思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

陶芸で物語を表現するという新境地(仮)

2009-10-31 23:59:45 | 他人の旅話

12日(月祝)の投稿でも少し触れた、和歌山県和歌山市内の小野町デパートで催された彫刻家で陶芸家の緒方敏明さんの個展を観たうえでの、そのときの印象や緒方さんの普段からの個性などなどについてそろそろ本気で触れようと思ったのだが、いろいろ情報を集めたらまとめきれなくなってきて、まだ書き上がっていない。
なので、また後日にこの場に追記する予定。来月いっぱいにはなんとか。しばしお待ちを。

そのための仮のメモとして、本文で使おうと思っている極私的なキーワードをいくつか並べておく。

・とり の とぶたかさ
・しろいまち
・島、象、女神、光、水
・水が美味しい、海がきれいな土地
・鳥瞰、俯瞰
・太古からのヒトの空への憧れ
・遊泳、ダイブ
・仮想、空想、妄想
・自由の女神、自由な女神
・宗教の多様性
・動物と人間の共存
・手を振ることは別れと意思表示
・芸術家、彫刻家、陶芸家、作家、先生
・表現欲と報告欲
・東京藝術大学
・商品と作品
・ネガティヴ、オガティヴ
・本気の緒方
・会場に足を運んでこそわかること、ライヴ感覚
・和歌山新報、毎日新聞和歌山版


上記のいちいちがなんのこっちゃ、と思われるかもだが、まあそれはまた後日。





で、その投稿未完成の謝罪代わりにひとつ情報を挙げると、30日(金)から来月2日(月)までの4日間に千葉県千葉市西部で千葉ウエストビレッジ文化祭2009という文化的芸術的な催しが今年から始まり、そのなかで中央区は西千葉のアトリエMIWAという家屋を活用した会場で期間中催されている「現代アート3人展」に、緒方さんもそのひとりとして出展している。

今日までに日程の半分が消化され、あとは1日(日)と2日(月)のみだが、作品の一部が期間中は常設されている。ちなみに、ご本人は1日は仕事と所用で不在となるが最終日の2日は在廊とのこと。お近くの方はブログで詳細を確認のうえ、ぜひ。
実は僕はすでにこっそり観に行っていたりする。埼玉県民からすると千葉は相変わらず遠かったなあ。

なお、もし西千葉へ行かれる方にもうひとつさらに極秘情報だが、アトリエMIWA内の緒方さんの展示の一室の傍らにハガキサイズの青色の40枚収納のクリアホルダーが置いてあるのだが、そこに最近の緒方さんの生き方の一端が垣間見られる写真を詰め合わせている。会場内で委託販売している『野宿野郎』のバックナンバーとともに、それによって緒方さんの人と成り、特に多才ぶりがよくわかるはず、と思って僕が提供した。緒方ファンは必見でしょう。そちらもぜひ。

ややパナソニック信奉者が新ヘッドライトを入手

2009-10-25 08:00:53 | 登山

先月3日の投稿に関連のあることだが、先日、ある野外系の懸賞でパナソニックのヘッドライトが当選し、入手した。
品番はBF-198Dで(色は白色)、高輝度白色LEDを3個使用した最新のモノ。質量は70g、使用温度範囲も-20~+40℃と幅広く、光量が強(HIGH)と弱(LOW)の2段階選択できる。また、ライトの角度も試したところでは12段階に調節できるつくりになっている。
ただ、電池が僕が普段所望している汎用性の高い単三電池または単四電池ではなく、一眼レフカメラでもよく使われるリチウム電池のCR123A。でもこれによって、最近は単四電池3本使用で最近主流のぺツルやブラックダイヤモンドの製品よりも10g以上の軽量化が図られているわけで、まあそれでも全体的にはスグレモノであることは間違いない。
連続点灯時間は外気温によって異なるだろうが強の場合でおおむね5~10時間で、まあリチウム電池1本使用にしてはそんなところか。

そういえばパナソニックというと最近、もっと大物の家電絡みでは「家電芸人」のひとりの品川祐(品川庄司)がパナソニックの製品ばかり紹介・宣伝しているという疑惑報道もあって、先週に本人のブログでその反論記事も出ていたが、特に日本のメーカーの製品は世界的にも質の良さからくる信頼性も高いので、ホントに良質の製品はひとつのメーカー一辺倒になる気持ちは僕にもわかる。ただ品川くらいの有名人になると、そういう見方をされるのはある程度は仕方ないことだよなあ。

ちなみに、パナソニックのライトというと数年前に、リチウム電池使用の似た形状のライトを愛用しているヒマラヤ登山の第一線で活躍しているあるクライマーから、登山中の電池交換で蓋を開けるさいにそれを着脱しにくい、紛失しやすくて困る、という意見が上がり、その改善のために蓋と本体を同じ素材(ABS樹脂)で糸状(といっても幅4mmほどあるが)につなげて蓋の着脱を容易にした(つまり、やり方によっては片手で電池交換もできるということ)、という電池交換の効率向上の小さな工夫も見られる。
こういったことを即座に採り入れていけるのも国内メーカーの信頼性の高さの理由としてあり、日本のものづくりの良い点であるね。

まあ僕の場合は本ブログでも度々触れているが、旅や登山の道具を揃えるときはできるだけ国内メーカーのモノを選択することにこだわっているのだが、単にモノの需給バランスの是正の一助となりたいという思いもあるが、それとともに国外よりも国内のメーカーのほうが日本人のクセや気質に合ったものづくりの手法やライトの蓋のような小さな創意工夫が多く、そんな手仕事も応援したい、ということもある。だからこのヘッドライトの分野では必然的にややパナソニック信奉者ということになる。
まあ最近はほかの国内メーカーでも(エバニューとか新富士バーナーとか)頑張っているところもあるが、業界内シェアを考えるとやはり大手のパナソニックが家電と同様に野外関連商品の市場の活性化という意味では最もいろいろな可能性があるか。

来月から早速、これまで使用してきたぺツル・ティカをサブにまわしてこちらをメインで使用していこうかしら。楽しみ。早めに野山に行って試してみないと。

湯場ノ沢リベンジ

2009-10-19 15:00:09 | 登山

ちょうど2か月前の8月中旬、山仲間2名とともに東京都は南秋川の湯場ノ沢へ沢登りに行った。が、そのときは午後からの遡行だったのでこの沢の核心手前で時間切れとなり、引き返したのがずっと引っかかっていた。
ということで昨日、再び登りに行った。今回は単独で。だって、来年以降に持ち越したくなくてとにかく完登したかったんだもの。

