史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「京都見廻組秘録」 菊池明著 洋泉社歴史新書

2012年07月06日 | 書評
“新選組のライバル”と呼ばれる一方で、見廻組のことは余りに知られていない。知られているとしても、精々、坂本龍馬暗殺の実行犯という程度のことであろう。
著者菊池明氏は新選組研究の第一人者である。豊富な史料をひも解いて、見廻組の姿を浮き彫りにしていく。この辺りの手腕はさすがである。
幕府は江戸の街に溢れる不逞浪士対策に手を焼いていた。よく知られているように、浪士をひとまとめにして京都の治安に当てようと、言わば一石二鳥を狙ったのが、新選組結成の動機である。一方の見廻組は、御家人から構成されている。実は御家人という非生産階級は、幕府財政にとって頭の痛い問題であった。大量の“ただ飯喰い”を不足している京都の治安部隊に充てようというのが見廻組である。構成員は異なるが、そもそもの誕生の動機は両者似通ったものがある。
見廻組といえば、佐々木只三郎であるが、最初からこの男が、見廻組のトップだったわけではない。見廻組は、一人の見廻役の下に二人の与頭、その下に三人の与頭勤方、以下に肝煎とそれを輔佐する肝煎助という指示系統であったが、その中で佐々木只三郎は、与頭勤方の一人に過ぎなかった。しかし、組織の中で次第に頭角を現し、いつしかこの男無くして見廻組を動かすことはできないところまで存在感を増していったのである。そして慶應元年(1865)十二月には与頭に昇進して、名実ともに見廻組のトップに立つ。
本書では有名な坂本龍馬暗殺にも一章を割いて触れている。ここでの主題は「実行部隊は誰か」である。著者は、少ない「証拠物件」から「真犯人」を特定していく。この下りは、まるで推理小説を読むように面白い。
本書では、佐々木只三郎の最期の解明にも頁を割いているが、正直にいって、佐々木只三郎の死が何月何日で、どこだったのかという問題は個人的にはさほど重要問題ではない。興味を引いたのは、紀三井寺の墓と会津武家屋敷にある墓は、どこからどう見てもコピーであるが、その訳をこの本で初めて知った。現在、会津武家屋敷にある墓は、紀三井寺で発見された墓で、発見当時二つに折れていたのを接合したもの。現在、紀三井寺にある墓は、旧墓の拓本から忠実に再現されたものという。道理で見た目は寸分同じなわけである。

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