Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

矛盾の風景

2008-06-30 12:21:33 | つぶやき
 ホームに電車が入ってくる。まばらな客であるが、今日はやけに客が少ない。そんな印象が頭の中をよぎるとともに、視線を変えると、駅前からバスが旅だって行く。まだ乗客は改札口にさしかかったというのに、バスは駅を遠ざかってゆくのである。

 そんな風景を見たのは、その時間帯だけではない。朝の混雑時、なかなか通り抜けられない改札をすり抜け、駅前の開放感を感じたころに、すでにバスが駅前の信号機に向かって進んでいる。もちろんそのバスに、改札を通り過ぎた人々が乗り込むことは不可能である。ふと時計を確認するが、確かに朝方の混雑のせいで、2、3分定刻よりは遅れている。とはいえ、駅から現れてくる顔は1日中で最も多い。人を乗せて動く空間は、駅から解放された客を相手にしていない。では、なぜ駅にバスは停車しているのか、とそんな不思議な問いをしたくなる。

 到着した電車をよそに尻を向けて走り去るバスを、誰も不思議がることもない。ごくふつうの毎日の風景。あまりに乖離した空間は、どちらも「関係ない」とばかりに自由に行動する。ガラガラのバスの空間を見るにつけ、「あなたは人が嫌いなの」と問う。頷きはしないが、見せるは尻ばかり。ガラガラの方が軽くて走りやすい、などとバスは思っているのか、それとも早く定年を迎えたいと思っているのか、ピカピカな車体をゆする。

 この不思議な毎日は、なぜ繰り返される、などと思ってもわたしには関係ないことである。そのバスに乗ることは、一生ないと思う。しかし、そんな風景を毎日見ていると、いったいここに同じ空気を吸っている人たちには、あのバスは不要物なのだろうか。もちろん毎日のできごとだから、誰もそのバスに乗ろうとはしないだろう。不可能だから。できもしない乗り継ぎをしようとすることの方がバカげた話だ。

 逃げるように去るバス。何事もなかったように駅を出てくる人々。矛盾の風景が、今日も始まる。誰がために、今日は始まるのだと、誰も思いもせずに・・・。

 こんな風景を違う場面でも見る。そしてどこの場面にも矛盾の風景を当てはめたくなる。空気は水と油のごとく別の世界に分かれ、共有されはしない。賑わうマチにあって、会話を交わさない若者のように。そして自らそんな矛盾に気がつかない世界を彷徨う。自らも気がつかない方が幸せ?、などと思いながらも無口な自分が遠くに去ってゆく。なんだ、お前も一人前になったじゃないか、と人は言うかもしれない。やけに風を冷たく感じながらも、雑踏に消えてゆく風景である。
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よみがえる痛み

2008-06-29 19:48:11 | つぶやき
 梅雨時の日記をいくつか書いてきた。「梅雨時に」、「嫌な臭い」、「なかなか消えないこたつ」などである。また以前書いたものにも「無臭時代に思う」のように、どうも臭いに関するものが多い。湿っぽさという感触をなんとかしたいという気持ちがあるからこそ、同じような思いを毎年繰り返すものだ。

 梅雨ばかりではないが、雨というと首が重たくなる。首というよりは頭といった方がふつうの人にはわかり易いかもしれないが、わたしの場合は首にくる。かつてむち打ちをやって、そのまま直ったか直らないかわからないまま、「直ったのだろう」と判断して人生を続けてきたわけであるが、よく言われるようにむち打ちというやつ、後々まで影響が出る。しかし出るとはいっても医者で完全に直るものでもない。そんな気の長い治療をできる人は限られるだろう。とくに若いころのそんな経験は、だいたいが完治していないことが多い。この首の重さは、ときに集中力を失わせる。悔いることはないが、そんな季節や天気を恨めしく思うことも時にある。だからこそ臭いとあいまって、梅雨にはよいイメージがない。

 これもまた天気痛なのかと思わせてしまうが、わたしは天候によるものとは思っていない。なぜなら同じような痛みは天気が良くても起きる。昨日、庭の草取りに励んだ。ずっと腰を下ろしているから、膝の関節が痛くなる。これは仕方ないとしても、右の手の平が痛む。草を束ねて力いっぱい引っこ抜こうとすると、痛みが走るのだ。ふだんは使わない筋肉を、同じことの繰り返しで負担をかけるから痛みがくるということにもなるのだろうが、手のひらというか、手さのものはふだん使っている筋肉のように思う。草を取っていると、痛みがあろうが仕方なく手を使い続ける。「なぜ痛いんだろう」などと考えていても、草を取る程度のことだから無理をしなければよい。仕事を終えて、改めて痛みの動作を確認してみると、手の平の中央を押さえると痛みがある。「そういえば」と記憶がよみがえる。中学生のころ、同年生に手の平を広げているときに上から何かで叩かれたことがある。何か尖っていたものを木槌か何かで叩かれたようにも思うのだが記憶は詳細ではない。その時はずいぶん痛くて、医者にも通ったようにも記憶するが、やはり気の長い治療になってある程度のところで完治を自ら宣言していた。しかし、それこそ梅雨時ではないが、しばらくは同じ場所が痛むことがあった。どうもその後遺症が草取りに出ているような気がする。子どものころの、それも30年以上前の怪我がいまだに記憶をよみがえらせるのだから、体で勝負をしている人たちにとっては、一つのアクシデントが一生ものになるのだろうとつくづく教えられる。

 さて、そんな痛みを感じながらも、雨の降りしきる今日も、草取りにはげんだ。かなり強い雨足のなか、生垣沿いの草を取った。立っていればともかく、しゃがんでいると伸びきった膝あたりから冷たさがしだいに滲みてくる。高級な雨具ならともかく、安物だからさらに滲みやすい。加えて何度も使っていれば効果は低下する。昼を前にして着ているものすべてを着替える。そして夕方も着ているものすべてを着替える。ということで今日三着目を着用して夜を迎えた。雨具も二着、物干しにかかっている。雨足の強い中では、草取りへの集中力が低下するせいか、今日はそれほど痛みを感じることなく、約6時間の草取りが終わった。
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役所の不幸

