さざえのつぶやき

音楽活動を中心に、日頃の思ったこと感じたことを日記のように綴っていこうと思います。

53歳のバースデイライブ

2018年05月21日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
昨夜はBillyで3回目のBirthdayLiveでした。昨年は、体調がすぐれず欠場でしたが、今回はayaちゃん、痛みがあろうとも這いつくばってでもステージに立つと宣言!! 実際はライブ中、何度もヤバくなったらしく、気づかれずにこっそり痛み止めを飲んで席に座らずしばらく立っていたらしい。 ayaちゃん、ほんま頑張ったね。。。 (今回も余命宣告されてるらしいけど、またきっと覆せるよ! だって、一昨年会った時より生命力を感じるもん。)

今回は僕自身も気合入ってましたよ。なんせ初めて聴いてくれる同級生もいたし、久しぶりの面子からいつもお世話になってる仲間の前で、珍しく緊張しっぱなし・・・最初なんか、曲の出だしがまずく、「あかん、ごめん!もう一回最初からやり直し!」ってしちゃうくらいでしたから(苦笑)


第一部ステージ セットリスト
1・朝まで踊ろう 
2・手のひらの世界 
3・Last Kiss 
4・この世で一番キレイなもの(早川義夫)
5・ブラックコーヒーと黒砂糖
6・22時のバーガーショップ
7・そこにあるもの

3曲目の「LastKiss」は20歳の頃の楽曲、当時女性を含めたフォークバンド時代の曲だから、まあ恥ずかしいというか照れ臭いというか、それでも今の自分を形成するに至った一部なので、ここらで披露するのもよいかとw
4曲目の早川義夫さんの「この世で一番キレイなもの」は、この日、どうしても歌いたかったから・・・自分に対してもみんなに対しても、もちろんayaちゃんに対しても・・・。

そしてゲスト、ayaちゃんのステージ

「ながたさん、この歌、私が選んだものの、歌ってみて気づいた、歌詞がやばい・・・どうしよう、絶対泣いて歌えなくなる」そういうayaちゃんと前日に約束、「絶対、ふたりとも泣かないこと!!」
はい。 無事、お見事!二人とも泣かずに歌えました(苦笑) 痛みを隠しながら彼女、頑張りました。 
セットリスト
1・あなたがここに居てほしい(SHO-KEIKO)
2・大阪ボレロ(SHO-KEIKO)
3・君を忘れない(松山千春)

そして、とうや伽緒さんのステージ

今回で二度目の参加お願いを快く引き受けていただき、やっぱ呼んでよかった。 暑苦しい僕のステージが「デミグラスハンバーグ」ならば、伽緒さんは食後のアールグレイ。笑顔が素敵だし、歌がやさしく楽しい。

そして第二部は ソロではなくYajirobeとしてのステージ(こっそり服も替えて、キャスケット装着)

第二部ステージ セットリスト
1・風向きを変えっちまえ!
2・セプテンバーレイン
3・川の流れを見ている
4・暑中お見舞い申し上げます
5・パートナー(勝さん)
6・溢れる光の中に立って僕は(勝さん)
7・ひまわり
8・あなたを初めて抱きしめたよるに

久しぶりに歌が勝手に歌いだしました。 なんていうのかな? 酒に飲まれるという言葉があるでしょう? 歌に飲まれる?というか、歌が勝手に生きて動いてた感じでした。 だから、いつも僕の歌を知ってる方には、あれ?今日のながた君、歌い方変えてる? と思ったかも知れません。 いや、歌が歌いだしたのですw
そして、今回の小麻呂こと勝さん、特に「川の流れを見ている」のリードはめっちゃ!シブかった~!! ありがとうね、小麻呂さんw

そして最後は、燃焼しきった僕にもうれしいアンコールいただきましたw
もちろん、最後はこの曲「分岐点」

今回もステージの途中で来てくれた全員の紹介をしました。 僕のライブに来てはじめて顔合わす方々を、どうにかその日をきっかけに、人生のいい「出会い」として知り合い、今後繋がってほしいから。
別に無理に近づこうとしなくてもいいけど、出来れば「出会い」のための場であってほしい・・・それが「ながたたかしライブ」であってほしいから。

ながたたかし53歳になりました。 来て下さった皆様、ほんとうにありがとうございました。
ある意味「追悼ライブ」です。「昨日までの僕は死にました、おめでとうおめでとう」さだまさし  「今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが始まるさ」泉谷しげる

