。まだ準備が終わっていないや、早く仕上げないと。

では当日、心よりお待ちしております。よろしくです。


あと、最近読んだ久世番子の本好きエッセイマンガ『番線-本にまつわるエトセトラ』(新書館刊)の後半でも一箱古本市のことに少々触れているので、こちらも参考に。
ちなみにこのマンガ、出版業界に身を投じている方、特に編集者やミニコミ・同人誌を主宰している方のような、実際に本を作っている方は読んだほうがよいと思う。なかには写植や校正の話もあり、僕もおおいに参考になるし、笑える。面白い。おすすめ。

ようやく鉄道博物館に行ってきた

2008-04-25 23:00:27 | 交通・地理

今日、2007年10月に埼玉県さいたま市大宮区に開業した鉄道博物館に行ってきた。
それから6か月経過して、比較的その近場に住んでいる埼玉県民のくせにようやく遅まきながら行くことができたが、その間に入場者数は早くも100万人を突破したそうで、人気は凄いらしいね。今日も平日にもかかわらず10時の開館前から100人以上並んでいたくらいだから、その人気はたしかなものなのだな、と入口から圧倒された。

周りの来場者を見ると、大半が保育園・幼稚園児かそれよりも幼い子を連れた家族連れだが、東京周辺の観光の一環として関東地方以外から訪れたらしき年輩の団体や、背広姿の何かの視察か研修といった風情の中年男性の集団もいて、完全にお子様の世界という雰囲気ではなかった。まあこれは平日だからこんな感じなんだろうけど、一応は博物館だからなあ。
昼頃になると修学旅行で訪れたらしき中学生や大学生らしき若者集団や20代くらいのカップルも見られるようになった。なかには小学生もちらほらいたが、いくら連休前でも平日だったのに、小学校はどうしたんだ?
ちなみに、かく言う中途半端? な年代の僕は仕事をやりくりして無理矢理休日にして行ってみたのだが。

で、10時の開館から約5時間かけて館内全体を見回った。2006年5月に終了した東京都千代田区の交通博物館時代にもあった1階の運転シミュレータを体験し、同じく南側にあるヒストリーゾーンにこれでもかこれでもかと展示されている過去に活躍した鉄道車両をひとつずつ触って座席に座ってみたりもした(午後、座席で昼寝も少々してみた)。
さらには交通博物館のときの2倍以上の大きさはあるだろう(25×8mの)日本最大のジオラマとそのなかでのHOゲージの鉄道模型の走りを、運行中は静かにしようねと案内のお姉さんに事前に注意を受けたことも忘れてはしゃぎまくるお子様たちとともに堪能した。まあ実際に運行が始まって時間経過につれて空の明るさが変化したりするとこの興奮と騒ぎっぷりになるのは仕方ないか。幼い頃はプラレールで遊びまくった僕もその高揚感はわからなくはない。

僕もジオラマも含めて館内のあちこちで鉄道に関するあれこれを見て触っていちいち興奮して、うひょー、すげー、これは交通博物館にはなかったよなー、などと思わず声を上げまくりながら館内の雰囲気を楽しんだ。大人気ない、という言葉はここでは通用しないのである。

僕は真性の“鉄ちゃん”ではないと自認しているけど、旅の最中に鉄道に乗るのは好きなので館内にあるものすべてが楽しい。温故知新もあり、旅情もいくらかかきたてられる。
そんなこんなで興奮しすぎて15時に1階のレストランで遅めの昼食を摂ったときにはバテてしまい、眠くなった。ここを見学するさいはペース配分をきちんと考えないといかんね。

それと、この博物館名物? の北側の屋外のミニ運転列車も当然試してみた。入館料金1000円(一般)とは別に運転するのに200円出費する必要があるが、事前予約を経てやってみると超楽しい(3週間ほど前から、先着順から東京ディズニーランド・シーのファストパスのような時間を区切っての予約制に変更された)。
操作は運転シミュレータとほぼ同じだが、低速ながら小さいながらもレール上の車両を自分の意志で動かせるのだから、画面のみのシミュレータよりもやりがいは数段ある。電車の運転をする、という子どもの頃の夢がここでちょこっと叶い、嬉しい(今は勝手気ままにあちこちに出かけているが、保育園~小学校低学年頃までの将来目指していた職業は鉄道の運転士だった。安定指向というわけではないけど)。
これ、予約制で1人1日1回しか運転できないらしいが、平日の15時以降のような比較的空いている時間帯であれば複数回やらせてほしいなあ。これは何回やっても楽しいはず。

交通博物館よりも敷地面積が広く取れ、しかも建物の東西に鉄路があり、東側はJR高崎線・川越線などの在来線、西側の高架線路ではニューシャトル・新幹線がひっきりなしに南北に通過し、とにかく内部も建物の周囲も含めて鉄道にどっぷり浸ることができる施設で、さらには3階のビューデッキや屋上のパノラマデッキから新幹線の豪快な走りっぷりも眺めることもできる。

ほかにも車椅子での見学も考慮したバリアフリー施設であったり、入館と館内の買い物はSuica・PASMO・ICOCAのICカードで支払いできたり、喫煙所や子どもが遊べるキッズスペースもあったりと現代的な造り。土産品も鉄道に関するなかなか練りに練られたものばかりで面白い。年代を問わず楽しめる施設なので、今後もしばらくはこの人気は続くな、と見た。26日からの(開業後初の)大型連休中は凄い人出になりそうだな。連休前の比較的静かなうちに行っておいて良かった。

なお、館内の施設や展示で僕個人的にツボにはまったのは、1階入口すぐのエスカレーターを上って2階に着くとすぐに出合う東の窓側のステンドグラス(作者名は忘れた)、同じく2階の鉄道歴史年表のなかのバスや船や飛行機などの鉄道以外の交通機関の年表、北側のラーニングホール2階の鉄道の原理や輸送に関する体験学習施設、のみっつ。なんのこっちゃ、と不思議に思う方は、まあまずは一度行ってみてほしい。行けばわかる。
で、結局は時折休憩を挟みながら18時の閉館時間まで館内でしっかり堪能した。ホントに文字どおり丸一日楽しめる。