2008-06-28 14:17:30 | つぶやき
 役所ほど好き勝手なことを言う集団はない。採算がとれずに何年も赤字を抱えている会社に、縮小する旨を漂わせると、「採算はともかくとして人員を減らすな」みたいなことを言う。まあ人員を減らさずに、採算がとれるようなシステムにしろというように捉えられるが、それにも限度があるし、こと人員ということだけを維持しろといえばそれも可能だろう。しかし、そうではない視点では、不採算を上回る障害が派生したりする。それを解消するために、また不採算が見えてきたりする。ようはよほどの低賃金にしないかぎり、会社は維持できなくなる。人件費がそのほとんどの支出のような会社に、人員を維持しろという言い方は、身勝手な言い分だとわたしには思う。それでいて、税金で成り立っている人たちは、自らのことは棚に上げてしまう。もちろんそんな身勝手なことを言う人たちも、自らの力ではそんな矛盾を一掃するようなことはできないことを知っているから、身勝手と解っていながらの要望なのかもしれない。

 役所にしかない不思議なシステムというものがあるのだろう。しかし、そんなシステムは、発注とか委託、そして公開という部分であからさまにされてきた。それが故に、役所そのものが変化できないシステムを持っているのに、外見だけは変化したような姿に変えてきた。そうした変化は、むしろ役所そのもののさらなるシステムの悪化を招いているとわたしは思う。外見を気にするのなら、もともとの役所のシステムを変えなくてはならないはずだが、それができないのが公というものだ。説明できないから外見だけは変えた。ようは安易な逃げ口上を掲げたわけだが、責任回避のできる役所らしい流れでもある。住民も含め、役所とはどういうものなのか、もっとスマートなものにできないのか、など自治システムの変化がないと、このままでは合併を繰り返し、強いては無駄な役所を肥大化させるだけではないだろうか。

 身勝手な言い分を気にしなくてはならないほど、会社を取り巻く情況は不安定である。仕事量を維持するには、そんな身勝手でも聞いていかないと仕事が減少するという考えも多い。なによりも現在の報酬を半分にして生きて生ける人がどれほどいるのかということにもなるだろうし、それでも身勝手な言い分を聞かなくてはならないのかということにもなる。会社の経営悪化にともなって不採算部門や不採算店の閉鎖を考えるのは当たり前で、公共交通を担っている会社ですら、不採算路線の切捨てが持ち上がる。そのいっぽうで「住民の足がなくなる」という身勝手な言葉が飛び交う。これも身勝手な言葉で、実際の利用者が言うのならまだしも、こうした事例では「またも」みたいに行政のトップがそんな言葉を口にする。利用してもいない人たちがそんな身勝手を口にするのは、いかにも行政らしい。行政とは公なれど、個人になれば身勝手ということなのだろう。
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経験や慣習の捨てられた時代

2008-06-27 12:28:03 | ひとから学ぶ
 中国産うなぎを国産、それも「一色」というブランドを借りて販売していたというニュースが流れている。これほど続くとちまたでも気にもとめなくなる。信用のおけない時代と片付けてしまえばそれまでだが、老舗で信用のおけそうなところでも偽装していたという事実があって、何もかも表示はともかくとして、自分で選択したものに諦めを持つ必要があるということを、逆の意味で認識してくれればよい。

 それにしてもこれは犯罪行為だとは思うのだが、いかなものだろう。ところがその行為の重大さが測れなくなっているような気もする。ようは曖昧なものがなくなり、偽装は偽装として批判されるべきものなのだろうが、その偽装のことの重大さはあまり国民は意識しない。何が大事なことなのか、そして生きていく上で、人は何に視点をあてていかなくてはならないのか、そんなところが見えていないようだ。

 先日県の職員の方とこんな話をした。「平日の昼間に飲むような機会があると飲むわけにはいかない」という。そういえば、昔は起工式から竣工式など○○式というものが行われると、そんな場面で飲む機会というものをみたものだ。お祝いなのだから飲んで当たり前だというのに、勤務時間だからということでそうした指摘がされる。神社の祭典でも同様なのだろう。かつてなら公的立場の人たちがそんな場面に呼ばれたもので、今でも呼ばれることはあるだろう。しかしながら、勤務時間中だということで飲むことはしない。もっといえば飲む場面になると座をはずして帰ってしまう。飲みたくないひとにはうってつけの口実になるだろうが、これではお祝いを願った人たちにとっては残念なことである。逆をいえば、お祝いも休日に行うとか、飲む場面が勤務時間意外になるように配慮される。意識としては悪くはないが、そんなところを批判する方も批判する方、そしてそれを意識してしまう立場の自由さもなく、決まりごとは「ここに書いてある」みたいな生き方をずべてにおいて実行していく公務員という人たちの存在が、ますます堅苦しくなっていく。加えての公務員叩き。わたしも公務員にどちらかというと虐められてきた口だから、それほど見方するものでもないが、枠にはまった人たちに「ここに書いてある」みたいに指導を受けると、ますます嫌いになってしまう。もっといい加減で良いじゃないかと思うが、どうも人々は違うようだ。

 食品偽装のように明らかにやるべきではないことを自制できない世の中。まさにこの世の中は信用できない世の中である。自らが自らにも嘘をつかないと生きていけない、そんな自己認識すらある。それを注意深く探っている人たちもいれば、明文化して「ここに書いてある」みたいなことを推し進める人たちもいる。これ以上すると犯罪行為、あるいはこれ以上はできない、という尺度が人々の中から消えている証拠である。いっぽうでそれほど指摘するほどのものではないものへ攻撃する。明文化はこの人々にとってはうってつけなのだろうが、人としての心は失うことになる。
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なかなか消えないこたつ

