京都&神楽坂 美味彩花
京都と神楽坂を行ったり来たり、風景などを綴っています。
 



  
小浜は古くは奈良時代以前から天皇家の御食糧を献上する国として栄えたそうで
平安時代の仏像や鎌倉時代の寺宝が数多く残り
国宝や重要文化財指定のお寺が点在しています。

806年、坂上田村麻呂によって創建されたと伝わる古刹「明通寺」さんは
本堂と三重塔が国宝に指定されている有名なお寺。

山の斜面に沿って仁王門、本堂、三重塔が高低差をつけて建てられています。

大正時代に大掛かりな解体修理が行われたようですが
古びた本堂の木材の感じなど京都のお寺ではあまり見かけないインパクトのある外観。

本堂に対して斜めに続く参道も独特の雰囲気があります。
  
街中からは少し離れているので車がないと行きにくい場所ですが
福井県唯一の国宝の建造物で一見の価値はありです。



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歴史的には小浜は神楽坂とも深い繋がりをもっています。
徳川幕府の時代には牛込に小浜藩邸があり現在も矢来町公園には藩邸跡の石碑が建ってます。
江戸城の牛込御門から藩主江戸屋敷までの沿道には武家屋敷が整備され
その登城道が現在の神楽坂の原型になったと言われています。

解体新書で知られる杉田玄白はこの江戸の下屋敷で生まれ
幼少年期を小浜で過ごしています(神楽坂から小浜まで遠かっただろうなぁ~
矢来町公園の藩邸跡の石碑には杉田玄白誕生の地とも書かれています。

誕生250年を記念して市内に建てられた小浜病院
病院の前は公園になっていてそこにも立派な銅像が建てられています。



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古い町並みが残る三丁町の南側には中世から江戸期にかけて繁栄した寺院群があり
中でも小浜を愛したというお初(常高院)の菩提寺「常高寺」が有名です。
  
織田信長の妹お市の方の娘、浅井三姉妹(茶々、初、江)の1人お初は
小浜城の城主でもあった京極高次の正室で、江戸で亡くなっていますが
墓所は小浜にあり常高寺に肖像画や文化財などが残されています。

参道の萩が見事なお寺で花が咲き始めていました。

人魚の肉を食べてしまい800歳まで生きたという八百比丘尼伝説(はっぴゃくびくにでんせつ)に
まつわる洞窟が近くに残されている「空印寺」さん
800歳まで生きた尼さんが最後にこの洞窟に入定したという場所。

”身代わり猿”と呼ばれる小浜のくくり猿
  
庚申堂だけでなく三丁町の家の玄関などに吊り下げられています。
赤以外にも様々な布で作られた身代わり猿がかわいい。



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京都の出町柳を出て八瀬を通り大原まで北上し花折、朽木村などを抜けて日本海、小浜までのルートは若狭街道と言われ
かつて鯖や物資が運ばれていたことから通称『鯖街道』とも呼ばれています。
カーブの多い山道ですが峠を越えて車で1時間半程で小浜まで行けます)
  
中世の頃には京に最も近い日本海の湊町として繁栄したそうです。

町人地として栄えた町は商家町と茶屋町で構成され、現在も茶屋町を中心として古い町並が残されています。
特に三丁町(さんちょうまち)と呼ばれる辺りは細い道を挟んだ両側に茶屋建築が続き風情があります。

古い町並みは重要伝統的建造物群保存地区にも指定
  
釘を1本も使わず建てられたという町屋、資料館で中を見ることができます。
家の玄関に貼られている井戸の井の文字、真ん中の数字は井戸の数を表す。

若狭塗でも有名な所
  
NHK連続ドラマ「ちりとてちん」の舞台にもなっています。

豪商と言われる商家も多く、かつての繁栄を思わせる昔のお宝が沢山残されいます。
  
与謝蕪村が描いたという見事な屏風

町屋ギャラリー「栖水舘」さんで拝見できます。
  
更に日本海の宮津まで続く丹後街道、道標は大正3年に建てられたもの。

丹後街道沿いには登録文化財に指定されている明治から昭和初期の西洋建築も残されています。

今も現役で使われている大正14年に建てられた歯科医院と
昭和元年に建てられた西洋風木造建築の洋菓子店

明治22年に建てられた元薬店蔵造



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御池通の京都市役所裏、河原町通に面した所にある洋館は島津製作所の旧本社社屋で昭和2年に建てられたものです。
市役所や同志社女子光栄館などの設計をした建築家、武田五一が手掛けたもので
現在は島津製作所の河原町別館という形になってます。
2年程前までは正面の鉄の扉は閉ざされたままになっていましたが
一昨年、「フォーチュンガーデン京都」というレストラン&結婚式場になりました。
  
外観はそのまま、内部もレトロ感を残しつつリノベーションされています。

1階は中庭がある洒落た造りでテラス席もある人気のレストラン

ランチ時に行きましたが満席で入れず少し時間をずらして行くと
お昼のメニューは終わっていましたがガレットとクロックムッシュがありガレットを注文

パリッと焼かれ生地にチーズ、ハムとトマト、半熟玉子のシンプルな具材でしたが美味しく
雰囲気と共に味わうにはピッタリ!ティータイムもほぼ満席でなかなかの人気でした。

