我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

仙谷由人

2010年04月28日 | 政治家

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仙谷由人【わが郷・政治家】1946~ 仙谷由人 政治家

 

 


 

命をかける覚悟がないなら、政治家なんかになるなよ

フランシーヌ (※1) と同い年の、娘がこういった。

 

 仙谷由人は全共闘の社会主義同盟,いわゆるフロントの出身で,安田講堂では弁当運びばかりしていてゲバルトには参加しなかった日和見主義者です(笑) その証拠にひそかに(笑)司法試験の受験勉強を続け,合格と同時に中退し学生運動からも撤退した
岩下俊三のブログ

 

 素朴に毛沢東主義なんぞを信じている、政治や歴史のオンチが、日本の指導者では、まことに危うい。民主党から出た、西岡武夫参院議長に、『辞めろ』と言われてしまった仙谷由人や菅直人に覚悟なんか、あるわけがない。棚ぼたの、あんころ餅をつかんで離さない、無恥蒙昧の徒とはまさに両名のことを謂う。

 支那は悪しき隣人で、法治観念のない軍隊ヤクザの国、ましてや「戦略的互恵関係」なんぞは、マヌケな貢ぎ物だ。このまま、日本の資本と先進技術を支那に、渡し続けていたならば、彼らは本当にステルス戦闘機 『殲 20』 を完成させる、可能性もある。自動車だけではなく、航空機産業も、支那と「戦略的互恵関係」などと云いだしたならば、ジェット・エンジンの技術も流出しかねない。支那に対して、『中国様』なんぞと、妙ちきりんな敬語を連発するアホウが、これ以上権力の中枢に居すわれば、なにをしでかすか判らない。


 殲 20

 尖閣諸島防衛の国事よりも、自分たちの利益を、優先させる財界は、日本を危うくさせてきた。『殲 20』は、自衛隊の軍事演習で尖閣防衛の意思を鮮明にした日本などに対する、ブラフ=根拠のない脅しではあろう。軍事技術を輸出できた方が、低コストになるナンテェ与太を言っていると、低コストで易々と支那にステルス戦闘機を作らせることにもなりかねない。水面下では、日本はすでにこの技術を完成させている。

 

自民党をはじめとする野党は、仙谷のくびは何としてでも取らねばならない。
菅直人は無能故、オペレーターがいなければ動かない木偶人形。 外交でも作文の棒読みだ~
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 やはり、これからどんだけ莫迦をやるかわからない。やはりこの人も、辞めてもらわねば ポチっとお願いします。

 

 

 岩下俊三のブログ   

 岩下俊三氏は、東大闘争当時の仙谷由人をよく知る人物で、上出のブログをなさっておられる。わが郷の「仙谷由人は弁当運びの日和見主義者」などの出典は、此処である。関連記事は、http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/archives/3041279.html#comments に投稿されている。コメント欄もあわせて読めば、仙谷の人となりが判って、興味深い。

 ネット右翼的な感覚からすれば、仙谷由人=全共闘となるのだろうが、これは正鵠を得ていない。 わが郷でも、天国と地獄  仙谷の地獄が、口をあける ですこし書いたが、全共闘運動は左翼共産主義運動ではなかった。「極左暴力集団」とは、マスコミが勝手に張った、レッテルであり真実を表していない。反サヨクそして、米国のベトナム侵略反対が、大括りできる共通の目的で、最大の成果は沖縄の施政権返還である。最近ではキルギスの政変は、暴力的なデモから始まっている。とうじの政権を転覆させている。戦後レジームのマスコミは絶対に書かないことではあるが、当時アメリカは、日本の自民党政権が転覆されるのを、現実的リアリティをもって危惧していた。それで、米軍基地は残すが施政権は日本に返還することで、反戦・反米・沖縄返還闘争のガス抜きを計った。それほど当時の反安保・ベトナム戦争反対・沖縄本土復帰闘争は、激烈であった。

