虹の架け橋

2004年の44歳から綴ってきたブログ。塾長として、男として、父親として、そして爺として、感じたことを記した記録。

中学校通知表の姿は本当にこれでいいのでしょうか?

2008-07-19 | 塾長日記
「通知表が変わる」と1学期学校懇談会の場で話があったと私は家内から聞きました。どのように変わるのか、何が変わるのか、一部の地域だけが変わるのか・・・何はさて置き、実際のものを見てみないと分かりませんでした。
 小学校通知表は今までと同じの三段階評価法の「よい・ふつう・もう少し」でありました。この評価法の賛否は今までにもありましたが、小学生という年齢を考えた上ではこの表記が良く、柔軟な表記がこれからの子ども達のエネルギーを喪失させないものになっていると思います。担任の先生からのコメントも記載され、各小学校で工夫された通知表になっていると私は思います。
 ところが今回の中学の通知表は、尊厳が感じられない、担任の顔が見えない、声が聞こえない、単なる一枚の厚紙でした。クラスによっては「通知表は自分で二つ折りしなさい」というクラスもあったと聞きます。通知表には秘密めいたものがあって、教室の隅っこでこっそり覗くしぐさが我々の時代にはありました。開いたまま渡す通知表など聞いたことがありません。今回の通知表には先生からの所見欄はなく、特記事項欄に取得検定級やボランティア活動の実績が記入されているだけ。別の中学校の通知表には所見欄が大きく確保されているのにも関わらず、白紙のまま。「なぜ白紙なのか」を子ども達に聞くと先生が「三者懇談会で伝えたから記入していません」と・・・。こんな理由が何故通るのですか?三者懇談で伝えたことが今はどうなっているのか、もう一度家族で話し合う時間を持つ見直しの機会を逃してしまっていませんか。
 夏休みの間、この通知表はどこに置かれているのでしょうか。仏壇に置かれている家庭はどのくらいあるのでしょうか。仏壇のない家庭もありますが、そういった家庭は子ども達の机の中にしっかり保管されているのでしょうか。親はこの通知表に印鑑を押して、夏休み明けにこれを学校にお返しする儀式があります。その押印する親の姿を見て子どもは、学校の先生への感謝の気持ちと尊厳が芽生えてくるのではないでしょうか。それを自ら放棄してしまっているようなこの通知表。もう一度原点を見直すべきではないでしょうか。
 
今回上野塾は「教師の波動」として塾通知表をお渡しします。見比べてください。私たちは週1回しかお子さんを見られませんが、どれだけ一人ひとりの塾生さんを上野塾教師が見ているか感じ取っていただきたいと思います。そして大変お手数とは思いますが、すべての教科のコメント欄に一言言葉を添えてあげてください。そうすることが子を守る、子を育む親としての本当の姿だと思います。よろしくお願いします。

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今回の投稿は勇気が要りました。しかし、こういった声があることを知っていただき、やらねばならないことから逃げるように捉えられる行動は良くないと思います。今、教員採用試験の不正が新聞、メディアで取り上げられていますが、現場で戦える本物の教師の旗揚げを期待しています。
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4 コメント

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Unknown (某教員)
2008-07-23 21:56:15
初めてコメント致します。大したコメントは書けませんが、思った限りを正直に書かせていただきます。

「今回の中学の通知表は、尊厳が感じられない、担任の顔が見えない、声が聞こえない、単なる一枚の厚紙でした」…この一文には、非常にショックを受け、また、確かにその通りだと思いました。
私が中学生の時は、通知票の成績はもちろん、担任の先生からの所見がすごく楽しみで、それを見ながら家族と1学期を振り返ったものです。しかし、最近は、多くの学校で所見欄がなくなり、また通知票自体ない学校も増えてきていると聞きます。そのような傾向に至った過程を詳しく知らない以上、強く賛否を述べることはできませんが、疑問は感じざるをえません。
ただ、同じ岐阜県の中学校の教員である私は、このような状況ではあっても、日々の授業や学校生活では常に勝負しているつもりです。学級一人一人の子どもたちを見つめ、会話をし、些細な変化も見逃しません。通知票では伝えることができませんが、このような教師の姿も、少しでも分かっていただければ幸いです。