2008-06-26 12:20:37 | つぶやき
 連休に客人が訪れた際に、いったんこたつを片付けた。このあたりの人ならともかく静岡の方の人ともなれば、すでにこたつの季節ではなかったはず。ちょうどそのころは比較的暖かいときだった。それとともに、しだいに気温が上がる日々を迎えると、それまでの逆の風景は身体が自然と「不要」だと信号を出す。だから今と比較すれば、より暖房器具など必要としなくなるトキである。

 このあたり(長野)では梅雨時に肌寒い日々があるという経験があって、暖房器具が夏間近まで部屋に存在する。わが家でも連休前にこたつを終うなどということはいまだかつてなかった。経験を無視したわけだが、いつにない来客という環境がそれを承認していた。しかし、連休後まもなく、妻もわたしも意見が一致してこたつが再登場した。そのままいまだにこたつが存在している。すでに7月になるというのに。片付ける手間がない、などという言い訳もあるが、実はこの一週間ほどは利用していないものの、それまでは時おり明かりが点った。こたつに明かりが点るという表現もどうかと思うが、電気の時代だからけして間違いではない。妻は身体が冷える体質で、夏でも健康器具の敷布団を利用する。ようは電気敷布のようなものだ。そんなこともあって、ますますこたつは消えづらくなっている。温暖化などという言葉が日常的に流れているにもかかわらず、体感的には、もちろん暑い日々もあるが、肌寒い感触をどこかで感じている。

 先日、久しぶりの長野駅に降り立つと、暑さを一段と感じた。「今日は暑いなー」と感じたのは今年初めてのことであった。たまたま暑い日であったのかもしれないが、そこで会った人たちも、「昨日ストーブを片付けた」とか「まだわが家には半分以上のストーブが出されたまま」などという話が飛び交っていた。そんな話題が飛び交うのも無理がないほど、その日は暑さを感じた。聞くとところによると、その数日間はずいぶんと暑い日が続いていたようだ。このあたりでは明らかに暑い日が続かないと、そしてその先の短い夏が見えないと、暖房器具が消えないということだ。今時の家は密閉されて暖房を必要としない家が多い。昔ならどこでも前述のような会話がされただろうが、今や何ヶ月も前に暖房器具が消えている家も多いだろう。ということで、そんな会話もやたらにはできない。ストーブならともかく、いまだにこたつが出ている、などとはちょっと恥ずかしい話である。

 衣替えになってすでに1ヶ月近い。今年はこの数日前まで長袖を着用していた。休日もまだ長袖である。7月まで長袖でいたということはあまり記憶にない。やはり「暑い」という感覚があまりないせいで、むしろ長袖が欲しいと思っていた。ようやく半袖を着用したものの、「まだ長袖でも良かったなー」などと思うほどで、これは陽気が寒いわけでもないのだろう、単純に年老いたせいなのかもしれない。
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まともなジャムはなかなかない

2008-06-25 12:37:59 | つぶやき
 連休の客人のもてなしにある地元の直販所を利用した。直販所とはいっても隣接している食事のできる施設なのだが、そばの持ち帰り品があってそれを利用したのだ。意外に美味しくて、その後も何度か利用させていただいている。

 話は変わって以前にもジャムの話をしたが、イチゴも終わりジャム作りを妻がおこなった。利用の仕方にもよるが、ほぼ1年間分くらいは貯蔵できるほど作る。またブルーベリーの季節にはブルーベーリーのジャムを作る、といった具合にジャムの用途はいくらでもあるからジャムにできるものがあればジャム作りに励む。ちょうど連休の客人がジャムの話をされたこともあって、先ごろは妙な草のジャムを作った。ちょっとわたしには不評だったこともあって、その後は作らないが何でもジャムにしようとすれば可能なのかもしれない。

 そんなジャムの貯蔵はわが家ではなく、妻の仕事場である実家であるため、ときに品切れということもある。すぐに用意してくれればよいが、なかなか忙しい妻にはそれがかなわないことも多い。するとそんなときわたしは市販のジャムを購入することになる。そのたびに「何で買ってきたの?」と口癖のように言われるが、使いたいときにないから買ってきたわけで理由は聞かれるほどのものでもない。そしてそのたびに妻に言われるのは、「こんな不味いジャム買ってきて…」というもので、ゲル状になっているジャムを覗き込まれては「こんなのジャムじゃないよね」と言われるわけだ。確かにわが家のジャムと比較すれば、ジャムとは呼べないような代物である。ジャムだけを口にするわけではなく、何かの添え物なのだから、こんなものでもわたしは満足している。それでもゲル状のジャムは避けたいとはいつも思っている。先日も品切れになってジャムが欲しいと思い、飯田へ出たついでにジャムを探す。そこで登場したのが冒頭の直販所。寄ってみるとそこそこお客さんが立ち寄っている。夕方と言うこともあってか野菜などの品物はかなり品薄のようであっが、加工品については消費期限が長いからそんなことはない。地元の生産者が作ったものであることはすぐに解るのだが、値段は市販品に比較すれば2倍から3倍はする。それでもと思って山ブドウのジャムを買ってみる。少し珍しさもあって妻が口にすると、「これ美味しい?」とまたまた質問である。生産者の作ったものだからジャムらしいと思えば、なかなかそうでもない。あまり味がしない。山ブドウというものがもともとそうなのかもしれないが、味は砂糖の味しかしない。市販品よりましなのでは、と思って買った高価なジャムは、とても二度と買うには値しないものであった。