今度は朝6時起きでやる気満々で(中高年登山の集団をなんとかかき分けながら)アプローチして、10時30分に入溪できた。やはりこのくらい早い時間に行かないとなあ。しかも前回よりも日照時間は短くなっているわけだし。
で、行程の序盤は2か月前に来ているだけに溪相はほとんど憶えていて、両手を使う必要がある2~4mの滝の直登以外はおおむね片手にデジカメで写真を撮りまくりながら進み、でもそれでも前回引き返した場所(オキノ万六沢)まで1時間で達した。水は冷たかったが、晴天で木洩れ陽が所々で射し込んで、秋というよりはまだ残暑の雰囲気を楽しめた。
ただ、ここまででひとつ問題だったのは、やや急傾斜の一枚岩に乗ったとき、10年以上履いている渓流足袋の底が意外に滑り、ヒヤリとする場面もあった。底のフェルトが減ってきて(厚さは5mmもないか)そろそろ新しい沢靴を買い替えたいなあ、と思っていたところなのだが、個人的経済的不況が続く今年の状態ではそれもままならない。この不備、突き詰めると命にもかかわることなので早急になんとかしないと。

それで、ここから先はまず前回の続きとして核心の2段8m滝(上の写真参照)を含む連爆帯を、まあそれでもなんとか高巻きなしでフリーソロで突破し(遡行図を読む限りでは最も気になっていたここがふつうに突破できたので結局、沢全体的に登攀具は一切使わずに済んだ)、でも複数人で行く場合はちゃんとロープで確保したほうがいいよなあ、でもその場合の支点はどこで取ろうか、それともボディビレイか、などと考えながら写真を撮りながら、そつなくこなした。まあ1級の沢ですから。

そのあとの源頭部に近付くにつれて倒木が増えてそれをいちいち乗り越すのに閉口したが、木の切り口を見るとこれはおそらく間伐材を放置したら大雨で沢に流れ落ちてきて所々に引っかかったままの状態、という感じか。
でも最後の登山道への詰めは地形図を読むよりも傾斜はそんなにきつくなく、核心から1時間半で登山道に出ることができ、完登。リベンジ完了。ただ、複数人で行くともうちょい時間かかるか。いくら日帰りの短めの沢でも、午後から入溪なんていかんですな、と反省。単独行ではよくやってしまうけど。
ちなみに、沢登りに行くとほぼ毎回壊しているデジカメ、今回は携行の仕方を改善したので無事だった。と言っても、前回この沢で半壊して、今回もまだ修理していない液晶画面の半分が割れたままの状態で行った。

終了点でヘルメットを脱ぐなどしてふつうの登山者の格好に戻ってからは、まだ13時すぎなので下山にはもったいない、最近自転車によく乗っていたりもして運動不足が解消されつつあって体調も良好だったので、登山続行。でも源頭部で脚を使ってへろへろになったので歩みはのろくなり、南方の連行山(峰)を経由して生藤山に達したのは15時前になってしまった。この山、沢登りのついでに登ったのは今回で3回目。ほかにもふつうのハイキングで2回登ってもいるので、見慣れた山頂ではある。

ちなみにこの山の近辺は、ちょうど1週間前に催された今年で17回目の日本山岳耐久レース(「長谷川恒男CUP」略して“ハセツネ”)の正規コースで、そのときに来ていれば時間的にちょうどトレイルランニングの国内トップレベルの選手の激走が観られたんだよなあ。まあ17日(土)にその後片付けの意味合いのボランティアによる清掃登山が行なわれたらしく、その痕跡はまったく見られなかったけど。
そうそう、今年、このように秋川地域の“ハセツネ”のコースに突き上げる沢登りついでにそれを観戦してやろう、なんていう計画もうっすら立てていたのだが、今年は先日も触れた関西行きを優先したためにそれはできなかった。来年以降にやってみようかしら。というか、見物よりも参加料の1万5000円をなんとか捻出して、最近の“ハセツネ”に出走しろよってな話だが。

生藤山頂で30分以上まったりしたり写真を撮ったりしたあとに下山し、北側の秋川ではなくまだ未踏の南側に下り、軍刀利神社経由でJR中央線の上野原駅方面へ下った。
途中、時間的にその頃には暗くはなり、井戸バス停から上野原駅行きの最終に乗れたのだが交通費の節約のために歩き、石楯尾神社も経由して(軍刀利神社、石楯尾神社ともに古来からヤマトタケルノミコトとかかわりが深く、それぞれ彼が使った剣と楯が祀ってあるようだ、ということも今回初めて知った)、夜道を下った。でも終日晴天で夜も星空が見えるくらいだったので歩いていてもまだ寒くなく気持ち良く、久々に運動しているなあと充実感はあった。

だが、国道20号に出たところでなぜか上野原駅方面ではなく誤って藤野駅方面へ下ってしまい、結局は藤野駅まで国道脇の暗くて狭い歩道を2kmほど余計に歩くはめになり、運動できた、ではなく運動しすぎて疲れた。最後に集中力を欠いて、詰めが甘かった。また反省。でも1日通じて振り返ると、ご機嫌で充実した登山ではあった。まあいいか。

そういえばここ数年、今回のように一度入溪したものの負傷や時間切れで稜線や山頂まで完登できなかった沢を奥多摩で1本、神奈川県・丹沢で2本抱えているので、これらも早くやっつけないとなあ。僕は完登しないとその沢は登った数には含めないことにしているので。
今よりももっと寒くなるけど来月にもう1本行けたら、と画策している。



陽射しが適度にあり、これから気温が徐々に低くなってくる時期は曇り空のときよりも晴れているほうが楽しい。ほかに入溪者は見られず、この沢での良い風景・光景を独占したのがもったいないくらい。ここも一応、東京都内。


源頭部の倒木はこんな感じ。いちいち越えるのがめんどくさくて楽しくないが、完登のためには進まねば。またいで、くぐって、と普段やらない動きを登山中によくやるため、普段の生活以上に疲れることは疲れる。


生藤山頂でのセルフタイマーでの決めポーズ写真、いろいろ試してみたが、最近のお気に入りはフォーリンラブか、DAIGOの「うぃっしゅ」か、ロッテの「Fit’s」で、結局は山頂でフニャンとしてみた(ただ、脚の開き方を間違えた)。そういえば最近は紙媒体のみならず映像媒体にも頻出し始めた佐々木希、茶髪のギャルっぽい娘は苦手なのであまり気に留めていなかったが(僕は断然、黒髪派)、だんだんかわいく見えてきた。まあ元々は色白の秋田美人なのは知っているけれども。


終日晴天だったので、夕暮れ時も良さげな山並みが見られた。山梨県方面を見やると、左端(南)のほうにうっすらと富士山も見えた。18日は標高3000m超ではいくらか積雪はあっただろうが富士山も登りやすかったのかな。

09年10月9日現在の釜ヶ崎(あいりん地区)

2009-10-16 03:00:16 | 普段の生活(日常)
9日(金)、戦後から日雇い労働者が溜まり、それ向けの安宿も数多くある“ドヤ”街として東京都・山谷と神奈川県・横浜寿町とともに有名な大阪市西成区北部の萩之茶屋周辺、通称「釜ヶ崎」(現在は「あいりん地区」の呼称が一般的か)を、午前中に2時間ほどだが歩いて視てきた。
で、そのときの写真を以下に10点。ただ、この地域についてまだたいしたことを書けるほどの経験というか認識が薄く、浅はかな知識で長々と書くべきではないため、注釈も短めにしておく。