ここの会員組織「Teppa倶楽部」に加入すると年間フリーパスが3000円(一般)で買えるそうで、そうなると年に3回行くと元が取れるが、ホントに大好きな人にはこれは得かもしれない。
僕も地元から鉄道で交通費は片道390円、時間は1時間半くらいで手軽に行ける場所なのでそのくらい通えなくもないが(埼玉県民であるこの状況って、鉄道好きからするとうらやましいこと?)、まあ今後もそんなに頻繁にとはいかないが毎年訪れてみようかと思う。実は自転車でも鉄道利用と同じくらいの時間で行けるので、次回は自転車で行ってみようかな。

今年は(も?)迫力なしのさいたまダービー

2008-04-21 01:11:11 | スポーツ

昨日の午後、埼玉スタジアム2002で行なわれたサッカーJ1・浦和レッズ対大宮アルディージャ戦、つまり「さいたまダービー」を昨年に続いて観に行った。結果は0-0の引き分けで、可もなく不可もなく、得点もないために盛り上がりに欠けるあっさりした試合内容であった。昨年も似たようなものだったっけか。
見方によっては、高価な指定席で観ていた浦和寄りの人のなかにはカネ返せ、と不満だった人もいたのではないかと思うくらい、それに今年はTBSもせっかく生中継を組んだというのにテレビ映えもしない、セルジオ越後も激怒しそうな内容だったかな。

僕がかねてから応援している浦和だが、先月の開幕から2試合を無得点で連敗したときにはどうしたんだ、今季新加入のFW高原はまだドイツ仕込みの挨拶代わりの仕事もろくすっぽできていないではないか、と気を揉んで胃も痛くなった。が、昨年からの懸案? だったオジェックからエンゲルスへの監督交代を経て、その後はDFの闘莉王を中盤に入れてどんどん攻撃参加させるという奇策? に出たり、途中出場が続くFW永井が腐らずに良い結果を出し続けたりして連勝して(これによって先頃、日本代表にも久々に呼ばれたが)、前節は天敵? の鹿島にも勝ち、今月に入ってからは連勝でかなり上向きになってきたから今日も良い試合運びができるだろうと予想していた。

だが、昨日はFWは高原、(これまた今季新加入の)エジミウソン、そして永井もスタメン起用して浦和では珍しい3トップになり、キャプテンマークを付けた闘莉王がトップ下でもボランチでもなくど真ん中で攻守のバランスを取る感じで、これまでとはやや異なる攻め方だった。
前方のFWから積極的にボールを奪いに行って仕掛けるその布陣も悪くないが(いわゆる“FWの守備”というやつか)、そうなると相手DFがずっと下がってしまって突破しにくくなり、3人ともが前にいるために中盤2列目から前線へFWを追い越しながら飛び出すような縦の攻撃が見られず(まあ3人が横1列に並ばずに2人が前で1人が下がる、というのはいくらか意識していたんだろうけど)、得点の好機はなかなか生まれず、攻めているときの迫力も正直言ってなかった。

MF山田やDF坪井のような主力も昨日は控えにまわり、MFのポンテや鈴木啓太(さらには三都主も)までもが出場していない状態で、中盤からの高精度のパスや高感度のフォローなしで3人のFWだけで突破するのは厳しいなあ、実力的には格下の大宮にこれだけ苦戦するとは先が思いやられるなあ、と生で観戦していて先行き不安に思った。

今季ドイツに移籍した、中盤でのそういったプレーができる小野と長谷部が抜けたのは長期的に見るとかなり痛手だと思う。その役割を今季新加入の梅崎が担えるかどうかが今後の課題かも。梅崎、それと細貝の北京五輪代表候補のふたりの若手MFは成長のためにももっと長時間起用していくべきだ。

そんな極私的な評価を下しつつ久々に浦和の試合を観戦したが、闘莉王を本来のDFに戻したり、FW田中達也も途中からでももっと起用したりして、選手は変わっても早く昨年のような安定した試合運びができれば、と願う。闘莉王の奇策もそんなに長くは続けられないだろうし。
今季の浦和は昨年ほどの迫力はなく、リーグもナビスコ杯もACLもすべて闘い抜くことができるのかどうか心配になってきた。が、練習時から対話を重視するエンゲルス監督が今後どのような采配を振るうのかはしっかり見届けるけどね。

ただ僕個人的には、DFは3バックでもいいけど、FWはやはり2トップが妥当かと思う。高原が今後も不調続きであればスタメンからはずすという荒療治も必要ですな(どう見ても今は永井のほうが好調だから)。まあ昨日は良いドリブル突破からシュート、という見せ場も1回だけあったけど、まだ精神的にドイツから完全に帰国していない(復調していない)感がある。今季なんとかもう1、2試合は観に行きたいので、それまでに10点くらいは獲って早く帰ってきてほしい。
日本代表の岡田監督は以前の実績のある選手で固めるのとは違って、今はリーグで好調な選手を代表に呼んでいるので、まずは日々の試合に集中しないとね。


※2008年4月22日の追記
以上は思いっきり浦和寄りの内容になったが、対戦した大宮サポーター目線で考えるとよく守った、抑えた、ということになるか。
昨日、TBSの中継を録画したものを改めて観てみても、浦和だけには負けないという気迫が、浦和が大宮に対してのそれよりも強いことが伝わってくる。この試合の大宮の選手では特に、MF金澤の評価が高いようですな。
まあ大宮にもMF波戸やFW吉原など日本代表経験者は数人いるし、戦力は年々整ってきているように思う。9月の再びのさいたまダービーは大宮公園のNACK5スタジアム大宮で大宮のホームゲームとなるが、最近改修されたこの球場でダービーを闘うのは初めてということでこれもできれば観に行きたいですなあ。
ちなみに、上の後付け写真の後半11分でシュートを打っているのは浦和のFW高原。ホントにいつ帰ってくるのかねえ。写真はバックスタンドSC席から望遠で撮っていたので、画質は諦めた。

出会いが広がる? 100万ブログ

2008-04-19 09:59:48 | その他趣味
といっても、単位は「円」とか「組」とか「回」とかではなく、gooブログの登録件数が18日で100万を突破したようで。ここだけで延べ? 100万人のブログ持ちがいるということね。

