春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

第3紀層に、巌窟山・観音院 ② 秩父

2021-06-28 21:25:39 | 秩父34札所

札所31番、鷲窟山・観音院の建物は、
昭和に建立された箱型建造物。
65メートルの岩崖は、
弘法大師も、まさか1700万年前の岩肌とは、
思いもしなかったことでしょう。
海の中、波が流れに溝を掘り、滑らかに・・・、
歴史の深さに、時を忘れていました。
これも、霊場巡りをしなければ、
知らないまま・・・でした!















弘法大師が指で彫った岩肌の像が、
1万数体あったといわれて、
今はかすかな形だけが浮かんでいました。


























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覆い被る大岩壁に、鷲窟山・観音院。① 秩父

2021-06-27 16:37:56 | 秩父34札所

札所30番から、18キロ歩けば5時間ほどに、
31番、鷲窟山・観音院。
車では20分ほど、昔の巡礼では大変な労力、
檀家を持たない、小さなお堂に地元民と
わずかばかりの援助と納経料で運営された霊場、
地元民の札所護持意識の強い秩父では、
格式がなく、信仰を原点として、
尋ねれば、親切に道案内をし、
疲れればお茶も出し、駐車料も拝観料もなく、
ひっそりと観光化しない霊場に・・と。











👇 地元の石で彫られた、仁王尊、
一枚岩で作られたものでは、日本で一番大きいものと。
石工は長野県伊那郡の藤森吉矢さん、
地元、小鹿町日尾村の黒沢三重郎さん、
信州伊那は民間信仰が盛んで、石仏造立にと、
大工職人よりはるかに給金が高く、
農家の跡取り以外の男性は、我もと選んだ職業、
その足跡は、全国にも広がって・・。
八王子にも、江戸城の石垣を造るために、
たくさんの職人がいた証が・・・。

 




👇10段・・登れば句碑が立ち並び、
その間には石仏・・・



中腹、伊勢崎市のおとっつあん、
札所34か所、15回も巡っての・・
えっ!



千葉・佐倉市からは11年間、徒歩で・・ふへぇ~!


えらいこった・・ぷハㇵぁ~


👇 判るなぁ~、昼の孤独が終わると・・・。
昔、昔、そうだった。


👇 幟が力をつけてくれた、細い道・・








句碑を見ながら、
登りきるまで、なんと時間が掛かってて・・
まもなく・・。





👇 登った。
腹減って、ここでは梵鐘を撞くことができ、
ゴ~オォ~ン。へなちょこな音だった。







👇 1488年の順番は、16番だった。
古代の地層跡の霊場。
秩父札所三十一番、鷲窟山・観音院。

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楊貴妃観音、膝を崩して、法雲寺。秩父。

2021-06-25 19:42:21 | 秩父34札所

秩父盆地、静けさの山間に、
霊場、札所34か所の巡りは神秘的でさえありました。
札所29番から、駐車場に向かうとき、
茶畑のそばで、農具を片付けながら、
声をかけてくださった方がいて、
「今日は、30番まで行き、
鹿の湯に入って終わりにすればいい・・と。
これからの工程は1日2カ所が、
目いっぱい、疲れますよ」・・と。

札所30番、瑞龍山・
法雲寺、
幕末の頃、土地の人々が卵の殻に、
人形を描いて人形を作り、義太夫の語りに合わせ、
一体の人形を二人で操り、
人形の手の操作に竹串を使う、
白久の串人形の一座があることで知られる、

白久・深谷地区。
谷津川に沿って急な坂道は、熊倉山へ。
途中、寺の石標があって、道は2つ👇






 





👇本尊の如意輪観世音。
元応元年(1319年)建長寺の道隠禅師が唐より

奉持したものと。
手引書には、膝を崩してじっと何かを見ている、
優雅な姿と・・・。来年の4月18日には、
表現して怒られるけど、妖艶な姿を見れる・・。




向こうの山、深谷に雪が降れば一際、
山間の納経所、法雲寺が威光を放つのでしょう。






👇如意輪観世音をここへ運べと言って、
枕元に出たのは「龍」でした。
願いかなった「龍」は、満足して天に昇ったという。
枯れた松の木の形が・・飛天の龍に、似てて‥と。






👇1615年、改築したときに植えられた
ヒヨクヒバ・・400年近い樹齢、






紫陽花がきれいに咲いてた法雲寺、
今日訪れた、坂東札所2番、海運山・岩殿寺の
裏山頂上に、秩父34札所の御詠歌石碑が並んでて、
👇法雲寺の法が、宝の文字で「宝雲寺」だった。
昔はそう書かれていたのもあるそうで、
変わった時代は・・・住職外出で、大黒山からの連絡待ち。