 直販所とはいっても置かれているものはいろいろである、ということぐらい認識していたはずなのだがこういう失敗はよくあることだ。そういえば妻の実家の近くにある地元の人が経営する生産加工施設は、販路を広げてきて下伊那郡内の直販所を訪れると必ず商品が置かれている。かなりの稼ぎようでまた名も知られているが、そこの施設の加工品のことを認識していれば、直販所の商品も選ばないといけないと解る。それを認識していても買ってしまった自分が悪いのか、それとも買ってみないと解らないことなのか、いずれにしてもそばが美味いからといってほかのものも勧められる商品というわけではないのだ。
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ケイタイという窓

2008-06-24 12:26:49 | ひとから学ぶ
 「知らない人とつながりたい」「自分の存在を多くの人に知ってほしい」そういって子ども達はケイタイというメディアにのめりこんで行く。現代の病といわれるケイタイ依存の世界は、子ども達が悪いわけではない。そう思わせる環境、背景はけして理解できないものでもないし、それを提供してきたのは大人たちである。にもかかわらず「ケイタイをいじるな」といっても、そこが子ども達のよりどころだとしたら、その世界を否定できるものでもない。秋葉原事件の実行予告のようなものがケイタイサイトに羅列された。それを奇異の目で見るほうが不思議であって、凶悪犯罪にはならない場面で、そんなことは日常的に展開されている。それだけをもって奇異に捉えるのは、事件を正確に捉える術を失わせる。だからといってケイタイというメディアを廃止することができるのか、ということになる。

 これほど小さくて、これほど機能豊富な機械が、かつて自分の子ども時代にあったら、必ず利用していたと思う。もちろんその利用の方法はさまざまだろうが、月々の利用料さえ親と契約が結ばれれば、手に入れる際の購入費など高額ではない。小遣いのない子どもたちにとって、利用料という壁さえ取り外されれば、使い放題になるのは当たり前のことである。もちろんそうした人の心を読んでこの商売は成長してきた。高額な機械ではなく、手に入りやすくして利用料で稼ごうとした。そしてその支払い者の意識を分割させたわけだ。簡単にいえば分割払いのようなものなのだが、必ずしも分割払いではない、そこに騙されてしまうわけだ。そしてその小さな機械は世界へとつながる。冒頭の気持ちは、この小さい機械へと込められるのである。

 機械へと込められることにより、現実社会からの逃避とも捉えられる。しかし、どこかで誰かが覗いているとしたら、必ずしも現実社会からの逃避ともいえない。ただいえることは、生身の言葉を交わすことがなくなるという事実だ。「知らない人とつながりたい」と思い、この機械がないとしたら、外へ向かうしかないし、また生身の声を発するしかないのに、この機械は文字というもので不特定多数に公開されていく。そうした不特定多数の人たちへオープンすることを嫌う人たちによる別のサービスも話題にはなるが、つまるところ人は他人と接したいと思う部分が強く、冒頭の思いに結論付けられていく。

 この偉大なる小さな機械がなかっだ時代、自らは何をして、どう行動したか、それを考えてみれば、現代の病とたいして変わるものではない。身近ではない他人との接点を望む子どもたちにとって、通信手段は郵便というものしかなかった(それ以外にまったくないとは言わないが)。死語になりつつある文通というものは、そんな手段であった。投稿欄に掲げられる「文通希望」という文字を頼りに、見ず知らずの人との接点を望んだ。その根底は、冒頭の思いと変わらないとわたしは思う。そしてわたしもそれを実行した。身近に飽きたり、他国を覗きたいと思えば、まったくの未知の人との接触を期待することになる。その接触が期待できなくなるとすればどうだろう、かつても文通の相手とのトラブルで発する事件はあった。よりいっそうおとなたちが歪んでいる証拠に、この窓口は奇異に捉えられているのかもしれない。さまざまな問題はあるにしても、その窓口そのものを否定しまってはいけないのだろう。
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空木岳

2008-06-23 12:22:19 | つぶやき


 伊那市富県から望む木曽山脈は、わたしがふだん眺めている形とはずいぶんと異なる。先日そんなふだんとは違う山並みを望みながら水田地帯を仕事で1日歩いていた。ふだん東側から飯田線の車窓に映る山々は、連なる頂が平面的に映るが、実際は東西に頂がずれている。それがはっきりとわかるのが、この富県からの木曽駒ケ岳以南の風景なのである。とくに南駒ケ岳の風景はわたしにとってはもっとも長い間見てきた風景である。以前にも何度も触れてきたわけであるが、まさに木曽山脈を代表するものともいえる。しかし、この富県から見ると、そんな風景は全くない。写真はそんな富県からのむものなのだが、右手の頂は空木岳になる。そこから左側に軽視するように下がっていっているが、これらの山々が南駒ケ岳や仙崖嶺である。下っていった稜線が再び丸みを帯びた頂を見せるが、わが家から真西に毎日見ている烏帽子岳にあたる。伊那市から見てもそこそこ大きく映るのは意外だった。空木岳から右手に稜線は上り、木曽駒ケ岳へと続いていく。南北に見れば離れていて当然と思うが、東西方向にはそれほど離れていないという先入観が、ますます違和感を持たせる。しかし、あらためて地図の上で山々と、見ている位置を描いてみると、当然のことなのだ。山を見ている感覚は、どこか常に見ている姿をイメージしているから、その姿の印象が強すぎるわけである。

 毎日この山々の姿を見ている地元の方に「あの頂は空木岳ですか」と聞くと、はっきりとは解らない。もちろん正面に木曽駒ケ岳が見えているのだから、その印象が強く、空木岳などそれほど気にもとめていないのかもしれない。「烏帽子岳より向こうはもう下伊那ですよ」と言われてもさらにイメージが湧かないだろう。場所が変わればこれほどイメージが変わるものなのだ。飯田市や下伊那からよく見える塩見岳が、伊那市の最南端にもかかわらず、伊那市街から塩見岳を追っても解らない。きっと伊那市民にとってはまったく親しみのない山だろう(もともと伊那市ではなく長谷村だから無理もないだろうが)。実は空木岳は美しい山の名前だとよく言われるが、地元の人でも見えているのに意外に認識している人が少ない。事実わたしも、若いころはどの頂が空木岳なのか解らなかった。正面に見えていてもなかなか印象深く感じなかったのだ。百名山と言われるのに失礼な話ではある。そんなこともあって最近は意識的に見るようにしてはいるのだが、やはり他地域で聞いてみても、前述の通りなのだ。