国道26号の南海電鉄・花園町駅付近。車道も歩道も日中から交通量の多い歩道上でも自然発生的に露店が始まっている。



南海電鉄・萩ノ茶屋駅の近くに、空き缶回収の業者が出張っている。(東京都の浅草や新宿界隈でもよく見られる)空き缶入りの大袋を自転車に積んでここへ向かう人が多い。貴重な現金収入だからねえ。



南海電鉄の高架下の注意書き、その1。まあ至極真っ当な注意ではあるが、でもゲリラ的に露店を開く場合はこういった場所が最適なのは僕も最近は(「放浪書房」との旅本の路上出店の経験で)よくわかるので、うーむと考える。



左側の南海電鉄の高架の東側で、このように拾い物を売り出して現金収入を得るための露店が並ぶ。なかには小型の電化製品や雑貨を自分で修理しながら売る人も。



この地域内では犬も歩けば安宿に当たる、というくらい、このように一泊料金をあらかじめ外に掲示してある宿が多い。この日ざっと見回った限りでは、おおむね1400円以下で、ここは比較的安いほう。ほかに最安で700円のところもあった。



南海電鉄の高架下の注意書き、その2。過去に実際に火を点けたことがある人がいるということか。今の時期はまだよくても、もっと冷える冬場だったらあり得ることなのか。



市立萩之茶屋小学校東側の屋台。飲み屋街? か。ただ、公道上に建てているので違法建築と言えばまあそういうことになるか。



市立萩之茶屋小学校の北側。大阪市からはこのように事実上の退去勧告? が出ている。



で、上の写真のすぐそばで、大阪市道路局によって一部の屋台の取り壊し作業が行なわれていた。いわゆる行政代執行か。このそばを通りかかると、チェーンソーを持った職員が間近を横切ったりして、びっくりしたわ。すでに織り込み済みのことなのか、付近住民? はこの様子を遠巻きに観ていて、特に暴動のようなものは起こらなかった。



具体的な活動団体は不明だが(地元住民?)、このように地域の清掃による美化活動も行なわれていた。そのおかげか、この界隈は腐臭は所々でたまにあるものの、ゴミはそんなに落ちていなくて美観は悪くなかった。


公の文書や報道ではあまり触れられないこういった界隈を歩くと、インターネット上では3K的な雰囲気がある、暴力団事務所が多いために治安が悪い、とよく言われたり書かれたりするが、このときに限ってはそんな雰囲気はなく(まあこれが夜間だったらまた違う雰囲気なのだろうが)、長期・短期滞在か定住しているかにかかわらずおそらく低所得であっても(僕も他人のことはあまり言えないが)ふつうの暮らしぶりがたしかにあり(飲み屋やカラオケや、最近流行の1円パチンコ店のような娯楽というか息抜きの店もちらほらある)、しかも最近は10枚目の写真のように清掃活動などの支援活動(ほかにも炊き出しの行列もあった)によって、秩序も保たれつつある。

またその反面、8、9枚目の写真のように生活支援ではなく法的な「排除」による秩序の保ち方もたしかにあり、今後このような労働者の街の界隈がどちらに傾くのかは気になるところ。ほかの街のように均一化されてしまうのか、それとも(おそらく山谷以上の)路上の屋台や露店の多様ぶりでもわかるように今後もその“治外法権”ぶりが続くのか。
こういうところを歩くと、失業率悪化、派遣切り、生活保護、ホームレス、セーフティネット、なんていう最近流行り? の言葉もつい思い浮かぶが、排除されながらもここに頼らざるを得ない人もたくさんいるわけで、ああ難しいなあ。

それから、このときは平日の日中だったこともあって見かけなかったが、最近はこの界隈の宿が国内外からの旅行者つまりバックパッカーにも目を付けられて安宿街としての利用が増えている、という話はここでも山谷でも聞くし、実際に旅の途中でこれらを利用した知人もいる。
僕はまだ旅先の宿泊地としての利用経験はないが(雨が降らなければ野宿のほうが安上がりだし開放的な雰囲気も好きだから)、関西圏を旅していて何か不測の事態に陥った場合はこの界隈のどこかの部屋を今後利用するかもしれない。その下見も兼ねて旅先としてここを今回出歩きたかった、ということもある。

ちなみに、ここで写真を撮りまくりながら歩いたが、周りから警戒の視線を浴びたり実際に何か注意されるかと思ったが特にそういった緊張する場面は一度もなかった。ただそれは、僕もここの住民のように旅のときの薄汚い格好をしていたからなのかも。これが背広姿でカツカツと革靴の底を鳴らしながら居丈高に闊歩していたりすると、また違った対応になるのだろうけど。

今後も関西訪問のなかで事あるごとに訪れる街になるだろうから、そのたびにもっとしっかり見極めるために可能な限り通って滞在もして、ほかの時間帯の様子もしっかり視ていこう。
でもそれ以前に僕にとっては距離的に地元から日帰りで行けるくらいもっと身近な、山谷のほうをもっと視ていかないと。今度、まだ未踏の横浜寿町とともに久々に再訪してみるか。


※参考資料
・ウィキペディア「あいりん地区
特定非営利活動法人 釜ヶ崎支援機構
釜ヶ崎のまち再生フォーラム

2年9か月ぶりの関西行の結果まとめ

2009-10-12 03:33:11 | その他趣味
先頃行ってきた関西で、行ってきた場所や特筆すべきできごとを時系列で箇条書きで報告。


●10月7日(水)
オリオンツアーの夜行バスで東京都・新宿-大阪府・大阪間を往復、運賃は往復割引もあって7300円と格安。
・台風18号の影響はなく、ふつうに新宿から定時出発。

●10月8日(木)
・未明に東海地方に上陸した台風18号の真下を通過したときにはバスの横揺れが凄かった。車内も仮眠のために消灯中だったためその暗さと揺れを例えると(東京)ディズニーランドのスペースマウンテンみたいな感じ(ちなみに、でも僕がスペースマウンテンに乗ったことがあるのは東京ではなく、高校生のとき修学旅行で行ったアメリカ・アナハイムのだけど)。
・だが、意外に安全運転で順調に進み、降車地へも定時到着でびっくり。
・バスの4列シートの狭さにも疲れたので、大阪駅南東のマクドナルド、関西圏で言うところの「マクド」でまったりしたあとに、お初天神露天神社(近松門左衛門『曽根崎心中』で有名)を観に行き、参拝。
・大阪駅南側の第1~第4ビルを散策。特に第1ビルに近年できた? 信長書店がえらく広く、エロ系DVDの品揃えが凄い。しかも朝っぱらから客も多く、午前中から鉢合わせると少々気まずくもなる。
・堂島に移動し、ジュンク堂書店大阪本店内を散策。ここでも普段よく行く池袋本店や新宿店と同様に午前中の空いた時間帯に店内で立ち読み・座り読みで入り浸るいわゆる“朝ジュンク”をやりたかった。で、正午前後に1時間半ほど入り浸った。
・その店内2階の国内紀行の棚に拙著『沖縄人力紀行』(彩図社刊)がまだ在庫してあるのを確認。(7月にここでトークセッションを催した)松鳥むうさんの『ちょこ旅 沖縄+離島』(アスペクト刊)とカベルナリア吉田さんの『ひたすら歩いた 沖縄みちばた紀行』(彩流社刊)の面出しの上の段にあるので、お近くの方はぜひ。ただし、奥付の訂正シールが貼っていないやつだけど。くそー、それにシールを貼りに直ちに再訪したい気分。
・福島へ徒歩で移動し、カレー店『亜州食堂チョウク』へ。ここ、昨年に石田ゆうすけさんの『BE-PAL』の連載で店主さんを取り上げていたのをチェックしていて、ずっと気になっていた店。東南アジア・南インドの味をしっかり踏襲していて、なかでも南インドのカレー定食・ミールスを850円で提供しているのは驚き。味もなかなか。東京だったら1000~1500円はするものかと。やっと行けて良かった。11月上旬に石田さんのトークイベントも催すそうで、行きたいけど無理だなあ。