僕が2006年1月に開設したときは50万件ちょいだったと記憶しているが、ホントに毎日開設者が右肩上がりで増えていて、驚き。

まあ今後も何かの縁でほかのブログ持ちの方との出会いもあるかもしれないので、それも今後の楽しみにしたい。

30回目の「川中島合戦戦国絵巻」の群集に紛れ込んでみた

2008-04-14 22:00:11 | その他趣味
13日、山梨県笛吹市でこの時期に毎年開催している「桃の花まつり」(今年で4回目)のなかの一大行事? である「川中島合戦戦国絵巻」に、本ブログにも度々コメントをいただく歴史と城好きのべっち氏(華の若武者)の誘いに乗り、野宿仲間とともに計12名で参加してみた。べっち氏とはたまに一緒に野宿したり、ほかにもサシで食事やカラオケに行ったりもする間柄。
僕も今年で30回目のこの催しは数年前から報道で知っていて一度は観に行こうと思っていたが、まさか今年になって見物よりも先にいきなり参加することになるとは思わなかった。

これは約450年前の長野県の川中島で武田信玄と上杉謙信が戦った戦国時代最大と謳われる規模の合戦を再現したもので、昭和54年から始まって以降毎年、この時期に祭りの最終日に市内の笛吹川の河川敷で行なわれている。
なんで長野県ではないのにここで川中島かというと、旧石和町内に川中島という地名があったからということで、しかもここは甲斐の国、今もこの地域ではスーパーヒーローの武田信玄のお膝元ということもあってこのような企画が生まれた。でも最近は昨年のNHK大河ドラマ『風林火山』の影響で、山本勘助のほうが人気はあるのかな。

簡単に言うと約800名の鎧武者が武田信玄軍・上杉謙信軍に分かれて合戦するのだが、そのうちの700名を3か月近く前から一般公募し、基本的には1班10~20名で参加する(個人でも参加できるが、ほかの参加者との混成の班に加わることになる)。武田・上杉軍どちらに付くかは選べないが、まあとにかく鎧を着てわらじを履いて剣も携えて旗まで掲げて、と参加者みんなが戦国時代の武者になりきり、冷静に見るとさながら集団コスプレ大会というか大規模なチャンバラ大会という感もあるが、そんなことはあえて気にせずにとにかくその当時の状況を想像しながら感情移入した。

当日9時に笛吹川の近所の小学校に集合して、鎧(といっても布製。でも班の大将と副将はもっと硬い豪華なものを着る)の着付けをして、簡単なリハーサルも済ませて、昼食後にいざ決戦の地へ移動、という段階を踏むとだんだん士気も高まって、午後に合戦の見物客が多く訪れる笛吹川の河原に着いて、方々から「頑張ってー」とか声援を受けたり写真を撮られたりすると、恥ずかしさも薄れてきてそんなに悪い気分ではなくなり、鎧を着ていることによってなんだか普段以上に態度も大きくなって徐々に戦へのやる気も出てきた。

河原で紺色の上杉軍、赤色の武田軍の順に出揃い(山梨県内のここで行なうとなると上杉軍にとっては雰囲気的には敵地の感がある)、ちょっとした演舞、この信玄・謙信の戦から生まれたことわざ「敵に塩を送る」の再現、謙信のお膝元である山形県米沢市から毎年迎えている米沢藩稲富流砲術隊による火縄銃と大筒の発砲(銃は重量が20kgあって扱いが難しいそうで)、さらには両軍2頭ずつではあるが騎馬戦、といろいろ行なわれ、実際にこの群集のなかに紛れ込みながらそれらの流れを見ていくとなかなか楽しく、気分もだんだん盛り上がってくる。この催しを実際に川の対岸から見物していた方には夢を壊すようで申し訳ないが、参加者も大半がデジカメや携帯電話のカメラでこれらの光景をバシバシ撮影していた。だって、普段そう簡単に見られることではないからね。

そして15時すぎに両軍の武者全員が一斉にワーッと敵陣に駆け出して合戦を繰り広げ、みんな剣や槍を持ちながらほぼ全力疾走しながらぶつかり合った。ただ、ケガ防止のために実際に敵? と交わるときは相手の身体を剣と槍で突かないように、という事前の注意はあり、でも剣で斬る仕草くらいだったらやってもよい、というかどうせ気分が高揚してやってしまうだろうということで、実際には5分弱だった? 最後の合戦では剣を抜いてみんな方々に斬りつけていた。しかもおおむね笑顔で、この非日常の空間を存分に楽しんでいた。

まあホンモノの戦国時代ではもちろん戦が日常の世界で、斬るか斬られるか、死ぬか生き残るかという常に緊張感が漂う世界で毎日そんな甘っちょろいことを言ってられない状況であったことは学校の歴史の授業や歴史小説やテレビドラマ・映画によって頭ではわかっているはずだが、このように祭りごとで疑似体験ではあるけれども格好からきちんと準備したうえで体験していくと、机上の勉強で得た知識だけではわからない当時の群雄割拠ぶりが身体になんとなくではあるがすっと入りこみ、失礼ながらも楽しい。やはり(頭でっかちにならずに)体験して知恵を付けることが重要で、体験に勝るものはないのだな、ということを改めて考えたりもした。

ちなみに、両軍ともに大半の班はそうやって敵陣に突撃したいがために行け行けドンドンで突っ込む傾向があるようだが、みんなして突っ込みすぎると信玄公と謙信公の守りが手薄になってその首を獲られやすい、という危機的状況にも陥るため、ウチの班は最後は謙信公の守りに徹して、そこに猪突猛進してくる敵兵を力ずくで蹴散らしたりもした。でもその場面もみんな面白おかしいという感じで笑顔で楽しんでいた。
で、結局は痛み分け。昔のホンモノの川中島の戦いも、どちらかが一方的に大勝したという感じではなかったらしいね。

そして、合戦が終わって再び見物客から労われながら引き揚げて、16時には終了・解散となり、参加者はこの近辺の石和温泉の入浴が無料となるということで入浴し、打ち上げをし、帰途に就いた。
僕も事前予想よりも随分楽しめて体力はまだ残っていたものの気力は使い果たして、打ち上げでビールを飲むと即座に思考停止状態となったが、まあYouTubeでも多く投稿されているこの催しの過去の動画を観るよりも実際にこの合戦の動きを丸一日体験できて、有意義な一日であった。

