春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

あの猫は、と想って栄螺堂曹源寺。③--② 群馬県太田市。

2021-01-31 21:36:22 | 関口文治郎/神社仏閣


関東から東北で見られるさざえ堂ですが、
この螺旋は、古くは、レオナルド・ダヴィンチが、
スケッチに残しているという。
さざえ堂は、
福島県、会津若松の、
社寺建築の特異なフォルムのお堂に、
埼玉県、本庄市の、
浅間山噴火で亡くなった人々を、偲ぶお堂に、
太田市、曹源寺、
新田義正の幼女、祥寿姫の菩提寺として、
東京目黒の天恩山 五百羅漢寺 、
536羅漢を拝観でき、
茨木県取手市、平将門が開基した長禅寺と、
五大さざえ堂として、
趣の違う、それぞれの回廊に心を置き、
仏像に手を合わせる時間があってもいいのでしょう!










梅雨の季節、紫陽花が境内に美しく、
七福神、紫陽花の寺として、
聞けば
目やに、の猫は家なき猫なんだと・・。
紫陽花ごろ訪れて、まだ猫がいたなら、
さっさと、連れてこようかと・・・。




















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用心棒、猫に威嚇されて曹源寺。① 群馬県太田市。

2021-01-29 07:04:09 | 関口文治郎/神社仏閣


新田義貞さんの祖、新田義重さんの若くして亡くなった、
養女の菩提を弔うために、
1335年備前の天真祖英禅師に開山させて、
以来、新田氏歴代の祈願所となった、
群馬県太田市の曹源寺。

2度の焼失のあと、
1852年、本尊を魚藍観世音菩薩にして、本堂とし、
秩父34間観音、坂東33観音、西国33観音の
100観音を、さざえの壺のように螺旋して、
拝観できる、当時としては斬新な建築様式の、👆本堂。

👇七福神めぐりの団体さんに気後れして、
まごまごし、よそ者と察したか、
座った眼の猫が、雇われ用心棒か・・・、

威嚇のほふくで、のた~り。


















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浮いた話は聞けなかった金龍寺②--② 群馬県太田市。

2021-01-27 11:32:40 | 関口文治郎/神社仏閣

群馬県太田市の金龍寺は、
新田義貞さんが1321年、
天真自性和尚を招いて開山したお寺。

軍事才能に優れた新田さんが亡くなったのは、
越前・福井市を流れる、九頭竜川の傍。
50数騎余りで藤島城に籠る足利氏を、
攻める軍に加勢するのに出向いた折、
15キロばかりところの黒丸城から、
出向いた、得江頼員が率いる、
300の兵が放った
で38才の生涯を終えます。
1338年。

もったいない短い生涯、
忠誠を信条として、生きた37年。
今も福井県には新田義貞の
が発見された、
地を新田塚と呼んで、
祠を建て新田さんを偲んでいるのは、
新田さんの人間性によるのかもしれません。

1338年庇護者を無くし、
一時衰退していた金龍寺を再建したしたのは、
義貞三男・新田義宗の子。
1417年遺骨の一部を譲り受け、
境内に埋葬し、1637年、
義貞300回忌法要の際、建立された、
総高246Cm、安山岩製の供養塔 👇・・。


赤城おろし、利根川を泳ぎで鍛え、
強靭に育って、戦いばかり、
少しは浮いた話はなかったのでしょうかと、
問いても返えす、言葉は聞けず・・。

















👇 私には一人、
水子がいるので、手を合わせます。








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雨の日、想う金龍寺 ① 群馬県太田市。

2021-01-24 18:30:51 | 関口文治郎/神社仏閣

行動範囲が狭い今、
想像力、貧困の極みに駆け込むお寺もなく、
ただ、ただ茫然と蜘蛛の巣が一本の天井を見て、
お寺ばかりの記事に、
少しは雪の景色をと思ってたのに、八王子、
稜線を隠して雨ばかり。
タバコ一日6~7本に減らして鏡、
朝と晩、変わらない腹の出っ張りに、
体を捻じり相撲力士の腹と見比べ、
霞んでる町の灯に、
明日はきりっとした顔で、出かけようかと・・。

太田市の寺院は、
群馬県で高崎市の189ヵ寺に次いで124ヵ寺、
あちこちで寺院の看板を見かけます。

新田義貞さんの菩提寺、金龍寺を尋ねました。
金龍寺の名まえの寺院は宗派を違えて、
全国に47寺院があるのだそうです。







金山城址の山麓の七福神巡りでは、
毘沙門天さんで、七草寺には桔梗。
息切らして登れば、桔梗がぱっと・・、
粋な石碑にほっこりです。







寺院は檀家さんがいるので、
断りなく本堂に入るのは、ためらいます。
ながら、この日は扉の隙間から、
見えた欄間の彫刻に誘われて、
つい、ガラリと扉の音に手を合わせて・・。








👇羅漢・・無断侵入に付き、
彫像の詳しいことを聞けなかった・・。









自宅で過ごしている皆様、体調を崩しませんよう!
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新田神社・御嶽神社。コートを脱いだ群馬県太田市 ③--③

2021-01-22 11:01:25 | 関口文治郎/神社仏閣


新田義貞公・拝借ファイル

1338年、38才で亡くなった新田義貞さん。
新田神社の創設は明治になってから、
日本の歴史に刻んだ、義貞さんの遺徳を偲んで、
新田地区に住む新田の支族がもので、
地区の鎮守として、金山城本丸跡地に建てたもの。
訪れた日には、
金山山麓には、中島飛行製作所跡の、

スバル製作所の職員が、安全祈願をするところでした。




神社の前の700年のケヤキは、
金山城の歴史を見てきた、唯一の生き証人で、
出来事を語れるなら、
ぜひ聞きたいものです。





神社境内に、
御嶽神社の名を彫った祠を見つけた二代社掌が、
岩松新田家に祀られていた御嶽大社を請い受け、
愛知県源慶勝公の援助で明治6年に建てたもの・・と。






寺社巡りをして、いつも通る橋の傍で、
いつも叶わない、と、
思う光景に出会う・・、
買い物かごを傍に置いて、
小さな、小さな祠に花を添え、
車から見てしまう、
手を合わせる婦人の横顔。
私には祈祷する婦人の姿を見るとき、
無性に心が洗われる時があります。




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