これからも、このややこしい奴、ながたたかし をよろしくお願い致します!! 合掌



ときどき妹と話す、面白い?昔話

2018年05月03日 | 下手の歌好きソングライターのつぶやき
僕が勤める会社には、もう数年前から実妹に週に三日・四日アルバイトで来てもらってるのだが、二人っきりになるといつも話すのが、幼い頃の大貧乏時代の話と破天荒親父の話。ついさっきもラインで思い出話で笑い転げていたところだった。

吉野郡大淀町下渕、雨漏りするトタン屋根二間しかない小さな家に、親父、おかん、俺、妹ふたりの五人が川の字に布団敷いて寝ていた。 足元にはテレビ・机・タンス、俺の顔の横には小さな仏壇があり、雨が降るとトタン屋根の雨音でテレビの音が聴こえない(笑) 朝起きたら布団にネズミが足で踏まれ死んでたり、ナメクジは柱を這ってたり、ゴキブリは炊事場から飛んできたり(苦笑) そんな家で僕らが育ったのは事実だ。 「ながたのびんぼうに~ん」とか言われてトタン屋根に石ころ投げられたりしたこともしょっちゅう、それより何より、親父の酒癖が悪かったもんだから、そっちのほうが嫌だった。 トラックの運転手から怪我をしてから土方にかわり、そこでも右手複雑骨折やら、足の骨折とかしょっちゅう入院してた記憶がある。 おかんとは酒に酔って帰ってくるたびに、殺人事件が起こるかも知れない勢いで暴れだしては喧嘩がはじまり、帰ってくる途中で近所の家に向かって「火つけて燃やっしも~たるぞ!こらあっ!よおっ?」みたいに叫んで夜中帰ってくるもんだから、俺ら兄妹3人は、次の日、学校へ行くのが恥ずかしくて恥ずかしくてね。 トタン屋根二間のその家は、どうも親父の持ち物じゃなかったみたいで、土地の名義がすぐ隣に住む親父の従兄の持ち物?だったようで・・・そんな親父が、54歳で死んだあと、その隣に住む親父の従兄というオッサンが「お前ら、早よ出ていけ!」だの「お前のおかん、男家に入れとるやろ!」とか(死んだ親父の連れが線香あげに来てるだけなのに)いうもんだから、ある日、俺は殺人未遂をしたらしい・・・(全く覚えてないんだよね~w) 妹の証言からすると、どうもそのオッサンに向かって出刃包丁を振りかざしたところを妹二人が必死で止めたらしい・・・(><)まあ、そんな話を後で聞いたり、そんな家でも、決して嫌な事ばかりじゃなく、兄妹3人はグレもせず、笑いを自ら作っては楽しくやってたもんだ。 親父も酒さえ飲まなきゃ、しんどい仕事もまじめにやってたし、ただ背中や肩に模様の入った連れや、ヒロポン?のため注射器持ってくる連れとかが家に出入りしてたのは、未だに嫌な思い出として脳裏に焼き付いている。それでも俺はそんな親父の血をひく息子、受け継がれたものがひとつあって・・・それは今この歳になってもおさまらないイタズラだ(笑)会社の同僚やバイトの女性にゴキブリの玩具を仕掛けたり、男子寮のトイレの中に映画「呪怨」の画像をプリントアウトして貼り付けておいたり、夜の現場に行くときは必ずと言っていいほど若い連中を怖がらそうと、怪談をしてはビビらせたりと・・・。なんてたちの悪い上司だ!! まあ、ええじゃないかw
そうそう、親父の母、僕のおばあちゃんがその隣のおっさんの家になぜか住ませてもらってて、僕はそのおばあちゃんが大好きだった。中学校2年の時に亡くなったんだけど、小学校の頃はいつも一緒に家から離れて外にあった風呂に入っては、おばあちゃんがよく聞かせてくれた「大峰山に居る、しっぽの生えた宇宙人」の話が好きだった。そう、おばあちゃんはUFOと宇宙人の存在を信じていたのだ!! 僕はその頃よく読んでいた漫画ブラックジャックの話をしてたもんだから、「たかっさんは将来、医者になるんやなあ」なんてよく言われていたもんだ。 そうや、ぼつぼつ、そのおばあちゃんの歌を作ってみようかな・・・このノリでw 僕に口笛と草笛を教えてくれたおばあちゃんの歌を。。。なんだか、何を書いたのか、昔のダークで今から思えばダークでもなかったような身の上話を書いてしまったが、さて、このくだらん話を最後まで読んでしまった人はおるんやろか・・・ゴメン!!(笑)