我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

四方(よも)を照らす光り

2010年05月26日 | 日記

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2010 05 26 四方(よも)を照らす光り【わが郷】

 

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今は日本の夜。

 どうあがいても、先は見えない。

ならば夜を楽しもう。

小沢は不動産と金に躓いて
鳩山は金と、ウソに絡められて
つっころんで這いずり回っている。

彼らが見ているのは、ほんの目先のこと

 

日本の輝かしい朝は、


コリアの鱗をマスコミの眼からはぎ取り

極東米軍の暗雲を払いのけたときにこそ訪れる

 

 
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神風の

伊勢の海の 大石にや

 這ひもとへる 細螺の

 細螺の 吾子よ

吾子よ

 細螺のい這ひもとへり

 うちてしやまむ

 

一部分のご紹介です。『神武東征の物語』さんからです。 

 「神風(かむかぜ)の伊勢の海の 大石にや 這(は)ひもとへる 細螺(しただみ)の 細螺の 吾子(あご)よ吾子よ 細螺のい這ひもとへり うちてしやまむ」

従来の解釈では、神風を伊勢の枕詞とする。
また伊勢を伊勢神宮と考えるため、伊勢神宮が祭られるのは垂仁の時代で、神武の時代に伊勢神宮は存在しない。したがつてこの歌は後世の創作だとするのである。神武東征が創作された物語であるという説の根拠にもなっている。
だが神風は枕詞ではない。この時代に枕詞というような慣用的表現は、まだ生まれていないと見るのが妥当であろう。

神風とは、神武一行が荒坂の沖で遭遇した暴風である。この暴風で難破した場所は、熊野から伊勢に入った直後、他ならぬ伊勢の海である。
重要なのはつぎの「大石」である (つづきは、ぜひ。『神武東征の物語』さんでお読み下さい。)

 

  日本のマスコミ界に取り憑いた、小さな巻き貝(細螺)を蹴散らして、踏みつぶし尽くすまで、たたかいは止まない。

  天の岩戸が開き、旭が刺すまでは何も見えない夜。それまでは、こちらも這いずり廻るしかない。

ところで我が大君の在位20年記念祝賀の、あの 『万歳』 は何だったのか。

こりゃなんじゃ 「万歳」 というより 「降参(プリンシペ・ピオの丘での銃殺2010-05-24)」 だよ。

かくなるつまらぬ 服(まつろ)い事みるよりも、外つ国の妖しき舞姫 の、ベリーダンス見たほうがよほど有意義。 ←クリック

 

        小杉放庵

 

何で男子が皇室で、最高位の天皇になるのか。
考えて見た。

真っ先駆けて、突進し
そして死ぬためであったのだろう。

男は死んでも代わりは幾らもいる。
女はそうはいかない。子を産むのに10月10日かかる。

男の仕事はちょっとの間に出来る。
宮崎の種牛なんかは、何万、何十万の子孫を残せた。


それでは現代は 『平和』 なので、女系でもよいのか。

それはダメだ。日本における皇室のあり方は、とおい過去の記憶の再現なのだから。


このことを理解できないと、ドタマを湯田菌に 『友愛』 されて 「日本の伝統精神」 が鳩山由紀夫のように 『降参』 になってしまう。

 

 

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 夜明け前(わたしの里 美術館)
 2009-04-10 

国防がなければ、すべてが歪む。 日本国の首相が極東米軍にひざまずいた。

日本国の夜である。

 

 2011 02 21 菅直人はいねむり運転

 

アクセスの記録  2010.05.25 (火)    1731  PV     654  IP      742 位  /  1415225ブログ

 

 

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