・第1~第4ビルに戻り、IBS石井スポーツ大阪店へ。先月から横浜・鶴見店や名古屋店などとともに全店閉店の広告を打っていて、在庫処分セールを経て今月中に各支店ともに完全に閉店するのかと思ったが、なんか最近になって再建というか存続のめどが立ったらしく、近々リニューアルされるとか。



・そのあと、近所の好日山荘大阪梅田店へ。品揃えはIBSとは段違いに華やか。特に人気の富士山と屋久島への登山を推しているのは関東の支店と同様。ここでも最近の傾向どおり、女性客が多い。今年、この店にいつ行ってもザックや靴のフィッティングをやっている女子をよく見かける。
・梅田の大阪ニコンサロンへ、写真展を2本観に行く。それよりも印象深いのが、最近できたらしいこのビルのエレベーターで、各階指定のボタンも一般的な押しボタンではなく液晶のタッチパネル方式みたいな感じで、近未来を感じるつくりになっていたことか。



・夕方、阪急電車でちょこっと大阪府を抜けて兵庫県・芦屋市の芦屋川駅を往復。この駅から徒歩1分圏内にある野外道具専門店「Sky High Mountain Works」が前々から気になっていたので行ってみる。ここの店主の(パタゴニア勤務から独立した)北野拓也さん、最近は『BE-PAL』09年10月号の道具軽量化特集にも登場していたように、「ウルトラライト」の分野では東京都・三鷹の「Hiker's Depot」の土屋智哉さんと並んでよく取り上げられるように、たしかに店内はそれ関係のマニアックな商品ばかり。IBSと好日とは異質のこだわりぶりがある。買い物きっかけに北野さんと少し話し、(主に登山・トレイルランニング・沢登りの舞台としての)関東もいいけど関西も山の深さでは侮れない(特に紀伊半島が)、芦屋は海と山(六甲山系)が近くて道具のテストをするには最適で道具屋はモノを使ってナンボ、という突っ込んだ話も聞けて、この店の常連の友人・出がらし紋次郎さんからもうっすら聴いていたが北野さんの体育会系的な熱さに生で触れて感心。このときの話の内容だけで本ブログのネタが2、3できそうだが長くなるので割愛。あとでまた店のブログを頻繁にチェックしようっと。
・大阪に戻り、駄菓子せんべいにたこ焼きを挟んだ「たこせん」を食べてから(120円、なんばでは100円で提供している店もあるか)、路線バスで天保山方面へ移動。
・コンビニエンスストアで発泡酒などを買い込み、天保山公園で野宿。天保山の二等三角点(4.53m)から約20m離れたところで。天気は曇りでまあまあで、でも寒くもなく、20時間前は猛烈な台風に翻弄されていたのがウソのような落ち着いた雰囲気のなか、快適野宿。

●10月9日(金)
・静かかと思ったが、深夜もこの直上の高速道路(湾岸線)のクルマの走行音が少々うるさかった。
・でもそれもたいした問題ではなく、6時30分に地元の年配の方々がラジオ体操を始めたのを機に起床。
・野宿地から歩いて数十歩で天保山に登頂。というか標高4.53mと低くてすぐ目の前が海であることも考えると登山もへったくれもなく、まったく登頂した気がしない。でも一応は三角点があるし天保山山岳会もあるれっきとした山ではある。しかし実際は犬の散歩・ウォーキングの場として、鳩の溜まり場として、いたってふつうの公園。



・また、三角点のすぐそばにタバコの吸い殻があって(まあ公園だったらよくあるが)、そういう三角点の重みもわからない輩は3回くらい死んでいただきたい、と本気で憤りもする。そういえば、大阪駅前だけ見ても禁煙指定の駅前での喫煙や歩きタバコの輩が多く、大阪は東京よりも分煙の意識は数段低い印象がある。
・三角点の目と鼻の先にある渡船場の朝のピーク時の徒歩・自転車の利用客の往来を少し観察してから(船は無料だったが乗船はせず。また今度の機会に)、地下鉄大阪港駅から西成区の天下茶屋駅へ移動。



・国道26号沿いにあるこの界隈でも有名なスーパー「スーパー玉出」で買い物しつつ、天下茶屋の街並みを見ながら東西に適当に歩く。一定の場所に定住していないふうに見える人々も、天下茶屋駅の付近からちらほら見かけた。



・そのあとに北上して、南海電鉄・萩ノ茶屋駅そばの日雇い労働者とそれ向けの安宿が多いいわゆる釜ヶ崎(あいりん地区)界隈を、噂ではよく耳にしていたが実際にはどんな雰囲気なのか、と数年前から気になっていて今回ようやく初めて歩くことに。この界隈については後日、写真付きの別ネタで。
・南海電鉄で和歌山市へ移動。特急だとなんばから1時間ちょいで和歌山県の中心へさっと行けるので(先週にダイヤ改正で特急が増発されていくらか行きやすくもなった)、和歌山市も大阪中心部への通勤圏内であることを実感。
・今回の関西行最大の目的である、駅から徒歩8分ほどの、文化庁の登録有形文化財に指定されている「小野町デパート」の内部をほぼ全面借りきって今日12日(月祝)の夕方まで開催の、友人の陶芸家で彫刻家の緒方敏明さんの展覧会「とり の とぶたかさ」を1時間半かけてみっちり観た。これもまた後日別ネタで(たぶん月末に)。



・その前後に行った、ここの少し南側にある「河岸児童公園」の遊具の形状が他県では見られないくらい面白く、特に傾斜角が45°以上はあるかという滑り台が面白い。ちなみにあとで聞いたところによると、緒方さんのようなプロ目線からもこの形状は面白く、これらに幼少期から触れることによって芸術的な素養は他地域よりも身に付く? らしい。
・小野町デパートから徒歩30分ほどの銭湯「羽衣湯」に行き(380円)、戻り、緒方さんと、誘ったらちょうど休日だったので来られた出がらし紋次郎さんと、偶然にも同日に東京都内から鈍行列車乗り継ぎで半日かけてやって来た(先月の雑司が谷出店も一緒だった)『野宿野郎』の大将さんと、緒方さんの美術つながりの関係者2名(ともに女子)とともに、小野町デパート2階の茶室で計6名で食べ飲み会。日付が変わる頃まで4時間ほど。緒方さん的には来客は特に多かった日のようで。