参考に
■大麦の実り
■空の変化(ふだん見ている烏帽子岳)
■二十世紀梨(ふだん見ている南駒ケ岳や空木岳)
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夏至の日に

2008-06-22 12:02:56 | つぶやき
 昨日は記憶に残る日だった。一昨年まで盛んに訪れていた中条村のある地区に、竣工式で呼んでいただいた。すでに部署も変わり引き継いできた仕事だけに、わたしなどは「過去の人」なのだが、その過去の人を呼んでいただいたことによる中条村行きであった。盛んに○○さんと地元の人たちに呼んでいただき感謝であったが、わたしにはそれほど言っていただくほどは何もできなかった。みながみな喜んでくれるからこそ、お祝いの席には地元で採れ、作られた手作りの料理が並んだ。こんな風景は久しぶりだった。仕出し屋の料理が並ぶのが当たり前の時代に、重箱が並ぶのは珍しくなった。みなさんに○○さんと呼んでいただいて、話しつくせないほど当時のことがよみがえり、そんな料理に手をあまり出せなかったのは残念だった。地元の方たちの名前と顔は一致しないものの、ほとんどの顔がわたしには記憶にある。怒られたことはいつまでも記憶に残り、誉められたことは記憶に残らないのと同じで、それほど地元の人たちとの紆余曲折のドラマがあった。他人がみれば「なぜこうなったの」とか「もっと良い方法がなかったのか」などという言葉も出るだろうが、あの時関わった人たちがみな一様に「その場にいた人たちが描いたものが〝この形〝だった」と言ってくれる。関わった人たちだけが知っている歴史なのだ。

 このお祝いの日は仏滅だった。土日に行ないたいという気持ちもあったのだろうが、最初にこの日を聞いて「なぜ」と少し思ったのだが、この日地元の方たちが「夏至」というキーワードを口にされた。一年で一番日の長い日をお祝いの日に選んだというところに納得した。

 長野駅を帰宅できる最終に乗ったものの、深い眠りについて、終着の松本駅について気がつくと、乗り継ぎの電車の時間はとっくに過ぎている。雷雨で電車が途中で止まっていたようだ。飯田線にたどり着く方法はすでにひとつしかなく、辰野行きの電車に乗る。これもまた深い眠りに陥り、目が覚めると辰野駅である。終電は駒ヶ根が終着、「なんという」と思いながらも仕方なくそれに乗る。三度深い眠りに陥り、目が覚めるとまたまた終着駅。三度終着を向かえ、ようやく軌道内から逃れる。車掌に「えらく電車遅れたんですね」と言うと「定時ですよ」という。少しカチンときたが、付け加えて「中央線の方は遅れていたみたいですね」と人事のように言う。考えてみればここはJR東海、路線はつながってはいるものの、別会社のことなど「知らない」ということなのだろう。予定通りの乗り継ぎなら自宅までたどり着いたはずなのに、不運とでも言うべきか、それとも深い眠りに陥って、予定通りなら小淵沢で目が覚めていたのか、そのあたりは予想もつかないが、雨の中、歩くわけにもいかず、タクシーでそこから自宅へ向かう。気がついたのはタクシーの高額さである。運転手から「領収書」が要りますか、と聞かれるほどである。ということで、夏至の長い1日が終わった。

参考に
ハザの突き方を読む
29年前の中条村から
虫倉山の懐で思ったこと
不思議な1日
田んぼの水持ち
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新聞の提供するもの

2008-06-21 23:13:23 | つぶやき
 「全体主義への歩み」でも触れたが、わたしたちの日常の情報は報道によるところが多い。また報道のみならずメディアの量も多く、また明らかに昔に比較すれば多様である。にもかかわらず多様すぎてというわけでもないだろうが、出版や新聞といった文字情報への依存度は低下していく。今や日常の事件や事故という情報は、インターネットによるところが大きいだろう。「新聞を読まない」とあからさまに言う人も数多い。新聞の購読者数は減る一方だろう。

 わたしが新聞を開く理由は、自分が欲しいと思うものだけではなく、新聞側から配信される事件事故報道ではない記事を期待するからだ。いや、もしかしたら自分が欲しいと思っている記事なのかもしれないが、自分の知識だけでは検索できないキーワードがそこに見つけられるからかもしれない。ようは無知な人間には、相手側から無理やり情報をばらまいてもらわないと、目にしたり耳にしたりできない情報があるということになる。いわゆる日常の三面記事的な事件事故報道を読むことは当たり前として、コラム的な記事、文化面や家庭面などから何か面白いもの、あるいは自らにヒントを与えてくれるものを読みたいと思うから新聞には楽しいのだ。だから金さえあればさまざまな新聞に目を通したいものだがそれは適わない。わたしにとっては新聞がもっと週刊誌的な意味合いを持ってくると楽しいと思っている。もちろん週刊誌も事件事故報道というものを扱うが、なにより一週間に一度という発行は、タイムリーという面では新聞には劣る。さらには月刊誌ともなれば、さらにその傾向は強くなる。ようは発行スパンが長くなればなるほどに特集記事的なものへ特化していくことになる。そういう意味では新聞といえばかつてならもっともタイムリーなものだったに違いない。ところがインターネットの汎用化によって、タイムリーなものはインターネットに奪われた。したがってこれまでタイムリーなものを扱ってきた新聞にとっては、その役割を奪われた格好になった。となれば、新聞にとっての役割は、インターネットで配信される情報以外の時間的な情報や、それを補うものということになるだろう。「新聞はいらない」と思っている人は、新聞とはタイムリーなものだと思い込んでいるだけで、そうした三面記事的な記事しか読まなかった人たちには、インターネットに移っていただけばよいのだろう。そうではない記事が新聞にはあるということを承知している人たちは、必ず新聞から離れることはないだろうし、また新聞を作る側も当然そのことは認識して記事を彩っていって欲しいのだ。

