史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「幕末、残り火燃ゆ ―桜田門外変後の水戸藩と天狗党の変―」 入野清著 歴研

2014年11月27日 | 書評
今年(平成二十六年)は、元治元年(1864)天狗党の乱から百五十年というメモリアルイヤーである。桜田門外の変百五十年の時には映画まで製作される盛り上がりだったにも関わらず、まったく世間的には無関心のまま今年が過ぎようとしている。桜田門外の変は「壮挙」と呼べるような事件であったが、天狗党の乱はあまりに陰惨である。日本人にとっても、茨城県人にとっても消し去りたい、思い出したくない史実なのかもしれない。
そういう中にあって、本書は珍しくメモリアルイヤーに出版された一冊である。これまで幕末の水戸藩に関連する書籍は何冊も読んでいるし、手元にも天狗党関連本は何冊もある。「あんたも好きやね」と言われそうだが、水戸藩、天狗党は私の心を掴んで放さないものがある。これほど人間の愚かしさ、醜さをあからさまに露呈した事変は、幕末維新期を見渡しても見当たらない。
本書は、天狗党の騒乱を丁寧に追ったものである。随所に著者自身が撮影したと思われる写真も掲載されている(お世辞にも写真は上手とは言えず、中には明らかなピンボケ写真もある)。
私も茨城県下を始め、群馬県、長野県、福井県に点在する天狗党関連史跡を随分訪ね歩いたが、本書では未踏の史跡を知ることができた。特に岐阜県と福井県の県境周辺は、天狗党西上の中でも最も困難を極めた場所である。本書ではこの周辺の史跡を丹念に追い、紹介している。本書最大の読み処である。
天狗党がこの地を通過したのは、元治元年(1864)の十二月。深い雪で覆われ、足を滑らせた隊士や軍夫や馬が転落死した。天狗党はこの場所の通行に多大な犠牲を払うことになった。当時この辺りにあった小さな集落の幾つかはダムの湖底に沈んでいるらしい。とても、天狗党と同じ真冬は無茶としても、季節の良いときに訪れてみたいものである。

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