春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

パンフルート。

2020-02-20 22:04:57 | Extra


♬ あなたひとりで走るなら
私が遠くはぐれたら
立ち止まらずに振り向いて
危険は前にもあるからどこからでも
あなたは見えるから
爪を休め眠る時も・・♫

※とまどうペリカン、井上陽水さんの歌詞・一節
写真👆👇土浦市駅



※ ※ ※

羊飼いと群れの監視するアルカディアの神、
山羊のような角を持ち、
臀部と脚部は羊の四足獣姿の
精力あふれる、パーン。

狩りを終えたパーンは、山を下りる道で現れた、
野に住み、歌と踊りが得意な、
若くて美しい、ニンフに恋をした。


生娘でいたいニンフは、
執拗なパーンの誘いを断つて山道を逃げ惑う。

川の土手でパーンに、

追いつかれた、野のニンフは、
水中のニンフに助けを叫び、

パーンの手がニンフの体に触れた時、
ニンフは川辺の葦に姿を変えた。

葦は山の風に、
悲しげな旋律で、山にこだまし、

呆然とたたずむパーン。

孤独になった、
羊飼いパーンはニンフを思い讃え、
数本の葦をちぎって、
山脈の頂に・・空に響けとばかり、
楽器を造る。


パンフルート。


〜 The Lonely Shepherd 〜 
Gheorghe Zamfir
(ルーマニア・1941~)
パン笛のマスター


編集して再掲載しました。
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弥勒寺音八さんの蘭亭曲水の宴。笠間神社。

2020-02-18 21:13:12 | 関口文治郎/神社仏閣

「桃の節句」、京の貴族階級の子女が、
天皇の御所を模した御殿や飾り付けで遊んで、
健康と厄除を願ったが始まりとされ、
平安時代よりさらに前は「上巳の節句」といった。

中国では上巳の日は、禊(みそぎ)をし,
汚れをはらい水に流す習俗があった。
のち1、2mの川幅で、宴を開き,曲がった川の淵に、
文化人が坐り、杯を浮かべ,
杯が自分の前を流れすぎないうちに、
詩を作り,詩ができなければ、
罰杯(紹興酒)を飲まされるという遊びになった、
「曲水の宴」

上巳の日付は、3月3日。

今でも九州辺りの行事にあるようです‥ね。

江戸末期、建築に6年の歳月をかけ、
1861年、完成した茨城県笠間神社。
群馬県伊勢崎生まれの、彫刻師、
絵師の号「向松軒梅雪」で、活躍もした、
弥勒寺音八さんが40歳の時に彫った、
「蘭亭曲水の図」を見ることができた。
図柄は弥勒寺さん。
羽目板全体の構図は、絵的でもあります。
皇居賢所の菊の御紋を彫る彫物師に、
スカウトされたきっかけは、
ここ笠間神社の彫物だと思われます・・。


弥勒寺音八照房さんの子、
弥勒寺銀次朗さんは、
石川信光さんの娘婿になり、
映画、渥美清さんの寅さんの、生まれ故郷、
柴又帝釈天の帝釈堂の彫刻を、
石川銀次朗の名で、関わっています。








👇腰羽目の「唐獅子牡丹」作者は、
チョットひと息。
※三島由紀夫が市ヶ谷の駐屯地に押し掛けた時、
車の中で歌ったのが高倉健さんの「唐獅子牡丹」・・・
逸話!
茨城県坂東市の、後藤縫之助さん。







👇奉納額も、楽しめます。


















場違いではありますが・・。





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胡桃の樹の下・笠間神社

2020-02-16 13:48:51 | 関口文治郎/神社仏閣

笠間市は、神社と共に栄えた鳥居門前町で、
陶器の笠間焼の生産地として、話に上がります。

笠間神社の創健記録は無く、口碑で伝えられところでは、
孝徳天皇御代の白雉2年(651年)、
この地が胡桃樹の密林だった一本の樹の下に、
創建したといわれています。
訪れた2月9日は寒さで震えましたが、
日曜日とあって、参拝の方が多く、
各地から訪れる方は、年間300万人とか・・。