●10月10日(土)
・日付が変わり、1時前に屋上で残った男4名で野宿。やや風はあるが月明かりのある晴れ空で、快適野宿。
・陽が昇るころに起き出し、うだうだして、8時頃に朝食。
・食後もまったりしたりダベッたりして4名でうだうだするが、たまたま置いてある自転車で散策でも、という展開になり、僕も全体的に錆びれてブレーキシューも要交換のやや危ないMTBを借りて和歌山市街を少し走る。
・その流れで、和歌山城南東の「岡公園」に行き、ここにも急傾斜の滑り台があるというので滑りまくる。結局、当初行こうかと思っていた和歌山城には行かず、ここだけで満足。この滑り台はまさに和歌山城以上の名所でもある、と勝手に認定。



・小野町デパートに戻り、一般の来客が入り出す11時以降は屋上に引っ込んで、雲を眺めながらゆっくりしつつ惰眠もしつつ。
・15時前にもう一回り展示を観収めてからデパートを発ち、近所の和歌山市民図書館に立ち寄ったあと、和歌山港方面へ散歩。
・紀ノ川の左岸を進み、その河口と海を眺め、青岸橋からの和歌山市街の眺めも堪能。
・今後、徳島県に行くときに利用するかもしれない和歌山港発着の南海フェリーを下見。
・南海電鉄・和歌山港駅とフェリー乗り場が直結している通路で、その徳島県が舞台で先月下旬に始まった朝ドラ『ウェルかめ』のヒロイン・浜本波美役の倉科カナのポスターも見かける。また、四国遍路完遂者向けの高野山直行のバスも運行していることもここで知る。



・和歌山港駅から小一時間でなんばに戻り(便利だ)、3連休の初日の夕方ということもあってか駅前の人通りはべらぼうに多く、和歌山との人口密度の違いに面食らいつつ、なんばに行くとアーケード街で必ず立ち寄る「551蓬莱」の豚饅を2個買い(320円)、立ち食いする。皮の甘味と具の肉汁の多さの組み合わせが相変わらず良い。
・道頓堀に移動し、くいだおれ太郎の新しい職場? での働きぶり(観光客との記念撮影)を確認し、えびす橋の改装ぶりにも驚き(一昨年に訪れたときは工事中だった)、そのそばのグリコの看板をバックに同じポーズで記念撮影して連休初日から浮かれまくっている観光客を眺めてから、北堀江に移動。



・カレー専門か否かにかかわらず媒体取材および芸能人の来訪も多いカフェ「婆沙羅かえる堂」に行き、約5日間煮込んだ黒いルウの「100時間カレー」が有名だが、それを初めて食べる。甘さのあとに辛さが来る味は悪くはないが、女子向けの量の少なさで、予想以上に高評価とはいかない。
・地下鉄で大阪駅に戻り、食べ足りないので駅構内のうどん店でさらにカレーを食べる。でも業務用ルウで幻滅。「欧風カレー」と謳っていたのにまんまと騙されたカタチ。
・少し離れたバス乗り場から新宿へ戻るバスに乗り、帰京の途へ。ただ、新宿経由後のバスの終着地が東京ディズニーリゾートだからなのか、この連休でそこを弾丸ツアー的に往復するらしい若い女子が多く、乗客の8割がたが女子だったか。僕の隣もおそらく20代の女子で、やや緊張する。どうしても狭くて身体が少しは当たる4列シートでいちいち警戒されるのもめんどくさい。こういうときは隣は同じ男性のほうが助かる。
・でも出発すると、日中に歩きまくった影響なのか疲れが出て、そんなに女子に気が向くこともなく結構眠れた。

●10月11日(日)
・往路同様にトイレ休憩が3回あるが、天気は3日前と打って変わって晴れで、助かる。
・快晴の新宿到着もきっちり定時で、座席が狭いこと以外は何も問題ない関東-関西移動だった。


という感じの、正味81時間の関西往復だった。
短期間のわりには当初設定していた目的はほぼ達成できて、2野宿もできて、久々に自分らしい旅ができたかな。出費は交通費も含めて約1万7300円となり、まあまあか。最近不況なので切り詰めたつもりだが、実際には飲食を主にいろいろ出費していたなあ。
それにしても、「旅人」を自認するのであればこういうことを年に数回は着実にできないとねえ、と改めて思った。
大阪も何度でも通わなければ。今度は完全に大阪・神戸・京都のカレー店巡りに集中しようかしら。

実はそんなに深刻ではないのです

2009-10-05 21:00:17 | 普段の生活(日常)
1日の投稿で、頭痛が頻発している、「旅人」ではない、とかなり落ち目のことばかりを書いたが、でも実はそんなに書くほど深刻な状況ではなかったりします。頭痛が多いのは事実ですが、その原因は徐々に解消されております。現在は、というか相変わらずふつうにアルバイトに勤しんだり野宿したりもしています(ちなみに最近目立った野宿地は、先週前半の小雨のなかの神奈川県・湘南は鵠沼海岸)。

その投稿の主旨はブログタイトルを気分転換に変更した、ということだけだったものの、ちょっとネタ気味に軽はずみで追記したマイナスなことのほうを個別に直接メールなどで、病院で診てもらったら? などと本気で心配してくださった方が数人いたりして(某有名人も含む)、持つべき者は(ジャイアンではないが)心の友よ、という感じです。
その節はありがとうございます。そして紛らわしくてすみませんでした。まさかそんなに反響があるとは予想外。

で、結局、ブログタイトルは期間限定で変更したもののやることはひとまず年内はまったく変わらないので、引き続きよろしくお願いします。

そういえば、懸案だった関西行きは決まり、7日(木)夜~11日(日休)朝の予定で東京~大阪間の4列シート狭々格安夜行高速バスの往復利用で行ってきます。主目的は先月も触れた和歌山県和歌山市内で開催中の陶芸家の緒方敏明さんの個展を観るため。ほかにも2年9か月ぶりの再訪の大阪界隈で行きたい店や食べたいカレーはいろいろあって、やりたいことは多すぎて。ああまた良い意味で悩みごとが増えて頭痛がー。
でも先週から台風17号と18号が発生していて、特に18号のほうが猛烈な勢力らしく、その進み具合によってはちょうどかち合って今回の小旅が悪夢になる可能性もあるけど、ひとまずそう悪くは考えずに、気を取り直して行ってきます。そういえば、どこそこに行く、と事前にはっきり予告するのは僕的にはとても珍しいことかしら。

それから、ついでに今回のお礼とお詫び代わりの旅絡みの興味深いひとネタを挙げておきますと、最近発売の隔月刊の自転車専門誌『BICYCLE NAVI』09年11月号(二玄社刊。V6の岡田准一が表紙)のシェルパ斉藤さんの連載「シェルパ斉藤の自転車で出会う楽園の島」で、斉藤さんと小学生の次男・南歩(なんぽ)くんとの秋田・青森県での自転車ツーリングについて書いているなかで、今夏の青森ねぶたに寄り道したことについても写真と文章で少し触れているのですよ。
で、そのなかで僕の知った顔が華々しく登場というほどではないけど記事中で4名見切れていて(実は先々週末にも一緒に野宿している)、うち3名は本ブログ左側のブックマーク先の主だったりして。さて、誰でしょう?
その答えは雑誌を実際に手に取って、その108~113ページをご覧くだされ。