地理は得意だけれども歴史にはやや疎い僕としては、もっと日本の歴史を改めて勉強しなきゃなあ、と意を新たにした。各地を旅していても、城跡や文化財や古道など、その土地土地の歴史にまつわる事象や話題にもしょっちゅう触れるからなあ。現在だけでなく過去のことをもっと知っておかないと、という意欲はここ数年強く抱いている。なかでも沖縄県は特に気になり、沖縄県の高校の歴史教科書を所有して度々読んでいるくらい。
戦国時代に関しては以前、パソコン・テレビゲームの『信長の野望』で少し遊んだときから知識量はほとんど増えていないので(やはり主人公の織田信長だけプロ野球ゲームの巨人のようにデータ的には強くて有利な展開になるよなあ、とか、毛利元就はゲーム開始時からいきなり歳食っていてそうなると矢は3本どころか1本ですら折れないんぢゃないのかなあ、とか)、とりあえず『詳説日本史』(山川出版社刊)を再読するところから始めないと。

べっち氏からは来年も参加しよう、と誘われているが、今後はどうしようかな。昼食の弁当は出るし参加賞として手拭いや鎧姿の集合写真も当日中にもらえるけれども、短い出番の時間のわりに拘束時間? が長く(大規模な映画のエキストラって待ち時間が長くて大変な仕事なんだなあ、と身に沁みた)、まだ決めかねている。
でも知り合い同士で参加したい場合は、10人以上集めないとならんから大変よね。実は今回の僕らの参加もべっち氏とつながりのある普段の野宿仲間だけでは足りなくて(こういった催しへの興味の有無の違いもあるし)、その友人にまで声を掛けて誘ったりして人集めに苦心? したから。5、6人ならまだしも10人以上集める、しかもその全員に企画の意図を理解して賛同したうえでこのノリに付いて行ってもらうのは結構大変よね。今後どうするかはまたあとで訊いてみよう。
でも今度はいち見物客として観るだけでもいいかも。



小学校で鎧というか衣装の着付けを行なう。それにしても、こういったものを700名分も用意できるというのだから、すでに地元の一大行事として浸透しているのか。参加費はひとり3000円だが、笛吹市民は無料とのこと。ちなみに、参加者を見渡すと女性率が結構高く、ウチらの班も男女比は7:5であったくらい。



上杉軍ではこのように出陣前に上杉謙信公と記念撮影ができ(もちろん武田軍も同様のはず)、これによってより士気が高まる。ちなみに謙信公役も公募で抽選して選出している。ただし演出上、乗馬の技術が必須のようで、戦国時代好きは今後は時代劇に出演する俳優のように乗馬もしっかり練習する必要がありそうだ。



本番時に各班の大将が集まる場面のリハーサル。大将はどこも色とりどりの鎧を身にまとい、たしかに華やかさもある。



いよいよ笛吹川の決戦場に移動する、歩道橋をお行儀良く? 渡る武者の行列。改めて写真で見るとなんかヘンな光景ではある。



ひとり1本ずつ渡される模造剣だが、これを実際に持つとやはり子どもがおもちゃを渡されたらつい遊んでしまうように、抜き差しして、構えて、誰かに斬りつけながら闘いたくなる。もちろんこれが真剣だったり銃だったりすれば大問題だけど、そういった武器を持ったときの理性の抑えどころ如何で犯罪に結び付くか否かに分かれてくるのかなあ、とかマジメに考えたりもした。こういうことができるだけ平和な国になったということなのかね、現代日本は。



火縄銃・大筒の発砲。実は当初は合戦の見物・参加よりもこちらを見るほうの興味が強かったので、やや遠めではあるが実際に発砲の様子を見られたのは良かった。こういった歴史モノの催しもたまには良い。



僕らの上杉軍の突撃の様子。演出に促されてではあるけれども、さすがに実際にみんなが走り始めると気分は最高潮に達し、それにつられて思わず走りたくなる。朝は晴れていた空も両軍の布陣が整った頃からいつ雨が降ってもおかしくない曇り空に変わり、敵陣に攻め入る直前には風も吹き出し、偶然の天候変化も合戦の雰囲気を盛り上げていたように思う。



なかなかの体躯の馬に跨っての騎馬戦も間近で見るとカッコイイ。この演出だけでもかなりカネかかっているはずだよなあ。



再びの上杉軍の出陣の様子を後方から見るとこんな感じ。こんな状況に紛れ込むと、否応なしに剣を持って突っ走りたくなるのよね。



合戦が終了し、引き揚げる。この頃に雨が降り出してきたが、合戦の参加者を労う、もしくは一緒に写真を撮るために最後まで居続けた見物客も多かった。催し全体的には意外と楽しかった。

わざわざ「冒険」という表現を使わずに済む理想の自転車交通への布石本

2008-04-12 12:12:12 | 自転車

先月下旬に発売された自転車本『自転車をめぐる冒険』(東京書籍刊)が超面白い。
これは自転車通勤する人である“自転車ツーキニスト”の名付け親? である自転車関連の著書・講演の多い疋田智氏(以下、ヒキタさん)と、新進? のコラムニスト兼イラストレーター? のドロンジョーヌ恩田氏(以下、ドロン女史)の共著。
本業であるTBS(東京放送)の報道マンよりも最近はNPOや講師としての活動も含めて自転車人としての顔のほうが有名(だと思う)ヒキタさんのことは8年ほど前から存じ上げているが、この本のヒキタさんの「はじめに」にある「自転車業界に突如として舞い降りてきた」という共著のドロン女史については僕も認識したのは自転車専門誌で昨年からで、こんなに美しい人妻がホントに本気で実際に自転車(ロードバイク)に乗っているのかー、そしてなぜその容姿に似つかわしくない毒舌? コラムも書ける・描けるのか? と気になり、最近の自転車業界においての要注意人物として注目している。“ヒキタ本”はこれで8冊目の所有になるが、この本気で自転車に日々乗っているふたりの組み合わせ、ヒキタさんの文章とドロン女史のイラストおよびツッコミによって、そのなかでは過去最高の面白さが詰まった1冊だと思う。