 「全体主義の歩み」の冒頭でも述べたが、世の中の流れに乗りすぎて、学びの部屋を無くさないで欲しいということだ。どれほど世論が右に傾こうとも、必ず左側の意見を対等に載せて欲しいと思う。またそれを実践されている、と購読している新聞を開いて思っている。

 インターネットによる情報聴取全盛である。何度も言うが、そこに展開されるニュースは、表面的なものにすぎない。そこに深く入り込もうとすれば、キーワードという知識によることになる。この知識がない人には、情報は固定化されることになる。インターネットだけで情報を得ていると、えてしてその方向は偏ってしまう。加えてリンクされて広がる世界は、正しいとは言えない。もちろん新聞記事がすべて正しいと思うのも過ちの始まりかもしれないが、インターネットの世界にくらべれば責任能力のある情報ではないだろうか。そういう意味でも新聞の情報というものには大きな価値があるとわたしは思っている。
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全体主義への歩み

2008-06-20 12:31:04 | つぶやき
 信濃毎日新聞に大塚英志氏(マンガ原作者)が宮崎勤死刑囚の死刑執行について触れている(6/19朝刊)。正義感が強いのか、はたまた全体主義に走る風潮なのか、こんな記事を気分よく思わない人たちも多いのだろう。それどころかこの時代、どれほどの人がこの記事を目にするかも疑問でもある。総じて背景やその理由を学ばなくてはならないと口にするわたしには、そんな大塚氏の記事が、少しばかり学びの部屋を貸してくれる。しかし、そんな学びの部屋は、すでに絶滅危惧的存在になりつつあるような気がしてならないし、宮崎事件そのものよりも、世の中の流れを危惧するばかりである。何度も触れながらも、何度も同じことを思い、またそんな考えが正当ではないと打たれると、また自らの自問自答の先が見えなくなるのである。

 大塚氏はきっと言い尽くせないほどのものを持っているのだろうが、その中から2点ほど取り上げている。ひとつは「青少年の犯罪と「おたく」系サブカルチャーを結びつける報道は宮崎事件をきっかけに始まったもので、ぼくはそれに異議を唱え」るという。宮崎死刑囚の所有した六千本のビデオのうち、性的な表現やホラー映像を含むものは、百本前後だったという。そしてメディアの影響説のなかで事件を理解したつもりになるのは妥当性に欠くと主張してきたという。報道の繰り返す原因のメディア説は、表現の規制を強化する法改正の動きに結びつき、こうした凶悪事件が起きるたびに、世論を引き付けながら別の意味で規制強化をしようとする動きを牽制している。問題発言の多い鳩山法務大臣にあって、死刑執行については支持する人が多いと聞く。執行を着々と実行し、加えて誰を執行したかを明確に報じている。最近はそんな死刑執行の日が、自然と受け入れられている。すでに死刑執行は日常のことで、二ヶ月に一回定期的に行われ始めているとはいえ、さらなる死刑執行を望む声も大きい。人の死などというものはとくだん稀な事態ではなくなっているようにも受け止められる。犯罪を肯定するものでもなく、殺人者に対しては厳罰であるべきだと思うが、果たしてこの風潮はいかがなものだろう。

 大塚氏は二つ目として「事件から学びうる多くの事実がそこにあり、「何も明らかにされなかった」と切り捨てて終わるのは事件を「おたく」と結びつけて理解した気になるのと同じ怠慢さであるということだ。理解し学ぶことへのサボタージュが「理解できない犯人像」を創り出しているにすぎないことに気づくべきである」という。死刑囚が死刑執行されるたびに、説かされぬまま闇の中に事件は葬られたがごとく報道されているが、それでは目を閉じているに過ぎず、そこから何も学んでいないということになる。大塚氏は裁判において「彼がなぜこのような不幸な事件を起こすに至ったのかについて理解する努力は相応になされたと受けとめている」という。審議し尽くしても尽くせるものではないだろうが、公判の中ではその理由を解明するべく努力はされていたと捉えている。にもかかわらず、何も解明されなかったとくくってしまうのは、実際の事件を閉じてしまっているに過ぎないわけだ。すぐにでも死刑にしろという意見もあるが、その背景を何も見ようとせず、「死刑、死刑」と合唱する人々を見ているといったいどこへ向かおうとしているのだと思うのは、わたしだけだろうか。

 ニュース23において、この死刑執行に対しての街の意見を聞いている。ほとんどの人たちはこの流れに沿って答えてり、もしも死刑執行に異論を挟むような意見があったら、ちまたでは生きていけないほどに世論は統一されているように思う。報道は適正なのだろうか、またそうした報道に国も、民も間違った捉え方をしているのではないだろうか、などと思えてくるこのごろの動きなのである。
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意図は何か

2008-06-19 20:27:56 | 農村環境
 「除草剤散布中のため中に入らないでください」という立て札を道端の三方に立てている小さな不耕作地がある。立てられたのは数日前。めったにそんな立て札を見ないから注目してしまう。文字にはしっかりと振り仮名振られていて、小学生低学年でもしっかり解るようになっている。確かにそこは小学校の近くである(除草剤とは何か、ということを子ども達が理解しているかどうかということも以降の問題に関わる)。

 この立て札の意図するものは何だろう、などと下世話な勘繰りをしてみる。
①子ども達がその土地に入って草花を手にしたり、口にしたりすると危険だということでそれを回避するための注意。
②犬の散歩で犬が入って草を口にするのを回避するため。