神社の「笠間の菊まつり」の、開催期間中には、
神事流鏑馬、奉納笠間示現流居合抜刀術、
大和古流奉納式、
舞楽祭等の神事が行われ仲見世通りは、
沢山の人で賑わうのだそうです。



👇2011年の東日本大震災は、笠間市も被害に遭い、
街のシンボル笠間石(御影石)の鳥居も崩れ、
沢山の祈りの鶴が奉納されました。












👇陶芸の美術館の傍に、休憩所があり、
展示品館かと思わせる趣きがあります。




👇美術館への門です。



👇仲見世。




👇鳥居の前に・明治六年創業・松緑蔵元がありました。














写真 2020.2.9
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石原常八主信、透かし彫りの鑿裁き。野田市・愛宕神社

2020-02-13 23:05:35 | 関口文治郎/神社仏閣

風呂上り、紅花色の稜線を眺め、
指に挟んだ煙の立たない煙草は、
街に灯が点くまで、そんな春の夕焼け。
くしゃみ、ひとつ我に返って・・・・。

彫刻師・花形スター石原常八主信さん。
石原流と言われた2代目。
渡良瀬川、花輪村に生まれた彼が、
千葉の野田市の神社の彫刻を頼まれている。
完成したのは1824年、
1819年(33歳)には栃木県野木町に「野木神社」を
1821年(35歳)には、埼玉県小川町の「八宮神社」を仕上げていて、
彫物師として、脂がのっているときだったのでしょう。
推測ですが、
愛宕神社を手掛けた大工棟梁、
埼玉県二俣村に住んでいた、
三邑吉左衛門さんが、
野田市の大工棟梁、荒川喜兵衛さんに2代目常八さんを、
紹介したのでは、と。
鑿さばき、透かし彫りの滑らかさに無心になる、
常八さんの姿が浮かんできます。


👇獅子舞をする唐子


👇魚取りをする唐子




👇相撲をとる唐子

 



👇展書の唐子






👇弾琴夫人と唐子


👇囲碁の唐子




👇軍鶏を籠に追いやる唐子






👇闘鶏を見る唐子


👇鶏に餌をやる唐子







大詰めになった仕事、まもなく一段落します。
ブログも思うように更新できません、悪しからずの思い、
胸の中、手を合わせています、昨日、今日です。


写真 2020.2.8 
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野田市・愛宕神社

2020-02-12 11:00:08 | 関口文治郎/神社仏閣


カーテンを閉め切って、寝枕に現れた、
初恋の読書家で華奢な容姿だつた女性、
肥満になり、図書館で脚立から転げ、
崩れる本に埋もれる直前で眼が覚めた。

続きを見れるなら、埋もれた本の中で、
コーヒーをすすって本を読んでいる、
姿を発見したい。

50代天皇桓武天皇の5代目。
京にいた将門が、桓武天皇のひ孫の父、平良将が無くなって、
千葉に戻ったところ、領地は叔父たちの物になって、
怒った将門が、一族を滅ぼし、関東一円を掌握し、
朝廷に対して「俺が新しい天皇」と思った将門。
それまでの争いは、村々を焼き尽くし、
困った村民は「火伏の神」
京都の愛宕山の札と樒(しきみ)の枝を、
持ち帰り、建てた、野田市愛宕山神社。
(市井のよもやま話、程度の知識です)

上州花輪彫刻の花形だった、
2代目石原常八主信(1786~1863)
38歳、どんな伝手か、花輪から25里離れた、
愛宕山神社の本殿に、鑿の冴えをはめ込んでいます。
奇しくも平将門は戦いのさなか、

どこともなく飛んできた矢が額に命中して、
亡くなった940年2月14日、
享年は38歳。


👇サンドウィッチ専門、旨かった!


👇昭和6年7月愛宕駅前橋梁工事で発掘された、
室町時代、1433年の弥陀種子板の碑。


東に利根川、西に江戸川、南に利根運河と、
三方川に挟まれた野田市の特産品は醤油。
野田醤油業者が共同出資し、

キッコーマンに集約した後も、
独立を貫いている、キノへネ翔醤油の本社。
1830年の創業で、写真は明治30年の時の本社。



























 
写真 2020.2.8
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