戦艦ミズーリ(BB-63 Missouri)はアイオワ級の三番艦で、1944年6月11日に就役して
1992年3月31日 に退役しました。全長 270.4m で 基準排水量:48,500トンでした。
戦艦大和が、就役したのは 1941年12月16日 で、後 1945年4月7日沈没しました。全長は 263.0mで 基準排水量 65,000トンでした。
アメリカも大和クラスの戦艦の計画がありましたが、1943年7月に建造中止が決定しました。航空機と潜水艦による攻撃に弱いことが判明したためでした。
ネイヴァルランド公国
大日本帝国海軍(The Imperial Japanese Navy)に
関する情報を纏めるブログです。
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(^_^;)上記の閣下のブログからのご紹介です。
06年07月29日
帝国海軍による米空母撃沈
大日本帝国海軍の主力空母はアメリカ合衆国海軍にほとんどが撃沈されてしまいましたが、帝国海軍もアメリカ海軍の空母を多数撃沈しております。以下に帝国海軍が撃沈したアメリカ海軍の空母を掲載します。●レキシントン(正規空母、排水量:41,000トン、搭載機:81機)
・撃沈日時:1942年(昭和17年)5月8日
・撃沈場所:珊瑚海
・撃沈経緯:珊瑚海海戦において、空母瑞鶴の搭載機が空母レキシントンを攻撃。魚雷2本、250キロ爆弾2発を命中させ大破させた。空母レキシントンは浸水を食い止め、火災も鎮圧したが、被雷によって漏れだしたガソリンが気化して引火、大爆発を起こして消火不能となったため、駆逐艦フェルプスの雷撃により処分された。
●ヨークタウン(正規空母、排水量:19,800トン、搭載機:85機)
・撃沈日時:1942年(昭和17年)6月7日
・撃沈場所:ミッドウェー近海
・撃沈経緯:5月27日、ミッドウェー海戦において、空母飛龍の急降下爆撃隊が空母ヨークタウンを攻撃。爆弾3発を命中させた。その後、空母飛龍の雷撃隊が再度空母ヨークタウンを攻撃し、魚雷2本を命中させて大破させた。空母ヨークタウンはそれでも沈没には至らず、修理のためハワイ真珠湾へ曳航された。6月7日、潜水艦伊-168が曳航されている空母ヨークタウンを発見、これを雷撃して撃沈した。
●ワスプ(正規空母、排水量:14,700トン、搭載機:76機)
・撃沈日時:1942年(昭和17年)9月15日
・撃沈場所:南西太平洋海域
・撃沈経緯:潜水艦伊-19が空母ワスプを発見し、これを雷撃。3本の魚雷を命中させ、撃沈した。
●ホーネット(正規空母、排水量:19,800トン、搭載機:85機)
・撃沈日時:1942年(昭和17年)10月27日
・撃沈場所:サンタクルーズ諸島沖
・撃沈経緯:南太平洋海戦において帝国海軍機動部隊(空母翔鶴、空母瑞鶴)の攻撃隊が空母ホーネットを攻撃。魚雷2本と250キロ爆弾6発を命中させ、大破させた。これにより米海軍は空母ホーネットを撃沈処分することにし、駆逐艦マスティンと駆逐艦アンダーソンで雷撃と砲撃を行ったが沈没せず、その後前進してきた帝国海軍の駆逐艦二隻が空母ホーネットに向けて4本の魚雷を命中させて撃沈した。
●リスカム・ベイ(護衛空母、排水量:10,400トン、搭載機:28機)
・撃沈日時:1943年(昭和18年)11月23日
・撃沈場所:マキン島西方
・撃沈経緯:マキン島西方において潜水艦伊-175が空母リスカム・ベイを雷撃。魚雷4本を発射し、その内1本が空母リスカム・ベイの右舷後部の火薬庫に命中。空母リスカム・ベイは轟沈した。
Wikipedia 2 護衛空母リスカム・ベイ撃沈
●プリンストン(軽空母、排水量:13,000トン、搭載機:45機)
・撃沈日時:1944年(昭和19年)10月24日
・撃沈場所:フィリピン・ルソン近海
・撃沈経緯:フィリピン・ルソン近海において、フィリピンの陸上基地から発進した急降下爆撃機が空母プリンストンを攻撃。爆弾は空母プリンストンの飛行甲板を突き抜け格納庫とエレベーターを破壊し爆発。これにより空母プリンストンは大破。米海軍は空母プリンストンを撃沈処分することにし、駆逐艦アーウィンと軽巡洋艦リノが雷撃と砲撃を行って撃沈した。
●ガンビア・ベイ(護衛空母、排水量:10,400トン、搭載機:28機)
・撃沈日時:1944年(昭和19年)10月25日
・撃沈場所:フィリピン・レイテ近海(サマール島沖)
・撃沈経緯:フィリピン沖海戦(サマール沖海戦)において、第一遊撃部隊(戦艦大和、戦艦金剛など)が空母ガンビア・ベイを砲撃。これを撃沈した。
●セント・ロー(護衛空母、排水量:10,400トン、搭載機:28機)
・撃沈日時:1944年(昭和19年)10月25日
・撃沈場所::フィリピン・レイテ近海
・撃沈経緯:フィリピン沖海戦において、フィリピンのマバラカット基地から出撃した神風特別攻撃隊の航空機(特攻機)が空母セント・ローに突入。爆弾、魚雷の誘爆で空母セント・ローは沈没した。写真(左):護衛空母「セント・ロー」;1944年10月25日、米海軍USS護衛空母「セント・ロー」St. Lo (以前は、護衛空母「ガンビア」Gambier Bayといわれていた写真)に、煙幕smokescreenを張る護衛艦。サマール島沖戦Battle off Samarの撮影。
●オマニー・ベイ(護衛空母、排水量:10,400トン、搭載機:28機)
・撃沈日時:1945年(昭和20年)1月4日
・撃沈場所:フィリピン・ミンドロ島南方海域
・撃沈経緯:陸上基地を発進した双発爆撃機(機種は不明)が空母オマニー・ベイを攻撃。2発の爆弾を命中させ、1発は飛行甲板を貫通して格納庫内で爆発、もう1発は格納庫甲板を貫通して第2甲板右舷で爆発。これにより空母オマニー・ベイでは大火災が発生。米海軍は空母オマニー・ベイの撃沈処分することにし、駆逐艦バーンズが空母オマニー・ベイを雷撃して撃沈した。●ビスマルク・シー(護衛空母、排水量:10,400トン、搭載機:28機)
・撃沈日時:1945年(昭和20年)2月21日
・撃沈場所:硫黄島沖
・撃沈経緯:神風特別攻撃隊の航空機(特攻機)が空母ビスマルク・シーに突入。大火災が発生し、空母ビスマルク・シーは沈没した。
<公爵の独り言>
帝国海軍もやられっぱなしではなかったのです。
(^o^) 以上で紹介終わります。よく負けるに決まった戦争とかいう人が多いですが、上記のような戦況をご存じの上でいっているとは想えませんネ。なお写真は 「わが郷」 追加添付しました。
さいごまで 読んで頂き ありがとうございます。
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そうなんですよね、大日本帝國海軍は米国海軍の航空母艦を一番沈めた海軍なんです。
ついでに大戦末期でも北号作戦において完部隊が作戦目的を完璧に完遂するなど、能力は高かったのです。問題は…なんで日本って中長期戦略が今も当時も苦手なんでしょうね?
ご訪問と貴重なコメント有り難うございます。
再コメントお待ち申しております。