Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「山の日」に思う・後編

2016-08-12 23:12:14 | 信州・信濃・長野県

「山の日」に思う・前編より

 実はわたしは、おとなになって他地域の人々と話をするようになるまで、平地林のことも「山」と認識していた。正確にはこの「山」は本当の「山」ではなく、あくまでも平地林で「山」とは異なるのだろう。しかし、木が鬱蒼としている森も林も、「ヤマ」と呼んでいたのはわたしだけではなく、周囲のみながそうだった。この「ヤマ」は言ってみれば民俗学で言う「ヤマ」だったのか。たとえば「山へ行ってくる」と言って出かける山は、共有林や個人の山である。個人の山にはかなり平地林も多かった。そもそも「山」とは樹木があるところで、「山の恵みをもたらしてくれる所」だったと言える。だからこそ、「山へ行く」と言うと、高山ではなく平地林も含めた樹木のある所というわけだった。いいや戦後の「山」には樹木がなかったかもしれない。ようは耕地とは異なる、あきらかに「山の恵み」をもたらしてくれる場所が、「山」だったのである。

 『日本民俗大辞典』(吉川弘文館 2000年)には「山」について「周囲よりも高く隆起した地表面上の地塊。日本の山はその大部分が樹林で覆われるところに特徴があり、たとえば武蔵野で樹林のある原野をヤマと呼んだように、森とほぼ同じ意味を持った。」とある。やはりわたしが認識している「山」と同様に、森=山という図式は間違いではないようだ。しかしながら、そこそこ高齢の方に「山」のことを聞いてみると、あくまでも平地林と山は同一ではないという人が多い。そしてそういう捉え方は、とりわけ平地農村の方に多いと言える。ようは森そのものが近在にない人々にとっては、森は高山に近いところにあるという認識があるからだろう。ようは長野県人だからといって「山」の認識は共通ではないということである。さて、前掲書には「長野県大鹿村青木では、標高1000メートル以下をサトヤマ、1000~2000メートルをチカヤマ、2000メートル以上をタケと呼び分け、狩猟・焼畑などの生業上の目安にしてきた」と記している。確かに目安はあっただろうが、明確に1000メートルとか2000メートルといった数値で分けられたわけではないだろう。同書には引用文献が示されているものの、どの文献から引用したか解らないが、この記述は正確ではないと思う。

 前編で触れたように、信濃毎日新聞では「山の日」を特集した記事が11日紙面に限らず、これまでにも多く掲載されてきた。さすがに山岳県「長野」らしさと言える。では県内版中日新聞はどうだったかといえば、11日朝刊を見る限り、山の日の式典が上高地で行われる、と1面に小さな記事はあるが、「信州」版紙面以外に山の日を扱っているのは社説のみである。そして「信州」版にある山の日に関する特集には、やはり登山をキーワードとした記事が並び、その視線は「登山届」を提出するような「山」であることに違いはない。社説では「登山としての山の枠を越えて、山々がもたらす自然の多様な恵みについて考える機会にしよう、という考えです。」とあらためてその意図を示している。ようは文化として「山」を捉えようというものだ。高山ばかりが「山」ではない以上、「ヤマ」と呼ばれるすべての「山」を対象に、この日が永くヤマに親しむ日として継続されることを切に願うものである。

終わり

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