ジュリエットオスカー634受信ブログ

ラ・テ受信雑記他・私の得意ジャンルでの情報を発信します。このサイトは個人的な趣味により制作されています。

今日はやっぱりファミコンの話題で

2023年07月15日 19時15分53秒 | コンピュータ・ビデオゲーム・携帯端末
昨日はBS朝日の番組を視聴しました。



 

やはりね、私はちょうどファミコンの世代ですからね
番組を視聴しました。

番組前半のほうで野球ゲームについて取り上げていた。
任天堂からは「ベースボール」が発売されていたが、
守備が半自動というか、自分で動かせかなったんですよね(送球はできる)
だから「ファミスタ」は結構衝撃を受けた。
当時はテレビでもまだゴールデンタイムにナイター中継している時代ですから。
結局私はファミスタの87年版は持っている。
「燃えプロ」の出るのが「ファミスタ」より早く出ていたら、
野球ゲーム勢力もどうだったかわかりませんでしたね。

ファミコン通信は当時としては後発の雑誌だったよな。
徳間の「ファミマガ」(ファミリーコンピュータマガジン)のほうが
先に出ていた記憶あるもの。

そして、ファミコンの発展については任天堂の力ばかりでなく、
サードパーティ企業参入はデカかったと思う。
で、ハドソンが参入していたわけだが、コロコロコミックとの
効果というのも無視できません。
(このあたりは高橋名人が功労者であると思っている)

小学館(コロコロ)はハドソンのソフト、
集英社(ジャンプ)がドラクエと
それぞれでファミコン記事ができた関係にもあった。

私がファミコンを買ってもらった時の事はあまり覚えていないけど、
「忍者ハットリくん」がゲームになるということで買ってもらったと思う。
だから1986年ぐらいだったんだと思う。
で、そのあと「ドラえもん」もハドソンがゲーム化。
藤子不二雄の漫画をゲーム化したのはほぼハドソンだった。
・オバQだけはバンダイでした。

「裏技」という言葉を使い始めたのはコロコロ。
ロードランナーにバグがあって、ある状態で無敵になるケースがあった。
(ハドソンとしてはバグ回収騒ぎに発展しなく助かったようですね)

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