Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

戸惑い

2009-08-13 12:43:51 | ひとから学ぶ
 ボッケさんが先日「どっちがどっち?」という日記を書いていた。「会社が左前だよな」というあたりからいわゆる方向を指す略語に触れて、実は安易に使われているが読み取る方には解りづらいという話だ。この場合「前」とはどちらから見て前なのかということにもなる。よく間違い易いのが左側と言った際の左がどちらから見ての左なのかということになる。いまだに「この説明のしかたで解るだろうか」と思い説明を加えることはよくある。当たり前のように表現している例に、例えば石仏がある。正観音は左手に蓮の花を持つ。「左手」と言うからには観音さん本人の左手であるから間違いはないが、この場合わざわざ「向かって右の手に」などという説明はしない。青面金剛という像は手がいくつも登場する。手がいくつもあると右手といってもいくつもあるから第○手などといって上から番号を振ったりする。こうなってくると一般の人には理解されていない世界に入ってくる。そして太陽や月、いわゆる日月が像の上に彫られていたりすると左右の表現が混在してくる。例えば「左第三手に蛇を持ち、右上に月が掘られる」なんて言うと、ここに左右が現れるが実はどちらも向かって右側にあることになる。

 このあたりは実際の像の側から見るからややこしくなるが、像ではなく文字だけ彫られたような石造物に至るとそれこそ当たり前のように使っているのが正面、左面、右面などといった矩形の碑の面の呼び方である。左側面といえば前述の像本人から見ると向かって右側なのであるが、この場合の左側面とは向かって左側を言う。ようは「向かって」左右なのか、碑の正面に対して左右なのかというあたりが解りづらいところなのだ。

 ボッケさんはこんなことを言う。「ブログを見ていると別のページを見るためにクリックするところがある。そこには次とか前と書いてある。gooブログでは、過去の記事を読む時には前の記事へをクリックする。これは自分の感覚に合っている。でも正反対のブログもある。前というのが時間的に未来なのだ。前というより先? でもそれだと次の説明がつかない」と。おっしゃる通りでブログのページを過去に遡っていくと同じような錯覚に陥るときがある。「果たして次とはどちらなのか」と。過去に遡って行くのに「次ぎ」という時間認識では未来を表す言葉に惑わされるのである。あくまでも過去に向かって進み始めている以上マイナス+マイナスだから「次ぎ」という符号を足し算引き算にあわせれば理解できることなのだが、通常利用している日本語でそれを反意に意識することはなかなか難しいということなのである。果たしてブログの過去の記事をたどっていって、そんな思いをしたことのある人はどれほどいることだろう。意外にもそんな戸惑いを持たない人も多いのかもしれない、現代人には。

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