 いずれにしても除草剤による危険性を知らしめるためのものであるのだろう。あまりにしっかりとした立て札を立てていることから、立てることで違う意味も感じたりする。ようは農村地帯では除草剤など周辺の人たちにはお構いなしに撒かれる。すぐには枯れてこないから、撒いた直後などはとくに危険なことになる。それを認識してもらうためには、立て札というのは有効である。近ごろは農村地帯でも犬の散歩をしている人は日中でも多い。犬は何でも口にするところがあるから見た目には解らない除草剤のかかった草を口にするということもごくふつうにあり得る。もちろん除草剤の影響で死んでしまう犬はけっこう多い。無臭のものもあるのかもしれないが、臭いが少なからずあるから気がつく犬もいる。しかしつながれた犬には経験が少ないから、なかなかそこまでは気がつかないかもしれない。そのあたりは定かではないが、犬の死んでしまった話はよく聞く。

 このように見た目では解らないようなものが知らずに撒かれていて、もし事故でも起きると責任問題になる。犬が死んだことでそうした責任問題を口にする人たちは農村地帯にはなかなかいないだろうが、農業とは無関係な一般住民が多い地域ともなればそんなトラブルも起きかねない。そうした責任問題を視野に入れた流れの立て札のように勘ぐってしまってはちょっといけないのかも知れないが、今やそういう環境が農業の環境を取り巻いている。こと除草剤だけではないだろう。もちろん除草剤を広範囲に撒くなどということを回避する必要も感じるが、それも適わない実情がある。立て札を「公表したにもかかわらず事故が起きれば責任を持ちません」と捉えるべきなのか、あくまでも冒頭のような意図で立てたものなのか、などと勘ぐるような珍しさを感じるところに、課題が残るわけで、もちろんそう考えた自分にもその課題は与えられる。
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日本で最も小さいトンボ

2008-06-18 19:20:24 | 自然から学ぶ




 体長が2cm程度というハッチョウトンボを、現場に出たついでに昼休みに新山まで見に行った。あまりトンボに興味もない人は、このトンボを見ても「赤トンボ」というだろう。身体の色が見事に赤い。身体が赤ければみな「赤トンボ」といってしまうあたりはけして嫌いではない。赤いトンボに違いはないのだから・・・。しかしハッチョウトンボがみな赤いわけではない。やや緑色が混じった橙色の体色のものも飛んでいる。これはハッチョウトンボのメスである。オスで20mm、メスで18mmほどという説明もあるが、体長は見分けがつかないほど似ている。もともとオスも羽化後は橙褐色だといい、しだいに赤みを帯びてきて、15から20日で完成色になるという。オスのの赤いイメージがハッチョウトンボのイメージになっていて、メスの方は紹介されないことが多い。写真に撮るとこの赤い体色に焦点が当たってしまうものだが、まだ焦点がトンボにいくだけよい。メスにいたっては草むらの緑色や褐色に紛れてしまい、完全なる保護色。メスをねらってカメラを構えるのだが、デジカメのオートフォーカスには反応しない。何度も取り直すのだが、焦点が1枚も合わない。そうこうしているうちに昼休みの時間も終わり、あきらめて帰ることになってしまう。

 「ハッチョウ」の由来は、江戸時代の本草学者である大河内存真が『蟲類写集』に「矢田鉄砲場八丁目にのみ発見せられ、そのためハッチョウトンボの名を有する」と記録したのに始まるという。その矢田鉄砲場八丁目とは、現在の名古屋市の矢田川付近という。湿地や休耕田が生息環境だといい、水深の浅い水辺が好きなようだ。あまり遠くへ移動することはないといい、現在生息する環境を維持すれば、絶えることはないのだろう。本州以南に生息しているようで、前述したように小さい体長は「日本で最も小さいトンボ」と言われる。世界的にも小さな部類という。発生場所が限られているということから、現在では希少なトンボで、長野県版レッドリストにおいても絶滅危惧Ⅱ類に指定されている。また、環境庁が1982年に全国一律に定めた「指標昆虫」10種のうちの1種であり、生息が確認された場合は開発前に配慮が必要とされているという。

 ところで余談であるが、「新山」を流れる新山川のことを「ニュウヤマ」川という。この「ニュウ」も地すべりから発した地名かもしれないが、「ニイヤマ」と呼ぶ人と「ニュウヤマ」と呼ぶ人がいて、正しくは「ニュウヤマ」と呼ぶものだという人が多い。実はかつては集落の名も「ニュウヤマ」だったのだが、新山村という村が合併で誕生した際に「ニイヤマ」と正式に読むようになった。ところが今ではその新山も伊那市富県の一部であり、「ニイヤマムラ」と称していた時期は短かった。そんなこともあって両者が混在しているようだ。
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本当の意味での合併

2008-06-17 19:25:08 | 農村環境
 河川清掃が行われた。自治体一斉で行うから、その日に限ってはどこへいっても共同作業の姿が見られる。日は決まっているが、自治組織ごと時間はまちまちだから早い時間に行うところもあれば、だいぶ日差しが強くなってから行うところもある。わたしの関わる集落は、河川でも上流域にあたるから、川幅が狭い。いっぽう同じ川の下流域に行くと、川幅も少しばかり広くはなるが、段丘斜面で山の中のような場所もある。人目につかないような場所にはゴミも多いし、山の中なら河川内に木の枝など垂れ下がっていたりして、作業は大変となる。一斉に行われているから、そんな作業風景がCATVで流されたりする。数年前もそんな映像を見て、わが方と違って大変だなーと思うことがあったが、今回はわたしたちの作業した川の下流域が映し出されていた。作業区間は同じくらいなのだろうが作業する人数も異なるから、一概にその作業量に差があるかどうかは定かではない。入れ替えてやってみれば解ることなのだろうが、そんなことはあり得ないだろう。自らの住む空間の河川清掃を行うというのが基本的なことだろうから。