 そして今の日本の課題は、その延長線上にあることを知るべきである。反安保は本当は、右翼が行うべき、最大の課題である。しかし、東京裁判において、その中心になるべき軍人や政治家はほとんどが、絞首刑になるか、その他の粛正をうけてしまった。アメリカ軍の戦後統治に於いて、右翼とくに軍人は徹底的に、弾圧された。しかし、左翼は一定程度自由が与えられていた。それで本来は、民族自立・日本再軍備とすべき、その情熱は、左翼の運動の中に紛れ込んでいった。60年安保当時の社会党や共産党は、反安保はポーズにすぎなかった。実際、日本の再軍備を真っ先に否定したのでは、日本のリアリティのある自立など、うたかたの夢であった。そのような擬制の左翼に飽き足らない、若者たちが、日本共産党や社会党を決別して、新しい戦いを生み出していった。「反帝國主義」と「反スターリズム」が思想的な潮流であった。「反スターリズム」とは、今で言えば、反サヨクである。

 「反帝國主義」と言うのがくせ者で、ここに新左翼運動の、コミンテルン的な限界があった。戦前の日本の左翼運動は、コミンテルンの強い影響下にあった。モスクワ中央からの日本への指令は、「天皇制打倒」であった。この時代後れの、フランス革命をアナロジーした命題は、アメリカをも色眼鏡で見ることとなった。「アメリカ帝國主義」っていったいナニよ、とは思う。アメリカには、帝王も国王もいない。アメリカをして日本に戦いを挑ませたものは、欧州の金融資本主義である。その背後にはユダヤの野望が隠されていた。日本の戦前・戦後の左翼運動は、このユダヤのワナにはめられて、本当の敵が見えなくなっていた。本当の敵はユダヤの金融主義であり、その手先のアメリカ政治であった。が、ユダヤは国論を分断するために、ボンボン・嬢ちゃんの自称・知識人に「共産主義」の幻想を吹き込んだ。

 であったが故に、左翼の運動はアメリカの実態がよく見えていない。アメリカは欧州・ユダヤの金融資本の出店であった。冷戦構造のなかで、アメリカの金融資本は、軍産の利益を積み重ねて、欧州を凌ぐようになった。

 

 全共闘運動は、東大の医局の待遇がどうのとかから端緒は開けたが、そのようなちいさな問題よりも、ベトナム戦争反対と、アメリカから自立できない自民党政治に対する、戦いに昇華していった。ざっと当時の様子をなぞってみれば、仙谷由人は全共闘運動にあこがれていたていどの日和見主義者であったことが判る。これは有り体に言えば、結局かれは、サヨクであったにすぎない。真に日本の自立、当時で言えば非道なベトナム戦争に対する反対、このために身を挺して戦わないものは、ポーズだけのサヨクにすぎない。当時の言葉で言えば、スターリン主義者であった。だからこそ彼、仙谷由人は「毛沢東バンザイ」などととぼけたことが言えるのだ。かれは共産主義者などとは言えない。そもそも自称で共産主義を名乗っているもののほとんどは、本当は官僚主義者である。仙谷由人も薄汚い、民主党の党官僚である。

 政治は民衆の支持を集めてナンボ。であるから詳細な理屈なんぞは、屁の役にもたたない。『自衛隊を暴力装置と言った』こういった、一般ウケすることで押しまくって、野党が参議院で、仙谷由人の問責決議を押し通したのは、正解である。

 

 いやしくも、議会民主主義を標榜する、民主党であるならば、参議院の議決は尊重せねばならない。

 自党から出た、参議院議長の西岡氏に、ああ  『 菅首相と仙谷氏を酷評「国を担う資格なし」 』  まで言われてしまった。

 

如何に厚顔無恥な菅直人でも、ここまできたら 仙谷の首をすげ替えるしかない。
ここまで追い込まれてきた。  無能で恥知らず、ザマアではある。   そう思う方
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 Francine Lecomte ♪  (※1)
フランシーヌ・ルコントがパリで焼身自殺した日「フランシーヌの場合」が出来た。
 

 

 

2010 11 16 深々と頭を垂れる、勇者 保安官は清々しい 【わが郷】 
          ところで、仙谷感冒は何度も書くが、ヘタレな 『弁当運び』 である。

 

 

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