Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

伊那谷の異空間

2009-08-14 23:12:53 | ひとから学ぶ
 姪が飯田市内丘の上で育った彼と結婚した。盆に生家を訪れると姪たち夫婦が里帰りしていて少し丘の上の話になった。何がきっかけだったのか定かではないが、きっと彼の家の周囲の話をした際に共通認識の目標物に対してどちらに家があるかというあたりから始まったことである。飯田駅の南方に家がある彼は、飯田駅は東にあるという。ここでわたしの認識イメージと差異が生じる。飯田駅の正面口は東にあるというのがわたしの認識だったのだが、どうも違うのである。すると兄がこういうのである。「俺も最初はそう思っていたが、地図上では線路が東西に走っていて中央通りは南北に位置するのが本当なんだ」と。わたしのこれまでの認識がまったく狂ってしまうような言葉に「えっ!本当なの」と唖然としたのである。兄までもそう言うから明らかにわたしの認識が間違っていたんだとそのとき気がついたのである。確かに飯田の街は完全に東を向いているとは思わないが、飯田線が南北に走っていて、ほとんどの駅が東西どちらかに向いているというのが通常の意識だったから、当然飯田駅も東方を向いていると思っていたのである。もちろん田切地形を迂回するように走る際の、例えば鼎駅や下山村駅が東西ではないことは承知していたが、それ以外の駅はほとんど東西に近い方向を向いているはずだったのだが…。

 彼曰く、飯田の街から見ると風越山が北にあって天竜川が南にあるという図式になるというのだ。そして彼も線路が完全に東西ではなく斜め方向であるということは認識している。線路が東西に見えるから街は南向きに傾斜していくということになるわけだ。ふだんそこで暮らしていれば当たり前のようにそれが図式化されていく。高校時代から含めると15年ほどこの街の中で学び働いたわたしにもまったく無かった感覚である。あらためて街の人たちは駅から県の合同庁舎の方向をどう呼ぶのかと確認すると、南北という言い方はしないと言う。風越山側を上と捉えれば駅から合同庁舎方面は下、いわゆる「下る」と言うらしい。この街の人たちが「上る」と「下る」という言い方をしているとしたらこの街の認識イメージがなんとなく解ってくる。この街の人たちにとって下った先に川があるわけだが、この街のことを「丘の上」と言うあたりからして川とは一線を画した空間であるというイメージを持っていたのではないだろうか。ようは川に対してそれほど親しみを持っていない空間だったのかもしれない。



 さて、あらためて家に帰って地図を確認してみた。ヤフーの地図を借用するが、わたしのイメージはけして間違っていない。どうみても中央通りは南北と言うよりは東西に近い。もちろん正確には西北西から東南東と言うべきなのだろうが、大雑把に言えばこれは東西ではないのだろうか。したがって兄の言った言葉は間違いではないかと思うのだが、彼の言ったのはなんとなく解るのである。ようは伊那上郷から飯田駅の位置関係は明らかに東西である。飯田線は伊那上郷から切石に向かって東から西へ走り、Uターンした線路は切石から下山村に向かって今度は西から東へ走っていると言ってもよい。この配置を暮らしの中で持っていれば自ずと飯田駅は「南口」と言うことになるのではないだろうか。よそから見れば南北の飯田線が、飯田の街の中から見ると東西なのである。

 通常伊那谷は南北に長い。天竜川に沿って物事が展開するから基本的には飯田線も国道も中央高速も、どれもこれも南北に配置されているが、実は正確には南北ではなく北北西から南南東というブレがある。しかし通常の暮らしの中ではその程度のズレは意識しない。それがわたしたちの大雑把な意識なのだ。しかし飯田の街の中にはそれをひっくり返すような日常があるんだとあらためて教えられた気がした。

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