本のタイトルには「冒険」とあるが、これは一般的に想像しがちな身体的精神的に困難な旅というか冒険的行為(世界一周とか冬季走破とか)の話ではなく、現代のクルマ優先の日本の道路交通においての自転車の有用性を解きながら、一般に浸透しているママチャリも含めて自転車は「軽車両」であるという事実への無理解と無関心と思考停止状態にあえて立ち向かっていく、という意味で使われている。
まあこの本はなんなのかを簡単に表現すると「あとがき」のドロン女史の表現を借りると「テクニックやパーツやマニュアルやカタログや旅日記ではない」自転車本で、「自転車の未来や可能性を楽しく伝えたい」という意思のもとに書かれた(主に雑誌連載をまとめた)エッセイ本ということになるかな。
ただ、「楽しく」という意味は、自転車と無関係? の下ネタも各所に散りばめられていて、本のなかで自転車乗りの男女比では圧倒的に男寄りになっている現在の自転車業界に女性をもっと取り込みたい! という目標を考えると、こんなに下ネタが多くて大丈夫? 一応は成人男女対象の本なのかな? と少し心配にもなる。だが、そんな柔らかいというかふざけた? 表現もありながらもこれまでの自転車本にはない筆致と描写で、飲酒運転、車道の右側通行(逆走)、改正道路交通法などの最近の自転車にまつわる(自転車乗りを自認している方であれば一度や二度は必ず憤ったり悩んだりしたことのある)諸問題に的確にツッコミを入れていて真っ当な自転車乗りの想いを代弁してくれている、はず。
自転車乗りのひとりである僕としても溜飲が下がり(「○○されていただきたい」という表現は僕も好き。この○○に当てはまる言葉がなんなのかは、実際に読んで確認してほしい)、まさに国内外問わず今後の道路交通を考えるうえでの圧倒的な「正義」が凝縮された1冊であるね。

具体的に内容はどうこうというのは説明するよりも読んでもらったほうが話は早いし、超遅読の僕でも1日強で読めるくらいにとても読みやすい本なので、実際により多くの方に手にとってもらいたい。特に、自転車乗りを自認する方は全員読むべきである。そして現在の自転車乗りの大半は男性だろうから、この内容を彼女や女友達に堅苦しくなくやんわりと伝えながら反映させていって自転車乗りの裾野を徐々に拡げていく、というのが理想かもしれない。ドロン女史による自転車に乗るさいの女性ならではの悩み(サドルに跨ることによる尻の痛み、減量、服装など)や解決策も多く盛り込まれているから、まあ女性が読んでも間違いなく楽しめる内容だとは思うんだけど。

僕がこの本の中身で特に膝を打ったのが、ヒキタさんの文章の項目では、

「奥様方の『自転車非エコ論』」(104ページ)
「東京の中心で左と叫ぶ」(110ページ)
「東京におけるメッセンジャーの「圧倒的功績」」(134ページ)

で、ドロン女史のイラスト内の表現では、

「身の丈で生きる」(35ページ)
「自立した心を養ってくれる」(85ページ)
「「流行」になるのではなくて「文化」にしなくてはいけない」(139ページ)

かな。
なかでも「奥様方の『自転車非エコ論』」で、自転車を造ることだって、(アルミ、クロモリ、カーボンなどの)材料を輸入して、電気を使って加工して、完成されたものをガソリンを使って輸送して、という過程でエネルギーを多く消費して、結局は最近の時流の“エコ”に反する(地球環境にやさしくない)ではないか、という一般的な奥様方が放言する文句への論理的な反論というか回答および有用性を説いているのが面白い。
今使っているエネルギーを100からいきなり0に減らすのは難しいが、100を90や75と徐々に減らしていこうという努力はできそうだしその心意気を持ちながら取り組むことが肝要で、クルマよりも自転車のほうが製造面でも実際の利用面でも地球環境への負担を減らしていける割合は圧倒的に高く、要は「程度問題」の話だ、ということをこの項で考証していて感心する。
この項は特に、2006年発売の北海道の情報誌『北海道いい旅研究室9』のなかで拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)を紹介したさいに、その後半でこの問題についてちょこっと触れていた舘浦あざらし氏にはぜひ読んでもらいたいなあ。僕が本ブログでいつか触れようと思っていた言い分がきっちり書かれているから、これを読めばもう間違いないっす。

まあとにかく、全編にわたって今後の日本の社会の成熟度の高低にもかかわってくる内容のはずで、とにかく移動手段は問わずより多くの方に読んでいただきたい。幸い、発売から2週間で増刷も決まったそうで、そのくらいの力は当然ある本だ。
ただひとつこの本の欠点を挙げると、ヒキタさんもドロン女史も生活圏および自転車の舞台は主に大都市・東京で、そんな都市部での自転車交通に日々触れている経験からものを言っていることもあって事例を挙げるにしても東京に偏った筆致になり、それ以外のよりクルマへの依存度が高い、もしくは自転車の交通に理解のない地域には該当しない事柄もありそうで、読者が本の内容を全国・全世界共通の問題として捉えることが(地域差があって)やや難しいかもしれないということ。
だが、「東京におけるメッセンジャーの「圧倒的功績」」の項で、ヒキタさんが以前に福岡県福岡市内の繁華街を自転車で走った実感(東京に比べるときちんと車道を通行している自転車が少ないこと)をもとに、東京以外の地域について書いている部分もあるにはあるけど。

ヒキタさんのメールマガジンの、今月1日配信分のエイプリルフールならではのウソネタ(理想論)のなかに、この本が毎年この時期に発表される大宅壮一ノンフィクション賞に輝いた、とかいうふざけた? 一文も含まれていたが、これは冗談抜きでそのくらい社会に大々的に訴えていく力はある、少なくとも10万部以上は売れてもおかしくない本であると思うけどなあ。というか売れてほしい(下ネタには目をつぶって)。

というわけで、今度、ある理由によりこの本をもう1冊買うつもり。そのくらい強力に薦めたい。繰り返しになるが、特に自転車乗りは全員読むべし。

新潟・秋田・名古屋で書店営業はひとまず打ち切り

2008-04-10 22:00:10 | 拙著の情報
今週は7日から10日まで、青春18きっぷがちょうど4回分残っていたためにそれを利用して普通列車に乗りまくって(※1)ちょこっと遠出することにした。ただ、単純に観光目的の小旅で済ませるのはもったいないので、前々から気になっていた地域の書店に拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)の営業に行くことにした。