ああそうそう、保留にしていた先月30日の朝の連続テレビ小説『つばさ』に関する投稿、いち埼玉県民の立場からうざいくらいに思い入れたっぷりでようやく追記が終わったので、世間一般の結果的に低視聴率ではあったけど(なぜ?)、それでも『つばさ』が大好きだー、多部ちゃんかわいい、と共感できる方に特にご覧いただけると幸いであります。

ではまた、たぶん関西から帰還後の来週以降に。

最近の登山関連小ネタ集

2009-10-03 23:59:26 | 登山

今日、10月3日の非公式の「登山の日」に合わせて、登山絡みの最近気になる複数の小ネタをまとめて放出。


●不測の事態のためにある避難小屋を、商業的な宿泊地にしてはいけません

先月発売の山岳専門誌『山と溪谷』09年10月号『岳人』09年10月号でそれぞれ、7月中旬に発生した北海道・トムラウシ山周辺の大量遭難を検証する記事が出ていて、読み比べてみた。
『山と溪谷』のほうでは、アルパインツアーサービス社長・黒川惠(くろかわ・さとし)氏とNPO法人日本トレッキング協会理事・越谷英雄(こしがや・ひでお)氏の対談や、遭難したツアーを企画したアミューズトラベルのそのツアー案内と遭難発生当時の気象衛星画像を見せたりもして画的にわかりやすかったし、『岳人』のほうではツアーの当事者の動向を時系列で並べて分単位で洗い出して一覧表にしているのも良かった。
ただ両方とも、参加者の証言がいくらか取れたのが良かったが(特に、このツアーの惨状を明らかにして今後の教訓として活かすために各種取材にも実名顔出しで積極的に発言している、参加者のひとりの戸田伸介氏のような存在は助かる)、これに加えて会社やツアーを担当したガイドの言い分もあるといいんだけどなあ。そこまで過剰な取材? というか突っ込んだことは業界の代表的な専門誌といえども難しいのかなあ。

で、ともにツアーガイドの力量というか資質を問うのはもちろんだが(しかも客よりも体力的に強くあるべきガイド役が1名亡くなってしまったし)、それとともに興味深かったのは『岳人』のほうで深く突っ込んでいたことだが、会社が「避難小屋を宿泊地として利用している」ということ。
これ、『山と溪谷』のほうに掲載されていたツアーの旅程表にも「ご宿泊先」として7月14日は白雲岳避難小屋、15日はヒサゴ沼避難小屋、と明記されていて(電話なしとも明記。そりゃそうだ)、ふつうに登山をやっている者からすると、この書き方だけで違和感がある。大雪山系の縦走というと、僕はまだ未体験だが過去の事例をいろいろ見聞きしたり調べたりすると大半がテント泊で行っている山々で、ツアーでこんなに積極的? に避難小屋を利用している事例はほかにはないのではないかと。主に台風並みの大雨や強風や濃霧や落雷やヒグマ出現のような不測の事態が発生したときに逃げ込むことはいくらかあるだろうけど。

しかも、遭難があったツアーのほかにもその前後の日程でこれらの避難小屋を別のツアーが毎日入れ違いで利用しているらしく、それをやってのけるために主に小屋泊まりのときの食事作りのための鍋やコンロなどの共同装備を残置したりツアー参加者たちの寝場所の確保のために常駐役? の人物も会社は雇っているとか。なので、悪天で仮に停滞すると、それらの複数のツアーのそれぞれ十数人の大所帯かな、が同じ小屋で重複してしまい、収容人員30人程度の小屋が満杯かそれ以上になる恐れもあり、よって停滞はできずに天気が悪くても一部の参加者の体調が思わしくなくても小屋のぎゅうぎゅう詰めを回避することが優先でやむなく出発しなければならない、という内情もあるようで。
だがこれ、ほかのツアー外の一般の登山者も避難小屋は利用するわけで、その商業的なツアーが小屋内の一角を占拠し続けるのはおかしいし、そもそも不測の事態のための避難小屋を最初から宿泊地と謳って山行計画に組み込むのがおかしい。
僕も主に奥秩父で避難小屋を利用することはたまにあるが、その場合はいつもテントかツェルトは携行しているしより簡素な野宿の覚悟もできたうえでも行っているから、宿泊地としてやたらめったら利用はしないぞ。それにだいたいは単独行で行くから、大所帯のツアーよりは省力化で行けるし。やはり避難小屋を宿泊地として利用、というのは違うよなあ。

ほかのツアー会社では、その小屋占拠の恐れがあるために満杯になったときのために(国立公園内ではテント泊は指定地以外では禁止だが、小屋から溢れた場合は仕方なく小屋のそばに張る)テントを持参するツアーもあるというのも聞いたことがあるが(行く山によってはそのテントやら共同装備やらの荷運び役もツアーに帯同する事例もある)、このトムラウシ山のツアーでも一応テントは携行していたようで散り散りになったうちの後方の1組が後手後手で使用していたが(それでも対処が遅れたために亡くなってしまった方がいるが)、ガイド個人への責任以前に会社の山行計画の立て方のほうがまず問題なのか、と記事を読んで思った。

ホントは全国どこの山でも、服部文祥さんの「サバイバル登山」ほど求道的ではなくても、安易に小屋に頼らずにせめてテントやツェルト利用でできるだけ山に負担をかけずに分け入るべきだ。今夏にある野宿仲間が剱岳の麓の山小屋にアルバイトで入っていたりもしたものの、やはり小屋をできるだけ利用しない、というのを老若男女問わず登山の基本姿勢とすべきだとも感じた。


●標高3776mで96%って……

先月末に終了したNHK教育テレビの『趣味悠々』、田部井淳子×ルー大柴の登山話10回シリーズの最終回は目標の富士山しかも最高点の剣が峰に登頂した。撮影時の天気も最高で、良かったね。
その番組の最高潮のあとに、近くにある旧富士山測候所で現在は各種研究に活用していることも触れていた。ついでにひとつネタを挙げると、『週刊ヤングジャンプ』で連載中の山マンガ『孤高の人』の最近の回で、主人公の森文太郎が冬季にここに滞在してNPOから山頂(主にお鉢の内部?)の積雪データ収集の仕事を請け負っていたりもするな。

で、そこで田部井さんとルーが高山病か否かの目安となる経皮的動脈血酸素飽和度(SpO2)の数値を計測できるパルスオキシメーターを利用していたが、ルーが83%、田部井さんが96%という結果だった。一応、標高3700m超の高所なのでルーの結果が一般的なのだが、田部井さんの96%ってなんだ。僕もこれは以前に数回計測したことがあるが、地上で100%かそれに近い結果が出なければおかしいとも言われていているが、高所なのに平地とあまり変わらない状態の田部井さん、いくら登山に慣れているとはいえ凄いな。老練と言っては失礼かもしれないが、やはり経験の賜物なんだろう。呼吸法とか。複式呼吸が高山病予防に効くというのはよく聞くけど。
また、その対策のひとつとして、手の親指と人差し指の股の「合谷(ごうこく)」という神経の集まる場所を刺激すると酸素飽和度が上がる、ということも紹介していたが、今後試してみようっと。

ちなみに今年始めだったか、ある登山関係の知人がふつうに東京都内の平地での酒盛り時にちょうど(仕事帰りで)パルスオキシメーターを携行していたので酒酔い状態で測らせてもらったら、結果は95%だったことがある。これ、平地ではふつうに呼吸をしながらの状態でも少なくとも98%か99%は出ないとおかしいので、かなり問題アリの数値だったりする。肥満も関係あるのかな?


