わたしの里 美術館

とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

小杉放庵

2010-06-11 | 日本人作家

 

小杉 放庵  (こすぎ ほうあん)

1881年(明治14年)12月30日 - 1964年(昭和39年)4月16日
明治・大正・昭和時代の洋画家。本名は国太郎、別号に未醒、放菴。

栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)に二荒山神社の神官・富三郎の子として生まれる。
父は国学者でもあり、1893年(明治26年)から1897年(明治30年)にかけては日光町長も務めていた。

 辛夷

 

 1896年(明治29年)から日光在住の洋画家・五百城文哉の内弟子となるが、五百城に無断で出奔、上京して白馬会洋画研究所に入る。しかしこれに馴染めず、肺尖カタルをも患ったため帰郷。再び五百城の元に戻る。1900年(明治33年)に今度は許可を得て再度上京し、小山正太郎の不同舎に入門する。1902年(明治35年)に太平洋画会に入会し1904年(明治37年)に未醒の号で出品する。

なお、1903年(明治36年)からは国木田独歩の主催する近時画報社に籍をおいて挿絵を描き、漫画の筆もとっている。1905年から始まった日露戦争には、『近事画報』誌の従軍記者として戦地に派遣され、迫真の戦闘画や、ユーモラスな漫画的な絵などで、雑誌の人気に大きく貢献した。

アメノウズメ 

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1908年(明治41年)に美術誌『方寸』の同人に加わり、この年から文展に出品し、第4回展で3等賞、第5回展で『水郷』、第6回展で『豆の秋』と題した作品が続けて2等賞となる。1913年(大正2年)にフランスへ行き、翌年に帰国。これ以降、墨絵も描き始めるようになる。同年、再興された日本美術院に参加し、同人として洋画部を主宰する。また、二科会にも同時に籍を置いていた。

その後、絵に対する考え方の違いから1917年(大正6年)に二科会を、1920年(大正9年)には日本美術院を脱退し、1922年(大正11年)に森田恒友、山本鼎、倉田白羊、足立源一郎らとともに春陽会を創立する。1924年(大正13年)に号を放庵と改めたが、これは親友である倉田白羊が一時期使っていた「放居」という雅号から「放」の字を貰って付けたものである。なお、雅号は後に放菴と更に改めているが、その時期や理由については不明。

 

 

 

東京大学安田講堂壁画「湧泉」の習作


大正14年(1925)
油彩・カンヴァス
134.1×99.3cm

作品解説
東京大学大講堂、通称安田講堂の舞台正面に描かれた壁画の一部の習作。放菴は、パリのソルボンヌ大学の大講堂にあるシャヴァンヌの大壁画を念頭に、フレスコ画風の薄いタッチで、知恵が泉のように湧きだし、大きな成果となって実を結ぶまでの、大学にふさわしいテーマを寓意的に描き出している。岩座にたたずむ乙女は当時流行した天平風俗で、柔らかな筆線や、柿色の朱、緑青を思わせる色遣いによって、日本画と油彩画の画法が高度に調和している。( 出光美術館 )

 

1925年(大正14年)、東京大学安田講堂の壁画を手がける。1927年(昭和2年)には、都市対抗野球大会の優勝旗である「黒獅子旗」のデザインを手がけた。

1929年(昭和4年)に中国へ旅行。1935年(昭和10年)に帝国美術院会員。第二次世界大戦中に疎開のため新潟県赤倉に住居を移し、東京の家が空襲で失われたため戦後もそのまま暮らす。ここで、新文人画ともいうべき独自の水墨画を残した。

1958年(昭和33年)、日本芸術院会員を辞任。1964年(昭和39年)、肺炎のため死去。墓所は日光市所野字丸美。

文典に入選した初期の画は、東洋的ロマン主義の傾向を示す。未醒の号で書いた漫画は当時流行のアール・ヌーヴォー様式を採り入れ、岡本一平の漫画に影響を与えている。安田講堂壁画は、フランス画、特にピュヴィ・ド・シャバンヌなどの影響を残しているものの、天平風俗の人物を登場させ、日本的な志向もあらわしている。フランス帰国後から東洋趣味に傾き、油絵をやめ墨画が多くなる。こうした洋画からの転向は「東洋にとって古いものは、西洋や世界にとっては新しい」という認識に支えられていた。代表作は『山幸彦』(1917年)、『老子出関』(1919年)、『炎帝神農採薬図』(1924年)、『放庵画集』(1960年)など。

 

 四方(よも)を照らす光り 『わが郷

 

諸先生方 モビングは小禽のすること

 

 

金太郎【Galleries】わたしの里美術館 金太郎 Galleries の見出し 

 

 

 

 

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