 しかし、こうした作業の様子を見ていると、現実的には作業量に大小があるだろう。その解消をするべくこうした作業範囲を調整することはかなり難しいのが地域の難しさだろう。どんなに広大なエリアを持つ村でも、村外の人が河川清掃を手伝ってくれるものではない。あくまでも自治体のエリアはそこに住む人たちが担っていかなくてはならない、というのが従来の考え方である。そうした負担を軽減するべく政策による平等化が図られるのだろうが、明確にそれが解消されているはずもないだろうし、地方切捨て時代にあって、そうした負担軽減は、日々なくなりつつある。

 上水内郡小川村で、長野市への合併の賛否を問う住民投票がこの日曜日に行われた。さきごろの大合併を前にして、周辺自治体との合併を問う住民投票が行われ、「自立」を目指すことになっていたが、当時合併相手とされていた周辺自治体がこぞって長野市への合併に踏み切り、周辺ではこの村だけ孤立してしまうという印象が住民の中にも生まれた。二度目の期限を前に、再びそれを問う住民投票が行われたわけである。長野市からはもっとも西縁にあたる村にとっては、合併後の以前の周辺の村々の様子を伺いながらの選択にもなっただろう。合併したからといって周縁部の地域には恩恵はない。それでも財政的なことを考えると、住民サービスが落ちることも考えられ、合併可能な今合併するべきではないかという気持ちも生まれる。そんな揺れ動く中での選択であった。投票対象数2821票のうち、自立1280票、合併1180票ということで、自立選択が上回る結果となった。有効投票数では52:48という結果だったようだ。投票率87.7%ということで、実は総数では自立選択も半数には至っていない。しかし、いずにしても小川村は自立を選択したわけで、今後はその選択に沿ったかたちで住民が総意になれるかが鍵ともなる。ほぼ半々ということで、以後もずっとこんな選択を繰り返していたら、村はまとまらない。合併した村もそうであるが、しなかったこの村のこれからは注目である。

 河川清掃の話に戻そう。かつてのムラの枠組みを超えても、自分たちが担わなくてはならないという動きが出ない以上、合併したからといってそれは行政枠だけであって、住民は合併していないということになる。昭和の合併後は、そんな枠組みは取り払われることなく続いてきた。ようは昭和の合併からはすでに半世紀近く立っているというのに、今だ本当の意味での合併には至っていないのではないか、という地域があちこちに見られるような気がしてならない。
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遊びの空間を考える③

2008-06-16 19:30:01 | 民俗学
3.暮らしの方向性

 ここで前回描いた図をもう一度広げてみよう。図に方位が示されているが、この図は真上がほぼ南方になる。図にしてもらう際に■を中央に表示
してこれを自宅として認識してもらうことにしている。もし、描こうとする空間が偏っている(ある一方に広がっているような)場合は、■の位置を消して「描きなおしてください」と指示をするが、ほとんどの方はそのまま■を中央にして描いてくれる。もちろん偏っている方がいないわけではなく、図に空白地帯が現われることもある。図示してもらう紙はA4版を示しており、縦長にするか横長にするかというのも人によって異なるだろうが、こちらの説明文は縦方向で示しているため、自ずと縦方向の空間を意識されることになる。このあたりもまっさらな状態で紙の大きさが無制限だとしたら、また違った世界が描かれるかもしれないが、自ら描いてみて思うのは、それほど広い範囲を認識していないことから、注釈を書き込まなければ、それほど大きな紙は必要ないのだろう。実際はこの図に遊んだ内容などを書き込んでもらうため、年配の方には描く空間が狭いと思われることもある。



 そんな描く空間のやり取りが、自らの頭の中である。どう配置するかが最初の悩みとなるだろうが、この描かれた世界がどこを向いているかというのは重要なポイントだと思っている。わたしの場合は、ほぼ南を上に構図を決めている。自分の家から遊び中心である場所を自然と上に配置することになったわけであるが、自宅と印象的な空間は対峙しているものであって、この場合は学校のある位置がもっとも対等な場所となる。したがってわたしの場合は、まっさらな世界で描くと、自宅は中央ではないのである。これは自宅の位置が地域(この場合の地域は通学エリアとも捉えられる)の中で北に偏っているために生じる日常のイメージなのである。自宅より北側は遊びの空間はあるものの行き止まり感があるわけで、日常の方向性は南にあるわけである。遊びのエリアを図示はしたものの、友だちたちと遊ぶ空間は、常に学校周辺にあった。この描かれた空間から解るのは、わたしの方向性は南を向いていたわけである。このようにそれぞれの方たちに描いてもらう空間は、必ずしも一定方向を向いているわけではない。自宅に対して何を対峙させるかによって空間は変化していくのである。

 ちなみにわたしの描いた空間についてもう少し触れておくことにしよう。学校の周辺には、当時農協や保育園、食料品を扱う店や下駄屋さん、酒店があった。いずれも今はなく、わたしの育った地域に、現在店は一軒もない。学校の近くに神社があるが、意外と神社で遊んだ記憶はない。友だちの家で遊んだこともあるのだろうが、一定して同じ家にばかり行っていたことは、低学年の時代にはなく、図示するほどの記憶はない。友だちと遊んだのは学校周辺に集約される。グランドは前述したように、もしかしたら高学年に差し掛かったあたりのものかも知れず、確実に低学年時代の記憶とも言い難いが、当時は地区の運動会にしても、大人たちのスポーツ大会もここで行われていて、催しがあれば必ずこの空間に行っていた記憶がある。川周辺については、友だちと遊んだというよりも、個人的に兄やおじさんたち、また近所の子どもたちと遊んだ空間である。


遊びの空間を考える①
遊びの空間を考える②
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