●『男の隠れ家』09年11月号の、ちょっと高尚? な登山特集

僕は普段あまりチェックしない男性向け月刊誌『男の隠れ家』09年11月号は、珍しく登山特集だったりする。
で、立ち読むと冒頭から服部文祥さんの「山に行くということ」という4ページの記事から力が入っていて、登山する人がよく言う山に対する「謙虚さ」への反意を表していたり、服部さんお馴染みの「フェア」の精神について説いていたりして、のっけから刺激的。
でもそれ以降は各地の山小屋への取材やこれからの秋深まる季節にぴったりの山の簡単な案内が続き、写真もよろしく、最近は女性誌でも登山についてよく取り上げられるようになったようだがそれよりもおそらく数段落ち着いた、大人な雰囲気の誌面になっている。他誌と比べると『BE-PAL』や『fenek』よりも硬派だが『山と溪谷』や『岳人』よりは軟派な感じか。軟派というよりも、『サライ』や『旅の手帖』みたいな雰囲気か。
書き手も、いずれの記事もバリバリの山岳専門というわけでもない感じのライターばかりで、例えば最近は沖縄関連本で有名なカベルナリア吉田さんが尾瀬を歩いたことを書いた記事もあったりする(失礼ながらいつも島ばかり旅する吉田さんが山歩き、ということに軽く違和感がある)。でもその筆致はおちゃらけがちな自分の沖縄本よりもちゃんとしたものになっているけど。

ほかにも、僕は一方的に名前を知っている野外業界内で活躍するライターやカメラマンの仕事が並び、まあ僕好みの特集にはなっているね。
なかでも、取材対象への視点というよりは記事の完成度という意味で特に注目なのが、北八ヶ岳・黒百合ヒュッテの記事かな。この書き手と写真の撮り手はいずれも僕とほぼ同年代なのだが、この業界内では今後バリバリ活躍するであろう組み合わせで、良い。誰のことかはあえて名前は挙げないので、実際に雑誌を手に取ってチェックしてみてちょ。
ただ、僕は買うか否かはちょっと迷うところで、現在検討中。


●栗城史多氏、エヴェレストの登山中にそんな「余興」に力を入れている場合なのか?

6月にもブログのリンク先で少し触れた、世界七大陸最高峰“セブンサミッツ”の無酸素登頂の最後の目標として、世界最高峰のエヴェレストに先頃向かっていた北海道出身の以前は「ニート登山家」で最近は「小さな登山家」の栗城史多(くりき・のぶかず)氏、結局は今秋の登山は体調不良などで断念だそうで。
彼に関しては僕も3年ほど前から一応注目してはいるが、これまでの言動や登山の手法については数年前の野口健氏の「世界最年少記録」のときよりも賛否両論激しく飛び交っている感がある。僕個人的には総論賛成・各論反対、みたいな感じで彼の動向を見ている。
彼についてよく叩かれているのは、特に「無酸素」の解釈の仕方についてなのよね。単に酸素ボンベを担いで吸いながら登るか否か、ということだけでなく。

でもそんな外野からの雑音がありつつもエヴェレスト以外は登頂して、昨秋にはその予行演習的な意味合いで8000m峰のひとつのマナスルにも登頂して(もちろん無酸素で。ただ、この登山も一部では叩かれているようで)、ネパールの高山では特にバカ高い登山の資金を集める意味でのスポンサー探しも含めて“セブンサミッツ”完遂のために着々と進行してきた模様はなんとなくブログで拝見している。

ただ、今回の登山でエヴェレストの登頂に純粋に臨むのならまだしも、YAHOO!JAPANと組んで現地からの衛星中継を敢行する、みたいな企画もこなしていて、たしかに近年の通信技術の発達ぶりを活かしたい、それに登山をリアルタイムで伝えて多くの人々と感動を分かち合いたい、という意図はわかるが、それはどうなんだろう? と疑問に思うふしも多々ある。いちいち細かく挙げると面倒なのでやめておくけど。

雑誌『モノ・マガジン』09年10月16日号でも触れていたが、先月にその連動企画? として、標高6400m地点で流しそうめん、7600m地点でカラオケ、をそれぞれ生中継してギネス記録を狙ったそうだが、僕はそういうのにはまったく興味がなく、「余興」は登山隊の内々でやればいいじゃんよ、それを全世界に公開して周りに押し売りしてどうすんだよ、そんなことよりも肝心の登山をちゃんとやれよ、君の道楽のために自分(と家族)の生活を懸けて登山に参画している現地スタッフもたくさんいるだろうに、と外野からはある意味悪ふざけにも見えるその様子を垣間見るとつい毒づきたくなる。諸外国の方から、最近の日本の若者の道楽ぶりがみなこんな感じだと勘違いされそうで、それは困るよなあ。もっとマジメに取り組んでいる登山者もたくさんいるし(というか、本気で取り組まないと簡単に死んじゃう可能性のある場所だから)。まあ栗城氏もその「余興」に本気で取り組んでいるのだろうが、その方向性が「登山家」を名乗るのであればちょっと違う気がする。

「余興」というと、大学時代に所属していたワンゲルのかなり年代は上の先輩が十数年前に、ある7000m峰の登頂時にギターを担いで登頂してそれを山頂で弾いた、という登山隊の内々のサプライズ? の話を聞いたことはあるが、そのくらいだったらまだ良いと思う。でも今回のは全世界に発信するようなものだからねえ、しかも世界最高峰の真っ只中で。これによってヒマラヤ登山の敷居はいくらか低くなったかもしれないが、視聴者からは思いっきりいろもん扱いされただろうな。

まあ今どきの若者の自己表現、という意味で考えるとこれはこれでアリなのかもしれないが、生死の境を行く高所登山でそれがすぎるのはいかがなものか、と訝しがる、登山に精通した人でなくてもそのような行動をイタイと思う人のほうが多いだろう。今回もその「余興」のやりすぎで肝心の登山がうまく行かなかったのでは? もし体調不良のみならず悪天続きを言い訳にするのであれば、それが好転する運を呼び込めなかった意味でもより自分の責任は重いのでは? とも思う。
栗城氏、ふつうに淡々と真摯に登山していればよかったものの。せっかく出身大学の先輩に探検の分野では特にシーカヤックの経験が豊富な新谷暁生氏もいるというのに、「余興」によってそのホンモノの先輩の存在にまで悪影響がおよびそうな(とばっちり)、ニセモノまっしぐらの存在になってしまうぞ。山岳専門誌や同業の登山家からは彼の行動はほとんど触れられていないように、すでにそういう見方をしている人も多いけど。僕はまだ辛うじてホンモノ扱いしてあげているのに。もったいない。