上野塾様の通知票は、日記を読んで想像できます。また、指導方法もお聞きしています。今や学校が、塾から学ばなければならないのかもしれない、そう心から感じております。
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子どもは親にとって宝者です (上野義行)
2008-07-23 23:16:55
子どもは親にとって宝者です。かけがいのない財産です。その宝者の子どもが生身の大人として最も身近に感じ、尊敬し、慕うのが官と民の違いこそあれど、我々「教師」であると思います。我々はそう言う立場に居るわけです。

彼ら彼女らは本気の言葉を待っているのです。オブラートに包まない直球を待っているのです。真っ向勝負してやってこそ本当の信頼関係が築けるのだと思います。

私の塾は小さな小さな塾です。こんな小さな塾屋の男が発する声の影響力なんてちっぽけなものかもしれません。

本気に子どもたちと接してあげてください。子どもたちはそれを待っています。
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ブログを見つけました。 (和の子)
2008-08-16 22:44:07
兄ちゃん、先日はありがとうございました。初めてコメントします。誰かはわかると思います。

先日話題になった通知票の話。今は各学校の裁量に任されている部分が多いと思います。それは、職員会で形式や記入について検討するからです。今回のような通知票が出てきた経緯は、こないだ話しませんでしたが、教師の仕事量を少しでも少なくするための手段の一つでもあると思います。地域によっては、二期制にして通知票を1年で2回配るという方法をとっているところもあると思います。ここは少なくする所やないやろ!と思われても仕方ないかもしれません。でも、今は教師の仕事量は半端ではないと思います。土日を返上して、自分の時間や家族との時間を返上して子どもたちのために働いています。そのうえ、教師に対する風当たりはとても強い…。

ここからは僕の自論です。教師が仕事をしにくい社会をつくっていたら、子どもはまっすぐに育たないと思います。確かに教師がやることはすべて正しいわけでもなし、不祥事も多く、信頼を失っている部分もある。でも、教師が風当たりの強い中で、縮こまって、必要以上に神経をすり減らして仕事をしていてはいけないと思います。

教師を志し始めた10年前とは間違いなく時代が変わってきました。子どもが変わってきました。親が変わってきました。教師になって5年。「自分が中学生の頃とは違う」「夢をもって追い続けてきた教師ってこうなのか?」とがっかりすること、少なからず失望することをあります。便利な世の中になってきたからなのかなあ。

僕はどんなことでも大事なことはいつも単純なものだと思っています。「子どもが好きだ」「人間が好きだ」「まっすぐに育ってほしい」「すばらしいことや」「ダメなことや」・・・
便利すぎて複雑になっているけど、誰もが単純な思いを大切に、熱い心で突き進んでいけるといいと思います。

まとまりませんが、自分の思うままに書きました。僕もまだまだ未熟者です。でも、兄ちゃんのブログやホームページを見て、うちの家系にはやっぱり熱い血が流れているんやなと思いました。僕は教師としてどこまでできるようになるかはわかりません。でも、いつまでも人間臭く、熱い思いだけは決して譲らない教師でいたいと思います。

同じ子どもを育てる職業の者として、これからも教育や子どもたちの未来について語り合っていきたいと思います。また、いろいろと相談していこうと思います。兄ちゃんがうちの父にお世話になったのと同じように、今度は僕が兄ちゃんにお世話になる番です。こうやって人の絆はいつまでもつなげていきたいものです。

長々とごめんなさい。2学期からまた、がんばります。それでは、また。おやすみなさい。
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若いんだから感じたままに進めばいい。 (上野義行)
2008-08-16 23:03:43
今は感じたまま動けばいい。自分に正直に進めばいい。そんな本気の教師を子ども達は待っているのです。若者は悩んだ分だけ成長し、自分の器を大きくします。
もっともっと子どもの中に入っていくのです。トコトン子どもを信じてやりなさい。子どもは本気の教師を裏切ることをしませんから。
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