建物は河原町通と押塩小路通角(消防署隣)ですが入口は河原町通側
遠くから見るとさほどレトロな感じはしませんが玄関やアーチ型の窓がノスタルジック。



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島原へ行ったら必ず寄りたいお店!京あられ京おかきの「菱屋」さん
場所は島原大門の少し手前で島原口から花屋町通を歩くと途中にあります。
創業明治19年(1886年)から変わらず手作業で焼くあられとおかき
有名なのは「うすばね」ですが島原に因んだ「太夫阿られ」もおすすめ
薄味に仕上げたこのおかきはお米の美味しさがストレートに伝わってきます。

羽のように薄い「うすばね」は大変作業工程のかかるもので
ついた餅をのしてから日にちを置き、さらに極薄にのばし、カットし1枚1枚網にのせ天日干しで乾燥・・・
それから醤油にくぐらせ焦がさないよう細かく裏返しながら焼く、全行程10日以上もかかるそうです。

量産はできないので午後には売り切れていることも多く
必ず手に入れたい人は午前中がおすすめ!(先日も夕方行った時は完売でした
口の中に入れるとサクサクと溶けていくような食感が感動的、見た目より味は意外にお醤油の味がしっかり。



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島原大門をくぐり、輪違屋さんや角屋さんへ向かう途中(左手)にある築250年の建物「きんせ旅館」さん
昔は揚屋さんだったそうで、その後旅館になり、現在はカフェ&バーとして営業されています。
   
格子戸を開けて玄関に入ると色とりどりの昔のタイルが床に貼られ、腰壁の上にはステンドグラス

勝手に中に入って良いのやら?と戸惑いながら左側のドアから入ると
室内は格天井にシャンデリア、壁にはレトロなブラケットライト、木のテーブルに布張りの椅子
  
内装は大正時代から昭和初期のものらしく大正ロマン的な独特の雰囲気です。

メニューはドリンク類中心ですが本日のケーキなどもあり
ノスタルジックな室内に合ったグラスや食器で出てきます。
アルコールはウイスキーがかなり豊富
   
かつての花街、島原らしいカフェでこの界隈に来た時に立ち寄るには良いお店!
定休日が不定休&営業時間が午後3時からということで
行かれる方は店のHP(Twitter)で確認してからがおすすめ

現在1日1組限定で2階で宿泊もできるようです(素泊まりのみ)



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京都最古の花街、島原の東入口の正門「島原大門」は焼失や移転を繰り返しながら現在の位置に至っています。
慶応3年(1867年)に建て替えられた時のもので、門手前の「出口柳(見返り柳)」や「さらば垣」
消火のための用水や手桶などが当時を忍ばせてくれます。

西にも門がありましたが現在は石碑のみ
因みに島原は遊郭とは違い出入りは自由で開放的であったようです。



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元禄元年(1688年)創業の「輪違屋」さんは現在も営業されている置屋さんで
普段は非公開ですが「京の夏の旅」で9月30日まで内部を見学することができます。
建物は安政4年(1857年)の再建で明治4年(1871年)に改築されて現在に至っています。

急な階段を上ると2階にもいくつかお座敷がありますが撮影は禁止
京の夏の旅のパンフレット表紙になっている道中傘を貼りこんだ「傘の間」や
壁に本物のもみじで型を取り色を塗りこんだ「紅葉の間」など斬新なデザイン!
どの部屋も小さくてこぢんまりですが2階の方が見応えあり。

1階のお座敷はL字型に庭を配した造り、庭にはお稲荷さんやキリシタン灯籠などが・・・
現在もお茶屋さんとして太夫さんを抱えている輪違屋さん
10月に高台寺で行われる北政所茶会の島原太夫道中の他
4月には常照寺で、11月には清凉寺(嵯峨釈迦堂)でも道中が行われます。

太夫さんがお客さん宛に書いた手紙(恋文?)の下書きを襖に仕立てたものや
近藤勇が江戸繁盛記を手習いで書いた書を屏風にしたものなどが残されています。
 
玄関に掲げられた”観覧謝絶”は一見さんお断りの意味
建物内を見ることができる貴重な機会でした。



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夏も終わりかけていますが・・・第39回「京の夏の旅」の「角屋」(すみや)さんです。
島原に唯一現存する江戸時代の揚屋建築(重文)で9月14日まで1階部分の公開が行われています。

揚屋とは花街の遊宴の場で、置屋から大夫さんが派遣されこちらで料理などが出され宴が催されるといった所
奥座敷の前には見事な枯山水庭園を配し茶室が設けられ、表座敷には見事な襖絵といった具合に
客をもてなすための贅を尽くした豪華な料亭といったところです。

奥座敷から見る臥龍松の庭

幕末の絵師が描いたという襖絵


敷地内には井戸があり100畳あるという大きな台所を備え
もてなしのための料理がここで作られていたことがうかがえます。

玄関で一旦預かった刀は台所の刀箪笥へと移される。

玄関前に残る新撰組がつけたという刀傷

ここから入ることはできませんが正式な玄関

銅製の鍵隠しや襖の引手など細かい所まで意匠が凝らされています。
   
西郷隆盛が行水をしたという桶(以外と小さい)
  
9月15日以降も12月15日まで通常公開を行っています(月曜休館)2階の特別公開は要予約



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