で、特に気になっていたのが普段からよくお世話になっているジュンク堂書店の支店? で、7日に新潟店、8日に秋田店、そして10日に名古屋店に行ってみた。すると、新潟・秋田両店では拙著はすでに新潟に1冊、秋田に2冊入荷していたのよね。売れているのかどうかは微妙だけど。でも実際に手にとることができるようになったのは助かる。
その2店舗はよいのだが問題は今日の名古屋店で、ここは大都市の駅前のわりに店舗面積が比較的狭く(池袋本店の2階層分くらいか?)、そのために棚にも数多くの本がギッチギチに詰まって差してあり(特に沖縄関連本の競争率は激しい)、新たに本を入れる余裕がないから(拙著はやや古い本だから)、という理由で受注を断られてしまった。

この直前に行った名古屋駅前のある書店で、拙著の見本本をパラパラと数秒間めくっただけで「こりゃ、売れねえな」と(なぜかべらんめえ口調で)即答して断ってきた年配の店長のような言い分はこれまでにも何度も聞き慣れていてそんなに落ち込みはしないが、一応は関東・関西の他店舗での売り上げ実績もある頼みの綱のジュンク堂で断られるとは予想外の展開で、これにはかなり凹んだ。

まあこのとき応対した店員さんの、「新刊本が発売されたらまずそれを入れないわけにはいかない」というセリフにもあるように、あくまで過去の本よりも新刊本優先の姿勢を取らざるを得ない書店の、というか大人の事情もわからなくはないが、すでに複数冊棚差しや面出しされている本を調整してなんとかより多くの種類の本を並べられるように努め、同業他店にはない幅広い品揃えを目指す、という前向きな姿勢というか懐の深さがジュンク堂の棚づくりにはある、と前々から思っていてこの書店に好印象を抱いていたため(以前、工藤恭孝社長がテレビ『カンブリア宮殿』でそんなことを言っていたような)、今回の一件は複雑であった。

だったらもっと早く名古屋に営業に来ればよかったなあ、そうすれば1冊は棚に収まっていたかもなあ、と今更ながら後悔する。まあこれは棚の担当者の裁量というか趣味嗜好にもよるから、あまりしつこく深追いはできない難しい問題ですけど。
だから、営業するときは書店の立地環境の差や地域差はほとんど関係ないことがわかってきて、書店は、そして本と顧客のつながりはやはり書店員で保たれていてその人次第なんだなあ、なんてことも徐々にわかってきた。
僕の地元・埼玉県内の書店でも、僕が30年以上埼玉県民をやっているとあえて主張しながら営業してもダメなところはダメだったし。地元民だから本を置いてもらうのに有利なんてことはない。だが、縁もゆかりもない他地域でその逆(置いてもらえること)もある。ホントに人によりけり。

特に東京・大阪と並ぶ大きな商圏である名古屋市内の書店を持ち時間は約5時間と短かったがジュンク堂以外にも今回遅れ馳せながら数店巡り、うーむやはり来るのが遅かったか、あうー、としきりに後悔した。
当然ながらどの書店も新刊および売れ線の作家の本がまずはどどーんと目立つ位置にあり、比較的地味で需要の低い旅行書や紀行本はどうしても端のほうになってしまうのはまあ仕方あるまい。
そんななか今週では売れ線の書名のみ挙げると、『ジーン・ワルツ』『夢をかなえるゾウ』『B型自分の説明書』『ルポ貧困大国アメリカ』『きょうの猫村さん3』あたりが特に目立っていたな。そういうのを行く先々の書店で見るにつけ、拙著のような営業の機会をことごとく逸している本はますます厳しいよなあ、と慣れない営業トークもだんだん低調になってくるのが自分でもわかる。

それと、この時期は1月発表の芥川賞・直木賞受賞作家のほかにも本に関する各賞を受賞した本も賑わい出すし。最近発表された今年の本屋大賞受賞は伊坂幸太郎の『ゴールデンスランバー』とか、今年から始まったマンガ大賞受賞は(前々から好調で僕も好きな)石塚真一のマンガ『岳』とか。あ、でも、第39回大宅壮一ノンフィクション賞受賞の、城戸久枝の『あの戦争から遠く離れて』(※2)はどこの書店でもあまり見当たらなかったなあ。これは現在の5刷から即座に増刷しないと間に合わないだろうに。せっかくの販売の好機を逃しそうでもったいない。まあこの動きの鈍さ? は版元(情報センター出版局)の取次との力関係や版元の増刷をかけるさいの営業の予測の甘さにもよるのかもしれないけど(大手の講談社、小学館、文藝春秋、新潮社、角川書店などよりは棚の場所取り合戦では苦戦を強いられることも会社の規模や実績を比較すると明白だしなあ)。

なんていう出版業界のあらゆる事情にも想いを巡らせつつ方々で書店営業を繰り返し、それらの強力本よりも数段弱小の拙著を抱えながら、そんな偉そうに他社の本にツッコミを入れている場合かっ、と自戒しながら営業を続けてきたが、この大都市・名古屋に来て続々と津波のように押し寄せる新刊本の数々を改めて見て、この営業活動もそろそろ潮時かな、と思った。
拙著は発売からもうすぐ2年経つし、それだけ時間が経っているというだけの単純な理由で受注を断られる機会も増えてきたし。いくら内容に自信があってもやはり自分で営業するには限度がある、好機を確実に掴む努力も重要、本を売るのって難しいことなのね、と痛感する今日この頃。

でもそうやって日々落ち込みながらも書店を巡り続けてきてひとつ収穫なのは、自ら営業することによって出版業界のおおまかな流れがより実感でき、まあつまりは書店や販売店と上手く付き合わなければ本は売れない、それ以前に本を作る・売るには人間関係が重要、という当たり前のことなんだけど、これは今後の仕事(校正)にも何か役立つかも、というめどが立ったこと。
実は拙著の出版による代償が思いのほか大きかったことも含めてこの先も厳しいことも多々あるだろうけど、今後も出版業界で生きていこうと腹が据わり、自信が付いた、という表現ではおこがましいので覚悟ができた、という感じ。

