さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

今日届いた、一通の手紙

2022年06月06日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
悲しいという気持でもなく、そう、この手紙に書かれている文字の通り『残念』という気持ちなのかも知れない。

奈良市に恋の窪町という町がある。 今でも仕事の関係でよく通る住宅街なのだが、当時僕が21歳の頃、何の雑誌か覚えていないが「バンドメンバー募集」の書き込みをしていて、この町のS君当時19歳と知り合った。
最初、彼S君から手紙をもらい、偶然にもTULIPやオフコース、また洋楽の趣味も同じで話が合って、いつだったか彼の家に遊びに行くことになった。
今でも鮮明に覚えてるのは、TULIPのアルバム「I dream」が最高のアルバムだと絶賛しながら、最近作りかけの曲「泣かないでメアリー」という曲を鍵盤で弾いて聴かせてくれたこと。
そして、彼は確か東京の青山学院を受験するとかで、結果、受験に落ちたことを後の手紙で知るのだが、実際にあったのはその一日だけだった。
親父さんと彼を、確か、西大寺の「ならファミリー」に用事があるので良かったら送ってほしいとかで、僕の車「アルト」で快く送り、お礼を言われながら吉野までひとり帰った事をいま思い出している。

それから、仕事が忙しくなったのか?どちらから手紙を書かなくなったのか?離れてるから一緒にバンドを組むのを諦めたのかは思い出せないが、お互いの連絡は途絶えた。

年月が経って、それでも恋の窪を車で走るたび、S君はどうしてるんだろうなぁ・・・絶対、東京の音楽学校に行くといってたから、奈良にはいないんだろうなと思っていた。

57歳になった先月、何を思ったかふと彼の住所に手紙を送った。

自分のあまりにも整理のつかない近況報告と、覚えてくれてたら一度会いたいと。

二週間ほど何の連絡もなかった・・・けど、今日手紙が届いた・・・女性の名前で。

封を切る前からの直感はあたってしまった。

「前略 この度お便りを戴きながらとても残念に思います。 と申しますのも、もう本人はこの世に居ないのですから・・・」と書き出された文面は、まるでいえば不謹慎だけど、お決まりの文章がそのあと続いた。
そして、やはり東京に住んでいた事、そして東日本大震災が起こったその日の昼間に、ステージ4の肺がんを告知され、お母さんに電話が入った事、そしてそのあと奈良に連れて帰り、大阪の病院で見離され、奈良のホスピタルで亡くなったと・・・それだけでなく、お父さんは1995年、阪神淡路大震災の翌年、60歳になる直前に亡くなっており、ふたりとも大きな震災の後ということで、忘れさせないためだったのかな?と書かれている。
そして現在、81歳になられたお母さんはなんとか立ち直り、通ってるスポーツジムの仲間に支えられ、今は日中は殆ど家に居なく、楽しくすごしてると。

そして何を僕は思ったか。。。

ほら、またやん、いつでも会えるって思ってたらこうなるって、昔の相棒Yが亡くなった時に思い知らされたんじゃなかった?

時間が経ったいま、残念が悔しいに変わりつつある・・・涙が出てこないのは、一度しか会ってなくて、顔を覚えていないからだろうか・・・

俺はもう決めた・・・時間が許す限り、会いたいと思ってる人には会いに行こう。