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お気入俳人の俳句鑑賞します。
多側面から俳句を分類します。
俳句付きイラストを描きます。

俳句の箱庭

「箱庭へ風の粒子の粗く吹く」(透次) ◯浮かんだときが作るとき。作ることに無理はしないように。 ◯各俳人の情報は書籍・ネット他で一般に公開されたものから得ています。各俳人の情報は最新でない場合があります。各俳人の敬称略させていただきます。Tweet句については作者の承諾を得ていませんが、営利目的の要素はありませんのでご了承ください。 ◯「俳句の箱庭」ヽ(^ι_^)ゞノ♪透次

●技法俳句029・オノマトペ04・高浜虚子

2011-02-11 07:47:36 | 特集俳句

○技法俳句029・オノマトペ04「ほろと」・高浜虚子

○「天地の間にほろと時雨かな」(『六百句』1947)(高浜虚子01)

○季語(時雨・初冬)

【鑑賞】:広大な天。揺るぎのない地。その間に時雨が舞い始めました。「ほろと」というオノマトペが時雨の柔らかさ、軽さを引き立てています。なんとここで高浜虚子の初登場となりました。

 

高浜虚子(たかはまきょし(1874~1959)

○好きな一句「去年今年貫く棒の如きもの」(『六百五十句』1955)02

○季語(去年今年・新年)

【Profile】:松山藩士池内庄四郎政忠の四男として松山市長町新町(現湊町)に生まれた。俳聖→正岡子規の高弟としてその遺業を大成した。9歳の時祖母の実家高浜家を継ぐ。1988年伊予尋常中学校に入学。1歳年上の→河東碧梧桐と同級になり,彼を介して子規を知り,1891年子規から虚子の号を受ける。1898年,松山で→柳原極堂が発行していた俳誌「ほとゝぎす」を東京にひきとり「ホトトギス」を主宰する。碧梧桐の「新傾向」に反対し「守旧派」として対抗した。墓は鎌倉寿福寺にある。

高浜虚子掲載句

03茎右往左往菓子器のさくらんぼ(『六百五十句』1955)(さくらんぼ・仲夏)〈技法42・擬人4〉2011/5/27

04彼一語我一語秋深みかも(『六百五十句』1955)(秋深し・晩秋)〈次元61・深い(時間)1〉2011/11/6

05凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり(墓参・初秋)〈例句〉2014/8/9

06野菊むら東尋坊に咲きみだれ(野菊・三秋)〈例句〉2018/9/21

07大空に羽子の白妙とゞまれり(羽子・新年)〈例句〉2020/9/20

08畑打つて俳諧国を拓くべし(畑打・三春)〈例句〉2021/6/26

09流れ行く大根の葉の早さかな(大根・三冬)〈例句〉2021/7/4

10其中に金鈴をふる虫一つ(虫・三秋)〈特集553今年の漢字2012〉2021/10/23

11桐一葉日当りながら落ちにけり(『五百句』1937)(桐一葉・初秋)〈方法663・スローモー視点4〉2024/8/26

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