関連記事のご紹介 物価と会計、経済と金融
第45回衆院選が18日公示されました。麻生首相は『与党で過半数ということになれば政権を維持する』とかいってますね。政権公約とマニフェストの違いって何でしょう。自民と民主の政策も文章は文字のいっぱい繋がったもの。あのおじさん達のおなかの色は見えません。文字面で判断してはマズイのではないでしょうか。
しかし、M元首相と言えば、愚息が西麻布の問題のクラブ「A」に出入りしていると言われる。選挙も不安で心配だろうが
http://022.holidayblog.jp/?m=20090818
みたいな、押尾容疑者、政界そしてナゾの政治家はだーれのほうが面白ですね。
『日本人が知らない 恐るべき真実』 記事のご紹介です。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050816
あまり知られていませんが、日本は明治維新以降、既に2回破産しています。1回目は1904年(明治37年)から1916年(大正5年=第一次世界大戦中)にかけて。2回目は1931年(昭和6年=満州事変勃発)から1945年(昭和20年=終戦)までの14年間。過去二回の破産は戦争がらみで、ハイパーインフレと大増税という荒波を受けました。国債が紙切れになったのは、まだほんの60年前のことなのです。
第二次大戦直後のインフレ進行を阻止するために、昭和21年2月16日の夕刻、政府は突然、「金融緊急措置令」および「日本銀行券預入令」を公布し、5円以上の日本銀行券を預金、あるいは貯金、金銭信託として強制的に金融機関に預入させ、「既存の預金とともに封鎖のうえ、生活費や事業費などに限って新銀行券による払出しを認める」という非常措置を実施しました。これが、いわゆる「新円切り替え」と呼ばれているものです。また、このときに総国民の資産調査が行われ、10万円を超える資産に対し25~90%の高額な財産税がかけられました。さらに、郵便貯金は10年間の払い戻し拒否が実施され、払い戻せるようになったときには、貯金は一律3分の1をカットされたのです。10年間で物価は300倍に上がりましたので、ほとんどの人たちの貯金は実質的には900分の2しか戻ってこなかったことになります。
古典派経済学の始祖アダム・スミスは「公債は、税金を担保とする借金で、非生産的であり、国を亡ぼす」と指摘しています。公債に頼った財政は、最終的には、国民の生活が犠牲になるのです。
以上で紹介終わりです。
以前ドイツ関連の記事『ドイツ銀行と自由主義 その1』で一寸触れました。
http://blog.goo.ne.jp/wagasato/e/862948a139c91bff7fa1d852c8d8ec81
〈10年間で物価は300倍に上がりました〉
これって、単純に考えれば戦後の日本経済に通常の、300倍の通貨が供給されたと言うことでなのですね。当時の財務官僚とその周りにいた政治家、そして民間の経済人はとてつもない利益を得たと言うことなのでしょう。
総理大臣は吉田茂、片山哲、芦田均そして鳩山一郎は1956年12月23日まで務めています。第一次吉田内閣の大蔵(財務・金融)大臣は石橋湛山です。
日本国民が馬車馬のように働いて得た賃金は、物価上昇で価値がすぐさま減価したのでしょう。戦争で死ぬよりはマシだったので文句は言わなかったのですね。
それにしても、湯水と言うより『バクハツだー』みたいな通貨の大放出は、占領軍が中心になって進めたのでしょう。いったい何に使ったのでしょう。日本を丸ごと買おうとでもしたのでしょうか。
現在選挙戦が『激烈』にすすめられています。苗字はちがいますが、麻生太郎氏は吉田茂の孫です。鳩山由紀夫氏は鳩山一郎の孫で、ブリジストンタイヤの創業者・石橋正二郎の孫でもありますネ。
まさかこの人達が盗んだわけではないのでしょうが、過剰に供給された貨幣のすくなくとも10%は不正に蓄財されたと勘ぐっちゃいます。
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