我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

尖閣諸島 関連の 記事索引

2011年03月05日 | 課題分類

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尖閣諸島領有の歴史と経緯 

 明治政府領有宣言から、支那の工作と米国政府の対応など

 

 

2019 10 08 尖閣水域は、支那の漁場【わが郷】 尖閣水域は、支那の漁場。 わが郷 

 

2016 06 10 連れション わが郷

               2016 06 10 連れション【わが郷・軍事】

2014 04 17  焦る中国と墨守  【日比野庵】

2013 12 13  中国の有名無実識別圏を警戒せよ 【日比野庵】

2013 12 11  アメリカの同盟国 わが郷

2013 12 03  習近平のフライトプラン…激化する反日メディア工作 【東アジア黙示録】

                 習近平のフライトプラン…激化する反日メディア工作【東アジア黙示録】

 

 

韓国も加わって錯綜する、各国の防空識別圏。

     クリックすれば拡大します。

 

2013 12 01  米当局が逃げた理由 わが郷

2013 11 30  米、航空会社にフライトプラン提出を要請の怪 【イザッ】

2013 11 29  諸国や台湾などからの信頼を得るためには、もう「助けてアメえもん」は許されない 【えい坊主の時事ネタ日記】

2013 11 30   口パク 支那軍 わが郷

          2013 11 30 口パク 支那軍

 

2013 11 30  読み違えた中国と平和を乱す者への勇気ある説得 【日比野庵】

2013 11 29  我レ、中国防空識別圏ヲ認メズ 【日比野庵】

2013 11 24  防空識別圏 中国は挑発の責任負うか 【産経

         拡大

2013 10 13  複合装甲 わが郷 

2013 10 12  石原慎太郎氏がテレビ番組で強調、「尖閣に灯台を作るべき」 【新華】 

2013 09 14  政府、日中関係は危機的と 【 遠藤健太郎オフィシャルブログ】

2013 08 21  中国監視船が現場放棄 【台湾は日本の生命線】  

2013 08 08  領海内航行、最長14時間超 【産経】 

2013 07 05  安倍政権の本気度  わが郷

2012 09 08 ほんとうの戦いは 是からだ 明確なる領海侵犯の意図をもった船は、船体射撃で沈めてもかまわない

 

2013 06 11  領海侵入に自衛隊出動=尖閣警備で新法検討-自民 【時事】

 領海警備を自衛隊の任務として位置付け、外国公船・軍艦が退去要請に応じない場合は、
首相が自衛隊に「領海保全行動」を発令、武器使用を含む「必要な措置」を取れるとした。

 

2013 06 06  国賊  わが郷
                    

 

2013 04 27  きな臭い これが現実  わが郷

きな臭い これが現実

 

2013 03 07  野田政権の対中国「過度な配慮」 【産経】 

2012 12 06  中国尖閣占領も最後は陸上自衛隊の島嶼防衛部隊が奪還の予測  【getnews】

2012 09 28  中国外相「尖閣盗んだ」、日本は反論…国連総会 【韓流研究室】

2012 08 14  自衛隊が出ることになれば支那に対する牽制になる 【私の主張】

2012 07 26  尖閣に自衛隊出動も=領海侵入に「毅然対応」-野田首相 【時事】

 

 

 

これよりも 古い記事は、

 尖閣諸島 関連の 古い記事 ← ここに保管してあります。

 

 


 http://www.aoikuma.com/onstreetwatch01.htm
 

島嶼防衛の基地づくり

 
日本の西南の 島嶼防衛の基地は、尖閣諸島に作ればよい。

 巨大なメガフロートを浮かべて 彼の島に繋留すれば、環境もそれほど痛まぬ。当然運営は自衛隊である。反対住民は一人もいない。( 記事の全文はこちらをクリック )

  

日本国の排他的経済水域
 ← 画面をクリックすれば、大画面で見られます。 
 (この地図では、千島列島のウルップ島から北と、樺太南半分の日本領が欠けています。)

 

 尖閣諸島戦時遭難事件

  あるいは尖閣列島戦時遭難事件(せんかくれっとうせんじそうなんじけん)とは、太平洋戦争末期の1945年7月に日本の小型船2隻がアメリカ軍機の攻撃を受け、無人島だった尖閣諸島に漂着した事件である。約50日後に救出されたが、戦闘と飢餓などにより50人以上が死亡した。石垣島から台湾へ民間人を疎開させる途中に遭難したもので、「対馬丸」以外に沖縄県からの疎開船が撃沈破された数少ない事例である。台湾疎開石垣町民遭難事件、あるいは遭難船名に由来して一心丸・友福丸事件とも呼ばれる。 (全文は、こちら をクリックしてご覧ください。)

 

 島嶼防衛
    西南諸島の安全保障に関する、記事の索引が 数件 収めてあります。

 

参考資料  シナ人と台湾人も認めた「尖閣諸島は日本固有の領土」の証拠 
                尖閣列島ノート・Ⅰ 高橋庄五郎著

 

 

 

 

ここをクリックすれば各国地域情勢のアメリカへ行く

尖閣諸島についての基本見解 (日本国外務省ホームページ)

  尖閣諸島が日本固有の領土であることは,歴史的にも国際法上も疑いのないところであり,現にわが国はこれを有効に支配しています。したがって,尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在していません。
 第二次世界大戦後,日本の領土を法的に確定した1952年4月発効のサンフランシスコ平和条約において,尖閣諸島は,同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず,第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ,1972年5月発効の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は,わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
 尖閣諸島は,歴史的にも一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しています。元々尖閣諸島は1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない,単にこれが無人島であるのみならず,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認の上,1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
 また,尖閣諸島は,1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは,サンフランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し,従来なんら異議を唱えなかったことからも明らかであり,中華民国(台湾)は1952年8月発効の日華平和条約でサンフランシスコ平和条約を追認しています。
 中国政府及び台湾当局が尖閣諸島に関する独自の主張を始めたのは,1968年秋に行われた国連機関による調査の結果,東シナ海に石油埋蔵の可能性があるとの指摘を受けて尖閣諸島に注目が集まった1970年代以降からです。従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的,地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点は,いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/kenkai.html

 

 

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