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秩父の祈り、巌道の岩井堂から大渕寺。

2021-06-23 21:03:34 | 秩父34札所


去年は一度も山に登りませんでした。
今年もまだ、
600メートルほどの、
高尾山まで10分ほどの所に住んでるのに、
麓までで、山の絵に額をくっつけて・・やま~・・。

思いがけず山道を歩きました。
札所26番・岩井堂の標高が380mで、
次の27番・大渕寺までの尾根には30メートルの、
岩場があり小山がありる1キロメートルばかり。
30メートルの岩場もあり、こぶもあり、
汗をかいて歩く・・・
岩井堂から



苔むす巌道を登って



👇一際別天地のように、
神々しい大仏さんに出くわします。
ここの地名は「影森」名の通り、
立冬から立春までは武甲山の影になり、
日野では遠く、上水の便も悪く開発は遅れ、
これから訪れる護国観音様までの1キロばかり、
修験者は巌道を幾度も武甲山を見ながら、
幾度も往復し、邪心の去り行を積み、
江戸で観音講を広め、喜拾を受けこの大仏を造り、
運んだという、お堂も地元民の労力奉仕で建造されたもの。
奥武蔵、素朴で真摯な住民の心意気が伝わります。



👇大仏さんのちょっと向こうに、
再建された修験場が




祠の向こうには、今は樹木が茂って見えませんが、
武甲山が・・。


江戸、羨望の伊勢神宮と金比羅宮、
修験場の中は、香川県象頭山金比羅大権現様を・・。
きっと、裕福でない秩父の人たちが、
ここで時を過ごしたのでしょうね。
麓には琴平神社もあります。







ここから巌道尾根、27番の大渕寺まで約一時間、
ハイキングです。




時折ロープで、👆護国観音様のところ、
鎖で登ると・・👇白衣観音。
高崎・大船とともに関東三大観音像と呼ばて、
1935年戦争の足跡が、ひしひしと伝わる頃、
左の手には、
蓮華の代わりに「剣」を持つ象に・・。



ここで3時間遅れの昼飯、
みちの駅「あしがくぼ」の、
手作りの握り飯。
あそこに家がある、高いところにも建ってる・・と
ぶつぶつ言いながら・・。








👇札所27番、大渕寺に着きました。
車で回る巡礼よりはるかに、
充実感がありました。でも大変なことです。





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ドジって寄らなかった札所26番の、岩井堂。秩父。

2021-06-22 14:02:20 | 秩父34札所


昨日、ワクチン接種のだるさを期待していたのに、
9時覚めた眼に「言葉袋」から、
「杞憂」が飛び出し、胡坐をかいて、
歌舞伎役者のように見栄を切った。
ハハア~。mairimashita。
元気溌剌の、昼から、
秩父札所26番円融寺の
ドジって撮り損ねた、岩井堂までひとっ走りです。
熱は無し、だるさも無くなって・・。
ブログ記事にしようとしたけど・・見事、スカでした
!。

円融寺・岩井堂は、
本堂👇から700メートルばかり処の、



昭和電工さん👇の敷地内にあり、
受付で挨拶をし、



👇1700年ごろ建てられた「道しるべ」がポツン、
右・岩井堂入り口、

左・みぎ二十六番道の石碑を頼りに・・・、



👇 空き地に車を止め、
車で乗り入れるべきでなかった・・。


👇300段ばかりの石段を登り、


👇詣りすんだ、4人、男性の後ろに3人の女性、
2度目の34札所を巡った、方たちでした。
一度目は車で、2度目は自転車と歩いて、ですと。








👇登り切って、舞台造りの岩井堂。
1209年に建立した観音堂。








👇かつて、弘法大師が37日間の秘法を収めた
護摩壇の岩窟に、元禄13年(1700)の、

刻印がある、かわゆい石像が・・




👇無人の観音堂、本尊は、
円融寺本堂に移されていて、
拝観はできませんが、
岩崖に建てられた岩井堂は、



👇「恋が窪」遊女との悲恋に、札所24番・法泉寺
涙を流した畠山重忠も、祖父の代から、
ここで、霊験を受けた・・・と。






👇石仏の前の、狭い巌道を登ると、
再建された修験場があり、
登ることにします・・。







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