Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

無臭時代に思う

2007-09-15 09:41:33 | ひとから学ぶ
 電車に乗り込んできた女性3人連れの乗客は、わたしには解らない言葉を使う。中国人かと思うのだが、彼女たちは乗車してすぐにいつもと違う臭気に気がつく。おもむろに顔をしかめるから、それがすぐにわたしには解った。さすがにわたしとは鼻の感度が違うのだろう。わたしが乗車した際には気がつかなかった臭気を、彼女たちは乗車したとともに気がついているからだ。これほど反応が早いということは、日本人とは臭気に対する感覚が違うのかもしれない。日本人は、すぐに表情に出さないたいぷかもしれないから、どれほどの人たちが彼女らと同じ感度であったかは定かではないが、乗車と同時に反応した人は、ほかにはいない。

 梅雨の季節から秋にかけては、洗濯物を干すのに気を使う季節だ。それは風通しが悪い空間だと、どうしても匂いがついてしまうもので、その匂いは洗濯をしてもなかなか消えなくなる。お気に入りの服にそんな匂いがついてしまうと、なかなか困ったこととなる。雑巾を干さずにずっと固めたままにしておくと、同じような匂いが出るが、これもまた消えるものではない。そんな雑巾をそのまま使い続けるほど、わたしの鼻は悪くはない。まずそうなったものは捨てるしかない。コマーシャルで「除菌つきの色柄OKのワイドハイター」なんていうのを聞くが、やたらにそんな洗剤を使うのは、農村地帯には合わない。なにより風通しの悪い都市部での洗濯ではない。

 もう一度電車内の話に戻そう。いつも見る顔の高校生らしき彼は、いつもそんな匂いを発する。そんな匂いに強弱もあるのだが、強いときにはなかなかのもので、ちょっと近くにいられると、気分が悪くなってくる。しかたのないことで、そんなことで苦情を言うわけにはいかないのだが、今の時代は無臭の時代といってもよいほどに、匂いが少ないだけに、匂いに敏感になっている節もある。この日の臭気は、彼の乗る以前、わたしが乗車した際にすでに乗っていた乗客から発せられていたもので、彼とはまったく関係はないものなのである。そう、彼の匂いとはまた強度が異なる。その臭気に中国人らしき3人組は、そろって反応を示した。「意外」だとは言わないが、かつて中国より先に無臭時代に入った日本人にとっては、匂いというものに対して、もともと敏感ではなかったのだろうか、とそんなことを思わせる。

 おじさんになってくると、もちろんおじさんの匂いがすると嫌われる、気にはなるのだが、なかなか自分ではわからないものだ。だからこそ、いつも匂いを発する高校生らしき彼も、気がつかなくてもしかたがない。しかし、まったく気がつかない匂いではないはずで、匂いというものは、どう相手に伝えるか、というところでも悩むものだ。一時的に会う人ならともかく、常に同じ空間にいるような場合は、明らかに伝えるべきだろう、と思うのだが、若い女性が発していたりすると、なかなかそれが言えないものだ。匂いを消すための香水ということになるのだろうが、昔と違って、香水も人それぞれの趣向があるから、あまり発臭すると嫌われる。まさに無臭時代である。

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