大手出版社の新入社員にはたとえ編集希望であってもまずは有無を言わさず営業職を担当させて商売の基本を教える、という方法も今になると合点がいく。まあこれは出版業界に限った話ではないか。
今後どんなカタチにせよ本を出版する、もしくは出版業界に身を投じる方は、一度は営業活動を体験すべきであるね。本がどのように売れていくかの現実を肌身できちんと知っておくべきですな。だから僕は企業に属してはいないけれどもこういった営業活動が経験できて、結局はめでたしめでたし? なのかな。社会人として遠回りしすぎの感もあるけど、まあいいか。
書店営業の総括はここまでにしよう。

これで拙著の自らの書店営業の活動は打ち切り(でもジュンク堂書店の店舗でまだ未踏の広島店と大分店に限ってはそんなに遠くないうちに行くかもしれない)、今後は手売りの機会を見付けてそれに積極的に馳せ参じ、拙著を今後も売れるだけ売るつもり。せっかく出版したんだからねえ、やはり売れるものは売りたいですわ。もちろん増刷も引き続き目指している。一応はインターネット書店にもうっすらと期待してはいる。さらにそれに加えて「放浪書房」のように拙著を携えての行商の旅に出ようかなあ、国内外問わず。

手売りの機会で開期が迫ったところでは、昨春に出店した東京都台東区・文京区の不忍ブックストリートの催し「一箱古本市」に今年も出店することにした。今年は日程を今月27日(日)と5月3日(土・祝)の2日に分けての開催となり、僕は5月3日のほうに出店することに決まった。その詳細はまたあとで。



2008年4月7日、新潟市中央区は古町5番町の「水島新司マンガストリート」。商店街の歩道に新潟出身の水島氏の往年の名作野球マンガ(『あぶさん』、『野球狂の詩』、『ドカベン』)のキャラクターたちの銅像が建っている。
写真右は、現在は東京スーパースターズの不動の一番サード、「花は桜木、男は岩鬼~」の悪球打ちの岩鬼正美。ちなみに左後方にあるのは秘打の殿馬一人の銅像なのだが、バットの握りを見ると左手小指が立ってリズムを取っているような殿馬らしい芸の細かさもある。



2008年4月8日、JR秋田駅構内の東西通路で杉の彫刻の展示会が行なわれていた。これは世界的な催しらしく、日本以外にも各国の彫刻家の作品が並んでいた。ただ、杉は割れやすいからすでにひびが入っているものもあったけど、生きている木は環境、特に温度によってカタチが常に変化するからまあ仕方ない。



2008年4月10日、名古屋市中区錦の大通り沿いになぜか観覧車があったのだが(テレビ塔の近く)、なんでこんな見通しのあまりよろしくない場所に造ったのだろうか? その理由を知っている方がいらっしゃれば、教えていただきたい。


注釈

※1
結局、9日の日中に一時帰宅した以外はほとんど列車に揺られていた感じで、簡単に計算すると7~10日の4日間96時間中約37時間は普通列車に乗っていたことになり、何気にこの4日間の睡眠時間よりも長かったりする。
まあその間は車窓から景色を眺めたり、乗り降りする地元の方を観察したり、本を読んだり、本ブログのネタを考えたり、安眠はできないけど居眠りしたりしてそんなに暇なくすごしたが、短期間にこれだけ列車に乗るとホントに尻と腰が痛くなる。

※2
これまでは、出版社上がりのおじさんがフリーになって自分の突き詰めたいテーマを長年の取材を重ねてその結果をひとつにまとめた本を評価する、という感じの印象が強い大宅賞の受賞作で、僕と同年代でこの分野では若い部類に入り、しかも女性の城戸氏が今回受賞したというのはかなり凄いことだと思う。まあ男女の別は今の時代、関係ないか。
中国残留孤児関連のこれだけ濃密なノンフィクションはなかなかないと思う。僕もこれはきちんと読もうと思っているが分量がかなり多いので(パラパラとおおまかな流れは確認した)、まだしばらく先になりそう。小説は若いがゆえの勢いと才能だけで突っ走れる部分もあるけど、ノンフィクションの場合は才能に加えて取材を重ねてテーマと真摯に向き合う姿勢と根気強さも必要(と僕は思っている)なため、こういう本が書ける同年代のひとがいるのか、うーむ、とまたもや凹む。
ちなみに、城戸氏がこの版元(情報センター出版局)から出版できたというのは、地平線会議でもたまに見かける2005年のヒット本『僕の見た大日本帝国』の西牟田靖氏とのつながりがあったからということや、城戸氏は僕の知り合いの知り合いだということはつい最近ミクシィで知った(実は昨年、ある催しで話しはしなかったがちらっと見かけている)。日記もマメに更新してらっしゃる。

久しぶりの小旅で日本一のモグラ駅

2008-04-09 09:15:53 | 自分の旅話(非日常)

7日から10日にかけて泊まりがけで東日本方面をちょっくら小旅というか外出しているのだが、その初日の7日、久々に群馬県はJR上越線・土合(どあい)駅に行ってきた。
下りと上りのホームが分かれていて、特に下りホームはトンネル構造でホームから計486段の階段を上らないと地上に出られないという「日本一のモグラ駅」の愛称? が付いている、鉄道好きにはかなり有名で特殊な駅、だと思う。

まあここは昔から谷川岳東面の岩場を登る“山屋”さんや、5月中旬までスキーを楽しめる天神平スキー場の常連スキー客にはお馴染みの駅だが、僕も谷川岳周辺の紅葉を見に来て以来久々で、約10年ぶりにこの階段を上ってみた。軽装だったがえらく疲れた。
駅前は残雪も結構多く、山も山肌もまだ雪がかなり被っていて今年はやはり雪が多かったんだな、ということがこの残雪期にもわかる。
ちなみに、それだけ湿気があるということで花粉症による鼻のムズムズ感はなく、なかなか快適。

この駅で降りたのはこのときは平日の午前中ということもあってか数人しかいなかったが、駅舎は以前訪れたときに比べるとやや寂れてきているなあ、という印象。今は登山もスキーもクルマで訪れることが多くて鉄道利用者は年々減っているのだろうが、クルマなしの僕としては今後も利用価値は充分ある駅なので(駅寝にも最適)、また近いうちに再訪するかもしれない。

