史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「武士の碑」 伊東潤著 PHP文芸文庫

2017年11月25日 | 書評
村田新八を主役に据えた、伊東潤渾身の力作。村田新八は、一般にさほど知名度が高いとは言い難いが、西郷隆盛、大久保利通に継ぐ、薩閥の宰相候補といわれた男である。この人物が生きていれば、第二代首相は黒田清隆ではなかったかもしれないと思わせる逸材であった。武骨な人間が多い薩摩隼人にあって、手風琴(アコーディオン)を奏で、音楽を愛する風流人でもあった。洋行して西洋文明に触れ、日本の近代化の必要性を肌で理解していた。にもかかわらず、西郷に殉じるようにして城山で最期を迎えたという、なかなか魅力的な人物である。写真も複数残っている。いずれも深沈とした表情で、思慮深さを感じさせる風貌である。
物語は、村田新八がパリ留学から帰国して、大久保を訪ね、さらに鹿児島に西郷に会いに行くところから書き起こされる。その後の経緯は歴史の語るままである。独立国の様相を呈していた鹿児島県は、新政府の挑発にのせられ挙兵する。西南戦争の戦闘シーン描写は、マニア(私のことですが)をうならせるものとなっている。特に田原坂の攻防は圧巻である。無尽蔵に兵や弾薬を補給できる政府軍に対し、薩軍は次第に追い詰められる。いかに小説家といえ、その顛末を枉げるわけにはいかない。西南戦争の経緯を追うだけでは、重苦しい物語とならざるを得ない。そこに彩(いろどり)を添えたのが、パリの想い出話である。その結末を知らない読者は、ページの先を急ぐことになろう。小説家のゾラや画家クールベの娘が登場するのは、伊東潤のサービス精神のあふれるところである。勿論、パリでの挿話は作家の創作であるが、この挿話があって初めて小説として成り立ったといえる。
一方で、西南戦争の場面に登場する人物はいずれも実在する人物である。新八のパリの想い出の聞き手である庄内藩出身の榊原政治。榊原と同様に庄内藩からの留学生で、薩軍に従軍した伴兼之も実在の人物であり、この小説にあるとおり両名ともに戦死している。
この小説に登場する西郷は、つかみどころがない。自分の意思をはっきり言わず、新八にすら何を考えているか分からない。西南戦争を通じて西郷の態度は、このような様子だったのではないだろうか。明治六年の政変で下野して以降、西郷は諦観に襲われ、投げやりな言動が目立つようになった。極端にいえば、考えることを放棄したように見える。この時期の西郷は、明らかに幕末、倒幕を推進した革命者とは別人であった。司馬遼太郎先生は「西郷という虚像」と評したが、的確な指摘である。
新八も桐野利秋も別府晋介も、そのような「虚像」を我が物にしようと争った。筆者は、その争いに大久保利通も加わっていたとする。西南戦争とは詰まるところ、西郷を巡る薩摩人の争いという指摘は、意外と的を射ているかもしれない。
この小説最大の山場は、西郷の最期の場面。西郷の最期には異説があり、その異説にヒントを得た意表を突いた展開となっている。個人的には、この期に及んで西郷が投降するなどということはあり得ないと思うが。
小説の構成上、やむを得ないことなのかもしれないが、あまりに大久保利通を悪者扱いするのは残念であった。「佐賀の乱は姑息な挑発行為によるものであり、台湾出兵は大失敗に終わっていた」と断定し、さらに、大久保は「(西郷が)無名之軽挙をやらかすはずがない」「己が西郷に会いに行くといっているのを押しとどめられた」などと述懐しているが、それは自らを正当化するためであり、いよいよ戦争は避け難いとなった時、先に挙げた伊藤博文への書簡にある通り、喜びを隠しきれなかった ――― と紹介されているが、それほど大久保利通という人は意地の悪い人物だったのだろうか。

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