来春も再びエヴェレストを登りに行くようだが(ネパールで天候が安定する可能性が高くて比較的登りやすいのは春のほうで、今秋に行ってしまったのは勇み足とも言える。まあ許可の関係で春はダウラギリに変更せざるを得なかったのはわかるが)、企業のみならず一般の人々からも講演会ついでにその入場料にあらかじめカンパの金額を上乗せして募ったうえでその収益を登山の資金に充てている現状を考えると、今回の「余興」によって来年以降の、もし自前の登山隊になるとン百万円かかる(いや8桁を超えるか?)登山の賛同者が増えるのか減るのか、今後も見モノである。


●「森ガール」よりも「山ガール」

僕は今年始めあたりから、「森ガール」という言葉をよく耳にするようになってきた。これは取り上げる媒体によって解釈は異なるようだが、意味を総合すると「いかにも森のなかにいそうな雰囲気を持っている女の子」ということになる。格好で考えるとワンピースやチュニックが似合うみたいな、髪型もメイクもゆるゆるでふわふわでしぜんな感じで脱力感や透明性があるやや神秘的な雰囲気も醸し出す、やさしい空気を身に纏っている若い女子、なのか。
最近の邦楽で人気のユニット・Perfumeのメンバーで例えると、ボーイッシュなのっちではなく、より女子的なかしゆかとあ~ちゃんみたいな感じか。ほかの芸能人で例えると、代表的なのが役者の蒼井優や歌手のYUKIとはよく聞く。僕もまだその概念は引き続き勉強中。

最近、それをさらに活動的に進化というか深化させた? のかどうかはわからないが、「山ガール」という言葉もあることを知った。誰が創ったんだそれ。
昨年あたりからか、男性誌のみならず女性誌でもエコだロハスだとかいう意味なのだろうがそういった健康面や自分磨きみたいな入り方から登山について取り上げる機会が増えてきた、というのはよく聞く。特に出版社の野外系フリーマガジン『フィールドライフ』を通読していてもその傾向はわかり、今春からはその女子向けの情報のみを抽出した雑誌として季刊誌の『ランドネ』が創刊されたりもしているし。

で、「山ガール」のわかりやすい例として、好日山荘が今年から年4回刊で発行しているタブロイド紙『guddei(グッデイ)』の3号目の2009秋号(上の写真参照)の巻頭ロングインタビューで、現在、モデル・役者・ラジオDJなど芸能で多岐にわたって活躍中のKIKIという女子が取り上げられている。
彼女、一般には主にテレビドラマやCMのような芸能面の活躍のほうが有名なのだろうが(現在、資生堂の「AQUALABEL」のCMに出演しているのが特に目立つか)、僕的には『フィールドライフ』で07~08年に表紙モデルも含む雑誌の“看板娘”として毎号登場して、登山やカヤックやテレマークスキーなどの野遊びに出かけたことを書いた連載を持っていたことのほうから認識するようになった。この野遊び企画の数々によって鍛え上げられた結果、特に登山に徐々にはまっていったようで。インタビューを読むと、最近は仲間内で「女子登山部」のノリで行ってもいるようだし。登山の基本的なことがわかっているお目付け役がいれば、そんな軽い感じもよろしいかと。ただし行く山とその季節の選択にもよるけど。

また、僕よりもちょい歳下の彼女の経歴を見ると面白いのが、武蔵野美術大学略して“ムサビ”の造形学部建築学科を卒業していて、芸術面に詳しいということ。というか、学業のほうが先で、芸能活動や野遊びを始めたのが順序的にはあとになるのか。今のところは芸能の仕事ではその知的な一面はまだあまり目立っていないが、今後そういった芸術と野遊びを絡めた仕事も増えるのかしら。
KIKIさんについて、最近にわかに増えている“ムサビ”出身の友人知人のひとりに先日訊いてみると(たしか彼女と専攻は異なるが同年代だったか?)、在学時からそこそこ有名ではあったようで、建築方面よりももっと明るい場に出て正解のひとなのかなあ、と改めて『フィールドライフ』の過去連載を読み直すと思う。

今後もし実際に会う機会があれば、母校で「グレートジャーニー」の関野吉晴さんが教授に就いていることも知っているはずだから、そのへんの認識や、本人や仲間内の女子目線からの登山の捉え方についてより突っ込んだことを訊いてみたいものだ。


と、複数まとめるとどうしても長くなっちゃうのよね。そこはご勘弁を。

あまりに「旅人」していないので、期間限定でブログタイトル変更

2009-10-01 01:30:51 | 本ブログの能書きと自己紹介
今年、まあ簡単に言うと経済的な事情からなのだが(その原因は世間一般の最近の不況ぶりはあまり関係なく、ほぼ自分の落ち度による)、例年に比べると旅しているという実感のこもった投稿や旅にまつわる主張やら報告が自分の思いどおりにできなくて、なんか自分でも日々それらの旅話を主体とした本ブログを設けておきながら満足に「旅人」らしく振る舞えないことに、自分への怒りやら苛立ちやら落胆やらも含めた複雑な心境の日々が続いている。

これは、周りの相変わらずの良さげな旅をしている友人知人の“隣の芝生の青さ”を見るにつけ抱く焦燥感からも、より深刻化しているのだが。だからなのか最近、頭痛が頻発していたりもして、頭痛薬が日々手放せなくなっているのだが(約3か月前から週3~4回は服用中)、うつ病というほどでもないが精神的にもちょっとやられているからなのかな。偏頭痛というよりは、緊張型頭痛なのか。いずれにせよ、お金がないこととそれによって旅できないことはやはり辛い。

そこで、自分への反省と戒めの意味も込めて、とりあえず年末までの3か月間の期間限定でブログタイトルをちょこっと変更した。どこが変わったのかはお察しください。
今年の僕は明らかに「旅人」ではない。まだ(今年から国内を旅? し始めて雑誌『AERA』にもその連載を持っている)中田英寿や、(諸外国にいかにもバラエティ番組らしい過酷ロケにばかり連れ回されている)珍獣ハンター・イモトアヤコのほうがよっぽど旅しているように見える。
ホントに過去最低の年ですな。年始に引いたおみくじの「大吉」の効果はどこへ吹き飛んだのか。

幸いにも本ブログにリンクまたはブックマークを張ってくださっている方は、この変更に伴ってそのリンク先などの名称も変更してもしなくてもどちらでも、で、判断はお任せします。今回の措置は単なる気分転換みたいなものなので、年末までのつもり。

投稿の内容は先月までと変わりはないので、引き続きよろしく。
年内に少しは「旅人」らしさが戻ってくるかしら。ひとまず来週に予定している関西行きから再起を図りたい。