谷川岳にも久々に登ってみたいしなあ(ただし、一ノ倉沢の困難な岩場ではありません)。この周辺の沢にも前々から興味あるし。中級以上のコースが多い天神平スキー場も一度は滑ってみたいしなあ。できればスノーボードで。

実は昨年、野宿的8ミリ短編映画に出演している

2008-04-01 08:00:24 | 野宿

今日、早いもので本ブログを開設してから3度目の桜の季節とエイプリルフールを迎えたが、今年もそんなの関係ねぇ!(これはもう古い?) という勢いのウソではないホントの話を。しかもかなりおバカ? なこと。

昨年、現在人気急上昇中のミニコミ誌『野宿野郎』の“常連”が8ミリの短編映画を自主制作したのだが(これはただの一過性の芸術作品なのか、でもそうではなくどこかしらに配給できるとなると「製作」なのか、判別しにくい)、そのタイトルは、

野宿戦隊! シュラフマン<予告編>

というもの。
時間にすると約13分の作品で、今年重版された『野宿野郎』5号の冒頭で写真や作文で登場していた「シュラフマン」を原案に、主人公の彼? とその仲間? たちが徒党を組んだり組まなかったりして東京都内のあらゆる場所? で活躍? する映画。僕もこれに出演している。でもこれは本編ではなくて、なぜか予告編。

それで、8ミリで撮影したフィルムをDVDに移して、さらにこの映画制作にかかわった・観た人々の感想やら主張やらを集めた「別冊! 野宿野郎」というA5判の本誌よりはやや大きめのB5判で作られた冊子に付けて、1部500円のDVD付き冊子として333部の部数限定(シリアルナンバー付き)で今年発売された。発売が待たれる『野宿野郎』6号の進行はそっちのけで、こんなものを作っていたんですねえ。ちなみに、僕はその33番と34番を所有している。
これは発行部数が少ないので、販売は普段からよくお世話になっている東京都・西荻窪の旅本専門店「旅の本屋のまど」をはじめとするいくつかの店舗に限られる。詳しいことは『野宿野郎』のウェブサイトを参照のこと。そういえば先週、僕も拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)でお世話になっている東京都豊島区のジュンク堂書店池袋本店1階の雑誌売場に冊子が入荷している様子も確認した。

この映画のプロデューサー(編集長)の意向もあって撮影時の詳細や裏話はここではあえて書かないでおくが、まあ『野宿野郎』本誌のおバカ? というかふざけたノリをそのまま実写化したような内容で(脚本というか原案も事前に練られたが、結局は現場で監督とプロデューサーの成り行き任せの適当さを発揮してほぼ即興で撮影された)、というかこのミニコミの「旅・野宿・馬鹿」という主題のうちの「馬鹿」の面だけを見事に切り取って映像化したもので、ひょんな流れであれよあれよという間に出演してしまった僕も映画が完成して発売された今でもなにがなんだかよくわからない、頭のなかでは疑問符だらけの仕上がりになっている。
だが、劇中の出演者の演技? を通して寝袋という野宿の必需品の可動域の広さが改めてわかり、寝袋は寝る以外も使いみちがあるのだ! と今後のより良い野宿への可能性は見出せるかもしれない。現代野宿の基礎知識を得るうえでの大いなる参考資料となる、といいけどね。

しかも、冊子を買ってこれの奥付のような宣伝文を見ればわかるのだが、この映画制作に携わった人々というのが監督をはじめ冗談抜きでそれぞれの道のプロで、さらには旅・野外業界ではかなり有名な方々もかかわっていて、(終わってしまったことだからもう変更しようがないが)こんな凄い人たちがふらっと参加していてホントによいものなんだろうか? 逆にこの映画に関与したことで今後の生活のあらゆる物事で地位や信用を失墜しなきゃいいけどなあ、と今でも余計な心配をしながら首を傾げてしまうのだが(僕個人的には失墜するほどのものは持ち合わせていないため、かまわないけど)、それも含めてこの映画の全容を知りたい方は、僕も寄稿しているこの冊子を入手したり今後の『野宿野郎』の催しに参加したりして、じかに確認していただきたい。『野宿野郎』ウェブログでリンクも張っているので、そちらも参考に。

ああでも、『野宿野郎』ウェブログでも少し触れているようなのでひとつだけ種明かしをておくと、寝袋に包まれて直立をはじめ様々な動きを見せる「シュラフマン」は主人公がレッドなのだが(すでに昨年12月中旬に「のまど」でお披露目されている)、それ以外にイエロー、ブルー、グリーン、ブラック、ピンクの6色が登場し、ほかにもいろいろな不思議キャラクターが多数登場する。なかには撮影時に飛び入りで参加して“変身”してもらった方々も数人いる。

また、このほかにも映画撮影の模様を収めたメイキングDVD(非売品)がこっそり作られていて、これは主に関係者のみに配布されているようだが、数量限定(30枚?)で一般にも出回っているようですな。こちらも<予告編>同様に面白いので(僕もちらほら映っている)、入手できなかったけれども興味があるという方は、機会があれば映画関係者と接触してこれも併せて観るとよいかも。
しかも、このおまけのおまけのようなメイキングの再生時間が20分強で、なぜか肝心の<予告編>よりも長くて手の込んだ内容になっていたりもして、深読みしすぎると頭がおかしくなりそうだ。
だから僕はもうこの映画に関してはさらっと受け流すことにしている。ふつうの頭で映画を観て冊子を読むとおかしなことになるかも。まあ『野宿野郎』自体が客観的に見るとかなりぶっ飛んだ媒体なので、そのために最近各所から取材が相次いでいるのだろう。昨年末からの取材傾向を見ても、フジテレビや朝日新聞のような大手媒体までもが食い付くくらいだからねえ。

そんなわけで、僕からこの映画の情報を出すのはここまでにしておこうかな。『野宿野郎』や「のまど」、それにそこからリンクされているウェブログなどでも映画に関する情報はちらほら出ているので、より詳しいことを知りたい方はそちらをご覧ください。あとの細かい問い合わせや苦情はすべて直接プロデューサーのほうへお願いします。